02:赤い波濤

Red Waves


命の砂、時の瀬戸から
独力で守りうるものは多くない
何びとも泳ぎきり、泳ぎのぼる事のない
第三の大波を前にしては



ルビコン3の大気圏を貫いて聳え立つバスキュラープラント、その足元はかつて不毛の廃墟であった。
それどころかバスキュラープラントそのものが埋もれ忘れ去られた技研都市の一部であり、地上はただ一面に永久凍土が広がるばかりの地に過ぎなかった。
しかし今や、この地の人間たちは明かりに群がる羽虫のようにこの超巨大建造物の足元に集まり始めていた。
凍りついた風景の中、倒壊したビル群や道路の成れの果てをゆっくりと乗り越えて進む暗青色のAC、《モウカリマッカ》の年老いた主もまたその一人である。

「聞こえるかいお嬢ちゃん、そろそろアタシの姿は見えてると思うんだけどねえ」
「大丈夫よーお婆ちゃん、ちゃーんと部下が狙いもつけてる」
「ひっひ、そりゃ抜け目ないこった」

さらに二つ、廃墟を迂回すると視界の開けた場所に出た。反攻の後、解放戦線が建設した駐屯地を中心に今や集落が形成されつつある。
この駐屯地、バスキュラープラント監視拠点の名をキャンプ・カンネーという。では、あの見晴るかす先にいるジャンクACに乗っているのはさしづめハンニバルであろうか。
だが、先程から発せられている声はハンニバルのイメージとはかけ離れた、のんびりとした女のものだ。

「久しぶりだねーお婆ちゃん、どうなの最近は、”もうかりまっか”、なーんて」
「”ぼちぼちでんな”、ってとこさね。ここんとこ、ちょっと忙しくてねえ」
「それで、いつもの?」
「ああ、いつもの表敬訪問だよ。荷物はアンタの手下に任せて構わないかい?」
「もちろん。それじゃ降りてきて、歓迎するから」



レディ・ゴーラウンドが簡単な除染を済ませて室内へ入ると、湯気を立てるマグカップを両手にしたサムノッチが待っていた。
アーキバスの社章を剥がし、解放戦線のパッチを当てただけの軍用ジャケットを羽織っている。

「いらっしゃーい、お婆ちゃん。荷物はまだ降ろせてないから泥水しかないよ」
「ああ、それでいいよ。ありがたく頂こうかねえ」

手入れは行き届いているが、くたびれた感は否めない調度品。傷だらけのデスクを挟んで二人は座った。
マグを受け取ってコーヒーをすすると、ゴーラウンドは思い切り顔をしかめた。

「こりゃひどいね、こないだよりもっとまずくなってないかい?」
「戦線は相変わらず懐事情がお寒いからね」
「まあいいさ、それじゃあお嬢ちゃんにはこれをあげようかねえ」

ゴーラウンドが緩慢な仕草で懐を探ると、フィルムに包まれた煙草のパッケージが二つ三つと現れた。

「ほうら、飴ちゃんだよ」
「飴ちゃんって、叶和圓(イェヘユアン)じゃないの。珍しいねー、わたしも結構好きだよそれ、ありがと」
「いいって事よ。で、部屋は空いてるかい」
「大丈夫、予定通り空けといたから」
「助かるよ。やっぱり前泊しとかないとつらくてね」
「まあわたしもね、もらうもんはもらってるから」

サムノッチは慣れた様子でマグを傾けた。
来訪者用のカードキーを手渡し、手元の端末で部下に簡単な指示を飛ばす。

「これでよし。お婆ちゃん、最近そっちはどう?」
「アリーナじゃいくらか面白い事もあったけどね、ほれ、こないだの……アンタも中継で見たんじゃないかい」
「あー、あれね、見た見た。んー、それじゃ特に変わった事もなし?」
「悪いけど、アタシはゴシップ屋じゃないんでねえ」
「まーいっか。……うーん、ちょっと見てもらいたい物があるって言ったら、どうする?」

探るような目線。ゴーラウンドはカネの匂いを嗅ぎ分けようと頭を巡らせ……途中でやめた。ここで多少恩を売っても悪くはない。

「見ようじゃないか」
「そうこなくっちゃ」

デスクに据え付けられた、これまた傷だらけのディスプレイが明るくなる。サムノッチがそれを半回転させてゴーラウンドに見えるようにすると、記録映像が再生された。
これを記録していたのは固定された監視カメラのようだが、ノイズが酷い。何らかの施設、その外周を一定周期で往復録画しているようだが、移動体を感知してそれを追うモードに切り替わった。光源にズームしていく。
光源はACだった。特徴的な、コーラルの赤い閃光。武装はない……いや、技研の光波ブレードらしきものを背負っている。
その特徴的なシルエットにはゴーラウンドにも覚えがあった。技研の無人機、《エフェメラ》だ。
アイビスの火以前にはそれなりの数が生産されていたらしく、機体そのものは知られている。どこかで自動生産工場も稼働しているのか新品さえ見かける事がある。

