カタヤイネン曹長はどこだと、ココアを片手にハンガーに来たラッキー野郎は
遭難、そして猛吹雪の為捜索断念のむねを伝えると、急に服を脱ぎだした。
整備兵「お、おい止めろ変態!」
急いで止めるとココアを押し付けられた。
そいつはハンガーの袖の方に掛けてある山岳装備に手を掛ける。
整備兵「お前、まさかカタヤイネン曹長を助けに行く気か?」
俺「当たり前だろ」
まさかと思ったが、コイツは相当キテいるようだ。
一番小さなリュックを引っ掴んで俺が立ち上がる。熊避けのカウベルががらりと音を立てた。
整備兵「…話を聞いてなかったのかよ。俺達は動けない、嬢ちゃん達も…何より見えるだろ、あれが」
窓の外は真っ白だった。
何も見えないマイナスの世界。-20°はすでに超えている。
そんな景色に一瞥をくれると、らしくも無く表情を引き締めて俺は歩き出す。
俺「……それがどうしたってんだ」
整備兵「馬鹿はやめろ。お前も軍に身を置いてんだったら、私情を持ち込むな」
俺「俺は違う」
きっぱりと一言が隣を過ぎる。
整備兵「……だったら何だよ。ただの変態かよ」
整備兵の口からは溜息しか出なかった。
それ程までに、整備兵と俺とは話が噛み合わない……否、見ている世界が違っていた。
俺「そうだよ。でも違う」
ウシャンカを被り、振り返る。
魚毛のウシャンカは誰が見てもみすぼらしい。
それでも俺は、それを微塵も感じさせない顔をしていた。
俺「炊事洗濯掃除…その他諸々大体何でも!502の雑用番だ!」
◇ ◇
新兵が置いていったものだろう。魚毛のウシャンカはくすんだ色をしていた。
ひとしきり肩を震わせて笑った後、ラルは口を開いた。
ラル「さて、エディータ。私は何も見ていないし聞いてもいない」
菅野「……隊、長?」
ラル「それに眠くてしょうがない。吹雪もひどいし……何があっても動けないだろうなぁ」
そう言って椅子に掛けてあった上着を取る。
そのまま、やけに芝居がかった優雅な仕草で、彼女はクローゼットに目を向ける。
ラル「ふむ、いいか俺。右のクローゼットにいいジャケットがあるが、くれぐれも触らないように」
ラルは俺の肩を叩いてそう言うと、ジョゼと菅野を連れだって出て行ってしまった。
なんだって、計算され尽くしていたのだろうか。
相変わらず凄まじい女性だと、ロスマンは一人苦笑した。
サーシャ「……ちょっと一緒に来てください」
俺「お誘いは嬉しいですが今はちょっと…」
サーシャ「こんな時まで何を勘違いしてるんですか貴方は!」
何をと言い返そうとしたが、熊さんのあまりの剣幕にどきりとして反応が遅れてしまい
俺は頬を染めながら鼻血を流すという奇行を侵してしまった。
◇ ◇◇
サーシャ「これで少しは平気でしょう」
自室にて、熊さんが俺に兎のウシャンカを被せて言った。
部屋に連れ込まれ何をされるのかと期待していたら、熊さんは俺の防寒具を見つくろってくれるという。
下原さんも合流し、マフラーやら分厚い手袋やらを貸してもらった。
熊さんの緊張していた顔に少しだけ笑みが戻る。それでいいのに。
サーシャ「インカムは常に交信状態に、お酒はほどほどにしてください」
俺「そんな、大丈夫ですよ」
下原「駄目です。……俺さんは、ただの人なんですから」
俺「そういう事とかはどうでもいいんだ」
やけにきっぱり答えられて、下原はふむと考える。
相変わらず周りを見ないと思うと、込み上げる笑いに頬が緩んだ。
下原「仕方のない人ですね」
本当に、どうしようもないくらい。
下原はふうと溜息をついて頭を抱えるサーシャをベッドに座らせた。
下原「どうあっても助けに行く、と」
俺「うん。もう二度と会えないなんて御免だ」
下原「そうですか」
俺「…ありがとう、下原さん………サーシャ」
そう呟いて、俺は銀色のアタッシュケースから鈍く光る一振りを抜き、皮の鞘に入れ、腰から下げる。
銃だのの武器は持たない俺には、この包丁一振りしかないのだ。
