風に揺らされた周囲の竹林が奏でる心地よい旋律に耳を傾けていたラルが徐に旅行用の鞄を肩に担ぎ目の前の建物を仰いだ。
瓦が敷き詰められた屋根。入り口の扉を覆うように掛かる白地の暖簾。
五階建ての落ち着いた造りの外観は隣に立つ俺曰く扶桑のホテル――旅館を模しているとのこと。
たしかに眼前に聳え立つそれは自分が知る宿泊施設とは趣向も雰囲気も異なっている。
西洋特有の豪奢さは微塵もないが、かといってみすぼらしいと言えば、それもまた違う。
絢爛とはまた違った趣深さが感じられた。
ラル「ここが目的地か?」
初めて目にする扶桑の温泉宿から視線を外しながらラル。
三月十日の今日。
数週間も前に俺から予定を空けておくようにと頼まれていた彼女は上層部へ提出するための報告書の束を昨日までに全て捌き切り、現在はペテルブルク市街から離れた山中に佇む温泉宿に彼と二人で足を運んでいた。
何でも旅行で扶桑を訪れた際に宿泊した旅館を気に入ったこの宿のオーナーが帰国後、財産を投げ打ってまで扶桑の温泉宿をこの山中に再現したらしい。
俺「あぁ。俺も初めて聞いたときは何かの冗談かと思っていたんだけどな」
語尾を濁した俺が頬を掻く。
顔なじみの整備兵からここの存在を聞かされたときは半信半疑であったものの、いざ実際に下見に来てみれば本場扶桑の旅館が店を構えていたのだから俺はノスタルジックな感情を抱かずにはいられなかった。
外観はもちろん周囲に植えられている竹林。玄関脇に置かれている旅館の名が刻まれた石。
それらに施された技巧は決して西洋人では真似できないような領域にまで及んでいた。
聞いた話によると建築家から大工、はては料理人に至るまで全て扶桑で活躍したその筋の人間を揃えているようである。
単なる東洋かぶれの職人では到底届かぬ洗練された技量から俺はこの宿のオーナーがどれほどの心血を注いだのかを垣間見た。
ラル「じゃあ、これと似たようなものが扶桑にはたくさんあるのか?」
俺「そうだぞ。それにしても、こう見事に再現されているとここがオラーシャじゃないように思えてくるな……」
目を細めた俺の物言いは自身の髪を弄ぶ春風のように落ち着きをはらっていた。
かつて故郷で暮らしていたときの記憶に思いを馳せているのか細めていた瞼が完全に閉じられる。
飛び出すような形で祖国を後にした彼にとって目の前の旅館は郷愁をそそられるのだろう。
それでも穏やかな口調とは裏腹にどこか寂しげな横顔を目にしたラルは自分でも驚くほど自然な手つきで彼の手を握っていた。
ラル「おれ……」
俺「ん? あぁ、悪い。せっかくの旅行なのに……辛気臭い顔しちまったな。さっ! 入るか!!」
不意に左手を握られた感触にそれまで追想にふけていた俺も我を取り戻してラルの繊手を握り返す。
ラル「あぁ。いこう」
決して離さないと言わんばかりに互いの手を固く握り合う二人が旅館の暖簾を潜った。
まず初めに玄関に併設された下駄箱に靴をしまい、鍵穴に差し込まれていたキーを抜き取って施錠。
既に用意されていた真新しいスリッパに履き替えてロビーに進むと情緒溢れる木造の内装が俺とラルの二人を柔らかに迎え入れた。
宿泊手続きを済ませてくると言って自分をソファに座らせた俺の後姿を見送ったラルは改めて旅館内部の光景を眺め回す。
客室が存在する上の階へと繋がる吹き抜けの階段。
バルコニーから見渡すことが出来るのは遠く離れたバルト海の色鮮やかなブルー。
恋人の故郷である遠い島国の情緒に包まれたラルが徐々に口許を綻ばせたときである。
ラル「ん?」
ふとロビーの隅に佇む売店が目に入った。
