伊集院光

登録日:2009/08/23(日) 04:27:54
更新日:2025/01/08 Wed 21:00:25
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伊集院 光(いじゅういん ひかる)


1967年11月7日生まれのデブタレ。東京都荒川区出身。
現在では博識なイメージからクイズ番組のパネラーや、ワイドショーにてコメンテーターとしての出演が多い。



…が、実はかなり異色の経歴を持つ人物である事はラジオリスナー以外にはあまり知られていなかった。


来歴

○生い立ち
専業主婦の母、ライオン子会社勤務の父の下、田中家(後に伊集院が婿入り婚をしたため旧姓となる)の次男として生まれる。きょうだいは兄と姉と弟が一人ずつ。

小学時代〜高校時代初期まではかなりアグレッシブな日々を送っていた。親友の近藤君と遊びまくり、植込みの葉牡丹をマヨネーズと共に喰らい、エロカセット付録のパンティの所在が母バレして家出したり、関東〜東北を原付でワイルドに暴れる*1ほど活発であったが、ある日を境に突然不登校になってしまう。
当時から社交性も有り、友達も多く彼女も居た高校時代の彼が何故そうなったかは謎、本人曰く「なんだか急に行きたく無くなった」そうで*2
不登校になった後は暇つぶしにゲームセンター等をぶらついており、暇つぶしの一つに「寄席」があった事が人生の転機となる。

○落語家の道へ
実は元・落語家「三遊亭楽大」であり、師匠は三遊亭楽太郎(現・六代目三遊亭円楽)。笑点に出ていた紫の腹黒いアイツと言えば分かるだろうか。

実を言うと当時の伊集院にとっての落語は不登校の時の暇つぶしの一つで、そこまで好きというわけではなかったらしいが、頻繁に寄席に行っている姿を見た家族から「落語家になりたいのか」と思われ、父親から「叔父の知り合いに落語界に詳しい人がいるから会ってみるか?」と言われ、本人も普段話さない父親からの提案という事もあり、会う事に。
その時会った人が大師匠こと五代目三遊亭圓楽の実弟で、そこから更に楽太郎を紹介されトントン拍子で入門が決まった。

晴れて高校を拾得物経由で提出された退学届を以て中退し、圓楽一門の下で修業に励む。ここでの修業が伊集院自身の話術、演出、進行、間の取り方をメキメキと上達させ、後のDJの才能を開花させる原動力となった。芸は身を助けるとはこれいかに。古典の勉強の他、『テレクラ問答』というオリジナル落語を創作し披露した模様。
また、当時の笑点の「若手大喜利」の出演経歴もある。

○ラジオDJ・タレントへ転向
落語家としてはかなり早期に昇進を重ねて順調な落語人生を送っていたように見えたものの、当時の楽大は段々自身の才能の限界を感じ取り始めており、やや鬱気味になっていた中で、元兄弟子・石田章洋からの懇願(詳細は後述)で出場したラジオのオーディション番組等を経てニッポン放送に取り立てて貰い、タレントと落語家の二足のワラジ生活となる。

そして、オーディションの際に自分が落語家である事を円楽一門は勿論のこと、他の噺家などにもバレないよう、ニッポン放送のディレクターが名付けた芸名が

『伊集院 光』である。


初期は自らを“ギャグオペラ歌手”と自称したが…まぁ声でバレるわな。
なんやかんやあって噺家の道を破門扱いで去る事になり、その後、オールナイトニッポンのパーソナリティに抜擢され人気に。
架空アイドル『芳賀ゆい』ブームの火付け役として注目を浴びた。

1991年からラジオ番組『伊集院光のOH!デカナイト』をスタートさせ、日本中の若者の話題を呼び、様々な伝説を築いた。
番組イベントで野球ドームを満員にしたと言えばその人気が分かるだろうか。

…が、1995年のとある日、ニッポン放送のお偉いさんを巴投げしてしまいクビ、事実上の番組降板となる。
詳細は不明だがスポンサーとの軋轢や当時オールナイトニッポンのディレクター等を担当したお偉いさんが原因の一部らしい。

