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使用言語 |
クラナ・リパライン語 |
首都 |
ヴォグドルム |
建国 |
1020年 |
君主 |
1020~??? |
アウグ統一王 |
????~???? |
???? |
パンテガード王朝(第一王朝、ケニエス王朝、
理:
pantegard)とは、1020年から1335年まで
アウグ統一王によって現在の
スローヴェ共和国の
ヴォグドルムを中心に建国され、クラナの広大な領土を支配した王朝である。
パンテガード王朝はいくつかの地域に分かれ、執政官が設置されていたが、それら全てを指して「
パンテガード」と呼ばれる。
概要
パンテガード王朝は、数多の国家が統合し形成された連邦制国家、または王の権利の及ぶ地域を指し、1020年のアウグ統一王の統一を始まりとし、継承され、領土を広げていったパンテガード王朝は、後のクラナの歴史に多大な影響を残した。パンテガードは当時の概念的にケニエス王国かその後継国家のような概念であり、王の絶対的権利を重視する中央集権国家ではなく、実権は封建制の下で各地域を治める諸侯(執政官)と王の共立関係にあった。
最大領域は現在のヴィテール以東全域にわたり、多くの民族を抱えた国家であった。
名称
パンテガードという名称は後世にリパラオネ人がつけた名前であり、理語の
pantegardとしての意味は諸説あるが、現在は「一番目の土地」とする説が有力である。なお、連邦本土などの
リパラオネ教保守層はクラナを神話上で天罰を受けて沈んだ島であるミナースと同一視しているため、語源を
pan t'egard!「その地をも赦せ」であると主張することがあるが、言葉遊びの範疇に過ぎない。
現地の人々が自国のことを指していた「ケニエス」という名称は、クラナ・リパライン語の
keiniesij(広い、広大な)から由来しており、もともとはアウグ統一王が治めていた前身の王国の名称であった。
しかし、時が経つと徐々にケニエス王国の後継国家であるという意識は薄れていき、名称は時代と共に変化した。
歴史
建国
パンテガードの始まりの地であるゼマフェロスにあたる地域周辺は、古くから語族系統不明の
フレリオン諸語を話すいくつかの民族が定住していた。
遺跡には集落の周りに堀を作り、石を用いて塀や城壁を建てていた痕跡が残っていることから、農耕社会による地域集団が形成され、多くの定住地が誕生し、数多の都市国家を形成し、国家間同士の抗争が続いていたとされている。
9世紀ごろになると、
リパラオネ系渡来人が東クラナに侵入し、各地で勢力をつけた渡来人の集団は各々国を建て、あらゆる地域で小国が乱立した。
小国乱立時代は100年ほど続き、多数の小さな
リパラオネ人、原住民族の王国が林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げて、いくつかの強大な国家がしのぎを削り合う時代となった。
中でも、強大な勢力をつけたケニエス王国の
アウグ統一王が、1020年ごろにクラナの大部分を統一した。
自らを「
xete(シェーテ)」と名乗り、最初の統一王朝「ケニエス王国」を建国したことで、戦乱の時代は終焉を迎えて王朝による統治が行われた。
統一と選王制
アウグ王によって統一されたパンテガードは、技術の継承のための補助、字体の統一と文字の普及などの改革を進めた。
統一後の急な改革による混乱と吸収された国家の王族らによる復古のための反乱がおこるが、これを鎮圧すると、王の権限を強めるために王の下における助言機関として
元老院(???)を創設し、元老院の議員は各地方を統治する監察官として領地を統べ、王は自身の支配を強めていった。
アウグ王が死去すると、元老院の議員の中から一名を王に選出する案が可決されたが、アウグ王の息子であった???がこれに不満を持ち、反乱を起こした。
結果は???の失敗に終わり、幽閉されることとなり、以降は元老院の中の世襲制の議員(=貴族)の中から王を選出する選王制としての体制が完成した。
西方進出
政治体制
パンテガード王朝の首長はシェーテといい、アウグ統一王がパンテガード建国の時に名乗った名称が由来しており、パンテガード内に存在するいくつもの国家の統治者であることを示し、各地の諸侯の領土を管轄する諸侯間のリーダーのような役割を果たす。
最大の特徴として選王制であり、シェーテは全地域の諸侯を召集して行われる助言・意思決定機関である元老院によって、諸侯の中から一名選出され、務める。
最終更新:2024年08月25日 02:31