コンサートツアー熱風
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概要
『コンサートツアー 熱風』は、チャゲ&飛鳥が1981年3月から8月にかけて開催した全国コンサートツアー。
1981年2月25日に発売されたセカンドアルバム『熱風』を携え、同年3月19日の神奈川県立青少年センター公演から、8月21日の那覇市民会館公演まで、全国57か所で全59公演が行われた。
前年の『旅立ちコンサート』が全国12か所12公演だったのに対し、本ツアーでは約5か月にわたって北海道から沖縄までを巡り、公演規模を大幅に拡大した。
当時の資料では「全国約60会場」「全国60数か所」「60本ツアー」など、概数でも紹介されている。
総動員数は10万人を超え、アルバム『熱風』もヒットチャートで1位を記録した。
バックバンドは、チャゲ&飛鳥の初期のライブとレコーディングを支えた火魔神。
アルバム『熱風』は、レコードとして聴かせるだけでなく、火魔神と一体になったコンサートを強く意識して制作された作品で、本ツアーでは叙情的な楽曲に加え、ロック色の強いバンドサウンドが展開された。
前年の学園祭ツアーではアンコールで演奏されていた「翼」は、本ツアーではオープニング曲として使用された。
ASKAは後年、1981年の『熱風』期について、チャゲ&飛鳥がプロとして本格的に走り出すことができた時期だったという趣旨で振り返っている。
ツアー最終日の沖縄公演では、約5か月に及んだ長期ツアーを完走し、自分たちが時間をかけて作ってきたものが観客へ受け入れられたという、強い手応えを得た。
1981年2月25日に発売されたセカンドアルバム『熱風』を携え、同年3月19日の神奈川県立青少年センター公演から、8月21日の那覇市民会館公演まで、全国57か所で全59公演が行われた。
前年の『旅立ちコンサート』が全国12か所12公演だったのに対し、本ツアーでは約5か月にわたって北海道から沖縄までを巡り、公演規模を大幅に拡大した。
当時の資料では「全国約60会場」「全国60数か所」「60本ツアー」など、概数でも紹介されている。
総動員数は10万人を超え、アルバム『熱風』もヒットチャートで1位を記録した。
バックバンドは、チャゲ&飛鳥の初期のライブとレコーディングを支えた火魔神。
アルバム『熱風』は、レコードとして聴かせるだけでなく、火魔神と一体になったコンサートを強く意識して制作された作品で、本ツアーでは叙情的な楽曲に加え、ロック色の強いバンドサウンドが展開された。
前年の学園祭ツアーではアンコールで演奏されていた「翼」は、本ツアーではオープニング曲として使用された。
ASKAは後年、1981年の『熱風』期について、チャゲ&飛鳥がプロとして本格的に走り出すことができた時期だったという趣旨で振り返っている。
ツアー最終日の沖縄公演では、約5か月に及んだ長期ツアーを完走し、自分たちが時間をかけて作ってきたものが観客へ受け入れられたという、強い手応えを得た。
ツアーデータ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ツアー名 | コンサートツアー 熱風 |
| 出演 | チャゲ&飛鳥 |
| 開催期間 | 1981年3月19日~8月21日 |
| 公演数 | 全59公演 |
| 開催地数 | 全国57か所 |
| 初日 | 神奈川県立青少年センター |
| 最終日 | 那覇市民会館 |
| 総動員数 | 10万人以上 |
| 関連アルバム | 熱風 |
| バックバンド | 火魔神 |
開催日程
| 日程 | 会場 | 開催地 | 備考 | 公演番号 |
|---|---|---|---|---|
| 1981年3月19日(木) | 神奈川県立青少年センター | 神奈川県 | ツアー初日 | 29 |
| 1981年3月24日(火) | 三島市公会堂 | 静岡県 | 30 | |
| 1981年3月25日(水) | 藤沢市民会館 | 神奈川県 | 31 | |
| 1981年3月27日(金) | 神奈川県立青少年センター | 神奈川県 | 32 | |
| 1981年3月30日(月) | 愛知勤労会館 | 愛知県 | 33 | |
| 1981年4月1日(水) | 高知県民文化ホール | 高知県 | 34 | |