そういえば基地を出る前にクルピンスキーたちが何か土産を期待しているようなことを言っていたなと思い出し、ソファから立ち上がって店先へと足を運ぶ。
笑顔を浮かべた店員の声を聞き流しながら店内をぐるりと一回り。
時たま手にした商品を眺めては棚へと戻す。
一体彼女たちは何を貰えば喜ぶのだろうかと
物思いに老け込んでいると事前に予約をしていたのか、カウンターに向かい合って十分と経たぬ内に宿泊手続きを終えた俺が部屋の鍵を手にして戻ってきた。
俺「お待たせ」
快活な笑みを伴った俺が目線の前まで鍵を掲げ持つと鮮やかな木目調が視界に入る。
紅色の紐――あとで俺から聞いた話によると組紐というらしい――で繋がった木製のプレートには奇しくも自分たちが所属する統合戦闘航空団と同じ客室の番号が彫りこまれていた。
こんな偶然もあるのかと感慨深いものを抱きながら、
ラル「んっ。意外に早かったな」
俺「まぁな。それに今日はグンドュラの誕生日だから些細なことで躓きたくは無いんだよ」
ラル「そ、そうか。ありがとう……」
笑みを濃くした俺から思わず視線を逸らしてしまう。
コーヒーを淹れられたばかりのカップを押し付けられたように熱を帯びていく頬。
気恥ずかしさを感じたラルは俺の腕にしがみつき、自分たちの客室に向かうことで胸の裏側に生まれた感情を紛らわせることにした。
そう。
三月十日の今日は自分の誕生日なのである。
今日という特別な日を自分と二人きりで過ごすために俺は予定を空けておくようにと頼んできたのだ。
思えば俺と二人で街に出掛けたことはあっても今日のように遠出をしたことはこれが初めてである。
クリスマスイブの際は成り行きでホテルに泊まったが今回は初めから一泊することを前提にこの温泉旅館を訪れているのだ。
ラル「…………っぅぅぅ」
歳相応の可愛らしい呻き声が形の良い唇から洩れた。
嬉しいような、恥ずかしいような。
どちらとも言えない、あるいはその両方が同時に込み上げて言葉では説明不可能な形となった感情に歯噛みする。
俺「グンドュラ? どうかしたか?」
ラル「ッ!? あぁ、いや。なんでもない!」
俺「そう……か?」
顔を覗きこまれ心臓が跳ね上がる感覚を覚えた。
吸い込まれそうになるほど深い俺の黒い瞳を前に視線を泳がせる。
この男の前では自分の502統合戦闘航空団の司令としての威厳が無くなってしまうことに気がつき、またしても複雑な感情を抱く羽目になった。
まったく。どうして俺絡みになると隊員たちに対する余裕が消えてしまうのだろうか。
そんなことを考えていると俺がまだ自分を見つめていることに気付き、
ラル「そうだ! ほらっ。いくぞ!」
弾かれるように離れ、大慌てで階段を上っていく。
後ろから続いてくる足音に唇を優雅に吊り上げながら。
結局は嬉しさの方が僅かに勝ったようである。乱暴な足取りはいつしか弾むように軽やかなものへと変わっていた。
ラル「これは……すごいな」
目の前の光景にラルの口から感嘆に満ちた言葉が零れ落ちる。
広々とした和の空間が広がる客室からは畳に使用されるいぐさの匂いが鼻腔をくすぐった。
ロビーのバルコニーと反対方向に面しているのか板張りの縁側から一望できる景色はバルト海ではなく生い茂る木々によって青に染まる山々で埋め尽くされていた。
俺「広い上に眺めもいいからな。いやぁ……本当に良い部屋もらったなぁ」
荷物を隅に置いた俺が畳張りの客室を歩き回るラルに笑みを浮かべながら茶葉を入れた急須に湯を注ぐ。
あんなにも無邪気に喜んでもらえると下見の際に山の中を歩き回った甲斐があったというものだ。
