≪こちらティグレ、クジラを確認!……ハッ、せっかく綺麗に飛ばした顎が戻ってやがる!≫

『…なんという再生力……』

『俺、動きは!?』


 距離170000で黒鯨を目視。レーダーの二つの輝点は近付きつつある。
 上顎を吹き飛ばされ、コアを露出させられた黒鯨はたったの数時間で進行可能までに力を取り戻した。
 喧騒で加東は現実に帰る。
 レーダーに目を向けると唐突に増える輝点が九つ。


『ッ子機接近、タイガーバウム、ブレイク!』

『こいつ、まだこんなに…!』


 インカムからは俺の唸る音と機銃の駆動音。輝点は瞬く間に半分になる。
 黒鯨まで、距離98000。


≪だぁっチクショウ!何だコイツら!≫


 俺が撃ち落とすよりも早く多く、黒鯨の子機は湧いて出る。
 黒鯨まで、距離79000。


『俺、無視していいから!』

≪何だって!?くそっ、時間が……!≫


 落とせるのに時間が足りない。無線の先からぐぶり、と嫌な音が聞こえる。
 黒鯨まで、距離52000。


『消耗早すぎんだろ……っく、振動増幅!早く、頼むから!』

『無視してください!私たちが落としますから!』

 黒鯨まで、距離36000。

≪ぅゔ、一機逃げた!…針路、戻すぞ!≫


 動きを作戦機動に戻す。距離21000。


『頼んだわよ、俺』


 目を背けないと決めた。誰もが空を仰ぐ。
 距離19000。途端、場違いな程陽気な声が響いた。


≪はっはっはっ!ああ、そうさ!好きなように―――派手にやらせてもらうぜ≫


 距離17000。無線が途絶えた。


『なっ、俺!?応答しなさい!』

『奴め何を――――』

『…限界だったんだ、もう、あいつは……!』

『班長、どうなってる!説明しろ!』


 辺りの機器に拳を叩き付け、血を流して呻く整備班長にモントゴメリーが掴みかかる。


『もうズタボロだったんだ!…この作戦での情報は大切です、しかし奴には喋る力なんて、無い』


 あんな傷を負って立っていられる人間を見た事がない。
 あんな状態で戦闘機に乗る奴なんて、もっての外。


『お二方静かに!―――カウント10!』



『足からかよ……っとに、タチの悪ィ…』


 感覚が切れる。金色がぐるぐると喉を鳴らすのがやけに良く聞こえた。
 いくら悪態をついても変わりようがないが、吐き出さずにはいられない。
 紅い閃光は容赦なく機体を削る。だが、今ここで深手を食ってはここまで来た意味がない。
 だから更に深く。黄金に手を伸ばす。
 伸ばせば伸ばすほど楽になる。伸ばせば伸ばすほど、自分が自分では無くなっていく。
 黒鯨までの距離、―――――。



 東の空に、閃光が奔った。



 『あれって……っ!?』


 声を発した途端、雷鳴のような轟音が辺り一面を覆った。
 鼓膜を悔い破ろうと迫る音、そして砂漠を震わせるほどの衝撃波。
 屋根から落ちる大量の砂ぼこりに塗れながら、パットンは転んだ体を無理矢理起こす。


『どうだ、やったか!?』

『空域32にて爆発を確認!………いえ、敵ネウロイ、健在です…!』

『…ッ犬死かよォ!』

『そんな……』


 落雷と見まごうばかりの光はすでに消えていた。
 残ったのは痛い位の静けさと、黒鯨。


『……作戦、失敗だ。総員直ちに基地を放棄。人類は、アフリカを――――』

『待て』

『マティルダ?マルセイユ中尉はどうした』

『寝かせてある。それよりケイ、ケイ!』


 東の空を見たまま固まる加東を、マティルダは無理矢理振り向かせる。


『なに、マティルダ。もう俺は、こんな終わりなんて……』

『あれを見ろ。あれは、ケイにしか見えない』

『え…?』


 言われるがままに振り向いた。
 夜に覆われた空。自分にしか見えない……思い付くのは、己の魔法「超視力」


『――――あ、』

 断続的に空を染める光。そして一気に広がる、朝日よりも眩しい光―――

『お、れ……!?』



『まだMG34が残ってるぜぇぇええええ!!!』


 金色を辺り一面に撒き散らし、空になったドラムマガジンを黒鯨の抉れた上顎に叩き付ける。
 コアはまだ見えない。黒い外皮は恐るべき速さで元の形を求める。
 黄金の虎はぐちぐちと音を立てるそこを蹴り砕き、コアの真上――一番再生の早いクレーターを駆け下る。


