01:氷原燃ゆ
Incinerate the Icefield
武器は恐怖の道具
分別あるものはこれを避ける
例外は使わずして済ませられぬときのみ
やむなく使うときも
この上ない自制心を要す
彼は落ち着いて戦いに臨んだ
その心には悲しみと大いなる哀れみ
あたかも葬儀に参列するがごとく
―――『アルファ・ケンタウリ』
薄灰色に毒を含んだ雪の吹きすさぶ中央氷原に、その巨体は半ば埋もれていた。
そう長い年月放置されていたわけではない。だが、この惑星の荒々しい気象は、少し目を離すと人間の乗り物程度、簡単に覆い隠してしまう。
「……こちら《
禅銃》、目標を発見。ポイントD7」
「了解した、私も合流するか?」
「いえ、《
ナインビリオン》は事前に設定したルートを進行してください。《
コーリング》、合流を」
「《ナインビリオン》、了解」
「……合流? あ、えーっとあたしがそっちに向かう…わっかりましたー」
吹雪を衝いて一機のACが飛来し、伏せた巨体の手前に降り立つ。橙色に燃える放熱器は瞬く間に熱を失って格納された。
黒々とした機体。誰かが冗談で「ジャパニーズ・オブツダンみたいだ」と言った時にはその不謹慎にイテヅキも眉をひそめたものだ。
だが、この陵墓じみた特務機体を前にしては……
《禅銃》のスキャナモジュールを起動し、この撃破された特務機体《カタフラクト》の周囲を回って解析を行う。
積もった雪が電波を妨害している……雇った傭兵たちに断りを入れ、足元にグレネードランチャーを撃ち込んで雪を吹き飛ばした。
ミリタリー・グレイの装甲があらわになり、誇らしげに刻まれた《PCA》のエンブレムにイテヅキは複雑な視線を向ける。
「……それ、なんですか?」
「《カタフラクト》です。ご存知ではありませんでしたか」
赤いコーラル光を引いて《コーリング》が到着した。錆の浮いた頭部とコア、それとは対象的にファンシーなカラーリングの手足が異様に映る。
見るからに技研の遺物と言いたくなる代物だが、当人にその意識はまったくないらしい。
やたらと人間臭く頭部を小刻みに動かしているのはいかにも「興味津々です」といった様子だ。通信画面に配置された可愛らしい3Dアバターも目を丸くしている。
「からくらふと?」
「カタフラクト、かつて古代地球のローマ帝国が運用した重騎兵の事で……失礼、どうでもいい事ですね。あなたは……」
「あ、気軽にあとるちゃんって呼んでください」
「…………あとるちゃんは、周囲の警戒を。弊機が持ち込んだ無人MTではどうしても警戒網に穴が開きますので。データは今送りました」
「了解です。ふむふむ……ポイントは、なるほど……おっけーです!」
不安になるほど素早い反応で《コーリング》が取って返す。だが、イテヅキも想定している穴を塞ぐ方角へ向かっているので間違ってはいないようだ。
イテヅキは《コーリング》を見送ると、間もなく解析が終わるであろう《カタフラクト》に向き合った。
ルビコン解放戦線は企業勢力による戦力化を恐れて独立傭兵に《カタフラクト》の撃破を依頼し、それは成功した。
しかしその後解放戦線は残る機体そのものに対し何の手も打たなかった……つい先日までは。
企業勢力への大反攻がやや落ち着いた頃、哨戒部隊が中央氷原で発見したのはコアMTを破壊されながら大部分の機能を残したままの機体であった。
主動力すら生きていた……例の傭兵は最低限の手数で見事に《カタフラクト》を沈黙させていたが、皮肉にもそれが仇になっていたのだ。
もっとも、これは解放戦線側の落ち度であろう。撃破した後の残骸を速やかに、適切に処理するのは彼らの仕事だった。
とはいえ、幸いにして企業その他の勢力はこの事態にまだ気づいていなかった。
哨戒部隊の報告を受けたイテヅキは即座に作戦計画を上層部へ提出し、自らと無人MT部隊をカーゴランチャーに押し込んで中央氷原に向かった。
そして、この時中央氷原で速やかに雇う事が可能だった独立傭兵はインクラインとあとるちゃん、この二名だけだった。
イテヅキは連れてきた工作用小型MTの群れを操作し、黒焦げのコアMTを《カタフラクト》から切り離していく。
同時に《禅銃》と接続したケーブルからハッキング・プログラムを走らせ、一時的にイテヅキを主人であると認識させる。
この特務機体はコアMTもなしに遠隔制御ができるようなものではないが、直結してしまえばイテヅキにとって手強い相手でもない。
コアMTも基本的にはACと共通規格になっており、ハードポイントはほとんど手を加えずに接続できそうだ。
これを戦力化し、維持するのは解放戦線にとって荷が勝ちすぎるかもしれない。
だが、今ここから持ち去るにはまず動くようにしなければならなかった。維持にせよ破棄にせよ、考えるのは後でいい。
