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旅立ちコンサート

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概要

『旅立ちコンサート』は、チャゲ&飛鳥が1980年5月から9月にかけて開催した、初の全国コンサートツアー。
1980年4月25日に発売されたファーストアルバム『風舞』を携え、同年5月27日の福岡市民会館公演から9月2日の岡山市民文化ホール公演まで、全国12か所で全12公演が行われた。
ツアー初日の福岡市民会館公演は、チャゲ&飛鳥にとって初の本格的なオフィシャルコンサートであり、最初のワンマンコンサートとして位置づけられている。
ステージでは『風舞』収録曲を中心に、デビュー曲「ひとり咲き」、セカンドシングル「流恋情歌」などを披露した。
開催前には、静岡県のつま恋でリハーサル合宿を実施。チャゲ&飛鳥とバックバンドの火魔神、舞台スタッフが、演奏、ステージ構成、演出を作り上げた。
当時から二人の歌唱力には定評があった一方、関係者が心配していたのは、ライブ中のMCだった。そのため、ツアー前には地元のラジオ番組を通じて、会話や話術の経験を積んだ。
舞台監督は大久保連。限られた舞台予算の中で、紗幕、スモーク、照明、雷鳴のSEを組み合わせたオープニングを考案し、新人アーティストの公演でありながら、通常の幕開けとは異なる演出を導入した。
後年、飛鳥は本ツアーの頃から、自分たちには「ステージしかない」と意識するようになったと振り返っている。
本ツアーで示した観客動員の実績は、翌1981年に行われた長期ツアー『コンサートツアー 熱風』を企画する根拠のひとつとなった。

ツアーデータ

項目 内容
ツアー名 旅立ちコンサート
公式表記 CHAGE and ASKA CONCERT TOUR『旅立ちコンサート』
出演 チャゲ&飛鳥
開催期間 1980年5月27日~9月2日
公演数 全12公演
開催地数 全国12か所
初日 福岡市民会館
最終日 岡山市民文化ホール
位置づけ 初の全国コンサートツアー
関連アルバム 風舞
バックバンド 火魔神
舞台監督 大久保連

開催日程

日程 会場 開催地 備考 公演番号
1980年5月27日(火) 福岡市民会館 福岡県 ツアー初日/初の全国コンサート・ツアー初日 1
1980年6月5日(木) 京都府会館 第二ホール 京都府 2
1980年6月26日(木) 大阪サンケイホール 大阪府 3
1980年7月16日(水) 東京郵便貯金ホール 東京都 4
1980年7月23日(水) 金沢市観光会館 石川県 5
1980年7月24日(木) 富山県民会館 富山県 6
1980年7月25日(金) 新潟県民会館 新潟県 7
1980年8月17日(日) 宇都宮市教育会館 栃木県 8
1980年8月18日(月) 浜松市民会館 静岡県 9
1980年8月19日(火) 大宮市民会館 埼玉県 10
1980年8月28日(木) 札幌市民会館 北海道 11
1980年9月2日(火) 岡山市民文化ホール 岡山県 ツアー最終日 12

セットリスト

1980年6月5日 京都府会館 第二ホール(京都府)

  1. 追想
  2. 私の愛した人
  3. この恋おいらのからまわり
  4. あとまわし
  5. 冬に置きざり
  6. 夢から夢へ
  7. 冬の夜
  8. 風舞
  9. ひとり咲き
  10. 御意見無用
  11. あばんぎゃるど
  12. 夏は過ぎて
  13. 流恋情歌
  14. 終章(エピローグ)~追想の主題
  15. 歌いつづける
確認できる1980年6月5日の京都府会館第二ホール公演の曲順を掲載している。
ほかの公演についても、すべて同じ曲目・曲順だったかは確認できていない。

初の全国コンサートツアー

チャゲ&飛鳥は、1979年8月25日に「ひとり咲き」でレコードデビューした。
1980年2月25日にセカンドシングル「流恋情歌」、同年4月25日にファーストアルバム『風舞』を発売した。
4月から5月にかけて、ファンクラブ発足記念のミニコンサートを全国5か所で開催した後、初の全国ツアーとなる『旅立ちコンサート』を開始した。
それ以前にもイベントや合同コンサートへの出演はあったが、本ツアーはチャゲ&飛鳥を中心に構成された、本格的なワンマンツアーだった。
故郷の福岡を皮切りに、京都、大阪、東京、北陸、関東、北海道、岡山を巡り、二人の歌唱力とステージ上の個性を各地の観客へ提示した。