『ハンナのくれたこの銃で、道が拓けなきゃウソだろうがァ!!』


 最後のマガジンをセット。自身の黄金を乗せ、撃ち砕く。
 頭の異物を振り落とそうと、黒鯨が身を捩る。
 ぐぅっと持っていかれる体は、黒鯨の結晶状の体内に踵を落として縫い止め、更にコアを目指す。

 抉れ飛ぶ白い結晶。力まかせに踏み砕かれ、吹き飛んだ黒い外皮。
 その全てが金色に染め上げられ、自身の意識が保てているかも分からない。
 朦朧とする意識の中、ふいに現れた紅い塊に口元がつり上がる。


『ヒュウ、吹き飛ばしてやらあ!』


 そう言って引き金を引いた途端、ガチン、と不快な音。


『…じゃじゃ馬め!』


 弾詰まりを起こしたMG34を振りかぶり、コアに向かって思い切り振り落とす。
 ガゴォ、とコアに亀裂が入る。黒鯨が大音量で痛みを訴える。
 ぴしぴし音を立ててヒビを直す黒鯨に俺は舌を打つと、腰のサバイバルナイフに手を伸ばし、


『コイツでッどうだぁぁ!!』


 一際大きく奔ったヒビに突き立てる。力まかせにその刃を捻じり込む。
 足元が今までになく揺れる。いや、揺れるなんてもんじゃない。
 まるで命を持ったかのように暴れ出す。脈動、痙攣を繰り返す。


『ッいい加減、イっちまえよ……』


 呻き、暴れながらも黒鯨は再生を進める。
 限界が近い。そう感じた時には膝が崩れ、力が抜けた。頭がぼうっとする。
 それでも身体は知っている。今やるべきこと。今、やらなくてはならないこと。
 もうひとつギチリと捻じ込むと、めきめきと足元が再生をはじめた。足が飲みこまれた。


『諦めの悪ィ…クジラ野郎が………相棒、くれてやる』


 両手を組み、大きく振りかぶる。
 吐き捨てるような虎の言葉に、金色は呼応する。
 体を覆う金色の炎は激しさを増し、輝きを増し、太陽よりも強く大気を照らす。


『うおおおおああああああああ!!!!』


 突き立てたナイフの柄を組んだ両手で殴り付ける。
 瞬間、衝撃―――崩壊。
 黒鯨は砂漠の雪へと姿を変え、風と共に黄金の虎を掻き消した。


                                 ◇ ◇

 少しだけほっとした自分がいた事に加東は驚いた。
 まだ残っていてくれた。まだ、自分には希望の射しこむ部分があった。


ロンメル「いいだろう」


 ガツリと癖のように軍靴を鳴らし、ロンメルが前に出る。
 これにも加東は驚いた。
 後処理があるから、と手短に本部からの電信を伝えた後、三将軍は司令部に籠っていたのだ。


マルセイユ「ロン、メル?」

加東「…将軍?」

ロンメル「元帥と呼べ加東少佐。今し方、通知が届いた」


 向かいあう加東とマルセイユとの両方を見る形の位置で止まったロンメルがびっと紙切れを示してみせる。
 鋭い目、久しく見る威風を纏うその姿。
 自然と背筋が伸びるのを感じた。