それに恋人の子供っぽい愛くるしい一面も拝めることが出来たことを考えると、やはり今回の小旅行を計画して良かったとしみじみ考えていると不意にラルと目線が絡み合った。
はしゃいでいる最中も視線を注がれていたことに気がついたのか、ほんのりと頬を染める彼女はテーブルを挟んで向かいの座椅子に腰を降ろす。
こほんと軽く咳払い。
俺「落ち着いたか?」
ラル「……恥ずかしいところを見せたな」
緑茶が淹れられた湯飲みを受け取ったラルが恥ずかしげに顔を背ける。
どれだけ撃墜数を叩き上げたとしても。どれだけ勇猛果敢であったとしても。
こうして自分の傍にいるときは、どこにでもいる一人の少女の一面を晒してくれることに深い喜びを感じた俺は自身の口許が緩み始めていくのがはっきりとわかった。
俺「別に恥ずかしがることはないさ。誰だって、初めて目にする景色には興奮するよ」
ラル「そう言ってもらえると、助かる」
俺「肩の力を降ろしてくれ。せっかくの旅行なのに緊張してたら意味がないだろう?」
ラル「…………………誰のせいだと思ってるんだ」
ぼそりと呟かれたか細い声は風に揺れる竹林のざわめきによって掻き消された。
残るのは頬を赤らめたまま緑茶の中身をちびちびと舐めるようにして啜るラルの表情。
俺「ん? 何か言ったか?」
ラル「別に。なんでもないよ」
俺「そうか? ならいいけど……っと」
ラル「俺?」
緑茶を二、三度啜った俺が座椅子から立ち上がってテーブルの脇に移るなり畳の上に寝転がった。
緩んだ顔つきから彼が扶桑で暮らしていた頃にも同じ行為を
繰り返していたことが窺える。
畳の上に寝転がることはそんなにも気持ち良いのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、まるで自分の家のようにくつろぐ俺の姿を数秒の間じぃっと見つめたあと、ラルもその身を彼のすぐ隣に横たわらせた。
床と比較すると僅かにだが柔らかな感触が背中や腰に伝わってくる。
サロンに設置されているソファと比べてしまえば雲泥の差ではあるが、それでも畳が持つ独特の心地よさに彼女は囚われつつあった。
俺「どうだ?」
ラル「…………悪くはないな。だけど私は」
俺「ん……ってぅわ!?」
最後まで言い終えることなくラルが寝返りを、それも俺に向かって打ち始めた。
すぐ真横で寝そべっていたせいか彼女の身体が俺のそれとぶつかるのに大した時間は要さなかったが、それでも彼女は転がるのをやめずにそのまま逞しい体躯へと乗り上げる。
そして、ここが自分の定位置だと言わんばかりに俺の胸元にしがみ付きようやく動きを止めた。
ラル「ここの方が好きだぞ?」
裏返った悲鳴を上げた俺を見下ろすような形でラルが唇を吊り上げる。
ここ最近はおろか、旅館を訪れてからも俺のペースに呑まれ調子を狂わされ続けてきたのだ。
この辺りで一度主導権を奪っておかなければ気が済まない。
俺「ここって……お、おまえなぁ」
ラル「駄目か?」
ちょうど心臓の部分に顔を密着させたラルが頬を通して全身に流れ込む力強い脈動に声を上気させた。
次いで胸元のシャツを握り締める。微かに漂ってくる汗の香りに頭が痺れていくのがわかる。肺一杯に俺の匂いを吸い込むと今度はシャツの上に顔を埋めた。
その際に頭上から降り注ぐ俺の声に自然と笑みが零れる。
最後に、まるで自分の匂いを擦り付けるようにして頬を摺り寄せ始めると突然頭に乗せられる手の平の感触。
視線を移せば困ったように微笑む俺の顔が。
俺「駄目なわけがないだろう」
ラル「俺ならそう言うと思った」