何も動く気配を感じなかったので、俺は部屋から出た。
下原「……忙しい人」
サーシャ「そうですね。…でも、どうして――――」
ぴたりと閉められ、鳴きもしないドアを見て、サーシャは声を濁らせる。
きつくシーツを握る彼女の手を、下原はそっと包んだ。
サーシャ「どうして最期だけ、名前を呼ぶんですか……」
◇ ◇◇◇
ニッカ「…さむ………」
へクシュとくしゃみが出た。
落ちた先は針葉樹の森。基地からそう遠くは無い筈だがいかんせん、吹雪がひどすぎる。
一寸先と言う訳でもないが、周りが全て白で染め上げられると、いい加減気が狂いそうだ。
ざくざくざくざく。
どこまでも白。白しろしろしろぜんぶしろ。
くるくるくるくる頭が狂う。全てを赤く染めてしまいたくなって左手首を見た所で意識が戻る。
馬鹿な考えはやめろと頭を殴り付けた。痛みは無かった。
いよいよ危ない。障壁があるのに、足と手の指先からは氷柱をねじ込まれるような痛みが襲う。
痛くて冷たくて寂しくて、意識が曖昧になる。こんなに苦しいのなら、受け身なんてとらなければ良かった
ざくざくざくざく。
自然治癒で細胞が活性化している筈なのに、やっぱり何も感じない。
自分が自分で無くなるように、段々と雪をかき分ける感覚が遠くなっている。
ざくざくと基地に向かっている筈。体が覚えていてくれている筈。何度も通った道だから。
ざくざくざく。
ニッカ「またこの木……ははっ、あはは………」
見覚えのある針葉樹に笑いが込み上げてきた。
寒くて笑っているかどうかも怪しい。もしかしたら泣いているのかもしれない。
そもそも視界が霞んでいるし、木の見分けなんて専門外だ。
ざくざく。
ツイてないだとか、運が悪いとか、そもそも死なないだけツイているとか。
この部隊に来て、統合戦闘航空隊というエースにしか入れない部隊に来て。
どこか変われると思っていた。
ツイてないのは雑念から―嫉妬、変な情―から来ると信じて飛んだ。
でも、やっぱりそうじゃない。
ウィッチでエースで………それが何なんだ。
誰も結果しか見ていない。見ているのは自分じゃなくてウィッチのニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。
結局自分は普遍的にツイて無くて憧れた子にも追い付けないだけの存在。それだけ。
ざく、。
雪が重い。
さっきから足の感覚も無いし、身体全体がふわふわしている気がする。
いいや、倒れてしまえ。
ばふりと後ろに倒れた。どしゃっと深く積もった雪が受け止める。
目の前は鈍色のようで白のようで―――ああ、もう見えていないんだった。
雪に当たる後頭部がじんじんと何かを訴えるが、どこか違う人に言っている気がしてしょうがない。
人違いだよ、だってどこも痛くない。
ぼうっと、見えているかも分からない空を見上げると、ふつふつと仕舞い込んだ疑問が浮いてくる。
なんでウィッチだったんだろう。なんでこんなに苦しいんだろう。
落ちて落ちて落ちて。全部諦めた。
出撃表を見る度に、いつ死ぬんだろうと漠然と考えて。
一つ一つ、指で辿って。明日死ぬかもしれないから、とびっきりの御馳走が食べたい。
そう思った日に限って、じゃがいもとひき肉のグラタンが………
ニッカ「あ、れ?」
なんで俺は知ってるんだろう。
気がつけば横にいて、鼻血を流してて、気がつけば私はいつも紙を持ち歩いていた。
その内容はさておき、別段嫌でも気負いも無くて、まるでいつも一緒にいるようだったあの男。
なんであいつは私を、こんなに知っているんだろう。
顔には出ないようになったのに、気がつけばココアがあって。
新しいストライカーが来る度に、さりげなくクッキーが包んであって。
出撃の前には必ず枕元に何かがいて、目が覚めるとプリンがあった。
俺が来てから……おいしい物を食べるようになってから落ちてない。
思わず吹き出した。なんだこりゃ、傑作じゃないか。
