―――――スオムス某基地にて、早朝。

 辺りは未だ暗く、外からは鳥の鳴き声もまだ聞こえず、静まりかえっている。その静寂は
基地の内部にも満ちており、物音一つ聞こえない。屋外から窓や壁を通して伝わる、氷のような寒気は、
人気の無さ、熱の無さというものを感じるのを、ますます助長していた。

 その無音の廊下を、一人の男が小さく足音を立てながら歩いている。男が足をおろすたび、
やや高い硬質の音が、軍靴からわずかに響く。男の口元からは、時折、白いもやが飛び出していた。

 男の背中は曲がることなくまっすぐに伸びており、歩幅も常に一定になっている。体格も細くなく、
むしろ、きっちりと着込んだ軍服の上からでも、うっすらとではあるが、鍛えられた筋肉の存在を
認める事ができるほどだった。

 さらに数分歩いた後、男は一つのドアの前で立ち止まり、拳を扉へ、軽く数回打ち付けた。
少し遅れて、入れ、と、やや無愛想な低い声が扉の向こうから聞こえてくる。
「失礼します」
 一言声をかけた後、ノブを回して扉を押し開けて、男は部屋の中へと入っていった。

 部屋の中は広く、床には毛足の長い赤い絨毯が、一面に敷き詰められていた。壁には大きな本棚が
いくつも並び、それぞれの棚には無数のファイルが若干無造作に押し込められている。
入り口の反対側の壁には大きな窓があり、その窓の下に置かれた大型のデスクに、部屋の主は居た。
その体格は、座っていても分かるほど大柄で、眉間には、深い皺が走っている。髪は短く、全身は
ごつごつと角張って居る。遠目には、部屋の奥に岩が一つ、どすんと鎮座しているようにも見えた。

「相も変わらず、ぴったり時間通りだな」
 先ほどノックをした際に入室を促した声と変わらない、不機嫌そうな声を、部屋の主は漏らした。
「時間通りの行動は、私の美徳の一つでもありますので」
 男は軽く笑みを浮かべつつ、穏やかに答えた。部屋の主は右手に持っていたパイプを咥え、
不味そうにひとしきり煙をふかした後、もう一度口を開いた。

「――― 一つ、か。では他の美徳とは、何だ」
 興味が湧いたと言うよりは、とりあえず尋ねてみた、とでも言うように、部屋の主は気怠げ
に、男に質問を返す。
「女性を傷つけない事、友人に敬意を抱く事、そして、まだ暗い早朝に呼びつけるような気難
 しい上司と上手くやっていくよう気をつける事、といったところでしょうか」
 男は若干の皮肉を交えつつ、上官の質問に答えを返す。

「……今まで糞真面目だと思っていたが、まさか、この俺に嫌味を吐くとは、な」
 上官は持っていたパイプをデスクの上に置いた。パイプがデスクと触れる、こつん、という音が、
静かで薄暗い部屋にやけに大きく響いた。上官は、置いたパイプの代わりに、一束の書類を手に取る。
[――――まぁ、そんなことはどうでもいい。本題はこれだ]
 言葉の通り、部屋の主は男の嫌味をまるで意に介さない様子で、書類を男へ突きだした。
男は突き出された書類を受け取り、一枚目の表題を確認した後、紙を一枚ずつめくった。

「オペレーション・マルス、ですか」
 男はゆっくりと、ぺらり、ぺらりと、無機質な、素っ気無い音を立てつつ、紙をめくり続けると共に、
何気なく、ぽつりと呟いた。
「そうだ。2週間後、ロマーニャのネウロイ共の巣に向けて行われる、反攻作戦だ」
 上官は再びパイプを咥え、煙を吸う。少し遅れて煙を吐きだした。

