遥かなるスオミの空は鉛色の雲に閉じ込められ、落ちてきそうなほど近かった。
猛吹雪の中を、目から流れる紅い光を曳いて飛ぶ。
外は刺激に満ち過ぎていて、また出血量が増える。
『テスタメント、オーバーロードを確認。運用限界まで後4分18秒です』
『CABBALA-システム、運用に支障はありません』
『よろしい。実験を続行する』
『…しかし、本当によろしいのでしょうか』
『何がだね?』
『ウィッチとて人間、ましてや少女です。せめて戦闘能力を奪うだけでも……』
『テスタメントの恐ろしさを生きて語る者など不要だ』
リアルタイムで送られる生体情報から目を離さず、詰まりもせず。
『積み上げた屍の量こそが全てを語ってくれる』
さも当然と云った風に所長は言う。
その口元の濁った笑いに、部下は口を閉じることとなった。
『我々は人とネウロイに“禁断の果実”を教えたに過ぎない。これからの歩みは彼等が決める事』
蛇達の長は目を細め、うっとりとした口調で続ける。
『エデンに残り、互いの身を喰らいあう安息を取るか、失楽園へ堕ち、己を喰らう愚行を取るか……』
『どちらの道も、素晴らしいとは思わんかね』
◇
びょうびょうと唸る白魔はすぐにどうでもよくなった。
真っ白に塗装されたMG34と同じく白の服。
辺り一面白だけだった。
局地戦。つまり彼が運用できる環境は雪原か吹雪の日。
その為に体中の全てが白。悪天候で無ければ、ヒトだとばれてしまう。
≪テスタメント、聞こえているか?テスタメント≫
『……ああ』
≪吹雪とはまさに理想的だ。おまえの力が全て発揮できる≫
『ああ』
≪会敵まで幾許も無い。幼いようだが、芽は早々に摘み取らねば≫
『ああ』
≪さあ、実験開始だ≫
真っ白な景色に金が射す。
一人の少女はまるで黄金の麦畑のような髪の色だった。長くなびいて、美しい。
もう一人は雪原に落ちる暁のような色の髪。短い髪で、目を奪われた。
この上なく幻想的で、儚げで、これが“ウィッチ”かと。
そしてこれが、殺すべきもの。
そう認知した途端、じりっと頭が痺れた。
思わず頭に手を当てた間に、二つの金色が動き出す。
猛吹雪で見えていないはずなのに、何故か攻撃が当たらない。俺はただ撃った。
一方は完全に回避。もう一方は近くまで寄って来ていて、ギリギリで避ける。
時折現れる青い光が邪魔だった。
背後に回って撃つと、吹雪の所為か、ジャム。
すぐさまMG34を長い髪の少女に向かって投げる。
咄嗟に顔を庇う少女の無防備な腹をダガーナイフで切り裂いた。
『―――ッ!……アレ?』
ハズだった。
『き、気をつけろよ!コイツ、今までの奴とは違う!』
ギリギリで避けていた方が叫ぶと、先読みをしていた方が頷く。
じりじりと痺れが体を回る。
どうでもいい。早く切り裂けばいいんだから。
脚に意識を回すと、ふっと速度が上がった。
ごきりと肩から変な音がして、口から蟾の潰れたような声。
構わない。そのまま飛びこむ。
≪ふむ、あまり長引くと増援がくる、か……テスタメント、もういいだろう≫
≪セフィロト・プログラムを、“生命の実”を、齧ってみようか≫
それは、殺せの合図。
その声とともに俺はダガーナイフを投げる。
切っ先は一瞬で近くにいた方――髪の短い少女の左胸下辺りに突き刺さる。
声を発する間もなく、柔らかい肌に氷点下の刃が当たり、ぷつり、と音を立てて刃は肉を喰らう。
的確に肋骨の隙間―丁度肺の位置に飛んだダガーは素直に刺さった。
『っつ、かっ…あぅ……!?』
―しまった。すぐに空気を送り込まないと死なないのに。
吹き荒ぶ雪粒に血の玉が混ざり、赤い花をくしゃりと潰したように、辺りに赤を散らす。
呼吸が辛いのか苦痛に顔を歪め、唇の端からは鮮血が一筋。
――どくん
ニパと呼ばれた少女は、ふっと諦めたように笑い、目を閉じた。
高度が落ちる。俺ともう一人の少女の眼の前で、少女は針葉樹の森へと吸いこまれていった。
ぞくり、と皮膚が逆立つような、痺れる熱が俺を一呑みにする。
脳が融けるように、鼻血の量が増える。
暗闇の中で、誰かがいきなりダイヤモンドの詰まった箱をぶちまけたような輝きに
頭の中と目の奥がチカチカする。
臓腑の奥から灼熱がせり上がる。