ふっと笑って思い出すのは、今朝のお茶を飲まなかったこと。あー…そういえば私の胸がどうとか言ってたなあ……
ニッカ「…いきたい……な………」
指の一本も動かない。びゅうびゅう吹き付ける雪粒に埋められる思考の中で。
もう一度だけ。
もう一度だけ何か食べたいなと思って。
ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンは意識を手放した。
◇◇ ◇
ハンガーに行こうと走っていると、基地の軍人たちから地図や方位磁石、食料などをリュックに詰め込まれた。
熱のこもった声と腕とで止められ、無理矢理押さえつけられてしまった。
一瞬戦慄したが、それを伝えた瞬間殴られ、ぐらぐらする頭で大声を聞き流す。
整備兵「いいか?地図だけは絶対失くすんじゃねえぞ!」
整備兵2「これ鉢巻、あと手拭いだ。カタヤイネン曹長が辛そうだったらコイツで体に巻いて背負って来い」
衛生兵「凍傷にゃ気をつけろ……寝ないで待つからな。早く帰れよ」
俺「そんなに詰め込んだらニパを背負えないじゃないか」
整備兵2「そこじゃねえよ!…もっとこう、遠慮とか感動とかよォ!イベントあんだろイベント!!」
回収班「ったくよぉ…これだから雑用は……いいか?曹長を見つけたら全部捨ててくるの!」
俺「あ、ストライカーはどうします?」
回収班2「頭が痛くなりやがる……俺達の腕を舐めんなってんだ!ケツに火ィ付けられたくなかったらさっさと行けや!」
怒鳴りながら言っているものの、軍人たちは必要な物をしっかりと詰め込んでくれた。
そういえば何も考えずに来たものだから何も持っていなかったのだ。
しかし軍人と言うのは荒っぽい。ことさら、ウィッチが絡むと更に酷い。
渡すだけ渡して帰った彼等に軽く頭を下げ、ハンガーに向かった。
◇◇ ◇◇
ハンガーの戸は全て閉められ、吹雪の強さを物語るようにガタガタと揺れていた。
奥に小さな扉があった。そこから出て外に出られる。
腰に下げていた手袋をはめようと掴んだ瞬間、手を止められた。
俺はひどく驚き、そのまま固まる。
後ろに気配がある。それはふっと息を吐きだすと、噛み締めるように言う。
「ニパ君は、君の大切な人だよ」
彼女は――ヴァルトルート・クルピンスキーは俺の耳元で呟いた。
きっと端正な、凛々しいとも可愛いともとれるその顔を歪めているのであろう。
俺「だから行くんですよ。伯爵」
クルピン「そう……君に死なれるくらいならボクが行くよ。絶対に助けられる」
俺「なにを――――」
ざわりとした。扉に向いていた体を彼女の方へと向きを変える。
振り返ると、そこにはプンスキー伯爵の顔があった。
俺は驚いて目を見開く。
伯爵は切なげに琥珀の瞳を細め、そのまま閉じた。
ふうと唇に呼気が触れ、しっとりと、浅く口づけられた。
唇が触れている、と。
電極が入ったように爆ぜる何かがあった。
意識が飛ぶかと思った。だが、それよりも。
伯爵の肩は小さく震えていた。そして思う。
ヴァルトルート・クルピンスキーは、いつからこんなに近かったんだろうか、と。
クルピン「君がどうして隠しているのか、私は知らない」
互いの呼吸を感じる距離で、ふいに彼女は、俺の頭に巻いた手拭の結び目に手を伸ばす。
クルピン「君がどんなものを背負っているのかも、私には解らない」
でもね、と。
真っ赤な手拭の結び目を緩めて彼女は続ける。
クルピン「この事を知ってるのは私だけなんだよ」
真っ赤な布に隠していたのは白い髪。
料理人だったら頭髪を隠すのは当たり前で、誰一人として気付かない筈だった。
気付いても、派手な赤で誤魔化せる筈だった。
俺「…やっぱり貴女は、一番最初に殺しておくべきでしたね………ヴァルトルート」
クルピン「ベラ、だよ……君がそう呼んだんでしょ?」
紅く、眼光は燐光のようにちらちらと。
クルピンスキーの目の前で、真っ白な男のその目は、紅い光を揺らめかせた。
最終更新:2013年03月30日 02:32