加東「…元帥、先程のお言葉は承服しかねます」

ロンメル「吾輩とて本意ではない、だがな、行かせてやれと身体が言うことを聞かんのだ」


 マルセイユを見てロンメルはふっと笑った。
 気負いも全て投げ捨てたような自然な笑み。焦燥にまみれた整備班長は声を荒げた。


整備班長「っかし、しかしねえ元帥!もう全部オイルを抜いて、それに準備には―――」

「完了済みです」

整備班長「は?」


 表情を厳しいままにロンメルに迫る彼の勢いは、傍から現れた第三者の声にすぱんと切り落とされた。


整備班6「マルセイユ機、いつでも行けます」

マルセイユ「―――6?」


 整備班長の後ろでマルセイユ機担当整備兵6は直立不動で言い放つ。
 彼は震えながらもまっすぐにロンメルを目に捉え、口を開いた。


整備班6「閣下、少佐、班長殿、申し訳ございません。何もかも、覚悟の上です
     無礼は百も承知の上……しかし自分は思いを―――この信念を曲げたくありません!!」


 咆哮にも似た叫びであった。
 アフリカを支え、アフリカの星が追い続けた男がいなくなってしまった。
 俺を捨てると聞いた時、あまりに理不尽と思ったが、それだけだった。
 一番大事なあの時に行動を起こせなかった自分が変えられるのは今しかないと、
 整備兵は、覚悟を決めた。


整備班長「正気か、6…」

整備班6「自分は整備しかできない男です。しかし、女の子の願いを整備で叶えられるのです」

整備班長「……ああ」

整備班6「ですから、追わせてあげたい」

整備班長「俺達に出来ることは整備だけと、前に言ったか」

整備班6「はい。自分達に出来ることは、彼女等が思い切り空を飛べるよう、整備を施し、無事を祈るのみ」


 ですから中尉、そう言ってマルセイユに身体を向ける。
 アフリカに飛び込んで来た問題児。自分が受け持つと聞いた時は少し不安だった。
 ――死んでしまうのではないかと、出撃の度に思ったのだ。
 しかし、少女と思っていたウィッチは大鷲だった。
 空の高さを覚えると、一瞬で届かぬ所へと羽ばたいて行ってしまった。


整備班6「あなたに俺を追っていただきたいのです」



 憑き物が落ちたような6をにまにま見ていたロンメルだが、ふいに背後の気配に注意を向けた。
 嗅ぎ慣れた銘柄の葉巻に聞きなれた靴音。あまりに慣れたそれに警戒を緩める。


「……この、馬鹿者共め」


 紫煙をくゆらせ近づく影に、ロンメルは笑みを深めた。


ロンメル「それでこそのアフリカだろう?パットンよ」

パットン「ふん、すっかり毒されおって」

ロンメル「腹を括った…と言ってほしい」


 噛み締めるようにいうロンメルから、パットンは目をそらす。
 始まりはいらない物を集めた世界の果てだった。
 隣に立つ男とは意見は合わぬ、そりは合わぬ、顔を合わせれば喧嘩ばかりの毎日。


モンティ「夢見る男の最果てを見たいだけ……我々は野次馬だからな」


 見たい位置に立ってもよかろう。
 こっそりと真ん中に立ったモンティはふんと胸を逸らせる。
 彼の仕草にふっと笑うと、三人は傷だらけの拳を合わせた。


マルセイユ「いいのか、6」


 本当に、と信じられないといった顔をしてマルセイユは言った。


マルセイユ「ロンメルも…」

ロンメル「…おいパットン、時計をよこせ」


 マルセイユと目が合うか合わないかのところで、ロンメルがパットンをどつく。


パットン「何ぃ?貴様の時計を使えば―――」

ロンメル「いいからよこせ!」


 わけが分からんとあからさまに表情にだすパットンから、半ば奪い取る様にして腕時計を奪う。
 尚も抵抗するパットンの足を踏みつけ黙らせて、ロンメルはマルセイユに時計を見せつけた。
 くすんだ皮のベルトに薄くヒビのはしるケース。使い古された唯の腕時計。
 なぜこれを、と問おうとするマルセイユに、ロンメルは畳み掛けるように続けた。


