《幻影九つ》
第1話 蟷螂の斧(02)


 数多の戦場を経てきた人間でさえ、出撃の時には毎度緊張するものだ。
 それで良い。絶えず戦場に蔓延する、死の気配に身構える。それが出来ない者は悉くが死んでいく。
 あるいは、それを意に介さず生き残る戦士こそ、その称号で呼ばれるのだろう。

 ────『イレギュラー』と。



 かつて《Mk-IX》は、イレギュラーだと噂されたことがある。実態としては頭角を表した戦士────すなわちイレギュラーの可能性を秘めた者を狩る存在であったのだが、実際その撃破を試みた上位ランカーも、何人かが犠牲になっている。

 そんなナインの代名詞とも言えるのが、2本のライン状センサーを輝かせた頭部パーツ《HC-2000/YH DAMSELFLY》。ナインだけが持つ固有の頭部パーツであり、詳しい設計などは明らかになっていない。

 実のところ《Mk-IX》の機体仕様は完全には定まっていない。原型はハニカム・ソフトウェアが開発した傭兵人材管理ソフトに登録されている『サンプルデータ01』である。しかし実際には最初に現れてアダマントが撃破した機体、その後再度確認されつつも行方を眩ました機体、そして今回ルビコンに現れた機体と、細かな違いが存在する。
 しかしいずれにおいても共通するのがその頭部であった。たとえ首から下が全部変わったとしても、頭部だけは変わらないだろうと言われていた、文字通りの『顔』。

 その顔が違う。アーノルドグリッド051で傭兵から見せられた画像の機体────そしてイレーネがアーシルから見せられた同じ機体は、明らかに違うモノアイの頭部を載せていた。アーキバス系の腕部パーツを除けば、ベイラムグループの保有戦力と言った方が正しそうな機体構成である。
 そして肩に描かれていたのは、レッドガン部隊のロゴに『8』の文字。それが『9』の名を持つナインとは異なる存在であることは明白だった。

 『でも師匠、これがナインの仲間や所属元がけしかけた陽動とかって可能性もありませんか?』

 ACによる移動の最中、ジョン・トゥーが通信で尋ねた。グリッド051を出て合流したアーノルドとジョン・トゥーは、現在このモノアイのナイン──そのマーキングから、彼らは仮に「エイト」と呼んだ──機体の調査も兼ねて、ベイラムとの接触を試みている。

 「否定はしないが、考えにくいな。過去の事例から見て、奴には同型機が複数存在している。なのにわざわざ別の機体を使う理由が存在しない。第一そんな狡いことをする必要のある奴じゃないだろ、あいつは。」
 『そんなもんですかね。……じゃあ、ベイラムがナインの噂を取り込むために情報戦を仕掛けてる、とか?あれをベイラムが抱えてるとなれば、他の勢力にはそれなりの牽制になりますよ。』

 一つ否定されると、ジョン・トゥーはもう一つ可能性を提唱してくる。これはアーノルドがそうしろと命じたことであり、些細な可能性を一つ一つ潰すことで正しい情報に辿り着くための道筋だ。
 もっとも、アーノルドからすればその面倒な過程を部下──もとい自分を勝手に師匠と呼んでくる男──に押し付けて、自分はその検討をするだけの楽をしようという腹積りであるが。

 「それも微妙だな。解放戦線は奴について疎い分、情報操作の効果は期待できん。逆にアーキバスは当時の事情について、ベイラムの関与はないと把握しているはずだ。それにベイラムとて、無差別に傭兵狩りなんかしたら信用が失墜するのは明らかだぞ?」
 『それもそうか……だとしたら、やっぱり……?』

 ジョン・トゥーは初めからその可能性を考えてはいたが、口に出さずにいた。一つの訳はそれこそが最有力だと考えたことで、他の可能性の検討を妨げるため。そしてもう一つは────それこそが、彼が「やっぱり」と言い及んでから、言い淀んだ最大の理由である。