「ふうん? 《エフェメラ》はそう珍しいもんじゃないが、これが一体……」
「まあまあ、もうちょっと見てて」

元々は赤く塗装されていたようだが、ひどく汚れて錆の浮いた機体。それは不釣り合いに軽快な動きで廃墟を駆け上り、半壊したビルの屋上に達した。
その機体は妙に人間臭い動きで周囲を見回すと、狭い屋上で踊り始めた。飛び跳ね、くるくると回り、左右にステップを刻む。
およそACらしからぬ挙動にゴーラウンドが呆気に取られていると、やがて屋上が崩れて赤い《エフェメラ》も転落していった。
ACSが機能していないのか、見事にひっくり返った《エフェメラ》は呆然と天を仰いでいたが、しばらくして起き上がり、画面奥、すなわち施設の外へと消えていった。

「なんだいこの……チャップリンみたいなのは」
「まあねー、わたしも初めて見た時は笑っちゃったんだけど、これアーキバスの記録映像の中にあったんだよ」
「技研都市絡みかい?」
「そう、再教育センターの映像」
「そんなもんよく持ってたねえ……」
「色々あってねー。で、この変な機体なんだけど、記録と噛み合わないの。これが出ていった時、脱走者は誰もいなかった。まあ、その後の記録もないししばらくほっといたんだけど……」

次の映像が再生される。アリーナの試合中継だった。Eランクの、いわゆる平場と呼ばれる試合だ。

「アタシは平場はあんまりチェックしてなくてねえ……これが何……んん?」
「気づいた?」

片方のACは象牙に金の象嵌を施したような派手な機体だ。試合前に観客に向かってアピールしているが、通常のコマンドで構成されるモーションの組み合わせだろう。
その試合相手は……桃色に星をあしらった、これまた違う意味で派手な機体だ。いや、よく見ればその頭部とコアだけは暗赤色でひどく汚れている。
そして、このAC、解説によれば《コーリング》と呼ばれる機体は踊っていた。ACとは思えない動きで。
目をむくゴーラウンドの前で《コーリング》はレーザーハンドガンでガンスピンを試み、見事に取り落としていた。

「こいつはまた……驚いたねえ……」
「登録情報を調べてみたんだけど、独立傭兵で……動画配信をやってる、って事以外の情報がなくて」

サムノッチが肩をすくめる。ゴーラウンドは携帯端末を取り出し、目をすがめつつALTの登録情報を調べ始めた。

「ちょっと待っとくれ、機体名《コーリング》……識別名あとるちゃん、ふうん……」

確かに情報はろくになかった。ALTは来る者拒まずの姿勢でやっているため、よくわからない人間も多い。
だが、それにしてもこれは情報が少ない……本名も容姿も不明、音声さえ合成されたものだ。
アリーナでの補給や整備の際にもコクピットから出ず、一切のコンタクトを通信か適当なボット越しに済ませてしまうらしい。

「なるほど、こりゃアタシにもわからんねえ。で、こいつをどうしようってんだい」
「Cパルス変異波形、って聞いた事ある?」

にわかに空気に緊張が走った。

「アンタそいつをどこで……いや、聞くのはやめとこうか。まさかこれを動かしてるのが?」
「んー、実際そうなのかはわかんないかな。”交信”しない限り確証は得られないし、それができるのはごく限られた人間だけ」
「ふうん……アタシも第3世代でコーラルにはやられてるけど、正直ぴんと来ないね。で、アンタはどうしたいんだい?」

サムノッチは冷めかけたコーヒーを飲み干し、叶和圓の封を切った。しばらく黙って紫煙を吸い込む。ゴーラウンドはマグを傾けながら待った。

「解放戦線の上の方には、変異波形は危険だっていう意見もあってね。コーラルは情報導体だから、それが意志を持っていたら簡単に電子機器を欺ける」
「ACを乗っ取って動かすのもそれだろうねえ」
「そう。でももっと大きな事もできるはず。そして今、あそこには」

分厚い窓の向こう、氷原の先にあるバスキュラープラントを煙草の先で示す。

「もっと多くの変異波形が生まれるのに充分なコーラルが溜まってる。いずれ生まれるその波形たちは……おそらく、先に生まれた波形の影響を受ける」
「へえ、なるほどねえ。アンタがアーキバスにいた頃どんな仕事をしてたのか、興味が湧いてきたよ」
「その話は追々ね。……この、あとるちゃんと名乗ってる子が本当に変異波形なら……わたしはアリーナのファンとして、応援してあげたいかなって」

曖昧な言い方だった。窓の外を見るサムノッチの表情はゴーラウンドにはうかがい知れない。だが、老婆には長い人生経験があった。

「ああ、そうさね、アタシも興味が出てきたよ。たまには平場の試合を見に行くのも悪くない。それに、このババアにとってもアリーナは大事な飯の種だからねえ」
「ありがとね、お婆ちゃん」
「いいって事よ」

ゴーラウンドもコーヒーを飲み干し、懐から煙草を取り出した。サムノッチに渡したのとは違う、安煙草だ。

「コーヒーはまずいし、煙草は何吸ってもおんなじような味しかしない。でもまあ、そういう人生でも、何か……たまには、いい事もあるもんさね……」



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最終更新:2023年11月29日 03:46