きっと今の自分はニヤついているんだろうなと思いつつ頭を撫でる手の平の感触に瞼を閉じる。
だって、こんなにも頬が緩んで。
こんなにも胸が温かくて。
こんなにも幸せな気分なのだから。
ラル「おれ……」
俺「どうした?」
ラル「今日は……まだ、してもらってない」
ねだる目つきにあぁと呟くように返す。
俺「……そういえば朝から忙しかったからな」
荷物の整理は昨夜の内に終えていたものの移動の間は落ち着いて離す余裕もなかった。
彼女が欲するのも無理はないだろう。
ラル「いいか?」
俺「もちろん。おいで、グンドュラ」
小さく頷いたラルが俺の身体を這い進み、彼の顔に自分のそれを近づける。
その際に胸が押し潰され若干の圧迫感を覚えたが、自身の乳房の感触に目を白黒させる俺の可愛らしい表情を前に悪くは無いなと胸裏で零す。
ラル「おれ」
両の手を愛しい男の頬に添えて、そっと唇を重ねる。
今日一番のキス。
今まで何十、何百と繰り返してきたが未だに胸の高揚感は治まる気配を見せてくれない。
それどころか回数を重ねる度に身体の芯から発せられる熱が確実に上昇しているような気がしてならなかった。
ラル「んっ……」
俺「……ん」
唇の隙間から熱の篭った吐息が漏れ出した。
初めは互いの唇を求めるだけのキスはいつしか舌を絡ませる深いものへと変化していった。
唾液と唾液が混ざり合う淫靡な水音が和の空間に木霊する。
相手を貪ることに囚われ息継ぎすら忘れていた二人が顔を赤らめて互いの顔から離れた。
時間にしてほんの数分。
それでも、たったの数分は二人にとって永劫にも等しかった。
俺「っはぁ……」
ラル「はぁ、はぁ……やっぱり、いいな。お前との、キスは」
白い頬に桃色を差し込んだラルが唾液に塗れた唇を指で拭う。
荒い息遣いも相まってか俺の目には今まで見てきた彼女のどの姿よりも妖艶に映っていた。
俺「そう言って……もらえると、男として……冥利に尽きるな」
ラル「はぁ……おれ。もう少し……このままで、良いか?」
俺「……あぁ。いいよ」
断る理由などない。
愛おしい少女がこうして自分に甘えてきてくれているのだ。
日頃は司令官として上層部の重圧から必死に部隊を守る彼女がこうして自分にだけは弱みを見せて、頼ってきてくれているのだ。
断ることなど出来るわけがないし、元よりするつもりもない。
ラル「ありがとう」
俺の返事に頬を綻ばせて再び胸元に顔を埋めると背中に温かい俺の手が伸ばされた。
そのまま子供を寝かしつけるように一定のリズムで優しく叩き始める。
俺「そんなに良いのか?」
ラル「お前だって寝るときは私の胸に顔を埋めて寝るじゃないか。あれと同じだよ」
俺「同じって……柔らかさが全然違うだろう」
個人的に女性の乳房が持つ神秘とも言える柔らかさと男のゴツい胸板を同列で捉えられるのは少々いただけない。
そんな自分の心情を見透かしたのかラルが目を細めた。
ラル「私は硬いほうが好きなんだ。それに……大好きな、お前のだから良いんだぞ」
俺「グンドュラ……ありがとう」
その言葉に俺は胸の奥底が痛みを生むほどの熱を帯びていく感覚を覚えた。
こんなにも自分のことを愛してくれる。
こんなにも自分は愛されている。
そのことがどうしようもなく嬉しい。
ラル「うん……だか、ら……」
俺「グンドュラ?」
数珠繋ぎになる言葉に俺が眉をひそめた。
よく見ればラルの身体がゆっくりと上下していることがわかる。
どうやら温泉に浸かるよりも先に日頃の疲れがたたってしまったようだ。
ラル「んぅ……んん……ぅぅぅん」
俺「いいさ。今はゆっくりおやすみ」
ラル「ふぁ……お、れぇ」