ロンメル「ふん、いいか中尉。この針が一周するまでに帰れ」


 さもなくばと続けようとしたが杞憂に終わる。
 そんなことを言われる間もなく、マルセイユは口を開き、


マルセイユ「――充分」


 さもありなんと答える。
 思い描いた通りの答えに、ロンメルはにぃっと口元を緩めた。
 そんな試すように笑う目を睨み返し、魔女は不敵に笑む。
 ――敵わん。
 がしがしと頭をかいてしまいたかったが抑える。
 不敵でなければ。自分は、このアフリカに帰って来たのだから。


ロンメル「――よし。それを過ぎれば我々は俺少尉ごと君の存在を放棄する」


 威厳たっぷりに、それでもいいかと続けたかったところだがこらえた。
 女が本気になったのだ。そうなってしまったら、男は白旗を上げる他に手立てはない。


マルセイユ「望むところだ!」

ロンメル「いいだろう―――それでこそ我等が魔女だ!総員各位!準備は!?」


 はらはらと状況を見守る兵士達に一声を浴びせる。
 きょとんと一間、なんとも間抜けな時間が過ぎる。
 ――ああ、アフリカだ。
 そんなたった一間で司令官の暴走を理解、そして


『――おうッ!!』


 勝手にそろった咆哮にニヤリと笑みを浮かべ、弾かれたように持ち場を目指す。
 月面のようだった静けさはもういない。あるのは砂漠の激しさ熱さ。
 滑走路はオイル缶の灯火を。簡易滑走路の灯りの元で、清掃班達は一斉に障害物を掃討する。
 暗かった格納庫は一気に水銀灯の白に染められる。くらくらする頭は置いてけぼりになったまま、
 整備班6と整備班長はマルセイユの手をとった。


整備班6「中尉、こちらに…」

整備班長「ったく、良くできた部下を持つと大変だよっと」


 手慣れた仕草で手を引く整備班長とたどたどしい6。
 なんだか経験が見てとれるようで、マルセイユは軽く吹き出した。


加東「班長?いくらなんでも早過ぎ―――」


 熱気を帯びた格納庫の中、加東はストライカー発進ユニットへと向かう整備班長に慌てて声をかけた。
 そう、いくらなんでも早すぎる。東部へと向かうリバティ船で組まれるチームにマルセイユは組み込まれていなかった。
 だからフリッツを動かすのにこんな短時間で準備が済む事は普通ありえない事だった。


整備班長「少佐殿、戦術とは常に二手、三手先を読めといいますね」

加東「……これを読んでたって言いたいわけ?」

整備班長「…そうです―――とまあカッコ良く言いたい所なんですがね」


 単なる積み忘れです。そう、にへらと笑って頭をかいた整備班長に、加東は予想通りと頭を抱える。


加東「…あなたらしいわ」


 毒気を抜かれた。少しだけ心が軽くなった気がした。



 深夜と呼ばれる時間帯。
 絹のように薄い雲は満ちた月の輝きを惑わせ、淡い虹色の幕をとっぷりと砂漠に降ろしていた。
 本来、夜間哨戒員以外は無く、暗闇に包まれるアフリカ基地は昼間をも上回る速度で稼働していた。


整備班6「マルセイユ機発進準備よろし!滑走路開けーー!!」


 喧騒に包まれた格納庫からの声に、ほとんど反射的な勢いで滑走路の清掃を行っていた清掃班は引き上げる。
 そして、それと入れ替わるようにマーシャラーは滑走路へと飛び出し、発進許可の信号を手早く送る。


マルセイユ「元帥」


 エンジンに火を灯す音と同時にインカムにささやく。


ロンメル「む?」


 数メートル先の、整備兵達が忙しなく動く中心の少女はまっすぐにこちらを見ていた。
 回転数が増える。整備兵が離れる。開かれた滑走路へと、発進ユニットの最期の固定具が外された。


マルセイユ「感謝します」


 ゴウ、と突風が砂を巻き上げた。
 マルセイユが滑走路に向かうのと、放たれた言葉はほぼ同時であった。
 夜空に誘導灯がちらちらと見える。もうあんな所までいったのか、とロンメルは一人呟いた。


