ルビコン解放戦線が星外企業と張り合えるまでに成長するとは、誰が予想しただろうか。星外での認識では解放戦線はいずれ潰えて、ベイラムとアーキバスの争いになるとだけ考えられてきた。それが今や、三つ巴の様相を見せている。
初めは誰もがその活動を、大規模な企業戦力には敵わない蛮勇だと考えていた。しかしその蟷螂の斧は静かに鍛えられ、やがては大木を薙ぎ倒せるまでになっていた。
そして今、ここにいる傭兵。臆病な癖に、大仰な名を騙ることで威張り散らそうとしたが失敗した、哀れな男。彼の斧はいつ折れるか、あるいは────
夜が明けた。結局
L・パラナの口から有力な情報は得られず、過激な夜などは存在しないまま幕を下ろすことになった。
彼もあくまでグリッドなどに蔓延る「赤い機体が傭兵を襲っている」という程度の話を聞いただけで、直接関係のある人間ではなかった、ということだ。
強いて言うなら既にその容姿が出回っているという事実は一つの収穫だ。だからこそ、彼は元から機体が似ていた《バローマンティス》の塗装を変える事を思いついたのだろう。
現状コンテクスト関係者以外の誰もが、ナインを噂でしか知らないのだ。しかし放っておけばいずれは漠然とした噂ではなく、確固たる情報といつ遭遇するか分からない恐怖の蔓延に移り変わりかねない。その危惧がイレーネにはあった。
結局、前に
アーノルドから教えてもらった“尋問”のテクニックを使うまでもなく事を終えて眠りについたイレーネは、翌朝突然の連絡通知を耳にして目を覚ます。
『至急、伝書鳩にて連絡を待つ。』
端末に届いたそれは
アダマントからの指示。《伝書鳩》とは、コンテクストにおいて特別に用意された秘匿回線を指す単語だ。つまり解放戦線に聞かれてはいけない何かがあるという意味なのは明白である。
持ち込んだスナックバー型の携帯寮食と飲料で朝食を済ませ、簡単に身支度を整えたのち、彼女は部屋を出て格納庫に向かう。《ブレインクラッシャー》のコクピットに収まると、《伝書鳩》の準備を始めた。
「こちらイレーネ。アダム、用件は何ですか?」
アダマントとの通信がつながった。映像は映されておらず、彼の様子を外見から窺い知ることはできない。しかし第一声たる息遣いは重く、深刻な何かがあることだけは察することができた。
『……イレーネ、まず周辺に解放戦線の人間がいないか確認しろ。属する傭兵がどう動こうと関与はしないが、企業や組織に対する情報の肩入れは俺たちの御法度だ。分かってるな?」
「近隣に人はいません。盗聴などの細工がされている形跡も無し。……用件をどうぞ。」
機体外部のカメラ映像とコクピット内の様子を一通り確認し、用件に備えるように一息吐いてから改めて用件を尋ねる。
『まず秘匿事項だ。ベイラムがガリア多重ダムにおける解放戦線の動きを察知した。それで、独立傭兵にダム近辺の偵察任務をアサインしたらしいが、これが消息を絶った。』
「傭兵の詳細は?」
『識別名ボルス・トロン。現在Cランク……いや、Bランクに上がってもおかしくないというような奴だ。』
独立傭兵が任務を受け、その最中に行方を眩ます。そのシチュエーションに嫌なものを感じたからこそ、イレーネはあえて事の詳細ではなく独立傭兵についてを尋ねた。そして、その嫌な予感は当たってしまう。
「まさか、それって……!」
『そうだ、そのまさかだ。昨日はウチのスカウト達がベイラムに色々話を通しに行った。その先で急遽ボルス・トロンの捜索任務に駆り出されてな。ダム近郊で、奴の機体残骸を確認した。そして2人が戦闘データを抜き出したら、そこに写っていたのは────』
『「ナイン」』
同時に発した声は、彼女の血の気を引かせるには十分なものだった。偽物の《バローマンティス》ではなく、本物の《Mk-IX》がやってくるという事実だ。
現在のガリア多重ダムには、その悪夢に対抗できる人材はいない。かつてそれを討ち果たしたアダマントを今から呼び寄せたところで、今回も勝てるかどうかは分からないだろう。
『普段勢力への肩入れはしないのが俺たちだが、奴についてとなれば話が違う。解放戦線が何か事を起こすつもりであれば、奴についての情報を、ベイラムの件だけ伏せて伝えて守りを固めるように進言しろ。』
「アダム、貴方はどうするつもりですか?」
『俺がそっちに行ったところで事態は変わらんだろう。こちらから帥叔にも同様の通達をしておく。あとは……そうだな、051のアリーナなりハニカムの営業なりの人脈から、高ランク傭兵の協力者を募ってみる。くれぐれも、命を無駄にするなよ。』
「了解しました。そちらもどうか、気をつけて。」
通信を終えたイレーネはまず無機質な機械の天井を仰ぎ、深くため息をついた上で額に浮かんでいた嫌な汗を拭う。
普段の戦闘ならこのコクピットの中で気分を高揚させて暴れているのだが、事態が事態だ。とてもそういう状態になれる訳がなかった。