| 1981年4月2日(木) | 松山市民会館 | 愛媛県 | 35 | |
| 1981年4月4日(土) | 水戸市民会館 | 茨城県 | 36 | |
| 1981年4月6日(月) | 栃木会館 | 栃木県 | 37 | |
| 1981年4月7日(火) | 静岡市民文化会館 | 静岡県 | 38 | |
| 1981年4月11日(土) | 大宮市民会館 | 埼玉県 | 39 | |
| 1981年4月12日(日) | 千葉市民会館 | 千葉県 | 40 | |
| 1981年4月16日(木) | 佐賀市民会館 | 佐賀県 | 41 | |
| 1981年4月17日(金) | 佐世保市民会館 | 長崎県 | 42 | |
| 1981年4月18日(土) | 唐津市文化会館 | 佐賀県 | 43 | |
| 1981年4月20日(月) | 都城市民会館 | 宮崎県 | 44 | |
| 1981年4月21日(火) | 大分県立芸術会館 | 大分県 | 45 | |
| 1981年4月23日(木) | 大阪厚生年金会館 中ホール | 大阪府 | 46 | |
| 1981年4月24日(金) | 大阪厚生年金会館 中ホール | 大阪府 | 47 | |
| 1981年5月12日(火) | 横手市民会館 | 秋田県 | 48 | |
| 1981年5月13日(水) | 八戸市公会堂 | 青森県 | 49 | |
| 1981年5月15日(金) | 青森市民会館 | 青森県 | 50 | |
| 1981年5月16日(土) | 秋田市文化会館 | 秋田県 | 51 | |
| 1981年5月19日(火) | 福岡市民会館 | 福岡県 | 52 | |
| 1981年5月21日(木) | 長崎市公会堂 | 長崎県 | 53 | |
| 1981年5月22日(金) | 小倉市民会館 | 福岡県 | 54 | |
| 1981年5月23日(土) | 熊本市民会館 | 熊本県 | 55 | |
| 1981年5月27日(水) | 札幌厚生年金会館 | 北海道 | 56 | |
| 1981年5月28日(木) | 旭川公会堂 | 北海道 | 57 | |
| 1981年6月4日(木) | 島根県民会館 | 島根県 | 58 | |
| 1981年6月6日(土) | 広島郵便貯金ホール | 広島県 | 59 | |
| 1981年6月7日(日) | 倉敷市民会館 | 岡山県 | 60 | |
| 1981年6月8日(月) | 山口市民会館 | 山口県 | 61 | |
| 1981年6月10日(水) | 岐阜市民会館 | 岐阜県 | 62 | |
| 1981年6月11日(木) | 四日市市民会館 | 三重県 | 63 | |
| 1981年6月12日(金) | 京都会館 第一ホール | 京都府 | 64 | |
| 1981年6月15日(月) | 渋谷公会堂 | 東京都 | 65 | |
| 1981年6月17日(水) | 群馬県民会館 | 群馬県 | 66 | |
| 1981年6月18日(木) | 柏崎市民会館 | 新潟県 | 67 | |
| 1981年6月22日(月) | 仙台市民会館 | 宮城県 | 68 | |
| 1981年6月24日(水) | 岩手県民会館 | 岩手県 | 69 | |
| 1981年6月26日(金) | 郡山市民会館 | 福島県 | 70 | |
| 1981年6月29日(月) | 金沢観光会館 | 石川県 | 71 | |
| 1981年6月30日(火) | 富山県民会館 | 富山県 | 72 | |
| 1981年7月1日(水) | 新潟県民会館 | 新潟県 | 73 | |
| 1981年7月4日(土) | 大津市民会館 | 滋賀県 | 74 | |
| 1981年7月6日(月) | 松本市民会館 | 長野県 | 75 | |
| 1981年7月7日(火) | 長野市民会館 | 長野県 | 76 | |
| 1981年7月9日(木) | 相模原市民会館 | 神奈川県 | 77 | |
| 1981年7月18日(土) | 熊谷会館 | 埼玉県 | 78 | |
| 1981年7月22日(水) | 川崎産業会館 | 神奈川県 | 79 | |
| 1981年7月25日(土) | 浜松市民会館 | 静岡県 | 80 | |