整備班長「…限界は提示した通り一時間。しかし元帥、あなたも粋な事をなさる」


 整備班長は瘴気の海へと向かう星を追いながら、唸るようにロンメルに言い放った。
 かさかさと煙草をいじり始めた整備班長の発言に、加東は首をかしげる。


加東「どういうことです」


 格納庫では救出部隊が組まれ、引っ張り出して来たワーゲンにどさどさと医療品を詰め込んでいた。
 それを横目に、加東は三将軍に目を向けた。
 時計の持ち主、パットンは紫煙を吐きだし、言った。


パットン「儂の時計は止まっている。先の作戦前――つまり現時刻で、だ」



 猛スピードで飛び抜ける流星に、氷点下の砂漠の大気が慄き道をあける。
 吹き戻しの烈風が眼下の雲を掻き乱すのにも眼もくれず、マルセイユは霧の海を目指し飛ぶ。
 だんだんと景色に霞がかかる。しかし虎の沈む海は霧の向こう岸。
 やけに遠くに感じる彼方に燃える焦りに身を焦がしながら、大鷲は速度を上げた。

 そうして速度を上げた所で、マルセイユはふと気付く。
 自分がもう霧の海に入っていた事。そして――砂との距離がやけに近い事に。

                                   ◇ ◇
≪随分と無茶をするお嬢さんだ≫


 さりさりさり。
 砂が砂丘をめぐる音。どうやら砂地に寝ているようだが、体は少しも言うことを聞かない。
 うすく、もやのかかった頭で、少女は苦しそうに目を開けた。

 ふいに、金色が笑う。


≪…ハァン、なるほど――小僧の好き人かァ≫


 さりさりさり。
 砂に混ざって聞こえる音は、ぐるぐると喉を鳴らす。
 金色に見えるもやのような大きなものは、何か記憶に引っかかる。


≪アレを取りに来たのか?…言え、ニンゲン≫


 耳元に唸り声が下りて来る。
 それにひとつ頷くと、再び金色は体を震わせた。
 おかしくてたまらない。震える体からは隠す気すらないほどの、駄々漏れの気配が溢れだす。


≪あんな抜けがらを取りに来たのかァ……まったく、ニンゲンは考えに飽きんな≫

マルセイユ「なん、だと…ッ」


 訳の分からない金色を睨み付ける。
 自由のきかない体では威勢は無いが、金色はピクリと動くと、また笑う。
 途端、ぞわりと全身が粟立った。
 狂気をはべらすかたまりの視線が、少女を捉える。
 ゆっくりと距離を無くすソレを、少女は睨みつけるので精一杯だった。


≪威勢のいい女は良い。何より、喰い殺す時が一番愉快だ≫


 おまえを食べれば、少しは満ちよう。
 そう言うと、金色はナイフみたいな牙が揃った口をぐあっと開けた。
 血の臭いがした。それも一つではなく、たくさんの。

 ―足から喰らってやろうか。指の先から少しずつ、苦痛に叫ぶといい。ことの理不尽さに涙を落とせ。
 ニンゲンのメスで、魔女だろう?…ああ、さぞかし美味だろう。おまえの血が喉に伝うなどと、こころが震える。
 おまえの肉が舌に触れるなど、想像しただけで狂ってしまいそうだ。肉を散らし、生きたまま骨を砕かれ、我を満たせ。
 おまえの瞳が濁る姿はさぞかし愉快だろう。この空っぽも、満ちるだろう。

 にたにた嗤う金色は見下しながら、歌うような明瞭さで唸りあげる。
 マルセイユは手を伸ばす。そして、その牙に触れた。


マルセイユ「私が欲しいのならくれてやる……その代わり、俺は返してもらうぞ…!」


 ぷつりと指の皮が裂け、真っ赤な血が金色の大きな舌に点と付く。
 金色は、零れた血をなんともうまそうに嚥下して、堪らなそうに溜息をついた。


≪…ハッ、言い訳など必要ない、か。そうだったなァ、こういう者ばかりだと失念していた≫

≪奴もばかな男だ。踊らされ、たくらみの中で喰われることなんぞ解っていた癖に抗わず……楽しみに欠けたなァ≫


 一つ一つ、楽しむ様に脈絡のない言の葉を紡ぐ。
 一人置いてけぼりにされてもわかる。この金色は侮辱している。黄金を纏った大好きな男を。
 握りしめられるマルセイユの拳を細めた目で見ながら笑う。そして


