ガスペリ家本邸。共和国同盟トリア共和国フローレンシア市に位置する、名門ガスペリ家のために建造された屋敷。建造当時から現在に至るまで変わらぬ美しさを保ち訪れる者に芸術性を感じさせることだろう。 そんな屋敷内の、主にガスペリ家が担う職務に従事するための――――――外装に比して実務性に重きを置いた内装となっている――――――執務室にて、グラジオ・シンプソンは招かれていた。
一見質素にも見える高級なアームチェアに腰掛けているカルロ・ディ・ガスペリに、グラジオの雇い主でもあるリリアーナ・ディ・ガスペリ、そしてガスペリ家の嫡男であるテオドロ・ディ・ガスペリの三者を前にし、一平民であるグラジオにとって身分差もさることながら別の事情もあるが故に息が詰まりそうになる。
直立姿勢を取り続けるグラジオを目にしながらカルロとテオドロは厳しい視線を向け、リリアーナはどこかいたずら気な、何かを楽しんでいるような視線を向けている。非常に重い空気が執務室を支配する中、最初に沈黙を破ったのはカルロだった。
一見質素にも見える高級なアームチェアに腰掛けているカルロ・ディ・ガスペリに、グラジオの雇い主でもあるリリアーナ・ディ・ガスペリ、そしてガスペリ家の嫡男であるテオドロ・ディ・ガスペリの三者を前にし、一平民であるグラジオにとって身分差もさることながら別の事情もあるが故に息が詰まりそうになる。
直立姿勢を取り続けるグラジオを目にしながらカルロとテオドロは厳しい視線を向け、リリアーナはどこかいたずら気な、何かを楽しんでいるような視線を向けている。非常に重い空気が執務室を支配する中、最初に沈黙を破ったのはカルロだった。
「……先のトリア市の争乱の報告はすでに受けている。娘を助けてくれたこと、深く感謝する」
「き、恐縮です」
「き、恐縮です」
カルロが頭を下げて礼を告げたことに思わず面食らうグラジオだったが、内心ほっとする。カルロの娘――――――アメーリア・ディ・ガスペリとのことで何か責められるのではないか。内心不安だったのだ。同時に責められても仕方がないとも思った。自分がアメーリアの近くにいれば傷つくことも怖い思いをすることもなかったはずだから、グラジオの胸中からそのような考えが棘のように突き刺さって離れなかった。それ故にカルロから感謝を示されたのは救いでもあった。もっとも、安堵できたのもつかの間のことではあった。
「以前、君に話したことを覚えているかね?」
カルロの言葉にグラジオはどきりとする。以前、即ち共和国同盟成立を記念するパーティー開催時の事、アメーリアが共和国同盟でどう扱われるのかを意識せざるを得なくなった出来事、そして彼女の父親であるカルロから覚悟への問いかけを鮮明に思い出す。忘れることなど出来なかった。忘れることを自身が許さなかった。
「覚えています」
「では、夕刻のアメーリアと君の姿は? 親しいというには距離が近いように見えたが?」
「では、夕刻のアメーリアと君の姿は? 親しいというには距離が近いように見えたが?」
カルロの詰るような口調にグラジオは口の中が異様に乾いていくのを感じた。リリアーナがカルロとグラジオの間に割って入ろうとするがそれよりも前にテオドロが彼女の動きを目で制す。様子を見ろと言うことだ。リリアーナは嘆息しながら様子見の姿勢に入る。
当のグラジオは動揺と緊張を隠せておらず、手が微かに震えている。それを目にしながらも三者ともに敢えて見ぬ振りをしてグラジオの言葉を待つ。グラジオはどう答えるべきか、何と伝えればいいか、思考がまとまらず沈黙してしまう。このまま無為に時間が過ぎるかとカルロがため息をつこうとしたところでグラジオは口を開いた。
当のグラジオは動揺と緊張を隠せておらず、手が微かに震えている。それを目にしながらも三者ともに敢えて見ぬ振りをしてグラジオの言葉を待つ。グラジオはどう答えるべきか、何と伝えればいいか、思考がまとまらず沈黙してしまう。このまま無為に時間が過ぎるかとカルロがため息をつこうとしたところでグラジオは口を開いた。
「アメーリアに自分の想いを伝えました。彼女は……受け入れてくれたと思います……」
徐々に自身が無くなっていったのか少しずつ声量が小さくなるも、聞き取れないほどではなく。カルロはグラジオに厳しい視線を向ける。
「それは私の言葉を受け止めた上での発言と捉えても?」
「はい。ボクはアメーリアが好きです。誰にも渡したくないと思っています」
「はい。ボクはアメーリアが好きです。誰にも渡したくないと思っています」
グラジオの想定外の言葉にテオドロは呆気にとられ、リリアーナは口角が微かに上がる。カルロは頭に手を当てながら悩まし気にため息をつく。