『な、嘘ダロ……ニパ、ニパァアアア!!!』
≪…素晴らしい!その調子で――――――――――――!!≫
『に……ぱ……?』
言葉を覚えたての赤子が親を呼ぶような、ひどく拙い発音。
発音相応のぽかんとした顔、半開きのままの口。
ぷっつりと音が途切れた世界で、髪の長い少女の音と、ニパと呼ばれた少女の心音だけが転がっていた。
『ぅ、か…あ……け、ゃ』
手が虚空をゆらゆらと。
身体の奥から溢れる熱は全てを焼くようだった。
焼かれるようにじりじりと、
胃の腑から広がる熱――――――それはきっと、空虚。
焦れるようにじりじりと、
胸の奥から溢れる熱――――――それはきっと、愛しさ。
絵具を溶かしたバケツを浴びせられたような訳の分からない色と
身の内から沸騰するような熱に気が狂う。
『が、あ゙ぐぁ、ゔあ゙ぁあ゙あ゙……!!?』
◇◇
『セフィロト・プログラム、情緒順開放システムに異常発生!精神負荷値上昇!!』
『危険です所長。このまま感情が芽吹けばテスタメントは…我々の計画が破綻します。今すぐ処分を』
制御できないモルモットに用は無いのだ。
せっかく最終調整まで進み、最終実験まで行ったけれど彼はここまで。
後はテスタメントの遺した素晴らしいデータを少しずつ漏らし、人、ネウロイ双方の出方を窺うだけ。
『彼は我々の最高傑作です。しかし、半端な感情を持つ生物など―――――』
手元のガラスカバーに覆われたボタンを押せば彼は死ぬ。
聖なる契約者は空っぽの心を狂わせ、神に成りきれずに堕ちて行く。
それが彼等≪蛇達≫の仕事。
歩む道をそそのかし、狡猾な地を這うもの共の所業。
『―――ッ黙れ!!』
骸骨は肉を震わせる。
真っ白な部屋に、男の声は良く響いた。
『我々は双方の英知の粋を集め、テスタメントを創り、それを≪智恵の実≫とした』
『そして、それ自体に≪生命の実≫を植え付けた。…計画はとうに始まっている。テスタメントはもう、我々の手から離れたのだよ』
狂っている、と。部下の一人は思った。
『あぁ……だが早すぎる、早すぎるぞテスタメント』
目の前の画面に縋りつくように、骸骨は歓喜にむせぶ。
喉の奥からのひくつく笑いを抑えた蛙のような声は不気味を通り越して軽蔑を誘った。
それでも部下は動かない。莫大な報酬はこの男から出るのだから。
『≪神≫などいらぬと……おまえ達自身で決着をつけると……』
肉を着た骸骨は知っている。
味方など端からいない事、そして己が狂わせるこれからの全てを。
『これが世界の答えか、……俺』
◇ ◇
―熱い熱い熱い熱い熱いあつ、い。
臓腑が融け落ちるような豪熱に知らない何かが溢れて来る。
『ぐう、ふっ……っがあ゙、あ゙!!』
森に墜ちた彼女を追わないと。
まだ生きているから。鼓動がすぐそこで聞こえるから。
『絶対に許さない!…絶対に、オマエを落として!!』
急に苦しみ出した敵に好機と、髪の長い少女は飛びこむ。
―彼女がいたら助けられない。
ふとそう思った時にはすでに体は動いていた。
体中が熱くて苦しくて、関節がぎちぎちと音を立てているのに、
頭が働く。策が浮かぶ。俺は何かを考えている。
これ以上は駄目だ。戦闘不能にして、あの子と一緒に帰さなきゃ。
ごうと大気を蹴りあげて、少女との相対距離を一気に詰めた。
―予知した未来と違う。いや、さっきから役に立たない。こんなの無茶苦茶だ。
吹雪の果てから己の懐に現れた白を前にして、髪の長い少女――エイラ・イルマタル・ユーティライネンは思った。
白の向こうで紅い光を放っていたモノはネウロイだと思っていた。
だが違う。それは純白だった。
ヒトと同じ形。自分と似た飛行脚。ただ一つの相違点は真紅の瞳。
それはネウロイの紅のようで、エイラの背筋が粟立った。
まるで、コイツは
―――――白いネウロイ―――――
もし、彼女がそう思ったのならこの計画の初期構想は成功したといってもいいだろう。
俺は右腕を振り上げる。拳を握り、エイラを狙う。
白魔を切り裂く紅蓮の魔手は、辺り一面に紅を撒き散らした。
◇ ◇◇
『つうッ、あつ……い゙、っ……!!』
光を放った右腕が熱い。
抱えていた少女を下ろして、俺は雪に腕を突っ込んだ。
じゅうじゅう音を立てて雪が溶ける。