彼女の口からもう一度ため息が出ると、外から誰かが装甲をノックする音が響く。外部カメラで確認すると、リトル・ツィイーだった。外部音声を切っていたので、こうして装甲そのものを叩かれなければ気付かなかっただろう。
《伝書鳩》を閉じてコクピットを開放すると、中に格納庫の空気が取り込まれイレーネは些かの落ち着きを取り戻す。その様子を少し怪訝そうに見たツィイーだったが、すぐに自分の用件を思い出し、イレーネに声をかける。
「大したことじゃないよ。今日は番じゃないのにACに乗ってたのが気になったのと、それと……」
「彼について、ですか?」
ツィイーにとって、パラナは特段気にかける相手ではない。ただ仲間の尊厳を守るに当たって、目を向けられていない間に何か抜け駆けをされていては困るという部分はある。
「まあ、それもあるけど……それより、アンタはアイツの機体が別の奴の真似事をしてるって言ってたから。もしそうだとしたら、私たちもその機体についてちゃんと知っておく必要があるんじゃないかと思ってさ。」
ツィイーの言葉は今まさに、かの機体の報せを受けたイレーネの顔を曇らせる。
ナインと出会って生き残れるとすれば、その標的とされておらず敵対もしておらず、偶然出くわしても好奇心を抱かずすぐにその場を離れた者。もしくはナインと出会うことを想定して余程周到に逃げる準備をしていた者くらい。あるいは常軌を逸した存在しかないが、目の前の彼女はいずれにも当てはまらない。
つまり、ツィイーがナインに会うということは、おそらくはツィイーの死を意味する。解放戦線に情を抱いているわけではないが、そういう無駄死にをイレーネは望まない。
「余計な情報を知る必要はありません。ただ、昨夜見せたあの機体に出会ったならすぐに逃げること。それだけです。」
「なんでだよ、私たちには教えられないってこと?」
「そうだとしたら画像も見せてはいませんよ。……現在、うちのボスが帥叔フラットウェルと直接接触し、情報の共有を行なっているはずです。貴女たちに噂レベルのものを教えて、不要な恐怖を煽る必要はありませんから。」
明確な答えを避けるイレーネに、ツィイーは不満そうな表情を見せる。つまりイレーネが言いたいのは「どうせ後から正式に通達が行くから待っていろ」という話なのだが、理屈では正しくても、感情的に納得できないことはあるものだ。
「ところで例の彼、L・パラナは何処へ?機体は見ていませんが……」
「アンタが言った通り、警備に駆り出されてるはずだよ。……それが?」
その返答を聞くと、イレーネはすぐにハッチを閉じてしまう。急いでその場を離れたツィイーが何かを叫ぶが、もはや聞こえなかった。彼女は一目散に出撃する。
……たとえ彼がこれまでの傾向に当てはまらずとも、今回は例外かもしれない。
『これより不審物の確認に向かう。ヨナス、レンデン。随伴と傭兵の見張りを頼む。』
『了解マシエル。おい傭兵!さっさとついて来い!』
解放戦線のMTが3機、雪原を往く。地味な色彩のそれに囲まれるのは、派手な赤色のAC。借り物の蟷螂が重い足取りで雪を踏んだ。
「はあ……仕事があるのはいいけど、どうしてこんなことに……」
些細な勘違いをきっかけに、奇妙な形で解放戦線と縁を持ってしまったL・パラナは孤独のコアで一人愚痴る。
『聞こえてるぞ傭兵!撃たれたくなけりゃせいぜい働け!』
『あ、すみません!集中します、はい。』
《バローマンティス》の通信回線は、常に3機のMTと繋げられている。解放戦線が彼を雇う条件として強制したものであり、変な気を起こそうものならこうして咎められる。
ただでさえ、同志の命を奪いかけた傭兵とわざわざ仕事をしなければいけないということ自体、マシエルたちには苦痛だった。更に基地近郊で確認された不審物の確認に出なければいけないのだから、気が乗らない事この上ない。苛立ちが募っているのだ。
『こちらマシエル。不審物は破壊されたACの模様。……戦闘の痕跡あり。これよりレンデン機がデータ収集を試みる。』
『ガリア管制よりマシエル隊へ。調査を許可する。企業が訓練中の部隊に勘付いた可能性もあるかもしれない、可能な限り情報を集めてくれ。』
『レンデン機了解、作業に取り掛かります!』
いくつか特殊な装備を持った、レンデン機のMTが残骸を検分する。と言っても、彼もまた優秀な戦士であるから、すぐにその異変には気づいた。
『この残骸、妙ですね……破壊された後で、何か手を加えられた痕跡があります。おそらくは我々のような調査目的でしょうか?……パイロットの遺体もありません。』
状況を報告しながら、レンデンは調査を続ける。そのACのパイロットがボルス・トロンと呼ばれていたこと、その者が独立傭兵であること、そして最期に行われた戦闘で、ACと交戦していたこと。
『この機体は一体……』
『待て、レンデン!作業中止だ!』