そして同年9月、TBSラジオに拾ってもらい『伊集院光のUPs' 深夜の馬鹿力』をスタートした。

この番組でも伝説を作り出しており、局上層部はおろか何度かおポリスからもお叱りを受けたが、
その破天荒な企画と引き込まれる独特のトークに魅了されるファンも多い。
同番組は冠を変え『月曜JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』として現在も継続中。

TVや朝のラジオでは文化人ぽいキャラ(本人曰く『よそ行きの伊集院』)の位置についており、
教養番組やクイズバラエティーなどで活躍中。
なお近年ではラジオの『帝王』だの言われているが、これを本人は良く思っていないようだ。
上記称号をフワちゃんにいじられた際も「何ひとつ得な事がない!」とこぼしていた。

伊集院メインの番組

【☆=放送中 ★=放送終了】
☆月曜JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力(1995〜現在)
来歴の通り伊集院光、ひいてはTBSラジオの深夜を象徴する番組。
過去は局内を原チャリで爆走したり、全裸で局内を徘徊したり、ギャラクシー賞の授賞式で放尿などぶっ飛んだ企画を敢行していた。
現在でも荒々しさこそ影を潜めたがトーク力は未だに健在。放送25年を超える人気番組である。

アニオタ的な話としては、中二病という単語が生まれたのは本番組が起源。トーク中に伊集院が自身が中二病であることを告白したことから。
当時の番組内コーナー『かかったかな?と思ったら中二病』*4自体は短命に終わっている。が、ネットスラングとして知られるようになりその後は言葉だけが一人歩きしちゃってる状態で今に至る。
現在は伊集院曰く『自分の言っていた事と意味が変わったので興味がない』そうだ。

★伊集院光のおたよりください!(2022年〜2024年)
こちらもTBSラジオ制作だが、日本香堂提供の企画ネット番組としてJRN系列局向けに放送されている為、制作局のTBSラジオでは聴く事ができない番組。*5毎回リスナーから届いたはがき・メールを1通紹介し、それに関してトークするという5分番組で、ここで紹介している他の伊集院の番組とはかなり毛色が異なる。
それもそのはず、元々は2020年10月にそれまで50年近く放送されていた「はがきでこんにちは」のパーソナリティの近石真介氏が高齢に伴い勇退することを受け、伊集院の師匠六代目三遊亭円楽が跡を引き継いで始まった番組で、伊集院はその師匠の後を継いだ2代目パーソナリティという立場なのである。
円楽が脳梗塞で倒れ新規の収録ができなくなった為、収録済みの回が放送された後の2022年2月中旬に師匠の代理として起用され、半年程出演したところで円楽が復帰。しかし、円楽は脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害を抱えており、それに加えて以前より声が出にくくなっていた事で単独での進行が困難だった為、パーソナリティ代理だった伊集院がお便りの紹介やそれに対する円楽のコメントの聞き手、コマーシャルコメントの読み上げなどの役割を担うアシスタントの形で続投する事になった。
その後円楽は高座復帰直後に肺炎で再入院した為、伊集院がアシスタント名義のまま代理パーソナリティに戻り、9月末に円楽が死去した後、四十九日法要やお別れの会が無事終わった同年12月より正式に後任パーソナリティとなった。
伊集院に引き継がれてから1年4ヶ月後に番組終了となり、同時に当該企画ネット枠も終了している。

★伊集院光の夏休みの王様→伊集院光の放課後の王様(1995~1996年)
★伊集院光の怪電波発信基地(1996~1997年)
BSラジオ放送局セント・ギガ(現存せず)の、サテラビューでデジタルマガジンを読みながら聴く番組。サテラビューなしでも無料で聴けたが、ぶっちゃけ当時普及していなかったBS放送の時点でマイナー。
夏休み→放課後の王様」は夕方4時の帯番組で、伊集院はアシスタントの内海ゆたおとともに月曜を担当。「放課後の王様」は1995年4月開始の番組だが、夏休み期間のリニューアルで新パーソナリティに起用された。
1996年春改編で「放課後の王様」は終了し独立。他のラジオ番組が大量に打ち切られる中、深夜へ移動・改題し生き延びる。しかし当時の衛星放送は春分・秋分の前後1ヵ月ほど深夜放送を休止する「食」という期間があり、この煽りで番組初回が4月下旬、秋には放送休止、春の改編期を待たず真冬に終了と、レギュラー番組とは思えないような扱いを受けている。

