1939年。ヨーロッパでのネウロイの勢力拡大を防ぐため、扶桑からの艦隊がリバウへ向けて洋上を進んでいた。
扶桑でも選び抜かれた精鋭達が乗るその艦内には、少尉に任官されたばかりの竹井の姿もあった。
慣れない異国での生活を思い、不安げに海を見つめる。
言語が通じるかどうか。体を壊したりはしないか。ネウロイの本格的な攻勢がいつ始まるのか。そして、自分は生き残れることが出来るのか。
竹井があれこれと思案していると、不意に体を暖かい感触が包み込んだ。
竹井「ふぇ?」
俺「こんなとこにいると風邪引くぞ」
後ろから突然声をかけられて振り向くと、そこには二年前の扶桑海事変で出会った俺の姿があった。
自分の肩を見れば、そこには俺の物と思われるコートが掛けられている。
竹井「俺さん……? どうしてここに?」
俺「どうしてって、俺も遣欧艦隊の一員としてリバウへ送られるからさ。竹井もそうだろ?」
竹井「ええ……。ところで、あの……私のこと、覚えててくれたんですか?」
俺「最初見たときはわかんなかったけどな。随分背が伸びたみたいだし。まあ、あれから二年も経ったんだから当然か」
背が伸びたとはいえ、俺の身長は竹井よりもかなり上だ。
俺は竹井の頭に軽々と手を乗せ、少し乱暴に撫で回した。
竹井「あっ……。もう、やめて下さいっ」
俺「ああ、ごめんごめん。何か不安そうな顔してたから心配でさ」
竹井がわたわたと恥ずかしそうに髪を整える。
俺は笑いながらその様子を見ていたが、海風で冷えたのか突然大きなくしゃみをかました。
俺「ぶえっくし! やっぱりここは寒いなぁ……」
竹井「すみません。 コートをお返しします」
俺「いや、それより中に戻ろう。そうだ、女も来てるんだ。会いに行くか?」
女の名前を聞き、竹井は心に小さな抵抗を感じた。
その正体を本能的に悟り、思わず竹井は表情を暗くさせる。
竹井(私……いやな子だな……)
俺「竹井?」
竹井「あ……。すみません、艦内に戻りましょうか」
俺「ああ。あいつなら多分食堂あたりにいると思うよ」
先を歩く俺の後ろで、竹井は気付かれないように俺のコートを顔に引き寄せた。
父親の匂いとはなんだか違う。海の香りに混ざり、甘く感じられる不思議な匂いがする。
その香りを少しの間でも独占しようと、竹井は歩く速度を緩めた。
●
フェデリカ「ねぇねぇ、竹井と俺って本当はどんな関係だったの? 教えてよぉ~」
竹井「何度も言ったじゃないですか。ただの知り合いですよ」
フェデリカ「ふぅ~ん。じゃあ何で今日に限って化粧なんかしてるの?」
竹井「これは、その……ただの身嗜みです。別に大した意味なんてありませんから」
竹井が顔を赤くさせながら答える。
二人がいるのは、第504統合戦闘航空団の基地の滑走路だ。
回りでは本日到着する扶桑からの増援と補給の受け入れ準備の真っ最中であり、各班の担当の人間が忙しそうに走り回っている。
竹井はその指揮を任されているのでここにいるが、フェデリカは他の仕事があったはずだ。
竹井「少佐、仕事の方はどうしたんです? こんな所で油を売っていていいんですか?」
フェデリカ「そんなもの、とっくの昔に終わらせちゃったわよ」
得意げなフェデリカの表情とは反対に、竹井は憂鬱そうな顔でため息を吐く。
竹井(今だけはこの人の有能さが恨めしいわ……ん?)
不意に何処からともなく低いエンジン音が響いてきた。
辺りの空を見渡してみると、東から基地に向かって輸送機が降りてくるのが見える。
フェデリカ「やっと輸送機が到着したみたいね。感動の再会といきましょうか」
竹井「だから違いますって。少佐……もう」
竹井の言葉を聞かず、フェデリカはさっさと一人で出迎えに行ってしまう。
どうも先日の反応を見て竹井と俺が特別な関係なのだと思っているらしい。
フェデリカの後を追いながら、竹井は無意識に鼓動が高なってくるのを感じていた。
竹井(変に意識しないようにしないと、俺さんに変に思われてしまうわね……)
やがて輸送機が着陸し、竹井達の前で停止する。
そして、中から降りてきた人物を見て竹井は言葉を失った。
無精ひげを生やし、よれよれの軍服を着たその人物は、髪の毛が真っ白だったのだ。
俺「俺大尉だ。よろしく頼む」
名前を言われ、改めて顔を見る。
昔の面影と比較し、ようやく俺だと判断できた。
竹井「あ……、竹井醇子大尉です。お久しぶりですね、俺さん。私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
俺「……ああ」
会話終了。
気まずい雰囲気が辺りを包むが、俺はそれを無視し、何事も無かったように竹井の横を通り過ぎた。
竹井(え……?)