「……以前にも話したと思うが我が娘に擦り寄ってくる者は多い。家は息子が、銀行は姪が継ぐ故に、その立場が曖昧なものとなっている。更に言えば体の問題もある。下手に家の仕事に就かせることも難しい。だからこそ、我がガスペリ家に取り入ろうとする者たちにとって娘の存在は格好の獲物と言っていい。大した実績のない商人であれ、後ろ盾のない平民であれ、娘の感情次第で事を運ぶことも可能なのだからな」
カルロの言葉に偽りはない。ガスペリ家は共和国同盟において名門、ともすればそれ以上とも言ってよい存在なのだから。テオドロやリリアーナはもちろんのこと、特にアメーリア・ディ・ガスペリはそう言った者たちにとって価値のある存在だ。テオドロやリリアーナのような役割を持っているわけでもなく、さりとて冷遇されることもない立ち位置。ガスペリ家への介入権を得るための口実には十分すぎる。
それ故にアメーリアは自らの存在を家のために使うことを覚悟していた。ガスペリ家とって有益かつ一族が保有する力に目がくらんだ家に嫁ぐこと、それだけが彼女に残された選択。一時の感情で捨てきれるはずがない。
――――――その確信をカルロは捨てることができなかった。
それ故にアメーリアは自らの存在を家のために使うことを覚悟していた。ガスペリ家とって有益かつ一族が保有する力に目がくらんだ家に嫁ぐこと、それだけが彼女に残された選択。一時の感情で捨てきれるはずがない。
――――――その確信をカルロは捨てることができなかった。
「君に守れるのか? アメーリア・ディ・ガスペリを、我が娘を、有象無象の悪意と欲望から、あらゆる計略から、あの子自身の生き方といずれ選ぶであろう未来から、守って見せると? 君に娘を背負う覚悟はあるのか?」
「背負います!」
「背負います!」
カルロの言葉にグラジオは今度こそ迷うことなく応えた。テオドロはもちろんこればかりはリリアーナも驚いた様子を見せている。カルロから視線を離すことなくグラジオは続ける。
「アメーリアを誰にも渡す気はありません。だから絶対に守ります。何があっても必ず……アメーリアを幸せにします」
グラジオはそう言い切りカルロをまっすぐ見据える。カルロの言葉を何度も反芻していた。アメーリアの世話をしていた時も、使用人たちの仕事を手伝っていた時も、御者見習いの仕事をしていた時もずっと、自分の立場と身分、未来を、アメーリアとどうなりたいのかも必死に悩み続け、ようやく答えが出た。アメーリアを幸せにすること。他の誰でもない自分が、自身の手で叶えたいと、そう願っていることを。それ故にグラジオはアメーリアに思いを伝え、目の前にいるカルロに自身の答えを告げたのだ。
カルロもまたグラジオの視線を受け止める。本心ではグラジオがはっきりと自身の考えを口にすることはないだろうと見くびっていた。しかし、そうではなかった。目の前に立つ少年は男としての覚悟を決めようとしていたのだ。
執務室内に緊張が走る。グラジオもカルロも互いに視線を外すことはなかった。
カルロもまたグラジオの視線を受け止める。本心ではグラジオがはっきりと自身の考えを口にすることはないだろうと見くびっていた。しかし、そうではなかった。目の前に立つ少年は男としての覚悟を決めようとしていたのだ。
執務室内に緊張が走る。グラジオもカルロも互いに視線を外すことはなかった。
「――――――どう答えようとそれを証明する術も保証する術も君は持っていない。そして私も君の言葉を無条件に信用することも、確信を持つ術も持ち合わせてはいない」
先に沈黙を破ったカルロは難しい顔を浮かべたまま手厳しい言葉を投げかける。グラジオは冷や汗をかいているがそれでも視線を外すことはなかった。それを見てカルロは一つの選択を下すこととした。
「だから、君自身の言葉をこれから証明して見せなさい。君自身の行動で、我々ガスペリ家にとって信用に値する存在であるか、有用性があると我々が認めることができるか」
カルロが下した選択、それはグラジオ・シンプソンを彼自身の行動を以て見極めること。それはグラジオをアメーリアの傍に置くことをしばし許可するということでもあった。
「アメーリア・ディ・ガスペリを背負う事、それは我が一族に加わるということでもあるのだ。君自身の行動を以てその有用性を証明したまえ」
「――――――それはつまり……」
「好きに解釈するといい。話は以上だ。下がれ」
「――――――それはつまり……」
「好きに解釈するといい。話は以上だ。下がれ」
カルロはグラジオの返答を待たずに会話を打ち切る。グラジオは何かを尋ねようと口を開き、途中で止めた。なんとなく、それ以上の質問は許されないような雰囲気を感じたからだ。「失礼しました」と一言告げて執務室を後にする。そしてカルロが一息つき、リリアーナとテオドロに対して告げる。
「グラジオ・シンプソンに対して干渉するかどうかはお前たちの判断に任せる。私からは何も問うことはしない」
「随分と甘い判断を下されましたね、伯父様?」
