学園祭ツアー
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概要
『学園祭ツアー』は、チャゲ&飛鳥が1980年10月から11月にかけて開催した学園祭コンサートツアー。
CHAGE and ASKA公式HISTORYでは、『学園祭コンサート』の名称で記録されている。
1980年10月17日の東北学院大学公演を皮切りに、同年11月28日の中央大学公演まで、全国16か所で全16公演が行われた。
同年5月から9月にかけて開催された初の全国ツアー『旅立ちコンサート』に続くツアーで、大学や短期大学の学園祭を約1か月半にわたって巡った。
全国から出演依頼が寄せられ、その中でも女子大学や女子短期大学からの依頼が多かったことから、関係者の間では「女子大ツアー」とも呼ばれていた。
ツアー初日の東北学院大学公演は、「’80六軒丁祭」の前夜祭として開催された。同公演では、ステージ前半をチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半からバックバンドの火魔神が加わった。
終演後も拍手が鳴りやまず、当時の二人にとって初めてとなる2度目のアンコールが行われた。
本ツアー開始直前の1980年9月25日には、シングル「万里の河」が発売された。当初は静かな動きだったが、学園祭ツアーを巡るうちに反響が広がり、ツアー終盤にはテレビ出演の依頼が届くようになった。
チャゲは後年、本ツアーを通して、初めてコンサートの面白さを実感したという趣旨で振り返っている。
学園祭公演で得た反応と「万里の河」のヒットは、翌1981年の長期全国ツアー『コンサートツアー 熱風』を実現する大きな要因となった。
CHAGE and ASKA公式HISTORYでは、『学園祭コンサート』の名称で記録されている。
1980年10月17日の東北学院大学公演を皮切りに、同年11月28日の中央大学公演まで、全国16か所で全16公演が行われた。
同年5月から9月にかけて開催された初の全国ツアー『旅立ちコンサート』に続くツアーで、大学や短期大学の学園祭を約1か月半にわたって巡った。
全国から出演依頼が寄せられ、その中でも女子大学や女子短期大学からの依頼が多かったことから、関係者の間では「女子大ツアー」とも呼ばれていた。
ツアー初日の東北学院大学公演は、「’80六軒丁祭」の前夜祭として開催された。同公演では、ステージ前半をチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半からバックバンドの火魔神が加わった。
終演後も拍手が鳴りやまず、当時の二人にとって初めてとなる2度目のアンコールが行われた。
本ツアー開始直前の1980年9月25日には、シングル「万里の河」が発売された。当初は静かな動きだったが、学園祭ツアーを巡るうちに反響が広がり、ツアー終盤にはテレビ出演の依頼が届くようになった。
チャゲは後年、本ツアーを通して、初めてコンサートの面白さを実感したという趣旨で振り返っている。
学園祭公演で得た反応と「万里の河」のヒットは、翌1981年の長期全国ツアー『コンサートツアー 熱風』を実現する大きな要因となった。
ツアーデータ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ツアー名 | 学園祭ツアー |
| 公式HISTORY上の名称 | 学園祭コンサート |
| 出演 | チャゲ&飛鳥 |
| 開催期間 | 1980年10月17日~11月28日 |
| 公演数 | 全16公演 |
| 開催地数 | 全国16か所 |
| 初日 | 東北学院大学 |
| 最終日 | 中央大学 |
| 公演形態 | 学園祭コンサートツアー |
| バックバンド | 火魔神 |
| 確認できる演奏曲 | 翼 |
開催日程
| 日程 | 会場 | 開催地 | 備考 | 公演番号 |
|---|---|---|---|---|