| 1981年7月27日(月) | 福井市民会館 | 福井県 | 81 | |
| 1981年7月29日(水) | 萩市民会館 | 山口県 | 82 | |
| 1981年8月15日(土) | 川内市民会館 | 鹿児島県 | 83 | |
| 1981年8月17日(月) | 中津市民会館 | 大分県 | 84 | |
| 1981年8月18日(火) | 宮崎市民会館 | 宮崎県 | 85 | |
| 1981年8月19日(水) | 鹿児島文化センター | 鹿児島県 | 86 | |
| 1981年8月21日(金) | 沖縄県労働福祉会館 | 沖縄県 | ツアー最終公演 | 87 |
セットリスト
1981年3月19日 神奈川県立青少年センター(神奈川県)
ツアー実現まで
マネージャーの渡辺徹二は、前年の『旅立ちコンサート』で得た観客動員の実績を基に、1981年に約半年間で60公演を行う全国ツアーを構想した。
しかし、当時のチャゲ&飛鳥には、長期間の全国ツアーを支えられるほどの大ヒット曲がまだ存在していなかった。
全国のイベンターを集めた会議では、新人アーティストが半年間に約60公演を行うのはリスクが大きく、無謀ではないかという慎重な意見が出た。
『旅立ちコンサート』の動員実績を評価する声はあったものの、当初は十分な賛同を得ることができなかった。
その後、1980年秋の学園祭ツアーを巡る中で「万里の河」の反響が広がると、各地のイベンターから公演開催の問い合わせが相次いだ。
渡辺は各地からの問い合わせをもとに公演日程を増やし、最終的に全国57か所59公演の長期ツアーを実現した。
本ツアーは、人気の上昇によって自然に成立したものではなく、『旅立ちコンサート』の実績、学園祭ツアーでの反応、「万里の河」のヒット、関係者による交渉が重なって実現したツアーだった。
しかし、当時のチャゲ&飛鳥には、長期間の全国ツアーを支えられるほどの大ヒット曲がまだ存在していなかった。
全国のイベンターを集めた会議では、新人アーティストが半年間に約60公演を行うのはリスクが大きく、無謀ではないかという慎重な意見が出た。
『旅立ちコンサート』の動員実績を評価する声はあったものの、当初は十分な賛同を得ることができなかった。
その後、1980年秋の学園祭ツアーを巡る中で「万里の河」の反響が広がると、各地のイベンターから公演開催の問い合わせが相次いだ。
渡辺は各地からの問い合わせをもとに公演日程を増やし、最終的に全国57か所59公演の長期ツアーを実現した。
本ツアーは、人気の上昇によって自然に成立したものではなく、『旅立ちコンサート』の実績、学園祭ツアーでの反応、「万里の河」のヒット、関係者による交渉が重なって実現したツアーだった。
初の本格的な長期ツアー
チャゲ&飛鳥にとって、本ツアーは初めて経験する本格的な長期全国ツアーだった。
前年の『旅立ちコンサート』は全国12か所12公演だったが、本ツアーでは全59公演へと大幅に規模を拡大した。
約5か月の間、北海道から沖縄まで全国各地を移動しながら公演を重ねた。
会場ごとに音響、舞台、観客の反応が異なる中で、チャゲと飛鳥は歌唱、MC、ステージ上での動き、観客との呼吸を身につけていった。
後年、ASKAは1981年の『熱風』期について、チャゲ&飛鳥がプロとして本格的に走り出すことができた時期だったという趣旨で振り返っている。
本ツアーは、二人が全国規模のライブアーティストとして活動を開始した転換点となった。
前年の『旅立ちコンサート』は全国12か所12公演だったが、本ツアーでは全59公演へと大幅に規模を拡大した。
約5か月の間、北海道から沖縄まで全国各地を移動しながら公演を重ねた。
会場ごとに音響、舞台、観客の反応が異なる中で、チャゲと飛鳥は歌唱、MC、ステージ上での動き、観客との呼吸を身につけていった。
後年、ASKAは1981年の『熱風』期について、チャゲ&飛鳥がプロとして本格的に走り出すことができた時期だったという趣旨で振り返っている。
本ツアーは、二人が全国規模のライブアーティストとして活動を開始した転換点となった。
アルバム『熱風』
セカンドアルバム『熱風』は、1981年2月25日に発売された。
制作には、前年の『旅立ちコンサート』と学園祭ツアーで得た経験が反映されている。
