生年月日 |
1944年8月9日 |
出生地 |
ラネーメ共和国、ラメスト |
没年月日 |
- |
死没地 |
- |
出身校 |
天神大学 |
所属政党 |
リパナス党(2003年 - 2020年) リパラオネ民族自決党(2020年 -) |
立場 |
リパラオネ民族主義 教法原理主義 ヴェフィス市民革命主義 反ラネーメ主義 リナエスト同胞思想 サラリス系言語思想(言語翻訳庁による標準化批判) ケートニアー至上主義(反ヴォルシフリー) リパラオネ至上主義に基づくユエスレオネ連邦の規範主義 |
配偶者 |
フィシャ・グスタフ・フィレナ |
親族 |
【親族】 |
サイン |
【サイン】 |
「社会党の議員は『母国』に帰ったらどうだ? 反リパラオネの連中はPMCFに帰ると良い。まあ、どうせネートニアーが群がってるに過ぎないんだろう。ネートニアーはさっさと可能化剤を打てばいいのに」
―リパラオネ民族自決党結党演説にて
フィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャ(Fixa gustaf velganardia)はファイクレオネの政治家・活動家・宗教家・研究者。リパラオネ民族主義・極右勢力の先導者として有名である。男性、ケートニアー。
略歴
幼少期
1944年8月9日、ヴェルガナーデャはフィシャ・グスタフ家に生まれる。フィシャ・グスタフ家はラネーメ共和国ラメストのフィシャ派フィアンシャである「聖アルヴァイキヤ・フィアンシャ」のフィアンシャ主の一族であった。
フィシャ・グスタフ家はラメスト辺境部の
リパラオネ人地域レトヘピャイに住んでいた。レトヘピャイはラネーメ人の民族主義者が
リパラオネ人を襲撃することがあり、ヴェルガナーデャはラネーメ人に対する憎悪を深めていった。
リパラオネ教徒は地域では少数であり、殆どがフィメノーウル教徒であったため、親には学校の教育とともに保守的な
リパラオネ教教育を受け、自らの信仰を保全する使命を強めていった。
青年期
1963年(19歳)、天神大学法学部に入学するとレシェール・ヴェンタフを専攻した。彼は後に「人間の選ぶべき法をレヴェンに問いかけようとした」と述べている。成績優秀であり、飛び級を提案されて、1965年(21歳)で研究院に進学するとレヴェン主義における普遍主義についての研究をするようになった。ヴェルガナーデャは熱心に研究していたものの、レヴェン学派の思想家とは交流が無かった。その代わりにヴェルガナーデャは
リパラオネ連邦共和国の
サラリスなどの極右グループと交流を深めていた。
1968年(24歳)、2月にヴェルガナーデャは突如研究室から姿を消す。3月に極右グループの知人と共にラネーメ共和国内の
リパラオネ人民族派青年を糾合させ、リパラオネ民族主義地下組織「エステシアス」を結成する。4月からエステシアスは本格的な活動を開始、皇論活動家に傷害を負わせたり、サームカールトの群生地に火を放つなどしてラネーメ人に対する攻撃を開始したが、ヴェルガナーデャ自身は「ラネーメ共和国内の
リパラオネ人の精神を変革することが率先すべきことである」としてこれらには関わらなかった。5月には「
リパラオネ人であるにも関わらず、真理である
リパラオネ教の法を否定し、アレフィスを冒涜した不信心者」だとしてレシェール・ヴェンタフの墓を爆破することを指示し、実行させた。これにより、ヴェルガナーデャは器物損壊・故人名誉毀損によって禁錮二年の実刑判決を受ける。
獄中では
リパラオネ教とリパラオネ民族主義の本を読み漁り、理論構築を進めることになった。1970年(26歳)に出所してから、すぐに
フィシャ・ステデラフのネガティブ・キャンペーンを開始、1971年(27歳)のときに名誉毀損で1年の社会奉仕命令を受けるも逃亡し、懲役2年の再判決を受ける。二回目の投獄中は外部の民族主義組織やエステシアスのメンバーと交流を深め、指導的立場を確固にしていった。1973年(28歳)に出所するも、前述のラネーメ人への攻撃を計画したとの疑いで再逮捕され、懲役10年の実刑判決を受ける。三回目の投獄中、ヴェルガナーデャは著書「ラネーメ人の陰謀」や「民族的自由」、「
リパラオネ民族――純血の勝利」など多数の著書を出版、外部への民族主義の団結を求めた。1983年(38歳)に出所する。
ユエスレオネ以降
ヴェルガナーデャを非難する看板をGoogle翻訳
のリアルタイム翻訳で、翻訳したもの(2015年)
