05:技芸と悪業
The art and bad karma
悪魔の業に劣るからといって、人を責めるのではない
悪魔の業に長けているからこそ、私は人をなじるのだ
人の技術を賞賛するのは、その過程に過ぎない
―――ローレンス・ヴァン・コット・ニーヴン
今日のグリッド086には珍しい来客があった。
いや、本来は客ではなく同胞のはずだが、このグリッドへ滅多に寄り付かず没交渉を貫くあまりほとんど客人と言ってもいいような存在なのだ。
白地に血の飛び散ったような塗装を施した悪趣味なAC、《デスモドロミック》はグリッドの縁に着地し、ブースタを空吹かししながら片膝をついていた。
グリッド上部に仁王立ちするAC《パンチョ・アミーゴ》がそれを見つけ、放送システム越しに警告を発する。
「そこのAC! うちのシマで何やって……あん? ……
アダーか? あんた随分久しぶり……そんなとこで何やってんだい?」
「……んあ? あ、《
素面》じゃん、おひさ~」
「グリッドを押して動かすには何桁か推力が足りてないよ」
「そう見える~?」
「あたしの目にはね。何しに来たんだい? 検体でも入用になったとか?」
「ん~、検体はね~、多分足りてる~」
「あたしはあんたの”多分”ってのは信用しない事にしてる」
「そうなの~? ん~、今日はね~、ちょっと相談があって来たんだけど~、
マヤウェルが専門のやつでさ~」
子供のような、今ひとつ要領を得ないのんびりとした話しぶり。変人揃いのRaDの中でも相当な変人、それどころか狂人とすら呼ばれる人物だが……
マヤウェルはグリッド上部からグレネードの狙いを定めたまま待ったが、アダーは動く様子がない……いや、機体はそのままにコクピットを開いて降りてきた。
焼けたコーラルの残滓が煙る中、穴だらけのグリッドを悠々と歩いてくる。
《アミーゴ》が横桁を蹴って飛び降り、アダーの目の前に着地する。
その衝撃で華奢なアダーは思い切りよろめき、危うくグリッドの隙間から落下しそうになったが、背中から生えた細腕でどうにかバランスを取った。
《スラックライン》がアダーとその乗機の両方に狙いを定める中、マヤウェルもまた乗機のコクピットを開いた。
「あたしに相談、だって?」
「そうだよ~、マヤウェルってお酒もそうだけど爆発物が専門じゃん? ちょっと作って欲しいものがあってさ~」
「ふうん……?」
マヤウェルはACの肩の上からアダーを見下ろす。白衣の下でもぞもぞと動く細腕が、ややあって古めかしい物理書籍を掲げた。
「そうそうこれ、これに書いてあったやつ……なんとか爆弾……なんだっけな~?」
「……アダー、ゆっくり話すとしようか? 酒でも飲みながら」
「いいね~、《素面》謹製のやつは久々だよ~」
「それじゃ再会を祝して、でどう?」
「ま、いいんじゃないかい」
「じゃそういう事で、かんぱ~い」
眼下のグリッドを行き来する作業用MTやACの騒音を背景に、マヤウェルとアダーはグラスを交わした。
透き通った液体をマヤウェルが一気に干すのをよそに、アダーはゆっくりとグラスを回し、香りを深々と吸い込むと慎重に傾けた。
「……ああ……、やっぱ《素面》の作品はいいね~……」
「へえ、作品だって? あたしのこれが?」
「……ぼくは芸術には敬意を払う方なんだよ~、こう見えてもさ~」
「まあ……あんたがある種の芸術家を気取ってるのはわかるけど。で、さっきの、話ってのは?」
「せっかくの芸術を味わってるんだから急かさないでよ~、まあいいけど……えーっと」
アダーは一応は人間のものであろう両手でグラスを回しつつ、背中の腕で白衣の下をまさぐる。ややあって、再び先ほどの物理書籍が現れた。
……かすれた文字で、”核物理学実践”とある。
「どこだっけな……付箋つけるの忘れちゃうんだよね~……」
両手でグラスを傾けつつ、細腕がアダーの顔の前に掲げた書籍を高速でめくる。三つの瞳が忙しく文字列を追い、探していたものを見つけた。
「あったあった、こういうの作れる?」
「こういうの……?」
細腕がマヤウェルの眼前に書籍を突き出す。物理書籍などそうそうお目にかかれるものではなく、どう扱ったものかとマヤウェルは慎重に受け取った。
そっと卓上に置き、細かな活字を目で追う。指先で乾いたページをめくる……少なくとも、普通に扱えば崩れたりはしないようだ。