| 1980年10月17日(金) | 東北学院大学 | 宮城県 | ツアー初日/「’80六軒丁祭」前夜祭 | 13 |
| 1980年10月19日(日) | 上智短期大学 | 神奈川県 | 14 | |
| 1980年10月21日(火) | 大妻女子大学 | 東京都 | 15 | |
| 1980年10月25日(土) | 甲南女子大学 | 兵庫県 | 16 | |
| 1980年10月26日(日) | 長崎総合科学大学 | 長崎県 | 17 | |
| 1980年10月31日(金) | 福岡工業大学 | 福岡県 | 18 | |
| 1980年11月2日(日) | 九州女子大学 | 福岡県 | 19 | |
| 1980年11月3日(月・祝) | 山口女子大学 | 山口県 | 20 | |
| 1980年11月6日(木) | 鹿児島経済大学 | 鹿児島県 | 21 | |
| 1980年11月7日(金) | 共立薬科大学 | 東京都 | 22 | |
| 1980年11月8日(土) | 中京女子大学 | 愛知県 | 23 | |
| 1980年11月12日(水) | 広島文化女子短期大学 | 広島県 | 24 | |
| 1980年11月19日(水) | 松山商科大学 | 愛媛県 | 25 | |
| 1980年11月20日(木) | 高知大学 | 高知県 | 26 | |
| 1980年11月24日(月・振休) | 幾徳工業大学 | 神奈川県 | 27 | |
| 1980年11月28日(金) | 中央大学 | 東京都 | ツアー最終日 | 28 |
確認できる演奏曲
本ツアーの公演ごとの完全なセットリストおよび曲順は、現在のところ確認できていない。
ツアーの位置づけ
チャゲ&飛鳥は、1979年8月25日に「ひとり咲き」でレコードデビューした。
1980年4月25日にファーストアルバム『風舞』を発売し、同年5月から9月にかけて、初の全国ツアー『旅立ちコンサート』を開催した。
『旅立ちコンサート』の時期、飛鳥は自分たちにはステージしかないと考えるようになった一方、当時は、その意識に実際の技術や身体が十分には追いついていなかったと振り返っている。
その直後に行われた本ツアーでは、約1か月半の間に全国16校を巡り、学生を中心とする観客を前に公演を重ねた。
チャゲは後年、学園祭ツアーで初めてコンサートの面白さを実感し、通常のホール公演よりものびのびとステージを行えたという趣旨で語っている。
学校ごとに異なる雰囲気の中で観客と向き合い、歌唱、演奏、MCを重ねたことによって、ライブを活動の中心にするという意識が、実際のステージ経験へ結びついていった。
1980年4月25日にファーストアルバム『風舞』を発売し、同年5月から9月にかけて、初の全国ツアー『旅立ちコンサート』を開催した。
『旅立ちコンサート』の時期、飛鳥は自分たちにはステージしかないと考えるようになった一方、当時は、その意識に実際の技術や身体が十分には追いついていなかったと振り返っている。
その直後に行われた本ツアーでは、約1か月半の間に全国16校を巡り、学生を中心とする観客を前に公演を重ねた。
チャゲは後年、学園祭ツアーで初めてコンサートの面白さを実感し、通常のホール公演よりものびのびとステージを行えたという趣旨で語っている。
学校ごとに異なる雰囲気の中で観客と向き合い、歌唱、演奏、MCを重ねたことによって、ライブを活動の中心にするという意識が、実際のステージ経験へ結びついていった。
「女子大ツアー」
本ツアーには全国から多くの出演依頼が寄せられ、その中でも女子大学や女子短期大学からの依頼が多かった。
そのため、関係者の間では「女子大ツアー」とも呼ばれていた。
実際の日程にも、大妻女子大学、甲南女子大学、九州女子大学、山口女子大学、中京女子大学、広島文化女子短期大学など、複数の女子大学・女子短期大学が含まれている。
当時のチャゲと飛鳥は、デビュー後も大学に在籍しており、学生と年齢の近いアーティストだった。
同世代を中心とする観客を前に、楽曲だけでなく、二人の会話や即興的なやり取りを交えながら各地の学生を盛り上げていった。
