飯屋の二階にある安宿の玄関先で、白毛は全力で首を捻って悩んでいた。
自分の出生すら怪しくなるほどに散々な目にあって、それなりに長く生きてきた彼であっても、この事態は予測できなかったのだ。
この事態とは、今の状況である。いつものように歓楽街に出て、懇意にしている妓楼に連絡して新人の娘をおすすめされたので呼んでみたら、部下の娘であった。
名を、
蘇珊華という。凹凸の少ない体つきに白毛とどっこいの小柄な体格。黒髪を後ろで二房に結っていて、碧い目は気まずそうに床を見ている。綺麗に紅も付けて化粧ものっていて、良い服も着せてもらっている。ミニの青いチャイナドレスにニーハイソックスと、それを覆い隠すようなファー付きのコート。ヒール付きの靴は歩きづらそうにしているのが、白毛も立ち姿で分かる。
「あ~……スージー?」
びくっ、とスージーの身体が震える。
白毛はそれを見て頭を掻いて少し考える風な仕草を見せたが、スージーの両手が先ほどからコートの前側をぎゅっと掴んで離さないのを見て肩から力を抜いた。
白毛の知っている蘇珊華は〝ええ子〟である。亡くなった祖父の跡を継ぎ、社長になって、中古のACで遮二無二頑張っている。雨風なんのそのな、〝ええ子〟である。
だからそんなスージーが水商売落ちというのは、余程切羽詰まった状況なのだろうと、さすがにこの爺でもそれくらいの気づきはある。それに受け身の初めては白毛も経験があった。
「積もる話もあるじゃろ。玄関先でぺちゃくちゃするもんでもなし、中に入って茶でも飲むか?」
にぃっと白毛が笑いながら言うと、この男なのか女なのか分からないほど中性的な顔つきに絆されたか、スージーの表情も幾分か柔らかくなった。
扉を開けて中に入るように促しつつ、さすがに白毛はスージーの身体に触れないように気を付けた。他にも理由はあったが、今は過敏な時であるのは、さすがにこの生臭でも気づいている。
スージーが履きなれていない靴をなんとか脱いで、とぼとぼと部屋の奥に歩いていくのを見て、白毛は扉を閉めて鍵を掛ける。
茶とは言ったが、白毛はこの部屋に茶を常備するほど几帳面な性格ではない。なので茶をどうするかと白毛が考えながら部屋の奥に行くと、ぺたんとスージーが座り込んでいた。
そのまま背中をぽんと押せば、どこかしらの窓からぽーんと落ちていきそうな、小さな背中だった。
白毛はその背中に触れることなく通り過ぎて、ぽすっとベッドに座り込む。
「……んまあ、ここには儂しかおらんが」
と白毛は言い、
「儂しかおらんから話せることもある気がするのう」
そうして、顔を伏せるスージーににっこりと笑って見せる。
学も記憶もあんまりない白毛にとって、年の功は強みだ。ろくでなしにはろくでなしの考え方もある。
他の強みは大体がその義体の仙人模型のものであって、白毛本来のものではない。それが一番の強みではあるのだが。
「………お金が」
「ふむふむ」
「お金が、足りない」
「足りんかぁ」
「このままだと、ACも会社も取り上げられる……」
「なにもせんでも金食うからのう、あれ」
「だから今回だけ、今回だけって……そしたら……爺爺が」
「なぜか妓楼のババアがしつこく薦めてきよったからなぁ」
「うぅ、顔見知りだって知ってやがったんだぁ……!」
ぺちぺちと両手で太ももを打ち付けて地団太の代わりにしているスージーを眺めながら、白毛はひょいっと手提げ鞄から端末を取り出す。
「まあでも、知らん奴よか儂で良かったかもんな」
「良くない! 全ッ然ッ、良くないッ……。私の都合で迷惑掛けて―――」
「スージーのせいだとは思わんよ」
あっけらかんと白毛がそう言うと、スージーはやっと顔を上げた。
ぽちぽちとまったりと端末でなにかを操作し終え、白毛はスージーを見て肩をすくめる。
「だいたい、つーかほとんど、いや全部、お前さんの親父が悪い。お前さんは一人でよう頑張っとるじゃろ」
「爺爺……」
「それに、ほれ」
泣きそうになっているのを堪えているようなスージーの表情を見ながら、白毛は立ちあがってスージーの前で膝をつき、その肩にぽんっと子供みたいな手を置いた。
これはなんの手なんだろうかとスージーの頭に疑問符が浮かぶが、白毛はにっこり笑ってしっかりと言った。
「これでスージーは儂のお手付きじゃ」
「え? え?」
「ババアにも金払ったからなんとかなるじゃろ。足りんなら今日みたいに儂んとこ来ればええわけじゃし」
「え? ……え? い、いくら払った!?」
「二十万くらいじゃな」
「えっふ」
スージーは思いっきりむせた。スージーは白毛がこういう支払いをするときはコームでかなり適当に支払うことを知っている。つまり二十万コームだ。
むせながら混乱する頭の中でスージーがなにかを考えているのだろうという事は、ニコニコしている白毛にも分かった。その顔は孫にお小遣いあげてなにを買うのかと楽しみにしている爺のそれである。
白毛はスージーが落ち着くのを待って、ニコニコしたまま両手でスージーの顔をむにゅっと掴んで、ぐりぐりっと表情を解すように動かした。
「あにうるにょ……」
「お手付きじゃから、もうちっと表情とか身体とか解すとこから始めんとなぁ、と思ってな」
「うぇ……?」
「妓女って体売るだけじゃなくてお喋りとかゲームしたりとか、いろいろあるんじゃぞ。ほれ肩から力抜いて」
「あの、ちょっと」
「体の方も解さんといかんの。まあスージーも大変じゃったから、今日はちょっと道楽に浸るも良かろうて」
「んぅっ」
白毛は手慣れた手つきですいすいとファー付きコートを脱がせ、すぅっとスージーの肩から鎖骨までを指先を滑らせる。
その手つきが優しくて滑らかで自然で、スージーの身体はぶるるっと震えるが、白毛はそれを見て微笑むだけでそのまま右手を背中に回して抱きしめ、左手は鎖骨から下へと滑る。
手つきが手慣れすぎていて、その手つきから感じる感覚にスージーは困惑しているが、白毛はぽんぽんと背中を優しく叩いてさすってやりながら安心させる。
「爺爺、手……手が……」
「んー、大丈夫じゃよ。今日はせんから」
「そういうのじゃなくって」
「嫌なら突き飛ばしてくれてもええんじゃよ?」
「………意地悪の大馬鹿間抜け」
「そこまで山盛りで言われたのはスージーが初めてかもしれんなぁ」
白毛は右手を伸ばして、照明のリモコンを手に取り、部屋を暗くする。
そのままリモコンをぽーいっと投げやって、右手と左手をそれぞれ這わせ、微かに震えるスージーの首筋をかぷっと甘噛みする。
身体をぴっとりと密着させると、スージーの早鐘を打つ鼓動が伝わってきて、それが心地よく可愛らしく、白毛は暗闇の中でふふっと笑った。
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最終更新:2023年12月27日 17:32