ゲームWAVE(1998~2002年)
いつもはTVで穏やかなスマイルをしている伊集院だが、TVで深夜ラジオと同テンションのクレイジーぶりを発揮。なんでゲーム番組なのにそんなに火薬が使われるんだ?
犠牲になった携帯電話は数知れず…

★伊集院光のばんぐみ(2007~2009年)
★  " のばらえてぃー(2012年) 
伊集院に馴染みの深い芸人と、いろいろな企画(パワハラ兼実験)にチャレンジする番組
番組タイトルがあまりに直球なのは、企画書に仮で入っていた番組名をそのまま採用したため。
気に入ったようで著書「伊集院光のはなし」下記にもある「伊集院光とらじおと」と似たような名前が増えた。

★IJP 伊集院パーク(2010~2011年)
オールロケだったばんぐみとは違い、スタジオ放送がメインのバラエティー。
全編やらせの野球試合を企画したり、面白写真を探したりと内容はそう変わらなかったが。
元々半年の予定でスタートしたが、SONY MUSIC(の物好き)が後続スポンサーとなり一年放送できた。
スポンサーが再び付けば復活らしいが…。

★伊集院光とらじおと(2016~2022年)
まさかの8:30~11:00の朝枠パーソナリティとして、月~木担当で就任(金曜も番組はあるが、TBSアナウンサーが担当)
相変わらず番組作りに対してはかなり真摯で、企画からキャスティングまで相当に関わっていたらしい。しかも、前述した月曜深夜の「深夜の馬鹿力」を継続した上で起用された為、火曜日は早朝に「深夜の馬鹿力」の生放送をした後にそのままTBSに残って空きスタジオで仮眠をとり、5時間半後の8:30から「らじおと」の生放送に臨むなかなかハードなスケジュールをこなしていた。
半面その”ガチさ”が裏目に出たのか、2021年にはアナウンサーと番組スタッフへのパワハラ騒動として週刊誌に取り上げられた。
(記事の出所が不明確なので真偽は不明。当該アナウンサーは番組卒業となったので何もない訳では無いようだ)
上記騒動との関係は不明だが、番組自体は好評なものの、2022年の3月末を以って終了となった。

野球好き

大変な野球好きでもあり、野球漫画好き。
小学生の頃から一人で野球場に行っては日ハムの試合を観戦していたらしい。
また、毎年日ハムの沖縄合宿の観戦に行っており、ラジオでその旅のトークをするのも恒例行事。

アストロ球団』『ドカベン』を愛読しており、『球漫』というムック本を刊行したこともある。この著書内でタッチはラブコメにしか感じない、野球漫画とは違う、と述べている。

そして、自身も若手芸人を集めた草野球チームを立ち上げている。
チーム名は『ビッグ・アスホールズ』。濃い紫色のユニフォームが特徴的だが、チーム名を和訳してはいけない。
というかTwitterで外人から直接苦言を呈されたこともある。
何でこんなひどいチーム名なのかと言うと、元々は伊集院の野球チーム「花王ヘルシアXファイルズ」の練習相手として若手芸人のチームを結成させた際、嫌がらせで名前を付けたから。
その後Xファイルズの方が吸収される形で合併となり、今に至る訳である。なにやってんだこの人…
伊集院自身のプレイスタイルは“打たせて取る”“次に繋げるプレイ”と理詰めを好む。
とはいえ年齢もありベンチウォーマーとなる事も増えているようだ。