イテヅキはコアMTの排除された隙間に《禅銃》を慎重に滑り込ませ、工作用MTに接続を任せた。接続が済み次第、自己診断プログラムを走らせる必要がある。
今のところ妨害はない……
「こちら《ナインビリオン》、《禅銃》聞こえるか」
「聞こえます、どうぞ」
「こちらへ接近する機影を確認。方位160、巡航速度400オーバー、あの閃光はコーラル動力機らしい。思い当たる節はあるか」
「迎撃してください。該当するACは《
ライノ・ランペイジ》です」
「ああ、ブギーマンか……了解した。悪いが、私では30秒も保つか怪しい。覚悟しておいてくれ」
「織り込み済みです」
「大したものだ」
……妨害がない、というのはあまりに楽観的だったようだ。封鎖機構との関係も噂される傭兵、バウンダー・ブギーマン。
この男が来たという事は、封鎖機構による何らかの監視があった可能性は否めない。拙速に過ぎたかもしれない……だが、泣き言を言ってもどうにもならない。
「《コーリング》、聞こえますか」
「はい、あとるちゃんです!」
「…………。ポイントF9へ移動してください。方位160より敵ACが接近中です」
「ACですか? あたしも頑張っちゃいますよー」
「やめた方がいいですね。敵ACが通過し、こちらの防衛ラインに差し掛かったところで背後から攻撃を。ただし不用意な接近は避けてください」
「通過って、インクラインさんは?」
「……《ナインビリオン》、交戦」
ひどく平坦な、しかし錆びついたような声が交戦を告げ、吹雪の彼方に閃光が走った。
あとるちゃんのアバターはますます目を丸くし、落ち着きなく目線を動かした。
「あたしも一緒に戦っちゃダメですか?」
「ちょっと待てば戦えますよ、残念な事に」
「残念……?」
中央氷原は概ね平らだが、吹き溜まりや融雪で微妙な起伏が出来ている場所がないわけではない。
その地形を利用して《ランペイジ》の射線をかわしながら《ナインビリオン》は両肩のミサイルを交互に撃ち込むが、いまだ有効打は出ない。
通信回線に割り込みがかかり、インクラインは皮肉げに口の端を歪めてスイッチを入れた。
「同業者くん……相変わらずのようだね。そろそろ死ぬ気になってくれたかい」
「すまないが今忙しいんだ、後にしてくれるか」
「そんなに邪険にしないでくれよ。もう9回目なんだから」
「そうか、私は数えていない」
「ああ、残念だな」
前触れなくレーザーランスの突進が来る。とっさに下がったおかげで初撃は外れた……だが、続く二撃目はそうはいかなかった。
迎撃しようと持ち上げたショットガンが吹き飛び、ミサイルランチャーが燃え上がる。《ナインビリオン》の右腕が動力を失った。
ランチャーを即座に投棄したお陰で誘爆には巻き込まれずに済んだ。だが、もはや勝ち目は万に一つもない。
《ナインビリオン》のパルスブレードを起動し、強引に叩きつける。巻き込まれる事を承知でプラズマミサイルを撃ち込む。
ブレードの初撃は入った、だが《ランペイジ》はすでに一歩下がり、パルスガンの閃光に装甲を焼かれる。とっさに右へ飛ぶが、そこまでだった。
滞空する二機のオービットが放つ弾幕に耐えかねてACSがダウンする。大きく姿勢を崩した《ナインビリオン》のコアを、《ランペイジ》の獣脚が捉えた。
「《コーリング》、援護を。はっきり言いますが無人MTは役に立ちません」
「えーっ、あのおっきな四本脚でもダメなんですか!?」
「ダメです」
「あの子結構強いのにぃ……」
擱座した《カタフラクト》へ一直線に向かう《ライノ・ランペイジ》を《コーリング》が追う。
《カタフラクト》の再起動は間に合うかどうか微妙なところだ。だが間に合わないとしても今更やめるわけにもいかない。
ルート上に展開した《J-048》四脚重MTの連装バズーカの弾幕が《ランペイジ》を襲い……当たり前のようにかわされた。
ものはついでとばかりに一機のMTがレーザーランスの餌食になる。そこでようやく《コーリング》が追いついた。
真っ赤な光波が二発、背後から飛んでくるのを左右に回避して《ランペイジ》がちらりと向き直り……そして無視してまた進み始めた。アサルトブーストの閃光が遠ざかる。
「なんでぇ!?」
半泣きの合成音声が回線に響き渡る。イテヅキは思い切り嘆息してやろうかとも考えたが、そんな事をしている暇はなさそうだった。
《禅銃》と接続された《カタフラクト》の長距離センサーが不調を訴えながらも《ランペイジ》を捕捉していた。
凍りついた履帯が軋んだ音を立て、戒めを解こうと足掻く。主機の立ち上がりが遅い。油圧系統がようやく循環し始めた……ごくゆっくりと、砲塔が首を巡らせる。
《ランペイジ》が射角に入るのが先か、今やコアMTの代わりに固定された《禅銃》が貫かれるのが先か。
青灰色の機体はすでに正面にいる。コーラルジェネレータ特有の赤い光を伴って突入してくる。システム連結が済まなければ《禅銃》本来の火力すら発揮できない。