 「確かに、だとしたらこれ以上にくだらないことはない。その点も含めてベイラムには確認を取らなきゃならんわけだ。」
 『了解です、師匠!』



 「ただの偽物、か……」

 MBイレーネとアーノルド一行、双方から同様の報告を受けたアダマントが一人呟く。実際過去の騒動においても、混乱に乗じて気に食わない傭兵を始末しようとしたのか、ナインに似せた機体で傭兵を襲撃したという模倣犯の事例が確認されていた。
 最終的にその手の人間は全て返り討ちにされるなり落とし前をつけられるなりの形で根絶されたものの、その悪質性から一時は傭兵の間で赤と黒のカラーリングや「9」を模したエンブレムの禁止を検討されたほど、という都市伝説も残っている。

 しかしアダムは、今回の機体を「それと同じ」で納得するわけではなかった。第一にベイラムのレッドガン部隊のエンブレムを付けている以上、もし本物であればアーノルドも指摘したように信用を失う羽目になる。
 あるいはそれが偽装で、例えば逆にアーキバスや解放戦線がベイラムのイメージを貶めるために仕向けた存在であれば、責任をベイラムに押し付けるという意味で一応の筋は通っているように見受けられるだろう。

 だが、実際にはそれで通るほど甘くもない。まず、まともな目撃証言があることが問題である。かつてのナインは、狙った標的を逃すことは殆どなかった。
 ナインに狙われて生きて帰ってこれたのは元から余程の逃げる準備をしていたような者か攻撃を免れた標的の同行者、そして奇跡的に救援が来て命を救われた者くらい──あえて更に付け加えるなら、《Mk-IX》を撃破したアダマント──である。
 一方でこの単眼の機体エイトは「無差別に傭兵を襲うAC」という点までは一致しているものの、実際被害に遭った者の証言が聞けるくらいには執拗さが欠けている。あるいはナインであれば、解放戦線の訓練生くらいは何機いようと蹴散らすだろうという嫌な確信がアダムにはあった。
 わざわざナインに擬態することを選ぶのならば、相応の実力がなければ通らない。それを知っているならば、こんな生ぬるいパイロットを用意することはあり得ないのだ。

 そうして一つ一つまともな理由の可能性を潰していくと、最終的に残るものは、自動的に“まともじゃない理由”ということになる。それが分かると、彼も自動的に大きな溜め息を吐くことになった。

 「しょうもない案件ってところか。まあ、これも情報の扱いじゃ日常茶飯事ではあるが……」

 つまるところ、ただその存在に便乗しているだけ。本物とはまるで関係のない存在。それが、コンテクストが出した結論であった。



 「独立傭兵、識別名MBイレーネです。本日より警備の増員として着任しました。よろしくお願いします。」

 ガリア多重ダムに併設された解放戦線の訓練施設。その格納庫でイレーネが訓練生たちに挨拶をする。訓練生といっても、現在そこにいるのは既にMTやACでの戦闘経験のある人員であり、あくまで新型機への機種転換を行う訓練の最中である。
 格納庫の中には無骨で角張った古臭いACと、流線型を取り入れた真新しいACが複数機、親和性と言うものをを無視して並べられていた。BAWSの旧型ACフレーム《BASHO》とシュナイダーのACフレーム《NACHTREIHER》──うち数機は頭部パーツが別のものに換装されている模様──だ。

 「独立傭兵なら六文銭さんがいたのに、なんでわざわざ配置換えして新しいのを呼んで来たんだか。」
 「元はウチに喧嘩を売ってきた奴だって噂だろ?信用していいのかねぇ。」

 挨拶に続き事務的な通達事項をイレーネが述べている間に、後方から漏れる陰口。それは決して掻き消えることなく彼女の耳にも届いたが、意に介する様子は一切見せなかった。それが彼女の仕事上必要なスキルだからだ。

 「……一つ、質問をしても?」

 話を一通り終えたところにそう言ってきたのは、一人の女性パイロットだった。識別名リトル・ツィイー、解放戦線で育った、生まれながらの戦士の一人だ。イレーネと入れ違いでガリアの訓練所を離れた、六文銭と呼ばれる独立傭兵は実質彼女が味方に引き入れたようなものだ。

 「ツィイーさん、でしたか。話は帥叔から聞いていますが……」
 「私も聞いてる。何だってここに来たんだよ。あの赤いACのために警備で来たって話だけど、そんなの必要ないんだ。あのACは、私たちが反撃に出たらすぐに逃げていった腰抜けだ、今度会ったら不意打ちなんてさせずに……!」