ゲーム好き

家庭用ゲーム好きとしても知られ、ファミ通で長年コラムを書いている。
好きなゲームはパワプロ、風来のシレンシリーズ。
特にシレンは没データのパルテノンXを発見したり、微妙だった3をやんわりとテストプレイ時に察してレビューしたりと相当なもの。
小さい頃はファミコンのエキサイトバイクを24時間ぶっ続けでプレイしたとも
50歳を超えてもゲーム好きは健在で、バイオハザードやドラクエウォークに熱中。
2020年にはYoutubeでどうぶつの森のプレイ実況を開始した。



関係の深い人物

六代目三遊亭円楽
元師匠。
というが、円楽自身は伊集院が落語界を去った後も生涯に渡って弟子として扱っており、伊集院も師匠として師弟関係を続けていた。
伊集院が落語家を廃業(円楽曰く休業扱い)になった後も
テレビ・ラジオ等で共演する事があり、「らじおと」内で二人でミニコーナーを担当していた時期もあり、2022年1月からは円楽がパーソナリティを務めるラジオ番組「三遊亭円楽のおたよりください」にて脳梗塞で療養中の師匠に代わって代打出演をしていた。
そして、ラジオでのやりとりがきっかけで、2021年6月には伊集院にとって27年ぶりの落語の高座となった二人会を開き*6、2022年4月に福岡にて第2回の開催も決定していたが、円楽が脳梗塞で倒れて療養に入ったことから会自体が延期になり、最終的に円楽は2022年9月30日に帰らぬ人となり、2回目開催は叶わなかった。
円楽の訃報に際し、伊集院自身は報道陣の取材へのコメントの他、「おたよりください」や「馬鹿力」内で心境を吐露している。
同年12月2日に開かれたお別れ会の際には兄弟子で同じく落語家を廃業した石田章洋(後述)と共に六代目円楽の弟子として一門の弟弟子達と登壇し、一門を代表して挨拶を行った。
挨拶の中では自身が挨拶を担当することになった経緯と兄弟弟子達をユーモアを交えて紹介したのちに、「皆が師匠に教わったことを継いでいければ、それで『どこで覚えたの?』ってなった時に名前が出れば師匠は生き続けると私は思っています。」「そのDNAを継ぐお手伝いを皆さんどうぞよろしくお願い致します。これからも一門をよろしくお願いします」と円楽の教えを引き継いでいく事への意気込みを新たにしている。
円楽逝去後も一門の弟子達とは交流を続けている模様で、後述する円楽の追悼落語会等のイベントにも度々ゲストとして呼ばれている。


○ 石田章洋
六代目円楽の元弟子にして、伊集院の兄弟子。
落語家時代の高座名は「三遊亭花楽京*7」。
落語家を廃業後は放送作家として「世界・ふしぎ発見!」をはじめとした数々の番組制作に携わっている。
伊集院同様に円楽(当時・楽太郎)からは生涯身内兼弟子として扱われており、廃業後に放送作家に転身した際も円楽が事務所を紹介してくれたと言う。
そして何と言っても特筆すべきことは、まだ石田自身が放送作家として駆け出しの時分に担当したニッポン放送の番組「激突!あごはずしショー」にて人数合わせのために当時楽大だった伊集院を誘って出演させたことだった。結果としてこの番組のオーディションに優勝した事が、伊集院のお笑いタレントとしてのデビューとなった。
つまり、この石田こそが「伊集院光」の誕生の功労者の1人といっても過言ではない。
前述した円楽の逝去後のお別れ会にも参加しており、伊集院と共に六代目円楽一門の弟子として登壇し、弟弟子達を見守っていた。