そのため、関係者の間では「女子大ツアー」とも呼ばれていた。
実際の日程にも、大妻女子大学、甲南女子大学、九州女子大学、山口女子大学、中京女子大学、広島文化女子短期大学など、複数の女子大学・女子短期大学が含まれている。
当時のチャゲと飛鳥は、デビュー後も大学に在籍しており、学生と年齢の近いアーティストだった。
同世代を中心とする観客を前に、楽曲だけでなく、二人の会話や即興的なやり取りを交えながら各地の学生を盛り上げていった。
東北学院大学公演
1980年10月17日、ツアー初日公演が宮城県の東北学院大学で開催された。
同公演は、東北学院大学「’80六軒丁祭」の前夜祭として行われた。
当時の六軒丁祭では、次のスローガンが掲げられていた。
「走れ!黎明の荒野を、侵蝕の闇を突き抜け、内なる団結の創出を!」
チャゲと飛鳥は、午後3時30分から予定されていたリハーサルに備え、午後3時を少し過ぎた頃に大学構内へ入った。
構内では、翌日からの本祭に向けて学生たちが準備を進めていた。
当時のチャゲと飛鳥も大学生であり、準備を続ける学生たちを懐かしそうに眺めていたという。
ステージ前半はチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半からバックバンドの火魔神が加わった。
終演後も観客の拍手は鳴りやまず、アンコール終了後にも拍手が続いたため、さらに2度目のアンコールが行われた。
当時のチャゲ&飛鳥にとって、2度のアンコールへ応えたのは、この公演が初めてだったとされる。
同公演は、東北学院大学「’80六軒丁祭」の前夜祭として行われた。
当時の六軒丁祭では、次のスローガンが掲げられていた。
「走れ!黎明の荒野を、侵蝕の闇を突き抜け、内なる団結の創出を!」
チャゲと飛鳥は、午後3時30分から予定されていたリハーサルに備え、午後3時を少し過ぎた頃に大学構内へ入った。
構内では、翌日からの本祭に向けて学生たちが準備を進めていた。
当時のチャゲと飛鳥も大学生であり、準備を続ける学生たちを懐かしそうに眺めていたという。
ステージ前半はチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半からバックバンドの火魔神が加わった。
終演後も観客の拍手は鳴りやまず、アンコール終了後にも拍手が続いたため、さらに2度目のアンコールが行われた。
当時のチャゲ&飛鳥にとって、2度のアンコールへ応えたのは、この公演が初めてだったとされる。
公演データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催日 | 1980年10月17日 |
| 会場 | 東北学院大学 |
| 開催地 | 宮城県 |
| 学園祭名 | ’80六軒丁祭 |
| 公演形態 | 六軒丁祭前夜祭 |
| 位置づけ | 学園祭ツアー初日 |
| バックバンド | 火魔神 |
| アンコール | 2回 |
火魔神
本ツアーでは、チャゲ&飛鳥の初期のライブとレコーディングを支えたバックバンド「火魔神」が演奏に参加した。
確認できる東北学院大学公演では、ステージ前半をチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半から火魔神が加わった。
二人の歌と会話を中心とする前半から、火魔神を含む力強いバンド演奏へ展開することによって、公演後半の熱量を高めていった。
ただし、ほかの15公演についても、完全に同じ構成だったかどうかは確認できていない。
本ツアーで火魔神とともに演奏を重ねた経験は、翌年のアルバム『熱風』における、ライブ感とロック色を強めたサウンドへつながっていった。
確認できる東北学院大学公演では、ステージ前半をチャゲと飛鳥の二人を中心に進行し、後半から火魔神が加わった。
二人の歌と会話を中心とする前半から、火魔神を含む力強いバンド演奏へ展開することによって、公演後半の熱量を高めていった。