チャゲはアルバム発売時のインタビューで、『風舞』が座ってじっくり聴く作品であるなら、『熱風』は聴いた人がコンサートへ行きたくなるような作品を目指したという趣旨で説明している。
飛鳥も、『風舞』で表現しきれなかった方向を伸ばし、ライブでの姿を想像できるアルバムを作ろうとしたと語っている。
チャゲ&飛鳥には、デビュー曲「ひとり咲き」や「万里の河」などから、叙情的なフォークデュオという印象が定着していた。
『熱風』では、その印象だけに収まらない、ハードでロック色の強い音楽性を提示した。
チャゲは、火魔神による激しいロックサウンドの中でも、チャゲ&飛鳥の歌は埋もれずに伝わるという趣旨で語っている。
また、アルバムを聴いてコンサートへ来れば、チャゲ&飛鳥と火魔神が一体となって燃えている姿が分かるとも説明している。
アルバム『熱風』はヒットチャートで1位を記録し、「万里の河」のヒットに続いて、チャゲ&飛鳥の人気を全国へ広げる作品となった。
制作には、前年の『旅立ちコンサート』と学園祭ツアーで得た経験が反映されている。
チャゲはアルバム発売時のインタビューで、『風舞』が座ってじっくり聴く作品であるなら、『熱風』は聴いた人がコンサートへ行きたくなるような作品を目指したという趣旨で説明している。
飛鳥も、『風舞』で表現しきれなかった方向を伸ばし、ライブでの姿を想像できるアルバムを作ろうとしたと語っている。
チャゲ&飛鳥には、デビュー曲「ひとり咲き」や「万里の河」などから、叙情的なフォークデュオという印象が定着していた。
『熱風』では、その印象だけに収まらない、ハードでロック色の強い音楽性を提示した。
チャゲは、火魔神による激しいロックサウンドの中でも、チャゲ&飛鳥の歌は埋もれずに伝わるという趣旨で語っている。
また、アルバムを聴いてコンサートへ来れば、チャゲ&飛鳥と火魔神が一体となって燃えている姿が分かるとも説明している。
アルバム『熱風』はヒットチャートで1位を記録し、「万里の河」のヒットに続いて、チャゲ&飛鳥の人気を全国へ広げる作品となった。
バックバンド・火魔神
本ツアーのバックバンドは、チャゲ&飛鳥の初期活動を支えた火魔神。
火魔神はライブだけでなく、当時のレコーディングにも参加し、チャゲ&飛鳥の初期サウンドを支えた。
前年の『旅立ちコンサート』と学園祭ツアーを通して、チャゲ&飛鳥と火魔神は演奏を重ねていた。
本ツアーでは、その関係を基礎として、アルバム『熱風』のロック色の強い楽曲をステージ上で展開した。
チャゲと飛鳥の歌唱、ギター、ハーモニーに、火魔神のリズムとバンドサウンドが加わることで、レコードとは異なるライブの熱量が生まれた。
アルバム『熱風』と本ツアーは、チャゲ&飛鳥と火魔神が一体となった初期のバンドスタイルを象徴する活動となった。
ドラムスの今泉正義(サンダー今泉)、ピアノの平野孝幸(タコ平野)、ギターの大平彰彦(たんぽぽ大平)は引き続き参加。一方で、ベースは久末隆司(ドラゴン久末)から後藤正和(チビタ後藤)へ、キーボードは松井健(ケンパス松井)から松井秀樹(カリグラ松井)へ交代している。
火魔神はライブだけでなく、当時のレコーディングにも参加し、チャゲ&飛鳥の初期サウンドを支えた。
前年の『旅立ちコンサート』と学園祭ツアーを通して、チャゲ&飛鳥と火魔神は演奏を重ねていた。
本ツアーでは、その関係を基礎として、アルバム『熱風』のロック色の強い楽曲をステージ上で展開した。
チャゲと飛鳥の歌唱、ギター、ハーモニーに、火魔神のリズムとバンドサウンドが加わることで、レコードとは異なるライブの熱量が生まれた。
アルバム『熱風』と本ツアーは、チャゲ&飛鳥と火魔神が一体となった初期のバンドスタイルを象徴する活動となった。
ドラムスの今泉正義(サンダー今泉)、ピアノの平野孝幸(タコ平野)、ギターの大平彰彦(たんぽぽ大平)は引き続き参加。一方で、ベースは久末隆司(ドラゴン久末)から後藤正和(チビタ後藤)へ、キーボードは松井健(ケンパス松井)から松井秀樹(カリグラ松井)へ交代している。
| 担当 | メンバー |
|---|---|
| ドラムス | 今泉正義(サンダー今泉) |
| ピアノ | 平野孝幸(タコ平野) |
| ギター | 大平彰彦(タンポポ大平) |
| ベース | 後藤真和(チビ太後藤) |
| キーボード | 松井朋巳(カリギュラ松井) |
オープニング曲「翼」
「翼」は、前年の学園祭ツアーでアンコールに演奏されていた楽曲。