○三遊亭楽大(2人目)
六代目円楽の弟子で、伊集院が落語家時代に名乗っていた高座名を引き継いだ弟弟子。
彼の命名に関しては師匠の円楽が事後とはいえ伊集院に連絡をして了承を得ている。
実は楽大自身が学生時代から伊集院のラジオのリスナーである上、円楽に入門した理由の一つに「大好きな伊集院さんの師匠だったこと」を挙げているほどの大ファン。
伊集院のラジオ内における発言などから、楽大からは先輩落語家の呼称の一つである「兄さん」と呼ばれており、兄弟弟子として一定の交流を持っている模様。
楽大が2020年に真打昇進した際には伊集院も挨拶状*8に寄稿をしてその結果として手拭いや扇子一式と共に御祝儀を取られたり、前述の円楽と伊集院の二人会や円楽逝去後に開かれた誕生日落語会の際にはゲストとして出演もしている。
余談だが、「楽大」を名乗るに相応しい大柄な体躯の持ち主でもある。

○三遊亭萬次郎(旧名・三遊亭楽太)
六代目円楽の最後の弟子。
円楽逝去時点ではまだ前座だったため2023年元旦を以て4代目三遊亭萬橘*9門下に移籍し、2024年に二ツ目に昇進した。
伊集院とは入門直後に円楽宅の新年会で顔を合わせて以来やけに懐いており、円楽逝去後の2023年2月8日、円楽の73回目の誕生日を記念する落語会を前座としては異例となるプロデュースをし、その際に行われた座談会のゲストとして伊集院を指名した。
伊集院は本人から話を持って来られた時に「前座のころからそんな大それたことすると後々俺みたいになるぞ!!(意訳)」という忠告をしたものの、会自体は伊集院に加え前述した楽大をはじめとする円楽一門の兄弟子達や笑点でもおなじみかつ円楽の兄弟子である三遊亭好楽、新しい師匠となった萬橘も迎えて盛況のうちに終わった。


○アンタッチャブル
今では超大物になったお笑いコンビ。
伊集院とは野球で意気投合したようで、無名時代からゲームWAVEやラジオ番組に出演し、公私問わず伊集院にドッキリを仕掛けられていた。
00年代には二人とロサンゼルスへ行く際、草野球に度々遅刻した山崎に対して出発直前までメンバーからハブり、
当日、るるぶ埼玉を片手に不貞寝していた山崎を叩き起こし、パンツ一丁で空港へ連れ出したこともある。
なお無事出国審査は全員パスした模様で、到着後にまず何がしたいか聞かれた山崎は「服屋に行きたい」と即答した。
また売れる前から山崎は伊集院の奥さんから目をかけられていたらしく、それが縁で毎月伊集院夫妻との食事に行っているほど。
同じく昔からお世話になっていたくりぃむしちゅー・有田哲平がプロデュースした2019年11月の「全力!脱力タイムズ」での復活劇も、収録直前の食事の席で知らされていた*10

○ピエール瀧
電気グルーヴとはデビュー時期が近いこともあり、仲が良い。
(同様にデビュー同期のさまぁ~ず、浅草キッド等とも親交が深い)
特にピエール氏との親交は深く、お互いの創作において友情出演という形での共演も多かった。
2019年に彼が覚せい剤使用で逮捕された際は、彼の音楽家、俳優としての活躍に憧れや嫉妬心を抱いていたと話した上で、
なんでそんな物が必要なんだ?」とやりきれない思いを語っている。

○みうらじゅん
黒マジックでキャバレーと書いた文字をみるだけで頑張れる人。
童貞のよき理解者として引き出される事も多い伊集院だが、彼と組んで童貞に関する共著『D.T.』を出版、童貞ブームを巻き起こそうとした事がある。
伊集院が大切にしているのは『心の童貞』だとか。
とはいえ伊集院には元アイドルの嫁がいる上、高校生の時にセックスをしやがっているので注意。またみうらも不倫の経験有りと童貞とは遠い関係である。

皆口裕子(声優)
中学校で所属していた人形劇部で、何と伊集院を1年下の後輩として受け持っていた。が、伊集院は幽霊部員であったためか殆ど共におらず彼女の事を覚えていなかった。
卒業から20余年後、ゲームラブプラス”関係のイベント控室で再会し、学生時代の話に花を咲かせたという。彼女のブログにも伊集院とのツーショットが掲載された。

