目の前のドアにはぽかんと隙間が空いていた。今まで開くはずもないと考えていた隙間からは、外の喧騒が聞こえてくる。
そう、
カマキリは牢の扉に鍵を掛け忘れたのだ。
「これが好機かは、分からないが……」
外に出ねばならない。そう思って、ドアに手を掛けようとして止める。一人で行ってどうするつもりだ? 喧騒の主は自分の味方かも分からない。ならば、ここで大人しく待っているべきなのではないか?
そんな考えが巡るうちに、牢の扉は自ずから開け放たれた。
木製の素朴な盾と熊手を持った農民然とした男が俺を見つけ、血色の良い顔を歓喜の表情で満たした。
その男の仲間らしき、別の男も俺を確認すると彼らは俺に手を差し伸べた。
「共にここを抜け出しましょう。ラティーナ様がお待ちしております」
「ラティーナ? それは――」
誰だ?と聞く前に、背後から火薬の弾ける音がする。あの音は、「連邦」を襲撃したノルメルたちが鳴らしていた音とそっくりだ。奴らの銃は健在らしい。
「その回答は後ほどに! とにかく今はここを抜け出すことが先です!」
そう発破をかけた男たちの背を追いながら、俺は牢獄からの脱出に成功したのだった。
ゼマフェロスの大地は、何が起ころうとも盤石で我々を受け入れるとも見放すとも言い難いような風景を見せる。そんなのどかな地平を横目に、俺は豪勢な馬車に乗っていた。
タダの木の板ではなく羽毛の座席、天蓋にはスロンミーサの象徴の絵画がある。そんな高級な馬車を手配したであろう主は目の前に座っていた。
「お初にお目にかかりますわ。スローヴェ卿」
「……」
伸びる銀の髪は腰にまで至り、ふわりと広がった穂先を束ねるように下の方でリボンに結ばれている。その落ち着いた雰囲気は大人の女性であることを感じさせる。なんといっても、宗教家の象徴である真っ白なフラニザは、彼女が
シャーツニアーであるということを表していた。
彼女の名前は、ラティーナ・ファンシャ・フェルティエ――『革命派教会』を名乗る集団のリーダーらしい。
「この度は、助力のほど感謝します」
「いえいえ、革命の力となるのであれば、是非お護り差し上げねばと思ったまでのこと。感謝する必要はございません」
ラティーナは頬に手を当てて、微笑む。その動作だけを見れば、純粋な慈善家のように見えたのかもしれないが、俺には疑念が残っていた。
「なぜ俺があそこに収監されたことを?」
「あら、無粋なことをお聞きするのですね」
口を隠して「ふふふ」と笑う。ラティーナは窓外の遠影を望んで、先を続けた。
「あなたは『
連邦』と接触した者です。わたくしたちの革命が成就するためには、あなたの助力が不可欠ということになりますの」
「“ゼマフェロスの”革命ということで良いのだな、少なくとも今のところは手を組めるが……」
「あら、誰が”ゼマフィロス”だけと言いました……?」
この女は一体何を企んでいるんだ?
「あら、不思議な顔をされているのですね。
私たちはこの大陸全てに革命をもたらそうしているのです。」
さも当然かのようにラティーナは言い放った。
「ゼマフェロスだけ革命したところでなにも解決にはなりません。私たちは根本的に変えないといけないのです」
「そのために俺の力がいると……?」
「そういうことです。私達の力ではノルメルやその背後にいる者を打ち砕くことはできないでしょう。しかし、『連邦』がいれば私……いいえ、私たちの目的は達されるでしょう」
と彼女が言った直後。またあの音だ。連中にばれたか?
いや、それにしては数が多い。
「ここも割れてしまいましたか。追手が来るのは時間の問題でしょう。とりあえず服は用意しました」
「それなら一旦居留地に戻って作戦を練り直そう。そこなら『連邦』の軍もいて安全だ。協力者ということであれば彼らも受け入れてくれるだろう」
変装し馬車に乗り込み外に出るとやはりノルメルの連中がいる。
しかし、『連邦』のものではないが見慣れない服を着た人間が撃ちあっている。
あいつらはなんなんだ?
今は気にしている場合では無い。俺にはやるべきことがある。
――丘の彼方のスロンミーサよ、我が里の飢えを救い給え。
――爾の杖を振るい、野山を潤し、祈りを受け取り、丘へと帰り給え。
――我がスロンミーサよ、全ての祈りが爾にあらんことを。
――我が愛しきスロンミーサは、ほほえみ、我に手を差し伸べる。
――爾は我らを導き、戦士とし、祈りを受け取り、また丘へと帰る。
――我がスロンミーサよ、全ての祈りが爾にあらんことを。