 ツィイーという人間は常に戦士と共に、戦場の空気の中で育ってきた。それは彼女の思考に敵と味方という区分を強く根付かせ、味方────すなわち解放戦線の同志を一層大事にするようになった。それは裏返せば、同志を脅かす敵に対してはひどく攻撃的になるということでもある。
 彼女の中でイレーネは現状、敵であった。それは敵でも味方でもない存在を規定することが極端に少ない彼女の性によるものである。勿論同志を襲ったAC、すなわちエイトについては紛うことなく敵である。

 「確かに私自身、帥叔のこの采配には疑問を持っています。訓練部隊を守るという目的はわかりますが……本物が来れば、私を寄越しても意味はないですから。」
 「は?一体何を────」

 イレーネの言葉にを飲み込めず、その疑問を直接投げかけるツィイー。それを遮ったのは、格納庫に鳴り響いた警報だった。

 イレーネの前に並んでいた訓練生たちの顔は、そのけたたましい音に反応してイレーネへの疑念を捨て去り、悉くが戦士の顔となる。

 『所属不明の機体が接近中!繰り返す、所属不明機接近中!数は1、機影からACと推定!』
 「行くよ皆!例の奴なら容赦はしないで!」
 「ああ!コーラルよ、ルビコンと共にあれ!」

 ツィイーを含め、戦士たちは己のゆりかごに駆け出す。その光景を目の当たりにしたイレーネは一瞬呆気に取られるものの、すぐに懐の通信機を取り出し、格納庫の外に駐機されている《ブレインクラッシャー》に向かいながら連絡を取った。

 「ここの指揮所ですね、こちらはMBイレーネ。所属不明機の侵入方角と防衛戦力の構成を伝えてください。詳細が識別できない場合、AC部隊には待機をお願いします。」
 『余計な口出しをするな、指揮はこちらに任せろ!』

 ガリア多重ダムの防衛戦力の指揮所は、ダムの制御センターも兼ねる複合施設だ。平時はライフラインとしての機能を管理しつつ、戦闘時には守備隊に指揮を出す司令室としても機能する。
 解放戦線の同志や力無きルビコニアンの同胞を支えるライフラインとしての自覚からか、その防衛線は原則として解放戦線のみで構成されている。一度は例外としてある傭兵に加勢を依頼した事案があったものの、以降は余程友好的な者──例えば、六文銭と呼ばれる男のような事例──を除いて、独立傭兵を防衛戦力に組み込むことはなかった。
 そういうわけで、指揮所のスタッフには程度の差はあれど、排他的な者が少なくない。あるいはコーラルの戦士の一員としてのプライドが強いのだろうか。イレーネの応対を行なった人物もそうだったのだろう。

 『北東2時の方向より敵機が防衛ラインに到達!警備のMT部隊は施設の防衛を最優先に応戦!AC部隊は全機加勢に迎え!』

 通信機から同じ声で飛ばされる、守備隊への指示。ACのコクピットに収まりながらそれを聞くイレーネには高圧な命令に聞こえただろうが、ツィイーら解放戦線の同志にとっては、戦意を奮い立たせる鼓舞なのかもしれない。
 イレーネが解放戦線のACの方を確認すると、ほとんどは乗り慣れた《BASHO》フレームのACで出撃しているが、数機は《NACHTREIHER》の訓練ACで出撃している。その数機の中には、リトル・ツィイーも含まれているが、つまるところ彼女らは付け焼き刃でしかない。

 「全機で向かう必要はありません。シュナイダーACは戦況の変化に即応出来るよう後方で待機、BASHOフレームの機体も指示を出すまでは、敵機に発砲しないようにお願いします。」

 それはイレーネによる指示だった。もちろん指揮所の人間が出したものとは相反する内容であり、それがどんな反応が来るかも理解している。ただ、ここまで来たらもう手遅れなのだ。

 『なっ……余計な口出しをするなと言っただろう!ここは我々の拠点である!こちらにはこちらのやり方が──』
 『なんでアンタが指揮官気取りなのさ!』
 『戦力の逐次投入なんてして、何になるんだよ!』

 解放戦線の戦士達からも反発めいた声をぶつけられるが、彼女は既に変貌している。その声がまともに届くことは────

 「別働隊の存在や戦闘における誤射の危険を考えたら当然の話でしょうが!それに訓練部隊がいたずらに消耗してどうするんですか!そうさせないために帥叔は私を呼んだんでしょうに!」

