戦場というものは、常に匂いがする。
感覚でしか伝えられないが、何か焼けつくような匂いというべきか。
戦場の匂いとしか言えないもの。
それに従う事こそが、男がずっと生き延びてきたコツであり――。
――誰一人として、仲間を死なせないためへの道筋であると思っていた。
故に、ヴェスパー・アドミンの長、シギンは己の勘を、その戦場の匂いを嗅ぎとる。
そして、そこから判断を躊躇う事は一切しない。
「匂うな」
『何がだ、隊長』
「ニッチュ。 分かるか、右側だ。
ツァラに任せている方が、匂う」
再教育を終えた、元テロリストのAC乗りである自らの部下――
V.A ニッチュに声を掛けながら、
シギンは落ち着いていた。
本来であれば、まだ調練中の別部隊の様子を確認しようと思っていた所への移動中に、襲撃の知らせを受け、
そのまま、雪原の戦場へと直行した。
建設中の前線基地への、急なベイラムのMT部隊の襲撃。
それに対して、回線を開き、即座に防衛の指示を飛ばしながら、シギンは、戦場の動向を確認していた。
アーキバスが再度、前線の足掛かりへと作っていた基地に対する急襲。
本来であれば焦る状況ではあるのだろうが、この程度の襲撃なら、
己がいなくともどうにでもなると、シギンは考えていた。
『
V.A シギンだと!? どういうことだ、今回はMT部隊とAC2機だけじゃなかったのか!』
『情報はどうした! 最低限の事も出来ないのか上層部は!!』
襲撃した側だというのに、動揺しているベイラムのMTに躊躇なくレーザーライフルを向けて、引き金を引いては
1機、2機と堕とす。 無駄弾は必要ない。 的確に当てれば事は足りる。
ニッチュも、最低限の回避運動で、BAWS製のMTから放たれるミサイルを避けては、
的確に集団の中へとバズーカを叩きこみ、その爆発によって、複数のMTを薙ぎ払っていく。
散歩のような気軽さで、周辺の敵を殲滅しながら、本来の目的地である基地の右側――防衛用の人数こそ多いものの、
調練中の新兵が多いエリアへと向けて、アサルトブーストを起動させて、急ぐ。
時折、討ち漏らした敵が出てくるため、巡行モードではなく、戦闘モードのままだ。
エネルギーが尽きそうな段階で、素早く地面に着地し、再度起動させ、速度を落とすことなく移動していく。
『俺には分からんね。 アンタのようにそんな匂いなんて感じ取ってもいない』
「別に分からなくてもいい。 俺を信じてもらえればな」
『それは勿論。 隊長殿はな』
その言葉に苦笑する。
アーキバスは信用していないが、と頭に付くのが分かってしまうからだ。
己とて、アーキバスの依頼を多く受けて、独立傭兵からスカウトを貰った身だが、
それでも元は独立傭兵である。
他のアーキバスの連中と比べて、信頼できるという程度だろうかと思いつつも、
シギン本人はそれでいいと思っている。
恨みが消えることなど早々ない。 戦場で殺し殺されをしながら、ノーサイドなど出来もしないだろう。
ただ、己が部下を疑う事だけは、明確な証拠が出ない限り止めているだけだ。
「それでいい。
……ふむ、やはり匂いを強く感じるな」
『どんな感じだ、隊長』
「焼けつくような、焦げたような鉄火場の――ああ、なんとなく想像がつくな。
ニッチュ、速度を上げるぞ」
『はいよ。 嫌な臭いってやつか』
「そうだ。 こういう匂いがするやつは大体面倒な手合いだ」
『それも勘か?』
「いいや、これは経験だ。 金にならん場合はとっとと逃げたくなるやつだ。
まあ、今は企業勤めだから逃げられんがな」
ニッチュから、微かに笑い声が漏れた。
それに笑い声を返し、それから気を引き締め直す。
「力戦になるかは分からんが、いずれにせよ面倒な相手が出てくる事は覚悟しておけ」
『やばくなったら尻尾を巻いて逃げ出すぜ、俺は』
「安心しろ、居残るのは常に俺だ。
偉い奴が責任を取れば丸く収まるからな、大体の場合は」
軽口を叩き合いながらも、互いに油断なく周囲を伺う。
いずれにせよ、あまりにもお粗末な襲撃に過ぎる。
この襲撃がただの血迷った襲撃ならば良いが、そうでないのなら――。
『隊長、ビンゴだ』
「ああ、当たりだ」
急速に、接近する前方を走る2機の反応。
ヴェスパーアドミンではない部隊が蹴散らされたのだろう。
多少の交戦の後は見えるが、損耗しているとはとても言えない。
「機体照合、AC名フルモンティ。
もう1機は、スクリーミング・ドンキー」
ほら見ろと、口に出して言いたくなる。
こういう鉄火場染みた匂いがしたときは、当然そういう奴が来ると知っていた。
『突撃のイカレ野郎か』
「馬鹿ではない。 むしろ冴えているから嫌になるタイプだ」
巡視していた部隊が、壊滅させられてそのまま基地を強襲しようとしていたのだろう。
しかも、新兵を狙っていたというのが、また的確で嫌らしいものだ。
ただの突撃馬鹿相手であれば、これほど楽な仕事は無かったのだが。
『こちらに背を向けたまま移動してるが、隊長』
「ああ、分かっている。
その前に」
回線を切り替え、連絡を入れる。
連絡先は、今まさに右から襲われそうになっている事を知らぬ、
V.A ツァラへと。
直ぐに回線は繋がる。
『何用だ、シギン! 今こっちは交戦中で必死に考えて』
「ツァラ、お前なら今の状況をどうする」
『は? 何の話だ?』
「ACが2機。完全に油断しているお前の部隊の真横から迫っている。
よりにもよってベイラムのイカレ突撃の
トンレサップと
スヘルデだ」
『は、はぁ!? なんで!?