つま恋でのリハーサル合宿

ツアーの開催に先立ち、チャゲ&飛鳥と関係者は、静岡県のつま恋で合宿を行った。
つま恋は、二人がポピュラーソングコンテストの本選会へ出場した、活動初期から縁の深い場所でもある。
合宿では、『風舞』の収録曲をライブでどのように表現するかを検討しながら、演奏やステージ構成を作り上げた。
当時の資料には、練習の合間に乗馬などを楽しむ二人の様子も掲載されている。
飛鳥には以前に乗馬を経験したことがあり、比較的慣れた様子だった一方、チャゲはやや緊張しながら馬へ乗っていたという。
本ツアーは、完成された演奏を各地で再現するだけではなく、合宿を通じて、出演者とスタッフが共同でステージを作るところから始まっていた。

MCの訓練

チャゲ&飛鳥は、デビュー当時から歌唱力について高い評価を受けていた。
一方、初の本格的なコンサートを開催するにあたり、関係者が心配していたのは、楽曲の合間に行われる二人のMCだった。
当時は、ライブ中のMCがアーティストの個性や印象を決定づける重要な要素と考えられていた。
そのため、二人は本ツアーを前に地元のラジオ番組を担当し、会話や話術の経験を積んだ。
その成果もあり、初日の福岡市民会館公演から、歌唱だけでなくMCでも観客を盛り上げるステージとなったと記録されている。
楽曲に加えて、二人の会話、物真似、笑いを取り入れるステージスタイルは、その後のチャゲ&飛鳥のコンサートにも受け継がれていった。

オープニング演出

舞台監督の大久保連は、新人アーティストのコンサートであっても、一般的な緞帳が開いて始まるだけのステージにはしたくないと考えていた。
一方、デビュー直後のチャゲ&飛鳥には、豊富な舞台制作費が用意されていたわけではなかった。
限られた予算の中で考案されたのが、緞帳の代わりに紗幕を使用するオープニングだった。
紗幕の内側をスモークで満たし、センター後方からピンスポットを稲妻のように点滅させることで、チャゲと飛鳥の姿をシルエットとして浮かび上がらせた。
さらに雷鳴のSEが重なり、ファーストアルバム『風舞』の冒頭曲「追想」からコンサートが始まった。
譜面台を取り去り、視覚的な演出と二人の歌を組み合わせた幕開けは、チャゲ&飛鳥のステージを通常の新人コンサートとは異なるものにしようとする試みだった。

初日の福岡市民会館公演

1980年5月27日、チャゲ&飛鳥の故郷である福岡の福岡市民会館で、ツアー初日が開催された。
この公演は、二人にとって初のオフィシャルコンサートであり、最初の本格的なワンマンコンサートとされる。
全国ツアーの初日だったが、二人に極端に緊張した様子は見られなかったという。
舞台監督の大久保連は、リハーサル段階では、二人の動きや声量について不安を感じていた。
しかし、本番が始まると、チャゲと飛鳥の動きや声の出方はリハーサルとはまったく異なるものになった。
大久保は、初日本番での二人の変化を目の当たりにし、舞台上で観客を前にしたときに力を発揮する、ステージ向きのアーティストだと感じたという。
地元福岡で開催された最初のワンマンコンサートは、二人が全国へ活動を広げていく出発点となった。

バックバンド「火魔神」

本ツアーでは、チャゲ&飛鳥の初期活動を支えたバックバンド「火魔神」が演奏を担当した。
火魔神はコンサートだけではなく、当時のレコーディングにも参加し、チャゲ&飛鳥と多くの時間を共有した。
ドラムを担当した今泉正義は、自身も地方から上京した新人ミュージシャンだったため、チャゲ&飛鳥とバックバンドという関係よりも、同じ立場で活動する仲間という意識のほうが強かったと振り返っている。
ライブ終了後に東京へ戻り、そのまま一緒にレコーディングスタジオへ入ることもあったという。
音楽活動だけではなく、食事や遊びにも一緒に出かけるなど、日常的に行動をともにしていた。
今泉は、火魔神のメンバー全員が「チャゲ&飛鳥」だったという趣旨で、当時の一体感を振り返っている。
この時期に経験したライブとレコーディングは、チャゲ&飛鳥だけではなく、参加したミュージシャンにとっても、その後の音楽活動の基礎となった。
担当 メンバー パンフレット表記
ドラムス 今泉正義 THUNDER IMAIZUMI
ピアノ 平野孝幸 TAKO HIRANO
エレクトリックギター 大平彰彦 TAMPOPO OH-HIRA
エレクトリックベース 久末隆二 DRAGON HISASUE
キーボード 松井朋巳 KEMNPAS MATSUI