≪つくづく、楽しみの尽きん餓鬼だ≫


 がはあと特大の溜息を吐いて、彼女を背負った。


マルセイユ「わっ…おい、いきなり―――」

≪物怖じしない女は好きだぞ?さあお嬢さん、ここはあなたに毒だ≫

マルセイユ「そうじゃない!私はいいから俺を!」

≪我とてもうしばし愉しんでいたかったさ。ああ、そうだとも≫

マルセイユ「…もういい」


 このどっと疲れる感じ。コイツは違うが、間違いなくコイツはあいつだ。
 すこし強めに毛を握ると、金色はああ、と呟き、言った。


≪抜けがらを喰うなぞ食指も動かぬ。良いだろう、連れて帰るといい≫


 抜けがら。どういう事だと問い詰めようとすると、金色がぴくりと東を見た。
 そして一瞬で気配を奔らせると、ぐぅると笑う。


≪デルソルの魔女め、もう感づいたか≫

マルセイユ「デルソル?」

≪知らずとも良い。貴様等ニンゲンが知っていたとて使い道などありはせぬ≫

マルセイユ「…お前、何だ」

≪我幾歳の戒めを解かれ、今此処に現れん≫


 さりさりさり。
 また、砂の音が大きくなる。


≪精々嘆き、無力に暮れるが良い。ニンゲン共≫


 今までの会話で一番愉しそうな声で彼は言う。


マルセイユ「答えになってないぞ、俺――――え…?」


 はっと意識が戻りかけたその時に、朝日が地平を照らしだす。


≪ここまで、か≫


                       ◇ ◇
ざ、ざざ……


『なんだ、それにしたのか』


 港。カモメ。海風。埃っぽい感じ。喧騒。輸送船。市場。靴音。賑やか。
 短絡的な情報しか確認できない、薄もやがかった景色。
 そのなかでなんだか目に着く男は、藍色の小袋をその大きな掌で大事そうに握ったり、開いたり。
 まるで秘密の何かに喜び、浮足立った子供みたいで笑みが零れた。


『悪かァねえだろ?飾りはいらねえ。添えるだけでいい』

『ッカハハ!随分と尊ぶ。それほどのモノか?アレは』

『ああ。一目惚れってやつだ、お前は?』

『旨そうな魔女だと思っただけだ』


 響く音をなんとなしに拾っていると、ノイズが入る。
 会話は、ほとんど拾えなくなった。


『そ――どう―る?』

『――リスマス―レゼント―。まあ、お守り―』

『お守り――?扶桑の神――かで買う』


 ノイズはひどくなる。
 もう二つの音しか拾えない。


『思いが籠――りゃ何でも――――』

『興醒め――』


 ノイズは、再び酷くなる。


『これで終わらせるのさ。…俺と中尉は、ここまでなんだよ』


 ガチャガチャの映像が終わる瞬間、鮮明な声が頭に響いた。
 藍色の小袋を握りしめた男は―――俺は。ニィっと、今まで見たこともないような、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

                                      ◇ ◇

 開け放たれた窓からは、砂漠を走って来た風が緩やかに入ってきていた。
 ふわふわとカーテンを弄ぶ熱いそれは、カイロの病院の一室にも何事もなく吹き込んでいた。
 部屋に一つだけのベッドの上で、マルセイユはぼんやりと天井を眺めていた。

 いつからここにいるのか、どうして自分は寝ているのか。
 はっきりとしない意識の中で、何とか意識を失う前の記憶を呼び戻そうと頭に手をやると、乾いた包帯の感触に状況を思い出し、跳ね起きた。


マルセイユ「ッ俺……いっ、つぅ……!?」


 急な動きに体中からの鈍い反論がかえり、思わず顔をしかめた。
 痛みと状況に混乱する中で、今の状態と最後の記憶をつなぎ合わせる。
 全身の打つ身と殺しきれなかった落下の衝撃でできた傷。
 動けない負傷ではない。確認が済んで再びベッドに身を預けると、ふいに扉が開いた。


