06:灰の下で
Under the ashes
彼らのはかなき業が 緑の入り江でいかに輝き踊りえたか
最期の波際で叫ぶ善き人どもよ
怒れ 怒れ 消えゆく光に
―――ディラン・トマス 『穏やかな夜に身を任せるな』
以前は企業による争奪戦の渦中にあったウォッチポイント・アルファ。
バスキュラープラントが建造され、星外企業の争点が変わり……今、そこはただ無闇に入り組んだ通廊として残されていた。
しかしこうなったのも、そう昔の話ではない。
無数にある隔壁の一つが開き、黒い機影が吹き抜けの下へ静かに現れた。
巨大な施設そのものが発する低い背景雑音に紛れ、それなりの質量を持つはずの足音すら判然としない。
漆のような黒塗りに関節部を控えめな真鍮色で彩ったAC、《禅銃》は遮蔽のない位置に無防備に立ち、やがてそのコクピットが開放された。
「《帥叔》」
滑らかにコクピットから現れたのは少年とも男装の麗人ともつかぬ人物だった。その声もまた、性別を判じがたいものだ。
乗機にも似た黒いスーツ姿……その両腕は根元をリボンで縛られ、中身のない袖が施設内の微風にたなびいている。
「少し遅いようだが、《触覚》」
「申し訳ありません。いささか弊機の手に余る事態が生じたものですから」
「手に余る、か」
微かに笑みを含んだ男の声とともに、吹き抜けの上で待っていた暗い緑青色のACが《禅銃》の正面に着地する。
伸ばした右手には《リトルジェム》が握られており、ACの頭部に腰を下ろした人物……
イテヅキの義体と、開いたコクピットの中を同時に粉砕できる事は疑いようもない。
「何故君が呼び出されたか、わかるか?」
「見当もつきません。しかし……」
「しかし? 続けてくれ」
「弊機のバックアップがないという保証がありません。ここでこの義体とACを破壊したところで、次の弊機がどこかで目を覚ましてそれだけ、という可能性は充分に高い」
「なるほど、もっともな話だ。上司に銃を突きつけられた時の模範解答だな」
「それよりも……」
「何か?」
「ここで弊機が封鎖機構の本性を現して、解放戦線の実質的なトップと刺し違える気になった場合、どのような対処を」
「この状況で、私が君に負けると?」
「いえ、機体にある種の仕掛けをして自爆すれば事足ります。この場合の弊機にはバックアップがあるような気もしますね」
《帥叔》ミドル・フラットウェルは笑ってバズーカの照準を下ろした。
「君がいつもやっているように、MTやACは遠隔操作できるものだ。今行った単純な動作だけならば、我々のような素人にもできると思わないか?」
「ええ、思います。しかしあなたはそうはしないでしょう」
「何故?」
「そうするには、あなたは誠実すぎる」
フラットウェルはしばし沈黙し、その間に《ツバサ》の右側のハンガーアームが一回転した。
「心に留めておく。では、本題に入るが……RaD、いや今はその残党がRe:Dと名乗っているそうだが」
「存じています。現在、彼らと戦線との関係はそう悪いものではなかったと思いますが」
「その通り。ああ、そういえば君も彼らにカーゴランチャーを借りたのだったか……まあ、それはいい」
「何か、懸念が?」
「君は《
藪医者》
アダーという人物に、心当たりはあるか?」
「アダー? Eランクの……確か、外科医を標榜している……」
「知っていたか。奴について、探りを入れてもらいたい。君ならば様々な手が使えるはずだ」
《禅銃》の頭部に腰かけたまま、イテヅキの義体が肩をすくめた。その下で袖がひらひらと動く。
「弊機には使える手なんてない……もとい、限られていますが。《
赤羅紗》を使った方がよいのでは?」
「私は彼らを信用していない」
フラットウェルの切って捨てるような口調に、イテヅキの動きが止まった。
いかにも「居心地が悪いです」と言わんばかりに座る姿勢を変え、再び口を開く。
「弊機は何か、戦線内の派閥争いに巻き込まれつつあるんでしょうか。できれば願い下げにしたいところですが」
「そうではない、彼らには充分な価値がある。だがそれとある種の事について信用できるかどうかは別の話だ」
「……なるほど?」
「案ずるな、彼らには彼らに向いた仕事が与えられる。君に与えた仕事と同様、重要な仕事だ。己が職責を果たせ、それだけだ」
「承知しました」
「今言った件に関連して、いくつかのファイルを渡しておく。参考に……そして、秘密にしておいてもらいたい」
「それは……ここに聞き耳を立てるものがあれば無意味では?」
「問題ない」
《ツバサ》の左手のライフルが吹き抜けの上を示した。
「MDDジャミングを搭載したMTがいた。すべて排除した事は肉眼で確認済みだ」
「《帥叔》、そんな事のために生身で機外に出るのはやめた方がいいですよ」
「君が言うと実に説得力があるな」
その言葉を機に、イテヅキは頭部から滑り降りてコクピットへと戻る。
「……例外なく、人間は弱いものです。縄と棒を手に、火を操り、それでここまで来たんでしょう。ならばこれからも道具に守られているべきです」
「そうかも知れん。だが、それを決めるのは道具ではない」
「……そうですね……ええ、その通りです。では、失礼」
コクピットを閉鎖し、再び目を覚ました《禅銃》が静かに隔壁の奥へ下がる。それを見届けた《ツバサ》もまた、吹き抜けの上へと消えた。
「”ようこそご友人!” えっと次の台詞は何だっけな~……あ、違う、”ようこそビジター!”だった」
「……」
「ごめーん、来てくれたとこ悪いんだけど、もっかいやり直していい?」
「アダー、おれはそこまで暇じゃない」