「……核融合爆弾、ねえ……? 悪いけど、あたしの専門じゃないよこれは」
「えーっ、そうなの!? 参ったな~、もしかして核爆弾って普通の爆弾と結構違う?」
「そうだね、あたしが知ってる限りでは違うと思うよ。それにね、ここに書いてあるけど核物質ってのが必要だね。ルビコンじゃ手に入らないんじゃないかい」
「あちゃ~、なーんか薄々そういう気はしてたけどダメか~……まいっか、ごめんね~、時間取らせちゃって……」
「……いや、ちょっと待ちな」
ページをめくっていたマヤウェルの手が止まった。そこには”爆縮レンズ”の文字があった。
「……”燃焼速度の差を利用して球状の衝撃波面を作り”……へえ、面白いじゃないか? これ、コーラルを芯に使えば割と近いものが作れるかもしれないよ」
「マジ? それなら作ってみてくんない?」
「ま、やってみないとわからないけどね。ていうかあんた、こんなもの何に使うんだい?」
核兵器、もしくはそれに近い何らかの爆弾。通常の爆薬を用いた兵器を数桁上回る威力を持つという事は、爆発させれば付近一帯が相応の被害を受けるという事だ。
コーラル逆流でベリウス北西ベイエリアがきれいに吹き飛んだのはマヤウェルにとっても記憶に新しい。
アダーはああいった事態を引き起こす気なのだろうか? だとすれば、それはどこで行う気なのか?
マヤウェルの疑わしげな目を受け、アダーがにんまりと笑みを浮かべた。
「世界一の超でっかい花火をやりたいんだよね~」
「……そりゃ、魅力的だね?」
「大丈夫大丈夫、ぼくだってグリッドで爆発させたりはしないよ~」
「ここで起爆しようとしたらあんたを先に吹き飛ばすからね」
「そりゃあね~。ここだけの話、封鎖機構に一泡吹かせるのにどうかなって思ってさ~」
アダーの背中から伸びる六本の腕が、曖昧に上を指差した。
「封鎖機構、色々押さえてるじゃん? そこにこういうのを投げ込んだらいい感じに吹っ飛ばせるかもね~って、どう?」
「ふうん……面白いじゃないか。それなら作ってやっても構わないよ。ただ、その”投げ込む”ってのはあんたが考えてくれるのかい?」
「まーね、どうにかするよ~。じゃ、実証実験から始めてもらおっかな~。資材はこっちで持つから遠慮なく言ってね~」
「たまに来たかと思ったら検体をせびるあんたが? 珍しい事もあったもんだね」
「言ったじゃん、ぼくは芸術には敬意を払うってさ~。芸術は爆発だって、聞いた事あるでしょ?」
「あたしが知ってる意味とは違う気がするが……まあいいか。で? 話はそれだけかい?」
「うん、そんだけ。あ、せっかくだし文書データだけじゃなくてその本あげるよ。関連の論文も一通りあるから後で送るね~」
グラスを干したアダーが席を立ち、数歩行ってから振り返り戻ってきた。
「ごめん、やっぱこれちょうだい? こういう作品は一人でゆっくり楽しむのもいいんだよね~」
言うが早いか細腕がボトルを取り上げ、白衣の下に素早くしまい込んだ。
マヤウェルはとっさに制止しようと手を伸ばし……アダーのいたずらっぽい笑みに苦笑しながら手を振った。
去っていくアダーは小躍りしていた。コーラル爆弾製作の約束を取り付けたからか、蒸留酒を手に入れたからか。両方かもしれない。
《デスモドロミック》がグリッドから飛び去り、視界から消えるとようやくセロウノが口を開いた。ずっと監視していたのだ。
「マヤウェル。よかったのか」
「……ま、珍しい物理書籍と引き換えだからね。断然悪くない取引だ」
「そっちじゃない。爆弾の方だ」
「ああ、多分結構なサイズになっちゃうだろうからね。あいつがここに持ってきたらすぐバレる」
「それはそうだろうが」
「自分の作品で自分を吹き飛ばすのも悪くないけど、それなら自分でボタンを押さなきゃね。わかるかい?」
「わからん」
「そのうちわかるさ」
マヤウェルはいつの間にか新たな酒瓶を手にしていた。もうグラスに用はない。
彼女は瓶を呷り、物理書籍の表紙を撫でた。これでまた一つ、面白い事を始められるかもしれない。
あるいはこれが、地獄の門を開くきっかけなのかもしれないが。
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最終更新:2024年04月04日 01:07