2000年(55歳)にユエスレオネが成立すると当初は旧政府を支持する方針を持っていたが、超国家主義や政府の政策に反感を抱くようになった。ユエスレオネでのリパナスやエステシアスの組織的活動も超国家主義的秩序に反するものとして逮捕・自宅軟禁に置かれるメンバーが増えて立ち消えたため、ヴェルガナーデャは新たな民族派地下組織の結党を決意した。2000年5月にリパラオネ民族解放党(lipalain lani'ar l'afnar lertasal/LLLL)を設立、リパラオネ民族主義や文化的活動を弾圧しようとする政府軍や警察を襲撃するようになった。2002年(57歳)になると民族自決のためのリパラオネ民族戦士の堅陣(phitali'enegart fon lipalain elmerss fua lani'ar'd calsnajltunirfen/PLELC)と名前を変更し、ユエスレオネ人民解放戦線の活動の拡大とともに協力関係を締結した。ユエスレオネ革命では人民解放戦線と共に政府軍に対するゲリラ戦を展開したが、革命後の共産党政権からは反動勢力として見られたためヴェルガナーデャは投獄された。2004年(59歳)にヴェルガナーデャは反革命罪、民族浄化罪、民族煽動罪などの罪で粛清宣告を受けるが、2005年(60歳)にショレゼスコなどによる民主化の結果、政治犯としての死刑は判決を取り消されて釈放される。2006年(61歳)にリパナス党へ入党する。2020年(75歳)の際にリパナス党が党首アレス・キィルフィヤによって国民党へと統合されると自身の党派である
国民思想研究会(LID)や
民族保守運動(CEIF)系、
合同ルティーセ(CLA)系の議員・支持者を率いて
リパラオネ民族自決党を結成した。
民族自決党結党以来
LHCLでは、資金の少なさから、その活動の殆どを
ヴェルガナーデャなどの活動家に依存しているが
、節約も欠かせず行っており、その一つとして選挙
ポスターは長年古いものを援用している。
人間関係
- ヴェフィス君主ジア・ド・スキュリオーティエと交友関係を持っている。不祥事を起こした際は、擁護する発言をするなど攻撃的な表面と裏腹に絆を育んできたようだ。
- アレス・レゾヴィヤとは、リパナス時代は犬猿の仲であったが、交流を深めるにつれて近しい人間であることを理解し、思想的一致を経た。2020年にはリパラオネ民族自決党の結党大会に共に参加し、2037年のクラナ接触以降は彼の実力を認め、設立許可されたユミサ支部を一任することになった。
人物
- パイグ将棋はリパライン語では一般的には机戦(理:cerke)と呼ばれるが、ヴェルガナーデャはあえてパイグアツェフエーテ(理:perger'd azeferte)と呼ぶ。
エピソード
- 2008年、講演会で「ネートニアーは人間ではないので、人工培養したモーニ体を移植する手術を行って人間にするべき」と発言し、またも大きく非難を受けた。保健省大臣は「ヴォルシ主義過ぎる」(ers volcierajten.)と異例の苦言を呈され、レシェール・イスナシュテイユからは「やはり下らない男」とこき下ろされた。
- 2012年、議会で東島通商語のことを「ラネーメ風に崩れたリパライン語」(理:harda lineparine lanermej)と呼び、議場は混乱し、大きく非難を受けた。言語翻訳庁長官は、翌日の声明で「他ウェルフセルの人間ならまだしも、現代のファイクレオネの人間なら到底理解できない発言だ」と非難した。
- 2015年、ジア・ド・スキュリオーティエの失言への批判に対して「内戦時に即戦うことを選ばなかった奴らを腑抜けというのは当然のことだ」と発言し、擁護した。旧ラネーメ民族党党首であったアレス・ラネーメ・リハンカは「空に逃げた連中のうちの一人が何をいうか」とヴェルガナーデャをこき下ろした。
- 2020年、言論の自由を扱うレヴェン主義団体主催の講演会へのコメントを求められて「あまり興味は無いが、森林破壊の自由がどうかしたのか?」と語った。
- 2020年11月2日、リパラオネ民族自決党の党首として、テレビ討論会に臨んだヴェルガナーデャは「シルシとはケートニアーかどうかということで……」と発言し、炎上。レシェール・イスナシュテイユとの論戦に発展した。
- 2024年3月1日、KAFNEの応援のために第二アイル共和国に訪れていたヴェルガナーデャに対して、PMCF中の物珍しがった記者たちが押しかけた。しかし、片手で制した彼は「あまり長居すると腐った魚液を掛けられそうだからな。おいとまさせて頂く」と述べて去った。ユエスレオネ連邦では「国内の政治家がこのような恥ずべき言動をした!」と国会でも糾弾されたが、PMCFでは翌日のワイドショーで「面白い外国の政治家」と紹介され、お昼の主婦の苦笑になったくらいだった。
- 2024年3月2日、実際にヴェルガナーデャは魚醤をスーツに掛けられることになる。しかし、それは本土でイェスカ主義者のリパラオネ人青年によるものだった。党友の講演会の応援に駆けつけた直後ということもあり、連邦警察院長は会場警備に不備があったことに謝罪した。一方のヴェルガナーデャは取材陣に対し、「警察院長からアイル料理をご馳走してもらったよ」と皮肉ったという。
最終更新:2024年08月27日 02:08