「扶桑の海軍連中が作った、大和とか言う大型戦艦に、コアコントロールシステム―――以前に、
 マロニーの馬鹿が、ウォーロックに組み込んだ奴を搭載させて、ネウロイの巣を叩かせる」
 上官は仏頂面を崩さないまま、淡々と作戦の概要を述べた。男はそれに対して、僅かに
疑問の色を浮かべ、目前の上官に問いかける。
「なぜ、わざわざ戦艦を?ネウロイとの戦闘は、ウィッチのお嬢さん方の方が適任では?」
 上官は塞ぎ込んだ顔をますますしかめっ面にしている。そういえばそうだった。男は、目の前の
人間の人物像を思い出した。この上官は、「ウィッチ」という言葉を聞くたびに、なにかしらの毒を吐く、
ウィッチ嫌いということでも、基地の中では有名な人間だったのだ。もっとも、事務処理や、上層部との
交渉においては非常に優秀であるがために、皆、特に何も言わないのだが。

「表向きは、ウィッチ連中では火力不足のため、戦艦の主砲で攻撃、という事になっている」
 そこでいったん間を置き、パイプの葉を取り替えると、三度パイプを咥えて、煙を吸い込んだ。
平時でも皺のある眉間に、さらに皺を作りながら、煙を吐いて、上官は続けた。

「実際は、海軍共の点数稼ぎだ。ウィッチなぞ居なくてもネウロイ共を倒せる、という証明と、
 後は実績が欲しいんだろうよ。大型の巣を撃破した、というな」
「まあ、ウィッチ無しでも戦える、ということになれば、それはそれで、喜ばしい事ですが」
 少なくとも、戦場は彼女たちの本来居る場ではない。上官の言葉に応じた後、男はそう付け加えた。
「ふん、そこについては、俺もお前と同意見だ。気にくわないがな」

 上官の言葉に対して、男は明らかな驚きを、隠すことなく露骨に、顔に表した。目を大きく見開きながら、
おや、などと、小さく声を漏らしさえした。なにしろ、この上官は、普段からして、ウィッチに対する嫌悪感を
隠しもせず、「ウィッチ」という単語が耳に入った程度ですら、悪態をつく人間だ。その人間が、ウィッチを
気遣うような発言を、本意は何なのかは別にして、口に出したのだ。

「私はてっきり、あなたはウィッチのお嬢さん方を、毛嫌いしているとばかり」
 男が、少しからかうような口調で、上官に対して問いかけた。上官は、顔を忌々しげに歪め、
男をぎろりと、切れ長の目で睨みつけた。がちり、と、パイプのマウスピースに、上官が歯を立てる音が、
男には、ずいぶん大きく響いて聞こえた。

「―――ふん、お前の認識は、何も間違ってはいないさ。」
 上官は、ぎりぎりとパイプのマウスピースを噛み締めつつ、吐き捨てる。
「俺たちは軍人だ。国とそこに住んでる連中を守るのが仕事だ。その俺たちが、何だってあんな小娘に
 守られなくちゃあいけない。ガキの仕事は、小煩く騒ぎ回ることだ。銃を担いでぶっ放す事じゃあ、ない」

 男は、上官のその言葉を聞いて、顔には出さないながらも、胸中でほくそ笑んだ。―――なるほど、
つまり、この人はそういう人なのだ。本心は、単に子供達を、ウィッチ達を心配している。ただ、性根と
根性とが、ずいぶんと歪んでいるものだから、曲がりくねった態度でしか、それを表せないのだ。

「……貴様、俺を馬鹿にしているんじゃあ、なかろうな」
 男の心を読んだかのように、上官が尋ねる。いや、まさか、と、男は薄い笑みを崩さないままに、
上官の問いに答えた。上官は、やはり忌々しそうに男を見やり、煙をふかす。

 ふと窓を見ると、彼方の山際からは、真っ白な光が、こちらをのぞき込むように、その頭を見せていた。
いつの間にか、小さく鳥の鳴き声も聞こえ、廊下からは、いくつかの足音や、眠たげな話し声も聞こえてくる。
つい先ほどまでは、まるで凍りついたかのように、暗く、冷たく沈んでいたこの部屋にも、光と熱が届く。
その熱は、床一面の絨毯、壁にひしめく本棚、棚に押し込まれたファイルの山へと伝わっていった。
男二人の居るこの部屋は、主人よりだいぶ遅れて目を覚ましたかのようだった。