「…マルセイユ!意識が!?」


 無造作に扉を開けた女性――加東は、沈みこんだ目を嬉しそうに細めながらマルセイユのベッドに駆け寄った。
 すぐに口を開こうとしてひりつく喉に顔をしかめたマルセイユに水差しから注いだ水を差し出すと、加東はベッドの脇の椅子に座った。


マルセイユ「……すまない、ケイ。どうして私は…?」


 最後の記憶と辻褄が合わない。
 今だ状況の整理が付かないマルセイユに、加東はゆっくり頷き、口を開いた。


加東「霧の中で倒れていた貴方と俺を、マティルダが見つけたのよ」


 状況を詳しくは語らず、かいつまんで聞かせる。
 ふいに、ぽたりとマルセイユの手の甲に滴が落ちた。


マルセイユ「…ケイ?」

加東「良かった…ッあんただけは目を覚まして……」


 止まらない加東の涙にマルセイユは驚きながらも、その違和感を聞かざるを得なかった。


マルセイユ「……私、だけ…?」


 情報処理が追い付かない。
 ごめんなさいと、何度も繰り返しながら加東は俯いている。
 全てが止まったような、急速に温度を失い始めた空間の中でマルセイユは何とか声をだした。


マルセイユ「ケイ、俺はもう…いない、のか?」


 考えたくも無い現実。しかしこのわだかまりをどうにかするには聞かなくてはならない。
 くらくらする視界のなかで、ゆるりと首を横に振った加東にふっと力が抜けるのを感じた。


加東「生きてはいるの…ただ……」

マルセイユ「…ただ?」

加東「全身打撲と挫創、内臓の損傷も激しくて…意識を取り戻せるかも分からないって…」


 ふっつりと、感覚が切れていくような、変な感じ


加東「…それと、目を覚ましても意識障害が出るかもしれないって先生が……」


 アフリカの抜けるような青空も、筆を走らせたような雲も、眩しい程の太陽も何もかも
 温度も、手の甲の冷たさも、続けられる言葉も全て全て


マルセイユ「うそ、だ」


 無くなってしまったじゃないか


マルセイユ「…とんだ茶番だ」

加東「マルセイユ…?」

マルセイユ「ケイ、退院したらすぐにでも出られるようにしてくれ」

加東「ちょ、ちょっと何を言って―――」

マルセイユ「――飛びたいんだ」


 もう、何も考えずに。
 もう、何もかも忘れて。
 飛ぶことを忘れなければ自分はいつだって一人でいられる。
 こんな、わけのわからない変な気持ちに心奪われることもなくなる。

 そうやって、静かに告げたマルセイユに加東は何も言えなかった。
 しばらく二人無言でいるうちに、加東は自分の来た理由を思い出した。
 ‐‐ベッドサイドチェストの一番上、そこに入ってるやつをハンナに渡して欲しい


加東「…これ、あなたに」


 ポケットから例の物を取り出し、首をかしげるマルセイユに渡す。
 それは藍色の小袋。気にも止めていなかったさっき見た夢がフラッシュバックする。


マルセイユ「…これ、は?」


 あの夢の中で、俺が大事そうに持っていた物。
 そして――自分との何かを終わらせる物。


加東「俺が出撃前にマルセイユに渡してくれって…頼まれたものよ」


 マルセイユの表情は複雑だった。パンドラの箱ともいえるそれをどうしろというのだ。
 しかし、気になる。彼女は震える手で小袋をひっくり返した。
 もう片方の掌に落ちたそれは、ひんやりと頼りない。
 それなのに、ひどく重く感じる小さな銀色。


マルセイユ「…指輪」


 銀色の飾りっ気のない細身の指輪。


加東「の、バカ…何のつもりで……ッ」


 あまりにも簡素なそれにはほとんど意味がないように思えた。
 最後まで子供扱いだった。口づけの一つも、手をつなぐこともなく、立場は戦友。良い好敵手。守らなければならない女の子。
 全部全部思い上がりに過ぎないのに、虚しくて仕方がないのに、こんな小さな銀色が甘く記憶をさらけ出す。
 早く追いつきたくて、早く振り向いて欲しくて、早く隣に立ちたくて―――
 思い出にするには、あまりにもぬくもりがありすぎた。