○構成渡辺(渡辺雅史)
深夜の馬鹿力において、番組開始から2019年まで23年の長きに渡り構成を務めた人物。暇さえあれば電車に乗り車内アナウンスも時刻表も暗記するほどのイカれた鉄道マニア。
伊集院には汚いメーテルとも言われる。
ニッポン放送時代からの伊集院ラジオリスナーであり、局前で出待ちをしながらも伊集院に話しかけないという奇行を続けていたことから伊集院の目にとまる(そりゃとまるわ)。
放送中は喋らないというポリシーを持つため無言だが、企画や録音であれば普通に喋る。
氏のガハハ…という笑い声も番組の名物だったが、体力の限界に伴い銀河鉄道999のテーマと共に番組を旅立って行った。
それに伴い、新しい構成作家の募集が同番組内で行われた。

余談

○上の兄はナムコ(現:バンダイナムコゲームス)に入社し、プログラマーとして活躍しファミコン版女神転生の開発に携わった。伊集院はラジオ番組内で、拒食症気味で部屋のあらゆる物陰から丸めてカチカチに固まった“ゴハン玉”が出てきた、入社後のある日勤務時間のハズなのに広場に座って一人で笑っていた、などと話していた。

○芸能界に入る以前より、学生時代自らアメ横、スーパーの精肉店のバイトをこなしていたからか社会経験は豊富だった。この経験を買われ伊丹十三監督の映画『スーパーの女』では鮮魚コーナーのチーフ役で出演している。次作『マルタイの女』にも出演しているが、太った人物としてキャスティングされていたにもかかわらず折悪くラジオの企画でダイエット中であったため伊丹監督に「デブ待ち」をさせる羽目になった。

○旅行も趣味。最近は健康を意識してか車や列車を使わない徒歩旅行がメイン。
前述の日ハムの練習を見に沖縄へ行ったり、五島列島に行ったりしているが、
構成渡辺の組む電車の乗換えがカツカツ過ぎたり、安宿でひどい目に遭ったりと道中で旅行計画が狂うのがお約束。

包茎。でも大丈夫。日本人の大半は包茎だ。


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  • ひらめきの天才
最終更新:2025年01月08日 21:00

*1 当然補導され、後に家庭裁判所の少年審判を喰らった。

*2 後に千原ジュニアとの対談で「今で言うなら鬱だったんだと思う」と語っている

*3 漫才コンビ「笑組」のボケ、現芸名・ゆたか。後年、後述の通り伊集院の番組のアシスタントも務めた。

*4 ちなみに同コーナーで、リスナーが中二病にかかってるか診断する伊集院は女医である。

*5 そのTBSラジオでは、朝の生ワイド番組内で番組パーソナリティ進行の企画ネット番組が放送されており、伊集院も後述の『伊集院光とらじおと』放送期間には番組内で該当コーナーを受け持っていた。

*6 ゲストは円楽の息子・一太郎、円楽の弟子の1人で自身の高座名を引き継いだ三遊亭楽大、浅草の星にしてラジオパーソナリティの後輩であるナイツに加え、伊集院の長年の盟友である爆笑問題もいた。

*7 伊集院同様この高座名も同じ円楽門下の弟弟子の三遊亭楽京が二ツ目時代に名乗っていた。

*8 落語家の真打昇進時のお披露目のパーティー等で席に置かれる式次第を書いた紙。

*9 6代目三遊亭圓橘の二番弟子で、円楽と同じ五代目圓楽一門会所属の噺家。生前の円楽から目をかけられていた後輩の1人で、前述した2回目の円楽との二人会にも紙切りの林家正楽と共にゲストとして出演予定だった。なお、伊集院本人からも「師匠がいつも名前をあげている人」と意識されていた。

*10 この一連の出来事は相方の柴田どころか、大半の番組スタッフにも「今回の柴田の相方役はコウメ太夫」と伝えられて本当の内容を知らないという厳しい情報管理がなされていた。コンビ復活を事前に知らされていたのはスタッフの中でも必要な3人、伊集院夫妻の他は番組の一ファンとして有田から内容を仄めかされた古田敦也だけだった。