学園祭での演奏を経て、1981年2月25日発売のアルバム『熱風』へ収録された。
当時の記事では、本ツアーの通常公演において「翼」がオープニング曲として使用されていたことが記録されている。
ハードでスピード感のある「翼」を公演冒頭へ置くことで、従来の叙情的なイメージとは異なる、火魔神と一体になった力強いバンドステージを最初から提示した。
参考として掲載している1981年3月19日公演のセットリストでも、「翼」が1曲目に配置されている。
同セットリストでは、公演後半の「悲炎」に続いて「翼」が再び演奏されたとされる。
学園祭での演奏を経て、1981年2月25日発売のアルバム『熱風』へ収録された。
当時の記事では、本ツアーの通常公演において「翼」がオープニング曲として使用されていたことが記録されている。
ハードでスピード感のある「翼」を公演冒頭へ置くことで、従来の叙情的なイメージとは異なる、火魔神と一体になった力強いバンドステージを最初から提示した。
参考として掲載している1981年3月19日公演のセットリストでも、「翼」が1曲目に配置されている。
同セットリストでは、公演後半の「悲炎」に続いて「翼」が再び演奏されたとされる。
「悲炎」
「悲炎」は、飛鳥が作詞・作曲を手掛け、アルバム『熱風』へ収録された楽曲。
当時の記事では、通常の『熱風』ツアーにおけるラストナンバーとして紹介されている。
飛鳥の歌唱と火魔神の演奏によって、公演終盤のクライマックスを作る楽曲となった。
ただし、全59公演で必ず最後に演奏されたと断定できる資料は確認されていない。
参考として掲載している1981年3月19日公演のセットリストでは、「悲炎」の後に「翼」が続き、さらに「放浪人(TABIBITO)」「歌いつづける」が演奏されたとされる。
公演時期や会場によって、「悲炎」の配置や、その後に演奏される楽曲が変更された可能性がある。
当時の記事では、通常の『熱風』ツアーにおけるラストナンバーとして紹介されている。
飛鳥の歌唱と火魔神の演奏によって、公演終盤のクライマックスを作る楽曲となった。
ただし、全59公演で必ず最後に演奏されたと断定できる資料は確認されていない。
参考として掲載している1981年3月19日公演のセットリストでは、「悲炎」の後に「翼」が続き、さらに「放浪人(TABIBITO)」「歌いつづける」が演奏されたとされる。
公演時期や会場によって、「悲炎」の配置や、その後に演奏される楽曲が変更された可能性がある。
THE夏祭り'81
1981年8月1日、東京・田園コロシアムで単独野外コンサート『THE夏祭り'81』が開催された。
同公演は本ツアーの通常日程には含まれない別公演だが、全国約60か所を巡ってきたツアーの成果を示す「総決算」として位置づけられた。
全国各地から約6,000人の観客が集まり、田園コロシアムで初めて開催されたコンサートとされる。
チャゲは「熱風」の演奏前、この公演を全国ツアーの総決算にするという趣旨を観客へ語った。
飛鳥も終演後、長いツアー自体はまだ終了していないものの、ひとつの区切りとして良いコンサートを作ることができたと振り返っている。
本公演後も通常ツアーは続き、8月21日の沖縄公演で全日程を終了した。
公演の詳細、セットリスト、特殊演出、スペシャルゲストについては『THE夏祭り'81』を参照。
同公演は本ツアーの通常日程には含まれない別公演だが、全国約60か所を巡ってきたツアーの成果を示す「総決算」として位置づけられた。
全国各地から約6,000人の観客が集まり、田園コロシアムで初めて開催されたコンサートとされる。
チャゲは「熱風」の演奏前、この公演を全国ツアーの総決算にするという趣旨を観客へ語った。
飛鳥も終演後、長いツアー自体はまだ終了していないものの、ひとつの区切りとして良いコンサートを作ることができたと振り返っている。
本公演後も通常ツアーは続き、8月21日の沖縄公演で全日程を終了した。
公演の詳細、セットリスト、特殊演出、スペシャルゲストについては『THE夏祭り'81』を参照。
沖縄でのツアーファイナル
1981年8月21日、那覇市民会館でツアー最終公演が開催された。
約5か月にわたり全国を巡ってきたチャゲ&飛鳥、火魔神、スタッフにとって、長期ツアーを締めくくる公演となった。