自分の夢でも見ているのだろうか。
そう思った途端、口許に笑みを零した俺が窓越しの景色に視線を移した。
愛しい少女をこうして抱けることに至福の喜びを感じながら……――
頭を撫でる優しい手つきにラルは目を覚ました。
瞼を開けば見覚えの無い和室が視界に広がっている。
一体ここはどこだろうかという疑問は蘇ってきた記憶によって掻き消された。
そうだ。
たしか自分は俺と一緒に近くに出来た扶桑の温泉宿に来ていたはずだ。
ラル「あ、れ……俺は?」
そういえば俺の姿が見当たらない。
もしかすると部屋を出ているのだろうか。それにしてもやけに寝心地の良い枕だな、などとまどろむ意識のなかで物思いに耽っていると、
俺「大丈夫だ。ちゃんとここにいるぞ」
ラル「……え?」
天井を仰ぐように体勢を変える。
視線の先には畳の上に寝そべる自分を見下ろす俺の顔がそこにはあった。
グレートエースが成せる勘なのか。
そのときラルは俺に膝枕されている状況を、自分を見下ろす彼の笑顔と後頭部を支える温もりを帯びた物体から見事に割り出した。
俺「おはよう。よく眠れたか?」
ラル「あぁ……そうか。私は寝てしまったのか」
どうやら、あのあと俺の身体の上で眠りについてしまったらしい。
せっかく彼と二人きりの温泉旅行をよりにもよって惰眠で消費してしまうとは。
自らの不甲斐なさに涙まで零れ落ちそうになる。
ラル「今……何時だ?」
俺「ちょうど……四時近くだな」
宿に着いたのが確か昼ごろだったはず。
少なくとも二時間以上は寝入ってしまっていたことになる。
ラル「……すまない。せっかくの旅行なのに」
俺「気にしないでくれ。寝るほど疲れたんだろう? 俺のほうこそ……ごめんな。疲れてるのに連れ出して」
ラル「そんなことはない!!」
自分で張り上げた声に自分で驚いてしまう。
重苦しい空気が流れるよりも先に何か話題転換を図らなければと思考を巡らせたラルは俺の衣服がいつの間にか変わっていることに気がついた。
ラル「その格好はなんだ?」
俺「これか? 浴衣と茶羽織だよ。グンドュラも着たらどうだ?」
開きっぱなしとなった押入れの襖から察するにどうやらそこに収納されていたらしい。
綺麗に畳まれた浴衣と茶羽織。そして、藍色の帯がテーブルの上に置かれていた。
ラル「わ、私の分もあるのか?」
俺「当然」
ラル「むぅ……」
と浴衣を手にとって一言。
初めて目にするだけあってか着方がよく分からないのが本音である。
だが、せっかくの旅行なのだ。思い出作りに着てみるのも悪くない。
ラル「わかった。そのかわり! 後ろを向いていてくれ」
俺「えっ……いいのか? 別に俺は廊下に出ても構わないぞ」
ラル「別に良い。廊下だって冷えるだろうし……それに、真っ先にお前に見て欲しいからな」
俺「グンドュラ……」
ラル「着替えるから! 後ろを向いていてくれ! 絶対に覗くなよ?」
俺「りょ、了解!」
背を向けると同時に紐が解かれる音が耳に入った。
おそらくは腰を守る魔法繊維で編みこまれたコルセットを外している音だろう。
次にプチプチ――とボタンが外れる音が耳朶をかすめ、ばさっと何かが畳の上に投げ捨てられた。
音の重量からみてジャケットと判断して間違いない。
ラル「んっ」
背中越しから聞こえる声音。
しゅるり――とした音を立ててリボンが。
小気味の良い音を奏でてシャツが。
ラルの白く滑らかな裸体を守る布が一枚、また一枚と音を立てて剥がれていく光景を脳裏に思い浮かべる俺が生唾を飲んだ。
たかが布擦れ音だというのに、どうしてこんなにも妄想が駆り立てられるのだろうか。