ヨナス機からの通信でレンデンは作業を止めた。そして指示を受けることなくシステムを戦闘モードに切り替える。レーダーには、友軍以外の反応が1機。目視で確認すべく、機体の向きを反応に合わせる。
『クソッ、本当なら夜襲で入れ食いだったってのに邪魔しやがって……借り物でもなんでもいい、やってやらぁ!』
マシエルらのMTが捉えたのは、典型的なベイラム製というべき緑の機体。ベイラム専属AC部隊『レッドガン』が予備として複数機所有しているそれは、しかしレッドガン隊員が駆っているものではない。
ベイラムからこの一帯の偵察を依頼された独立傭兵。先ほどまで調査の手が入っていたACの本来の持ち主、ボルス・トロン。乗機を失いつつも、奇跡的に逃げ延びたというわけだ。それがベイラムのACを借りて、改めて戦果を得るために戻ってきた。
『なっ……テメェ!!昨日はよくも邪魔を入れてくれやがったな!!今度はやらせねえぞ!』
彼がターゲットにしたのは自機を漁っていたレンデンでも、その随伴のマシエルやヨナスでもない。
監視のために半ば引き連れられていた《バローマンティス》。L・パラナだった。
「何のことだ!俺は知らないぞ!」
『テメェのその赤いAC!暗くても派手だったんで良く覚えてるぜ!忘れるかよ……ぶっ潰してやる!』
本来の機体ではない予備ACでパラナに肉薄するボルス・トロン。芽の出ない圏外傭兵と頭角を表しつつあるランカーでは、機体への習熟を考慮しても後者に分があるマッチメイクだ。
『都合がいい、奴が囮になっている間に攻撃する!』
『『了解!!』』
返事に合わせて、3機のMTが装備しているマシンガンの引き金を引いた。一斉射の弾幕は致命傷にはならずとも、パラナも撃っていたマシンガンと合わせて敵の足を止めるには十分な圧を持つ。堪らず回避行動に移るボルス・トロン。その間にお互い距離を取り、仕切り直しだ。
『ベイラムのAC、なかなかに強そう奴だ!どうするマシエル、このまま後退して基地の防衛線に引き込むか?』
『他に手段はなさそうだな……レンデン!コントロールに通信!増援の要請と迎撃準備を頼む!ヨナスは俺とレンデンの援護だ!』
『了解!おい傭兵、殿は任せたぞ!』
「は……って、ええ!?」
マシエルの言葉に従い、MT部隊は弾幕を維持しつつ後退を開始する。通信を行うレンデン機が先行、それを守るようにマシエル機、ヨナス機が陣取る。そしてパラナは突然の指示に困惑しつつも、同様に後退しながらマシンガンのトリガーを引き続けた。
『逃げようってのかよ……そうはさせねえぞ!』
ボルスの機体はコア機能を展開させて、ブースターを最大噴射。アサルトブーストで一気に猛追する。
「うわぁあぁっ!?ちょ、来るな、来るなよ!」
その勢いに驚いたパラナは焦ってミサイルを発射するが、双対ミサイルの一度左右に開く独特の弾道のせいで、その間に懐に入られてしまう。
だからパラナも敵のアサルトブーストが止まったのに合わせて、クイックブーストで回避行動を兼ねて距離を離そうとするのだが、ボルスはハンドガンとガトリングキャノンの弾幕で多少なりとも被弾を強要させてくる。どうしてもボルスの方が一枚上手だ。
『こちらレンデン。ガリア・コントロール、応答せよ!こちらレンデン、応答せよ!……何だこれは?』
『おいレンデン!一体何が起こっ────』
『ヨナス!……これは、通信障害!?おい傭兵!何かがおかし────』
2人の攻防の最中にそれは起こった。突如として通信が途絶し、全員のコクピットから声が消える。それはMTの3人に限らず、パラナやボルスも例外ではない。
『何だか知らねえが、お仲間は呼べねえみてえだなぁ?丁度いい、鬼ごっこも飽きてきたところだ。』
通信が繋がらないからと、わざわざ外部スピーカーで圧をかけるボルス。理由などどうでも良く、彼にとってこれは好機なのだ。
仮にそれが空元気だったとしても、状況に混乱しているパラナやMT隊にとっては焦りを生じさせるに足りる威勢。それが行動となって現れ────
『いい加減、くたばりやが
臨戦態勢で予備ACが大地を踏み込んだ瞬間。
一つの爆発があった。火の中には、鉄の棺桶しか残らなかった。
目の前の敵が消し飛んだ。4人にとって唐突な光景を、事実として認識させるには時間を要した────はずだった。
しかし火の中に降り立った機体に纏わりつく死の感触が、それを代替する。
炎上の内にあっても、返り血のような赤は決して埋もれない。雪を溶かす熱を帯びていても、黒々とした鉄の色は冷たさを失わない。
そして本物は、偽物を見た。
関連項目
- マシエル、ヨナス、レンデン - 解放戦線のMTパイロット達。
- ボルス・トロン - Cランク上位の独立傭兵。
- レッドガン予備AC - 乗機を破壊されたボルス・トロンがベイラムから借りた機体。
最終更新:2024年03月14日 19:10