俺のあまりにもそっけない態度に、竹井が呆然とした表情を浮かべる。
声をかけようにもうまく口が開かない。
竹井の様子を見たフェデリカが気を利かせ、フォローするように俺に話しかけた。
フェデリカ「ようこそ、第504統合戦闘航空団へ。私は隊長のフェデリカ・N・ドッリオ少佐よ」
俺「俺大尉だ。で、俺の部屋はどこになるんだ?」
フェデリカ「今案内するわ。それで、他の隊員との顔合わせなんだけど──」
俺がフェデリカと共に歩いていく。
それを竹井はただぼんやりと眺めていた。
●
その夜、竹井は俺の部屋を訪れていた。
話がしたいのもあったが、昔とあまりにも違う俺の様子を心配してのことだ。
竹井「門前払いとかされないかしら……」
先程行った俺の歓迎会の様子が脳裏に浮かぶ。
歓迎会が始まり、軽く自己紹介をした後、俺はすぐに「疲れた」と言って自室へ戻って行ってしまったのだ。
俺の態度にフェルナンディアが怒り狂い、天姫やジェーンがオロオロとし、他のメンバーは戸惑った顔のまま動けないでいる。といった反応だった。
最低限の会話しかせず、コミニュケーションをとる気が無いとくれば仕方のないことだろう。
竹井「このままでは部隊の士気に関わるわね……」
改めて意を決し、竹井は部屋の扉をノックする。
すると、部屋の中から短い応答があった。
ドアを開けた瞬間、きつい煙草の匂いが竹井の鼻孔を刺激する。
俺「何の用だ」
俺はベッドの上に寝ころび、こちらを見もせずに煙草を吹かしていた。
すぐ側のテーブルには酒の瓶が数本並んでいる。しかも、いくつかは既に空になっているようだ。
いきなり注意するのも気が引け、竹井はまず当たり障りのない話題を振ってみることにした。
竹井「何か必要な物はありますか? もし良かったら近くの街に──」
俺「特にない」
竹井「じ、じゃあ献立のリクエストとか──」
俺「特にない」
取り付く島もないとは正にこのことだろう。
話題に困った竹井が目を泳がせる。
すると、自然と俺の頭へ目がいった。
竹井「あ、あの、ところでその髪は染めたんですか?」
俺「っ──」
その瞬間、初めて俺に反応らしい反応が見られた。
それは苛立ちと不快感が混ざったようなもので、明らかな拒絶の感情を表していた。
俺「──別に。……用が済んだなら出て行ってくれ」
竹井「あ……。はい……」
俺に部屋を追い出された後、竹井は廊下をふらふらと当てもなく歩いていた。
頭の中では俺に拒絶された光景が何度も
繰り返し再生されている。
竹井(俺さん……)
気を紛らわせるために別の事を考えようとするが、頭がうまく働かない。
結局その日、竹井は眠れぬ夜を過ごすことになった。
●
俺が来てから三日が経った。
その間、俺と504メンバーとの間に目立ったトラブルは起きていない。
それも当然のことだ。
俺は何かしらの用事がある時以外、部屋に閉じこもったきりなのだから。
フェデリカ「困ったわねぇ……」
竹井「ええ、まあ……」
フェデリカは朝食のサラダをフォークで突つきながらぼんやりと呟いた。
それに対し、竹井ははっきりとしない返事を返す。
内心、竹井は少しほっとしていた。
あの夜以来、俺とどのような顔をして会えばいいかわからないからだ。
竹井(でも、このままじゃいけないわよね……)
天姫「あのぅ……。竹井大尉、俺さんは今日も……?」
竹井「ええ、そうみたいね……」
天姫と竹井が心配そうな顔で空いた席へ視線を向ける。
今朝だけではない。
この基地に来て以来、俺は一度も皆と共に食事をしていなかった。
一応、自分の部屋で食事は取っているみたいなので命の心配はないだろうが、こうも接触を拒まれていると隊の空気もぎこちなくなってくる。
フェルナンディア「それにしても協調性がないやつよねぇ。あいつ本当に扶桑人なの?」
ルチアナ「その発言は人種差別になると思うんですけど……」
マルチナ「そういえばさー、俺の髪ってなんで真っ白なの? 普通扶桑の人って黒髪だよね?」
フェルナンディア「そう言われるとそうね……。なんでかしら?」
三人のやりとりに竹井は思わず息を飲み込む。
そして直感的に思った。止めなくてはいけない、と。
何故なら、この三人は素直に理由を聞きに行きそうだし、そうなれば自分の二の舞になるのは目に見えているからだ。
竹井「ねえ、あなた達──」
その時、竹井の言葉を遮って警報が鳴り響いた。
食堂にいた全員が動きを止める。
だがそれも一瞬のことで、すぐさま各々の持ち場へと駆け出した。
フェデリカ「竹井! 戦闘指揮をお願い!」
竹井「了解!」
指揮所へ向かうフェデリカを見送り、竹井達はハンガーへと急ぐ。
その途中、一人の人影が竹井達よりも先にハンガーへ走っていくのが見えた。
扶桑の軍服に白い髪。
俺だ。
普段の気怠げな様子と違い、鬼気迫るほどの表情で全力疾走している。
竹井「俺さん……!?」
竹井達がハンガーへ飛び込むと、俺は既に発進準備を終えて出撃するところだった。
フェルナンディア「あっ! こら、勝手に……って」
ジェーン「行っちゃったです……」
ルチアナ「竹井大尉、どうしますか?」
竹井「……追うしかないでしょう。全員、速やかに発進準備を」
ストライカーユニットを装着し、武器を手に取る。
各部に不備がないかチェックしながら、竹井は俺に対しての疑問を深めていた。
竹井(俺さん……どういうつもりなの……?)