距離にしてあと400……300……ようやくレーザー砲塔が正面に向き直り、そして十字を切った。
閃光。
「おや、そいつで遊ぶのはおすすめできないな」
ブギーマンの反応は素早く、的確だった。横一線に放たれたレーザーに対し《ランペイジ》が大きく跳躍し、《カタフラクト》の上空を取る。
「何故です」
「おもちゃ自身がおもちゃで遊ぶなんて聞いた事がない」
だが、的確なのは”相手が《カタフラクト》だけであったならば”という条件がつく。今や中核たる《禅銃》の装備したミサイルとグレネードランチャーが立て続けに火を吹いた。
アサルトブーストで消耗したところでミサイルの回避を強要し、そこにグレネードが着弾する。吹雪に煙る空が炸裂した。
一時的に制御を失った《ランペイジ》が空中から落下する。《カタフラクト》は逆進し、明らかな異音を立てつつもどうにか後退していく。
主機も、履帯も、緩衝系もまともな状態ではない。だがとにかくまだ動く。動くならばAC一機、やりようがないではない。
「図星を突かれてご立腹かな」
「あなたはおもちゃに話しかけるタイプなんですか?」
「そうなるね」
イテヅキは自身の処理能力を駆使して駆動システムに直接介入、作動しない伝達系をバイパスして現状で可能な範囲の制御を取り戻した。
巨体が旋回し、《ランペイジ》を中心に円を描くように走り出す。隙を見せてはならない。ミサイルとレーザー砲塔で確実に打ちのめす。
一分と保たずに、《カタフラクト》のミサイル弾庫が空になった。《禅銃》のハンドミサイルはまだ使えるが、射角が限られる。
機体正面のガトリング砲や《禅銃》のグレネードを使うには正面を向かなければならない。その隙を見逃すブギーマンではないだろう。
単純な速度差で逃げ切れるほどのコンディションもない。いかに切り抜けるか……イテヅキの思考の隙間に、異音が混じった。
《カタフラクト》の右前脚、その履帯が切れていた。
高速で回転する駆動輪は残った履帯を瞬く間に振り捨て、運の悪い事に後脚の転輪がそれを巻き込んだ。
急激な右旋回モーメントが発生し、制御を失った巨体が凍りついた雪溜まりに突っ込む。その衝撃に、応急的に接続されたに過ぎない《禅銃》はあっけなく放り出された。
「だからおすすめできないって言ったんだよな」
氷上に半ば擱座した《禅銃》へ《ランペイジ》が迫る。姿勢を立て直して迎撃しなければ。間に合うか……
レーザーランスを構える《ランペイジ》に、横合いから蹴りが入った。撃墜されたはずの《ナインビリオン》がそこにいた。蹴りの反動で飛び離れ、滑らかに着地する。
「ブギーマン、先程は邪険にして悪かった。もう一戦いかがかな」
「……仕方ないな、同業者くん。君は実に……」
唐突に、全く唐突に、青く伸びる閃光が《禅銃》の目の前をよぎり、《ランペイジ》の右腕を吹き飛ばして《ナインビリオン》の横を通過していった。
「……はずれたぁ!」
完全に置いていかれたはずの《コーリング》が、《カタフラクト》の足元にいた。
「ちょっと待ってね、もう一発撃つからできれば動かな……あれ?」
何事か、と硬直した三機の前で《カタフラクト》の主機が爆発した。
ブローオフパネルを吹き飛ばし、火柱が高々と上がる。
「あっあっ、ああー!? ダメなのぉ!?」
何がダメだというのか。完全に虚を突かれたイテヅキは呆気に取られ……《ライノ・ランペイジ》が姿を消している事に気づくのが遅れた。
燃え盛る巨体の横、《コーリング》が手足を振り回して何事かを訴えているが、もはやどうでもいい事だった。
《カタフラクト》は今度こそ失われたのだ。
「インクライン、あなたは……弊機の到着前に、ここに予備機を隠していたと?」
「ああ、そうだ。私は常にバックアップを用意している」
イテヅキはその物言いに何か含むものを感じたが、追及は避けた。Bランクの独立傭兵は戦力として貴重であり、関係を悪化させていい事はない。
「そしてあなた……あとるちゃんは、何をしたんです?」
「えっへへ、ハッキングにはちょっと心得があります!」
ちょっと心得が、というには無理のある話だった。あの時、明らかに《コーリング》は有線接続ではなかった。
そしてわずか数秒のハッキングで制御を乗っ取って砲塔を動かしたのだとしたら……この奇妙な構成のACも気がかりだった。
イテヅキは自らの要注意リストにあとるちゃんの名前を入力した。
「……まあ、いいでしょう。いずれにせよ、任務終了です。弊機はこれで」
「あ、二人ともちょっと待って!」
「……?」
二機のACが訝しげにカメラを向けると、《コーリング》が器用に左右のマニピュレータでピースサインをし(その過程でレーザーハンドガンを取り落とし)、ステップを踏んだ。
「チャンネル登録と高評価、よろしくお願いします!」
関連項目
最終更新:2024年12月11日 01:51