「…無駄を言い過ぎたな。要するに、本題はそれだ。お前は、これからロマーニャへ赴き、援軍として
 その反攻作戦に参加する事になる。やっと俺は、目障りなお前の顔を見なくてすむ訳だ」
 上官は、笑みこそ浮かべないものの、妙に弾んだ声を出した。なるほど、彼は子供に守られるのが癪だと
言っていた。ならば、「希少な男性ウィッチ」である自分にも、その嫌悪を向けていても当然だろう。上官の
内心を思案し、男は小さく、含み笑いをした。その笑みを隠すように、男は上官に応答した。

「この作戦では、大和の護衛が、ウィッチの主要任務のようですね。確かに、それならば、私の固有魔法は
 まさに適任、といった所でしょう」
「そういうことだ。これで、伝える事は全て伝えた、渡すものは渡した。―――後は、仕上げだ」

 その言葉の言い終わらないうちに、上官は、いかにも大儀そうに、その重い腰を上げ、男の前に立った。
男も、上官の起立に合わせるように、両足の踵を合わせ、あごを引き、背筋をぴんと伸ばした。そして、
上官は、その低く、不機嫌そうな、かつ重みのある声で、男に命令を言い渡した。

「―――本日より、男少佐は、ロマーニャへ移動し、第501統合戦闘航空団へ転属。当部隊の指示の下、
 2週間後の『オペレーション・マルス』へ、援軍として参加せよ」
 上官の命令に対し、男少佐、と呼ばれた人物は、右手を顔の前に掲げ、敬礼の構えを取って返答した。
「私、男少佐は、本日を以てロマーニャへ移動、第501統合戦闘航空団へ転属。該当部隊の指示の下、
 『オペレーション・マルス』の支援を行います」





 今、男少佐は、基地の滑走路に立っていた。命令の通り、ロマーニャへ移動するため、移動のヘリを待って
待機しているところだ。日はとっくに上ったとはいえ、時刻はまだ早く、空気は凍り付いている。辺りを見渡しても、
自分がロマーニャへと移動する準備のために、この時間にたたき起こされた、不憫な整備兵達以外は、誰もいない。
その風景を尻目に、男は、時々手に息を吐きかけ、ささやかな暖をとっていた。

「―――男少佐、ヘリの準備、完了致しました。……お荷物は、これで全部ですか?」
 男少佐へ、一人の整備兵が声をかける。実際、男の荷物と思しきものは、地面に置かれている、
やや大振りなトランクと、男少佐が手に持っている小さな布袋、後は彼のストライカーと武器に弾薬といった
程度のものしか見あたらなかった。

「ええ、これで全部。私は、どうも転属が多いのでね。あんまり物を持つと、一々移動するたびに、輸送が
 大事になってしまう。だから、私物は最低限の物に留めているんです。」
 男少佐は、いくらか愉快そうに話す。彼は、軍属になってからこれまで、たかだか五、六年の間に、実に
十数回の転属を命じられた。彼自身は、その理由を、自身の固有魔法によるものである、と、半ば確信している。
彼の固有魔法は、用途の範囲が広く、応用も利くために、様々な場面で重宝できる物であったからだ。
もっとも、彼は、頻繁な転属を疎ましく思った事は、一度たりともない。むしろ、転属のために各地を移動するのを、
楽しんでいる節も少なからずあった。―――どうも、自分は根無し草の性分のようだ、と、彼は自分自身を評している。



「さて、それでは、ロマーニャまでの数日間の空の旅、せいぜい楽しませてもらうとしよう。」
 そう言うと、男少佐はトランクと布袋を両手に持って、ヘリの中へと乗り込み、ストライカーと彼の銃器も、整備兵らに
よって、ヘリの格納庫部分へと収納された。積み込みが完了して数分、ヘリが上部のプロペラを高速で回転させ、
地上から浮かび上がった。そのままヘリは高度を上げ、はるかロマーニャへと向かって、その姿を消した。

最終更新:2013年01月31日 15:42