飛鳥は後年、全国約60公演に及ぶ初めての長期ツアーを完走し、自分たちが長い時間をかけて作ってきたものが、観客に受け入れられたと実感したという趣旨で振り返っている。
チャゲは、普段のステージでは熱唱後に倒れ込む演出を行っていたが、沖縄公演では実際に力を使い果たして倒れたと回想している。
最終公演には、長期間ツアーを支えてきたスタッフの家族も沖縄まで駆けつけ、ツアー完走を祝った。
出演者とスタッフは、全国各地を巡った時間と経験を共有しながら、最終公演を迎えた。
約5か月にわたり全国を巡ってきたチャゲ&飛鳥、火魔神、スタッフにとって、長期ツアーを締めくくる公演となった。
飛鳥は後年、全国約60公演に及ぶ初めての長期ツアーを完走し、自分たちが長い時間をかけて作ってきたものが、観客に受け入れられたと実感したという趣旨で振り返っている。
チャゲは、普段のステージでは熱唱後に倒れ込む演出を行っていたが、沖縄公演では実際に力を使い果たして倒れたと回想している。
最終公演には、長期間ツアーを支えてきたスタッフの家族も沖縄まで駆けつけ、ツアー完走を祝った。
出演者とスタッフは、全国各地を巡った時間と経験を共有しながら、最終公演を迎えた。
ツアー終了後
沖縄公演終了後には、出演者とスタッフによる大規模な打ち上げが行われた。
チャゲは、貸し切りのディスコで、長期ツアーを終えた解放感に包まれながら盛り上がったと振り返っている。
当時の記事では、ツアー終了後、二人は長期ツアーの疲れを取るために休養し、その後、新しいアルバムの制作へ入る予定と伝えられた。
1981年9月10日には、田園コロシアム公演を収録したライブアルバム『ライブ・イン田園コロシアム~The夏祭り'81』が発売された。
同年10月25日にはシングル「男と女」を発売。
その後、学園祭コンサート、コッキーコンサートを経て、1982年2月14日にサードアルバム『黄昏の騎士』を発売した。
チャゲは、貸し切りのディスコで、長期ツアーを終えた解放感に包まれながら盛り上がったと振り返っている。
当時の記事では、ツアー終了後、二人は長期ツアーの疲れを取るために休養し、その後、新しいアルバムの制作へ入る予定と伝えられた。
1981年9月10日には、田園コロシアム公演を収録したライブアルバム『ライブ・イン田園コロシアム~The夏祭り'81』が発売された。
同年10月25日にはシングル「男と女」を発売。
その後、学園祭コンサート、コッキーコンサートを経て、1982年2月14日にサードアルバム『黄昏の騎士』を発売した。
ツアーの位置づけ
『旅立ちコンサート』では、自分たちの活動の中心をライブへ置くという方向が定まり、続く学園祭ツアーでは、観客と向き合いながらステージを作る面白さを実感した。
本ツアーでは、それまでの経験を全国57か所59公演という長期日程の中で実践した。
アルバム『熱風』のヒット、10万人を超える観客動員、火魔神とのバンドステージ、田園コロシアムでの野外公演、沖縄でのツアーファイナルを通じて、チャゲ&飛鳥は全国規模のライブアーティストとしての基礎を築いた。
ASKAは後年、この時期を、二人がプロとして走り出すことができた時期だったと振り返っている。
本ツアーは、チャゲ&飛鳥の初期ライブ活動における大きな転換点となった。
本ツアーでは、それまでの経験を全国57か所59公演という長期日程の中で実践した。
アルバム『熱風』のヒット、10万人を超える観客動員、火魔神とのバンドステージ、田園コロシアムでの野外公演、沖縄でのツアーファイナルを通じて、チャゲ&飛鳥は全国規模のライブアーティストとしての基礎を築いた。
ASKAは後年、この時期を、二人がプロとして走り出すことができた時期だったと振り返っている。
本ツアーは、チャゲ&飛鳥の初期ライブ活動における大きな転換点となった。
備考
- 1981年3月19日の神奈川県立青少年センター公演のセットリストは、LiveFansのユーザー投稿情報を参考にしている。
- ツアー最終公演は、公式HISTORYでは那覇市民会館と記録されている。
- 当時の記事には、那覇市民会館の工事に伴い、沖縄県労働福祉会館へ変更するとした記述もあり、資料間に相違がある。
- 本ページの日程表および本文では、公式HISTORYの那覇市民会館を採用している。
- スタッフから、ツアーで巡った公演地を記した日本地図入りの記念Tシャツが贈られた。