ただし、ほかの15公演についても、完全に同じ構成だったかどうかは確認できていない。
本ツアーで火魔神とともに演奏を重ねた経験は、翌年のアルバム『熱風』における、ライブ感とロック色を強めたサウンドへつながっていった。
「万里の河」のヒット
本ツアー開始前の1980年9月25日、サードシングル「万里の河」が発売された。
発売後の約2か月間は大きな動きを見せなかったが、チャゲ&飛鳥が学園祭ツアーを巡る中で、次第に反響が広がっていった。
ツアー終盤にはテレビ局から出演依頼が届き、同曲は12月18日に音楽ランキング番組へ8位で初登場した。
その後も翌1981年2月までランキング入りを続け、チャゲ&飛鳥にとって初の本格的なヒット曲となった。
「万里の河」の反響が大きくなるにつれて、学園祭会場に集まるファンの勢いも強まり、会場警備や二人の移動時の対応も変化していったという。
ツアー開始時には比較的簡素だった警備体制も、ツアー後半には強化する必要が生じた。
発売後の約2か月間は大きな動きを見せなかったが、チャゲ&飛鳥が学園祭ツアーを巡る中で、次第に反響が広がっていった。
ツアー終盤にはテレビ局から出演依頼が届き、同曲は12月18日に音楽ランキング番組へ8位で初登場した。
その後も翌1981年2月までランキング入りを続け、チャゲ&飛鳥にとって初の本格的なヒット曲となった。
「万里の河」の反響が大きくなるにつれて、学園祭会場に集まるファンの勢いも強まり、会場警備や二人の移動時の対応も変化していったという。
ツアー開始時には比較的簡素だった警備体制も、ツアー後半には強化する必要が生じた。
翌年の長期ツアーへ
マネージャーの渡辺徹二は、『旅立ちコンサート』で得た観客動員の実績を基に、1981年に約60公演の全国ツアーを行う構想を立てていた。
当初、全国のイベンターからは、大きなヒットを持たない新人アーティストが半年間の長期ツアーを行うのはリスクが高いという慎重な意見が出ていた。
しかし、本ツアーの終盤に「万里の河」がヒットの兆しを見せると、各地のイベンターから公演開催の問い合わせが相次ぐようになった。
学園祭ツアーで得た観客の反応と、「万里の河」のヒットが重なったことによって、翌1981年の『コンサートツアー 熱風』が具体化していった。
『コンサートツアー 熱風』は、公式記録で全国57か所59公演が行われ、10万人を超える観客を動員した。
本ツアーは、チャゲ&飛鳥がライブの面白さを実感した期間であると同時に、その後の本格的な長期全国ツアーを実現する転換点となった。
当初、全国のイベンターからは、大きなヒットを持たない新人アーティストが半年間の長期ツアーを行うのはリスクが高いという慎重な意見が出ていた。
しかし、本ツアーの終盤に「万里の河」がヒットの兆しを見せると、各地のイベンターから公演開催の問い合わせが相次ぐようになった。
学園祭ツアーで得た観客の反応と、「万里の河」のヒットが重なったことによって、翌1981年の『コンサートツアー 熱風』が具体化していった。
『コンサートツアー 熱風』は、公式記録で全国57か所59公演が行われ、10万人を超える観客を動員した。
本ツアーは、チャゲ&飛鳥がライブの面白さを実感した期間であると同時に、その後の本格的な長期全国ツアーを実現する転換点となった。
備考
- ツアーが11月に入る頃には、チャゲと飛鳥は学園祭独特の雰囲気にも慣れ、公演や待ち時間を楽しむようになっていた。
- 学園祭公演では、大学の小さな教室が控え室として使用されることが多かった。
- 音楽室、英語のランゲージ・ラボ、理科の実験準備室などが控え室として使われた。
- 理科の実験準備室が控え室になった際には、チャゲが白衣を着て教壇へ立ち、フラスコやビーカーを手にして遊んでいた。
- 東北学院大学では、男子学生による仮装行列も行われていた。
- 本ツアーでは、公演先のラジオ局を訪問する「ラジオ・ジャック」が企画された。
- 仙台では、東北放送の番組「A.M.O」を訪問した。
- 「翼」は、本ツアーのアンコールで演奏されていた。