舞台監督・大久保連

本ツアーの舞台監督は大久保連。
当時は、後年の大規模コンサートと比べてスタッフの人数が少なく、一人のスタッフが複数の役割を担当していた。
大久保は、本番中に自らドライアイスを扱うなど、舞台監督の仕事だけでなく、演出に必要な実作業も担当していたと振り返っている。
音響、照明、舞台進行、特殊効果ごとに多数の専門スタッフが配置される後年の制作体制とは異なり、少人数のスタッフが試行錯誤しながら公演を支えていた。
大久保は、限られた条件の中でも、新人らしい簡素なステージにするのではなく、チャゲ&飛鳥を印象づける演出を作ろうとしていた。

1980年7月16日 東京郵便貯金ホール

1980年7月16日の東京郵便貯金ホール公演は、ツアーの中でも飛鳥が特に強い手応えを感じた公演だった。
後年のインタビューで、飛鳥は当初、この公演の日付を6月17日と記憶していた。
当時のマネージャー・渡辺徹二は7月15日だったと訂正したが、実際の開催日は7月16日だった。
飛鳥はデビュー当時からコンサート日記を付けており、東京郵便貯金ホール公演の日には三重丸を記していたことを覚えていたという。

公演の特徴 静かな楽曲から始まり、次第に客席を盛り上げる構成
飛鳥によれば、当時のステージは静かな楽曲で始まり、公演が進むにつれて客席を盛り上げていく構成だった。
物真似や笑いも取り入れ、その時点で二人ができることをすべて出すようなステージだったという。
飛鳥は後年、この公演について、「これしかできません」という感覚で臨んだコンサートだったという趣旨で語っている。
完成された大規模な演出があったわけではないが、観客の盛り上がりは大きく、飛鳥にとって忘れられない公演となった。

翌年の長期ツアー構想

『旅立ちコンサート』は、チャゲ&飛鳥にとって初の全国ツアーであると同時に、各地で観客を集められることをコンサート関係者へ示す機会となった。
マネージャーの渡辺徹二は、本ツアーによって確実な観客動員があることを証明できたと判断した。
渡辺は全国のイベンターを集めた会議で、セカンドアルバムの発売後、1981年3月から8月までの約半年間に、60公演の全国ツアーを行う構想を説明した。
しかし、当時のチャゲ&飛鳥は、まだ長期ツアーを支えられるほどの大ヒットを持っていなかった。
イベンター側からは、新人アーティストが半年間に60公演を行うのはリスクが大きく、無謀ではないかという慎重な意見が出た。
『旅立ちコンサート』による動員実績は評価されていたものの、会議の段階では60公演という規模へ十分な賛同を得ることができなかった。
それでも渡辺は、既存の関係者から賛同を得られなければ、新たなイベンターを探してでもツアーを実現するという姿勢を崩さなかった。

学園祭ツアーと「万里の河」

『旅立ちコンサート』終了後、チャゲ&飛鳥は1980年秋の『学園祭ツアー』へ進んだ。
同年9月25日には、サードシングル「万里の河」が発売された。
学園祭ツアーが終盤へ入り、「万里の河」にヒットの兆しが現れると、それまで翌年の長期ツアーに慎重だった各地のイベンターから、次第に公演開催の問い合わせが寄せられるようになった。
渡辺徹二は、問い合わせが入るたびに予定公演数を増やし、60公演規模の全国ツアーを具体化していった。
『旅立ちコンサート』で示した観客動員の実績、学園祭公演での反応、「万里の河」のヒットが重なったことによって、翌年の長期ツアー実現へ向けた状況が整っていった。

『コンサートツアー 熱風』へ

1981年2月25日、セカンドアルバム『熱風』が発売された。
同年3月19日から、チャゲ&飛鳥は『コンサートツアー 熱風』を開始した。
公式記録では、同ツアーは全国57か所59公演が行われ、10万人を超える観客を動員した。
『旅立ちコンサート』の全12公演から、翌年には約5倍となる59公演へ規模を拡大したことになる。
この拡大は、単に人気の上昇によって自然に実現したものではなく、旅立ちコンサートで得た動員実績、学園祭ツアーでの経験、「万里の河」のヒット、渡辺徹二による全国のイベンターとの交渉が重なった結果だった。
『旅立ちコンサート』は、チャゲ&飛鳥のライブ活動の出発点であると同時に、その後の長期全国ツアーを実現するための最初の実績となった。

備考

  • 公式の公演記録では、本ツアーは公演番号1から12までの全12公演として整理されている。
  • 公演ごとの完全なセットリストは確認できておらず、本ページでは1980年6月5日の京都府会館第二ホール公演で確認できる曲順を掲載している。
  • つま恋でのリハーサル合宿では、練習の合間にスポーツを楽しみ、チャゲと飛鳥が乗馬をする様子も当時の資料に掲載された。
  • 当時の資料では、本ツアーを「初の全国ツアー」とする一方、初日の福岡市民会館公演を「初のオフィシャルコンサート」として紹介している。
  • 会場名は公演当時の名称で記載しており、後年に改称・閉館した施設も含まれる。
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