他の部隊はどうしていたんだ!?
説明をしてくれシギン!!』
「する暇はない、今すぐ答えろ」
『え、ああ、もう!! そのまま反転してありったけの弾をかます!!
遠くから!! 気を散らしてお前が来るのを待つ!!』
「――上出来だ」
何が、とツァラは返事を返す前に通信を切った。
「ニッチュ」
「良い仕事だ。
あわよくば、仕留めたい二人だ」
『へいへい、付き合うよ隊長』
小言を言っている間に、接敵する。
ABで加速している二機が見える。このままでは、速度で追いつけないだろう。
だが、遠距離から聞こえるレーザーキャノンの発射音。
そして、まばらに聞こえるミサイルの音。
ツァラ隊の、牽制にもなりはしない、ちょっとした邪魔にしかならぬ攻撃だが、それでいい。
いくら避けやすいと言っても、数があればクイックブーストを吹かさねば避けられぬ攻撃もある。
そうすれば嫌でも、エネルギーを消費して――。
「来るぞ」
『経験か?』
「勘だ」
その言葉と同時に、シールドを展開。 その直後に凄まじい衝撃が来る。
ニッチュの搭乗機、リズムゼロもすかさずシールドを展開し、ミサイルの衝撃を逸らした。
アサルトブーストを切り、地面に着地し滑るその勢いのままに、
フルモンティとスクリーミング・ドンキーは反転していた。
無防備な背中を晒すことなどないとは思っていたが、それにしてもまあ、判断が速いものだと舌を巻く。
そのまま、シギンの機体が、レイジングウェーブがシールドを構えたまま前進する。
スクリーミング・ドンキーが放つミサイルを、岩場の急斜面に滑り込むようにして避ける。
お返しとばかりにリズムゼロが、ミサイルを乱射しながら、前進していき、それに合わせてレイジングウェーブも前へと飛び出し――。
「恐ろしい男だな」
アラーム音。
急速にブースターを吹かしてクイックブーストを2連。
身体が衝撃に悲鳴を上げながらも、轟音を放ちながら、同じように飛び出してきていたフルモンティの拡散バズーカを
かすり傷に抑えた。
直後、再度アラーム音。 シールドを展開し、リニアライフルを受け止める。
お返しとばかりにシールドを解除し、レーザーライフルを乱射。
交差して避けようとしたフルモンティの装甲を焼く音が響くも、あちらも器用に致命傷は避けている。
その勢いのままに、互いに機体をクイックターン――急速反転させようとして。
『隊長、ヴェインが到着しますが――』
「駄目だな。 引き際も見事なものだ」
そのまま、アサルトブーストを起動させる音。
フルモンティとスクリーミング・ドンキーが戦場から離脱していく。
『追撃は』
「俺とお前がこの場を離れる訳にもいかないだろう」
『へいへい』
その言葉を聞きながら、損耗を確認する。
機体の破損と怪我人は多いが、死者は0と、ヴェスパーアドミンの各部隊から通信が入っていく。
目立つ戦果はない。 精々数で押してきたベイラムの部隊を完膚なきまでに潰したが、大物2人は取り逃がした。
だが、それでいい。
「さて、戻るかニッチュ」
『ヴェインの野郎は兎も角、ツァラからは色々言われますよ、隊長』
「構わんさ。
ついでに褒めてやりたい気分だしな」
その言葉に、ニッチュが苦笑を漏らすのが聞こえる。
シギンもまた、苦笑しながら、ブースターに火をつけ、反転する。
自分の誇りは、戦果ではない、どれだけ護れたかにある。
そして、戦士としての価値は、最期に決まる。
己の最期も戦士として死にたいと決めているし――それ以上に部下を無駄死になどさせない。
それが、シギンの誇りだった。