頭では別のことを考えながらも手や視線はいつもの作業をこなしていく。
やがて全員が準備を終え、各機が滑走路へ進んでいくと、竹井が号令をかけた。
竹井「全機出撃!」
空に舞い上がって辺りに視線を向けるが、当然そこに俺の姿は無い。
すると、耳に付けたインカムからフェデリカの声が聞こえてきた。
フェデリカ『全機へ。敵はN-08地区を南西へ移動中よ。わかってるだろうけど、俺が一機で先行してるわ』
ジェーン「こういう無茶苦茶なことをする人は大将だけかと思ってたですけど……」
ジェーンは何か言いたげに隣を飛ぶドミニカへ視線を向けるが、ドミニカはまったく気にしていないようだ。
フェデリカ『詳しい数はわからないけど、こちらのレーダーによれば敵は中隊規模よ。俺一人じゃ厳しいわ。急いで合流して』
竹井「了解しました」
フェルナンディア「まったく、何で私達があんなやつなんかと……」
フェルナンディアだけではない。
他のメンバーも俺の行動に不満を持っているようだ。
竹井も俺の不可解な行動を疑問に思ったが、意識して思考を切り替えようと声を上げる。
竹井「各機、フォーメーションを確認! 速度を上げるわよ!」
各機『了解!』
竹井達が速度を上げてから数分後、前方にいくつかの影が見え始めた。
時折光の筋を吐き出すそれは敵機なのだろうが、その数は予想していたよりも少ない。
そして影の一つ──俺が刀を抜いたまま、自身の正面にいる敵へと突っ込んでいく。
フェルナンディア「あんな真っ正面から……!? 死ぬ気なの!?」
フェルナンディアの心配した通り、俺へ向けていくつもの攻撃が向けられた。
俺はその合間を縫うようにすり抜け、なおも敵へと接近する。
ルチアナ「凄い……」
マルチナ「扶桑のユニットはあんなふうに動けるんだ。いいなぁ……」
竹井「あれは俺さんだから見切れるのよ。ユニットの性能だけであそこまでは動けないわ」
だが、距離が詰まれば回避も難しくなってくる。
徐々に敵の攻撃が激しくなり、銃弾が俺の体を擦過する回数が増えてきた頃、
ドミニカ「……まずい」
回避運動の直後、丁度動けなくなるタイミングでビームが放たれた。
俺が身を捻るが間に合わない。
そして、吸い込まれるように俺にビームが迫り、俺の姿が見えなくなった。
ジェーン「嘘……死んじゃった……?」
フェルナンディア「だから言ったのに……!」
竹井「いいえ、俺さんは大丈夫よ」
竹井の言葉を皆が疑問に思った瞬間、敵の一機が突然爆発した。
その爆煙が晴れた先には、先程ビームに消し飛ばされたはずの俺が飛んでいる。
マルチナ「俺!? 生きてたの!?」
竹井「俺さんなら当然よ。だって俺さんの固有魔法は──」
刀を構え、俺が別の敵へ向かう。
俺に対して敵が迎撃のビームを放った。
一発目が外れ、二発目を避け、三発目が掠めるが、俺はなおも接近する。
そして四発目。至近距離で放たれたそれは、俺に回避する暇さえ与えずに直撃するはずだった。
竹井「──超高速移動なんだから」
ビームが当たる寸前、俺の姿がかき消える。
次の瞬間、俺が少し離れた場所に現れたかと思うと、素早く敵に接近し、真っ二つに切り裂いた。
マルチナ「俺ー! 凄かったよ! びゅんって消えてすぱって感じで!」
フェルナンディア「まあ、それなりにやるじゃない」
ようやく竹井達が俺に追いついたが、俺は目も合わせずに違う場所を見ていた。
そこには撤退していく敵部隊の姿がある。
おそらく、先程の敵は本隊を逃がすための囮だったのだろう。
竹井「敵は撤退したみたいね。ではこちらも──」
俺「……逃がさん」
竹井「え?」
フェルナンディア「ちょ、ちょっと俺!?」
皆の静止を無視し、俺が撤退していく敵部隊目掛けて突っ込んでいった。
最終更新:2013年03月30日 02:42