 ある。あくまでも、態度だけの問題。だから側から見ればACに乗って狂ってるように見えても、本人はあくまで冷静さを失っていない。ただテンションを上げて、戦場の緊張に飲み込まれないようにしているに過ぎない。
 彼女は、イレギュラーではないのだ。

 「もしこの侵入者がナインならどの機体だろうがなんだろうが、貴方達は皆勝てません!死にますからね!ナインじゃなければ私が対処します、ナインなら私が対処してる間に逃げてください!以上!」

 そう言い放つと、《ブレインクラッシャー》はアサルトブーストで直線に加速し、侵入者の確認された方角へ向かう。
 派手な機体の背中を見ながら、解放戦線の面々は唖然とするしかなかった。なんたる大馬鹿者か、なんたる野蛮人か。そう思うと同時に、それぞれに僅かな興味が湧いている。

 『…………同志諸君、まずは彼女のお手並み拝見といこうじゃないか。各機、傭兵の後方で待機だ!』

 戦士達の視線を集めるイレーネのACが、自身の視線を1機のACに向けた。侵入者のACだ。

 雪原を駆けるそれは確かに、燃え上がるような赤色と、熱を感じさせない黒のコントラストを持ち、青く輝かせるは1つの眼。肩に描かれるはレッドガンのマークと「8」のエンブレム。すなわち、エイトだ。

 …………最悪の事態は避けられた。その安堵が、逆にイレーネの闘志に火を点ける。
 同時にエイトの持つマシンガンが火と弾を噴き、《ブレインクラッシャー》の装甲を穿たんと弾幕を形成する。
 その弾を避けるべく、力強く雪原から跳び上がったマゼンタの機体は、大地を蹴ったその脚を目の前のACに向けた。ACの機体を浮かせられる跳躍力をキックに使えば、その衝撃は並の蹴りより遥かに大きい。まずはこれで敵を揺らすのが、イレーネの常套手段なのだ。

 「さあ、どう出ますか偽物!教えてくださいよ、有人なのか無人なのか!ナインほどの実力があるかどうかを!」

 ナインであれば、この程度に動じることはない。彼女のその確信が一種の基準となる。それをクリアしてくる相手なら次の手はもう打っておかなければいけないと、《ブレインクラッシャー》の両手に握られた2種のバズーカを構えさせる。
 間髪入れずに、まずは右手の《玄戈》が砲弾を吐き出した。弾が直進する間に、次は左手の《MAJESTIC》から砲弾が発射され、それらは順次爆炎の芸術で敵機を彩っていく。

 1度揺らしたら2度3度。ACSが保っていようが避けられようが、被弾時の衝撃やクイックブーストによる急制動の繰り返しで中の人間には少なからず衝撃が行き渡るからと、先制攻撃に手心は加えないのが《ブレインクラッシャー》の戦いだ。
 力押しの電撃戦ではあるが、同時にそれ自体が致命傷にならずとも、搭乗者のパフォーマンスを蝕むことで長期戦の優位を得る方策でもある。

 炎が煙になり、やがてその奥にいた敵機の姿が朧げに見えてくる。次の手をあれこれと考えていたイレーネは、露わになったその姿を見て愕然とした。
 それは最悪ナインと一戦交える覚悟だった時の彼女からすれば、最も想定していないパターンであり、逆にこうも呆気に取られる彼女はとても珍しい。

 赤いACエイトは被弾で姿勢を崩したのか猛攻によって混乱したのか、雪上に落ちて尻餅をつく醜態を晒していた。その光景のせいで、機体の赤色がまるで地面に転がる玩具のようでしかない。パイロットはイレギュラーどころかまともな傭兵とは到底呼べない、素人だった。
 目の前の現実に混乱するイレーネと周辺全ての解放戦線の兵士に、広域通信が入ってくる。発信元は、無様な姿を見せているAC。

 『ま、待って!殺さないで!降参します、投降しますぅ!だから命だけは取らないでください!お願いです、助けてくださいぃぃぃ!!』

 およそ戦士とは思えぬ悲鳴が、ガリア多重ダムの通信網に虚しく響いていた。


関連項目




  • エイト - ナインに類似したACの通称。

投稿者 Algae_Crab

タグ:

小説 Algae_Crab
最終更新:2024年01月21日 22:12