「あの少年の素質と将来性を見極めるための初期投資だ。それ以上の意味はない」
「まあ、そう言うことにしておきましょう」
「随分と甘い判断を下されましたね、伯父様?」
「あの少年の素質と将来性を見極めるための初期投資だ。それ以上の意味はない」
「まあ、そう言うことにしておきましょう」
からかうような物言いのリリアーナをそっけなく躱しつつアームチェアの背もたれに寄りかかり、深く息を吐く。他意などないと、自分に言い聞かせた。リリアーナはそんなカルロに対し含み笑いを浮かべつつ視線を向け続ける。
「甘さで言えば父上と何も変わらないように見えるがな、従姉殿? 何やらあの下働きに対して節介でも焼こうとしてるんじゃないか?」
「さて、何のことでしょうね」
「さて、何のことでしょうね」
テオドロの追及をかわしつつ、リリアーナはいつものように計略を巡らせるための算段に思考を費やす。カルロからの言質は戴いたのだ。ならば、どう干渉しようとも自分の自由なのだから。
執務室を後にしたグラジオはアメーリアの自室に顔を出した。今まで仕事としてそうしていたからというのもあるが、無償に彼女の顔が見たくなったのだ。自室の前に着き扉をノックし部屋主から「どうぞ」との許可が下りる。部屋に入ると、白い寝間着姿でベッドから上体を起こしているアメーリアの姿が目に映る。グラジオはベッドに近づき、そして無言で彼女を抱き締める。
「ぐ、グラジオ君?」
グラジオの唐突な行動にアメーリアは動揺を隠せず、同時に思い人からのアプローチに嬉しさと喜びを覚えていて、腰に手を回し受け入れる様子を見せる。腕の中で大切な人の暖かさと柔らかさを感じながらグラジオはほんの少しだけ抱擁を強める。
「絶対にアメーリアの事、幸せにするから」
予想だにしなかった言葉にアメーリアは頬を紅潮させて緩める。ただグラジオの言葉が嬉しくて、同時とても愛おしく感じて仕方がなかった。
「もう十分幸せですよ」
そう言ってしばらくの間、グラジオの抱擁を受け入れ続けるのであった。
それから三日後のリリアーナの自室にて、グラジオは共和国同盟の経済や国勢に関する資料を読まされていた。目の前には眼鏡をかけたリリアーナが教鞭を片手に立っており、傍らにはアメーリアが腕に抱き着いて共に資料に目を向けている。グラジオは資料に記載されてる用語や記述、計算式、何らかの図の難解さに頭を抱えつつ、想い人の接触に心臓が早鐘を打つのを止められずにいた。
「叔父様の前であのような愛の宣言をしたのですから、ぜひとも責任を取ってもらわなければ意味がありませんからね。最低でもその資料の内容を理解できるようにはなってもらいます。ちゃんと教えますから大丈夫です」
というのがリリアーナの弁だった。確かに教えてもらえてはいるし解説も分かりやすいのだが、その分覚えなければならないことが多いのだ。その上傍らにいるアメーリアが抱き着いてきていることで腕に柔らかい感触と彼女の暖かさが伝わってくる。これに緊張せずにいろと言うのはある種の拷問なのではないかともグラジオは思う。
「ところでアメーリア? なぜ貴女までここに? 少なくともこの程度の事はすでに理解できているでしょう?」
「……復習のためです。グラジオ君とリリアーナ姉様が二人きりになっているのが気になったとかではありませんから」
「……復習のためです。グラジオ君とリリアーナ姉様が二人きりになっているのが気になったとかではありませんから」
と頬を膨らませながらアメーリアはさらにグラジオの腕に絡みつく。彼は赤面し更に身を強張らせる。とは言えグラジオが理解できない箇所の補足や噛み砕いた解説等をしてくれるためリリアーナとしては助かるのだが。私情込みでこの場に乱入してきたことにリリアーナは苦笑とも愉快ともとれるような笑みを浮かべつつ続けることとする。グラジオには自分の言葉の責任を果たしてもらう必要がある。それにカルロからはグラジオへの干渉についてはお目こぼしするとの言質も取っている。自分が屋敷から離れなければならなかったり忙しくなったとしてもすでに代わりに教鞭をとることのできる者達を事前に買収している。アメーリアも少なくとも邪魔するようなことはしてきていないしむしろ助かってもいるため支障はなかった。
いずれアメーリアの世話はグラジオの仕事ではなく義務になる日が来る。グラジオ自身が折れない限り、ガスペリ家に認められばそうなる未来は確実に訪れるのだから。
――――――これからが大変ですよ? グラジオを見てそんなことを思いながらリリアーナはグラジオの教育を続けるのだった。
いずれアメーリアの世話はグラジオの仕事ではなく義務になる日が来る。グラジオ自身が折れない限り、ガスペリ家に認められばそうなる未来は確実に訪れるのだから。
――――――これからが大変ですよ? グラジオを見てそんなことを思いながらリリアーナはグラジオの教育を続けるのだった。