水が飲みたくて、溶けた水を飲みこんだ。
針葉樹の元を赤く染めて横たわる少女を見つけて
俺は鼻の奥がツンとする、変な感覚に襲われた。
空気を入れないように慎重にダガーを抜くと、傷がゆっくりだが塞がっていく。
俺の知っている人体構造と違っていた。
≪魔法力≫というものは、これ程の力があるのか。
傷は一つも残さないように、紅い光をおびた右手で傷口を覆うと
うっすらと残る傷跡は綺麗に消え、少女の柔肌だけが残った。
落ちたことも何もかも、これで夢だと思ってくれるだろう。
こんなことは、あり得ないのだから。
そして二人をかついで、頭に入っている基地へと飛ぶ。
飛行脚は途中で捨て、基地まで走った。
基地ではどうやら歓迎されたようで、やはり彼等の考えている事は解らない。
眠る少女らは医務室に。俺は司令と呼ばれた人とハンガーで隣り合って座っていた。
『君には感謝している。本当に…彼女たちはスオムスの、人類の宝だからね』
うまく言葉を使えないから、俺は頷くことしかできない。
手に持っているココアの、陶器を通しての熱に手がしびれていた。
『あの吹雪でよく外にいてくれたものだ。家出少年、名前は?』
『…あ、っと、―――――』
『寒さで舌が回らんか。まあ飲むと良い。私からの礼だ』
少ないがと笑い、その人はコーヒーを飲んだ。
名前……テスタメント?駄目だろうな。
詰め込まれた中の良い情報は―――
『…おれ……』
『うん?』
『俺と、いいます』
『ほう……ここらじゃ無い名前だな。差し詰め、良い所の坊ちゃんの旅行と云った所か』
その人はふむと考えるようにした。
俺はココアを口に運ぶ。
甘い香り、しびれるような温もり。
一口飲めば頭の中まで香りが満ちて、舌は柔らかな甘さで包まれて、自然と溜息が出る。
『うまいか?俺少年』
きっとこれがおいしいというのだろう。
俺は素直に頷いた。司令は満足そうに笑い、近くの軍人に声をかけた。
『おい、俺少年を町まで送って差し上げろ』
『は、はあ…家でなくてよろしいので?』
『馬鹿者!吹雪の夜に一人で森をさまよう子供が、家に帰りたいと思ってる訳無かろう!』
『っは、はい!失礼しましたぁ!!』
彼等の会話から察するに、スオミのどこかへ送ってくれるらしかった。
それにしても、と俺は考える。
司令と呼ばれるこの人は、どうして解ったのだろうか。と
『俺少年?どうした、ぼうっとして』
『えっと、何か』
『これを持ってゆけ。しばらくは困らんはずだ』
そう言って渡されたリュックには食料と水、そして、決して少なくはない貨幣と硬貨。
これは、と俺が問うと、司令は口を開く。
『我等が魔女を救った礼だ。上手く逃げるといい』
『あなたは』
『楽しむといい。さらばだ、俺』
それ以上は何も言わず、司令は片手をあげて去っていった。
俺はその後軍用車に揺られ、スオミの街に降ろされた。
そこで入った酒場は料理人を募集していたので、試しにやってみたら採用。
詰め込まれた知識のおかげで俺は生きる術を手に入れた。
料理人はいい。
この異能の力で職人の技をすぐさま覚えてしまっても≪天才≫で終わりだ。
その上、常に刃物を持ち歩いても問題は無い。
そう思っていたのに、楽しくなってしまった。
もっと多くの事がやりたいと、≪テスタメント≫であったことを忘れ
密航に密航を
繰り返し、ヒトを殺すために創られた素晴らしい性能で技を覚えて。
そして、あの子の元に帰った。
そして、あの人を愛してしまった。
◇◇ ◇◇
俺「どこにいる、ニパ、返事をしてくれ!!」
俺は雪を搔きわけ、ニパのいるであろう場所を目指す。
俺「ニパ、君は自分がどんなに素晴らしいものを持っているか分かっていない!分かっちゃいないんだ!!」
紅い目で身体能力が上がっている今なら彼女を探し出せるはずだ。
ニパが俺を必要としているのなら、それに応えるのが殺し損ねた俺の、
彼女の全てを狂わせた俺のやるべきことだ。
理由はどうであれ、俺を救ってくれたのはニパ。
やるべき事なんて、最初から決まっていたのだ。
俺「……待っていてくれ、君を必ず死なせはしない!」
紅い光を曳いて猛吹雪を駆け抜ける。
そんな森の奥で、もうひとつの紅が嗤っていた。
最終更新:2013年03月30日 02:33