「ダメかあ~」
入植初期に建造されたグリッドであり、崩落が進み今や廃墟を通り越した残滓となりつつあるグリッド012。
ジュリーリグ・マックスは、《
正直者》ブルートゥの根城であったそこを居抜きで借りた……もとい、勝手に住み着いたアダーに招待されていた。
最寄りのグリッドまでの道中は不審なほどに平穏であり、接続されたそのグリッドを通り抜ける間に至っては誰とも遭遇しなかった。
そして、これだ。
「正直に言って、おれがここを切り抜けられるとは到底思えない。いや、こんな場所を切り抜けられる奴がいるのか? おまえはおれを確実に殺すために招いたのか?」
「あー待って待って、まだ進んじゃダメだよ~、ちゃんとお仲間モードにするからさ~」
かつてはグリッドを支えていた支柱の残骸、そしてかろうじてグリッドと呼べそうな構造物の塊がいくつか。そしてその奥に本命らしき構造体……問題は、その周囲だ。
空中ではウォッチャーの合間をカイトがうろつき、足場となる支柱にはウィーヴィルとヘリアンサスが待ち受け、……その奥に見えるのは……
「よくまあジャガーノートとスマートクリーナーを揃えたもんだな……いや待て、向こうに駐機してんのは封鎖機構の重戦闘ヘリか……?」
「趣味だよ趣味、ここはぼくの美術館だからね~……お仲間モードよし、
ルートデータ送信っと」
マックスの乗機、ジャンク同然のAC《ブラックフィンガー》が暗号化されたデータを受信した。続けて受信したパケットがそれを復号化していく。
「……この通りに移動しろ、という事か?」
「そうだよ~、その機体でもそこそこ余裕のあるルートを設定したからね、外れなければ大丈夫だよ~」
「外れたらどうなる?」
「きみの代わりを探すのは大変だからそうならないようにしてね~」
「……」
マックスはため息交じりに戦闘システムを起動し、慎重に移動ルートを入力し始めた。
二つの巨体の間を通り、ヘリアンサスをすり抜けた先、さらに降下し――その間もカイトがじっと錆だらけのACを監視しながらついてくる――そして、その先にそれがあった。
「いらっしゃーい、修理屋さーん」
「……これは……おれが最後に見た時よりひどいな……」
「そりゃあね~、ブルートゥはパチったっきり放置しただけで無茶な使い方したのはカーラだし」
グリッド012の最奥、返り血を浴びたような塗装のAC《デスモドロミック》、その足元。
巨大なレールガンは真っ黒に焼け焦げ、電装系は端から端まで焼失していた。聞くところでは、リミッターを解除して撃った最後の一射でこうなったらしい。
「一発でこの有様とは……射手は無事だったのか?」
「アーキバスの強化人間らしいし、平気だったんじゃない?」
「ヴェスパーか……」
グリッドに横たえられた砲身を、ゆっくりと歩く《ブラックフィンガー》のセンサが検分していく。
「……制御系は言うまでもないが、動力伝達系も完全に焼けてるな。以前も劣化で引き直したから大した問題にはならんが……」
ACを砲弾として撃ち出せそうなサイズの砲口に向かって《ブラックフィンガー》が膝をつくと、内部の誘導レールに沿ってスキャナの光が走った。
「これは……いや、意外でもないか。三発しか撃ってないんだよな?」
「そうだよ~、何か変な事でもあったの~?」
「いや、ガワの状態からするとやたらと綺麗でな……実際撃ったのが三発きりならおかしくはないか……何にせよ、手間はかなり省けるが……」
再び《ブラックフィンガー》が歩き始める。後部の動力ユニットに辿り着き……マックスも流石に顔をしかめた。
「こっちは完全にダメだな。こいつを新造するとなると……いや、ちょっと見当が立てられない……どこから調達したものか……あるいは……」
「んー、無理そう?」
「無理とは言わないが……おそらく、今のルビコンで手に入る資材では元通りにはならない。出力がかなり落ちるはずだ……どの程度か、計算しなければわからんが」
「……初期加速を炸薬で行うとしたら?」
「複合式か? 何故そんなものを知って……まさか、
マヤウェルを? おまえ、……巻き込んだのか?」
「半分だけイエス、でも残り半分はノーだよ~?」
《デスモドロミック》があいまいな身振りをして見せる。アダーのにやついた笑みが見えるようだった。
「彼女にこいつはまだ見せてないけど、ちょっとしたプロジェクトを手伝ってもらっててね~……いや、もうぼくが手伝う側かな~、ホントすごいよ彼女」
「おまえの目的は知ってるのか」
「知らないよ? でも頭いいからね、近いとこまで察しちゃってると思うよ~」
「これからどうする気だ?」
《デスモドロミック》は右手のニードルガンを弄ぶように一回転させた。続けて二回、三回と。
「せっかくだし、きみと一緒にこれ直すのも手伝ってもらおっかなって。こういう大砲なら興味持ってくれそうだしね~」
「おれは直すとは一言も言っていない」
「でももうきみは直す気になってる」
マックスは黙り込んだ。
「きみはそういう人だって、こないだ言ったじゃん。代わりを探すのが大変なくらい、そういう人なんだよ」
「……」
「じゃ、ALTの人たちに不審に思われないうちに帰ってもらおっかな? 戻りはまたちょっと違うルートだから、気を付けてね~」
「……」
《デスモドロミック》がひらひらとマニピュレータを振る。
マックスは答えない。錆色のACは肩を落とし、帰路に就いた。
灰にまみれた巨砲がその背を見送る。遠くない先に己を蘇らせる、その男の背を。
関連項目
最終更新:2024年04月04日 01:07