マルセイユ「女泣かせの、最低野郎め」


 囁くようにとどめられた声に、加東は表情をかためた。
 それから、確かめるように俯くマルセイユを抱き寄せる。


加東「大丈夫、ここには誰もいないから。……強くなくて、いいから」


 今にも泣き出しそうなマルセイユの頭をかき抱いて、きつく抱きしめた。
 何を考えていたかなんてもう分からない。あの馬鹿虎の事だ。お守りだ。だとかを平気でのたまうつもりだったかもしれない。
 歯を食いしばって、漏れ出す声を必死に抑える彼女は、何度か頷いた。


マルセイユ「今だけ、今だけだから」

加東「解ってる」

マルセイユ「私、がんばったんだ」

加東「うん、知ってるわ」

マルセイユ「背中を任せるって、言った癖に…!」


 押し殺された泣き声だった。
 じわりと胸元がしめってくる。カーテンはもう揺らめかない、熱い風はもう吹かない。
 ふと、加東は外に目をやった。
 日が傾き、町は静かに赤へと色を変えていく最中であった。
 砂漠に靄がかった赤橙の幕が下りる。
 ――そうして、夜が降りてきた。


                          変態パイロット第4話
                   『我が逝くは星の大海』 完   To Be Continued...






≪次回予告≫




     触れられないものは無い、越えられないものは無い、出来ないことなど何もない

                 不可能を可能にしろ!

          定めなど殴り壊せ、心の目を開き、大声で吼えるのだ

           それこそ我等の魂だ 最も猛き魂はお前の内にある

                さあ、運命に打ち克て!

             求めるものは――最も高き最上の地――


            次回、変態パイロット最終話『星の彼方へ』


               『俺を誰だと思ってやがる!』






 過ぎたる時は一年と少し。舞台は1944年、春。
 16歳を迎えた大鷲と、あの時と変わらぬ「世界最高」の名声を誇るアフリカ軍団。


――「マイルズから援護要請?忙しいから聞かなかった事にしときなさい」
 あの時の決断を悩みながらもひた隠し、変わらず部隊を見守る加東。

――「空からの援護は!?……ええ戦うわよ、戦えばいいんでしょ!」
 ただ見ているだけで抗わなかった自分。臆病な大人から逃げるように戦うマイルズ。

――「飛べるんだ、私は―――だからもっと、もっと高く!!」
 虎の言葉を信じてがむしゃらに進み、大人を振舞うペットゲン。

――「ここを終わらせればいいだけです………そうですよね、俺さん」
 その覚悟を刻みこみ、空を支えるエースへと進む今だに身長の伸びない稲垣。

――「誰も行かないなら私が行く!…一緒にしないでよ、私も虎だ!」
 もう一人の虎として沙漠を駆け、虎を否定し続けるシャーロット。

――「高い天を行く虎に、輝く星は届かない―――皮肉な話さ」
 己を悔やみ、虎を憎み、臆病な大人に成り下がった自分を嗤う整備班長。


――「私を誰だと思ってる?―――黄の14“アフリカの星”だ!」
 そして眠れる虎には目もくれず、誰よりも高くアフリカを飛ぶマルセイユ。

 誰もが熱く、誰もが心に虎を残したまま、時は無慈悲に針を進めた。
 1944年春。スフィンクス作戦終盤、アレクサンドリア東部沿岸にて
 シルエット・シュバルツァー
 『黒鯨の亡霊』はゆっくりと、アフリカ軍団を射程に捉える……

 変態パイロット最終回『星の彼方へ』THE AII that glitters is gold――光るモノ、全ては金――

―――これは、己の信じる道を己の思うままに進む男の物語
―――目に映る全てが黄金色に染まる時、砂漠は、黄金郷へと姿を変える……






最終更新:2013年02月02日 13:05