そんなことを考えているともう一枚、何かが畳の上に落とされた。
はて。コルセット、ジャケット、リボン、シャツと来れば次は何もないはずである。
まるで検討がつかず一人頭を悩ませていると後ろから肩を叩かれた。
俺「どうした?」
ラル「お、帯が上手く締められなくて……手伝ってくれないか?」
俺「わかった。じゃあ、振り向くからな?」
ラル「あ、あぁ」
ラルのどこか艶を帯びる上擦った声にどぎまぎする俺が背後を振り返った瞬間、絶句した。
白い薄布に覆われた肉体。
流麗な曲線を見せ付ける腰周り。
そして自分の目を惹いたのは襟元から零れんばかりに姿を覗かせる豊かな双乳が織り成す深い谷間の姿であった。
そのとき俺の脳裏にブリタニアの第501統合戦闘航空団へと出向いた際に出会った一人の少女の姿が蘇る。
名をシャーロット・e・イェーガー。
部隊一の肉体美を誇る彼女は別名をグラマラス・
シャーリーとも称されているが浴衣に身を包む眼前のラルも彼女に勝るとも劣らない悩ましい肉体を有していた。
ラル「お、俺? どこか変か?」
俺「えっ!? あぁいや! 綺麗だぞ!!」
見惚れていたことに気がつき慌てて取り繕う。
ラル「きっ! 綺麗!?」
自分では自信を抱くことが出来なかっただけに恋人からの慮外の賛辞にラルの頬がみるみる紅潮していった。
むず痒さを感じたのかもじもじと身を捩る彼女の姿に俺が更に生唾を呑み込んだ。
動くのだ。
胸が。
揺れたわむのだ。
乳が。
俺「(いかんいかんいかん! たしかに魅力的だけど!!)」
そんな肉欲にまみれた目で彼女を見ないと誓ったではないか。
自分は彼女の――ラルの身体目当てで付き合っているわけではない。
だというのに。どうして、こんなにも胸の辺りに視線が釘付けになるのだろう。
俺「えっと帯だったよな!? じゃあ、そっち側を持っててくれるか!?」
ラル「あ、あぁっ」
このままではいけない。
瞬時に判断を下した俺は慌てて行動に移した。
他のことに意識を集中することさえ出来れば彼女の胸を頭から追いやることが可能なはず。
そう考えての行動だったのだが俺はすぐさま自身の浅はかな行動に後悔することとなる。
俺「(ッッッッ!!??)」
器用に帯を締めていく俺であったが頭上から、そして眼前から漂う女体特有の甘い香り。
柑橘類の石鹸でも使用しているのか。
甘酸っぱい匂いが俺の鼻腔をくすぐり、理性すらも削り始めた。
ラル「俺? どうした? 手が止まっているぞ?」
俺「えっ? あ、あぁ……悪い。えっと……これでよし。どうだ? きつかったり、苦しかったりしないか? 痛かったりしないか?」
ラル「うん……大丈夫だ。動き易いし今のところは特に問題はないな」
帯で締められた腹部を見下ろしながら袖を持ち上げ、その場で一回転。
ふわりと持ち上がった髪からまたしても香りが放たれ俺がすぐさま数歩後ずさる。
ラル「おれ……?」
俺「ど、どうかしたか?」
ラル「…………どうして……避けるんだ?」
悲しそうに目を細める恋人の姿。
そのとき自分が勝手に彼女の魅力に振り回され、勝手に距離を置いていることに今更のように気がついた俺は自分自身に向かっての嘆息を零した。
何をやっているのだろうか。
誕生日にあんな寂しげな目をさせるために自分はここを選んだわけではない。
この一瞬をより輝かせるために。
そして何より。これからの未来を紡ぐためにこの場所を選んだのではないのか。
俺「ごめんな……」
ラル「なら……わかるな?」
無言で頷くと立ち上がり彼女の腰に手を回して抱き寄せる。
ほんの僅かであってもラルの胸裏に生じた寂しさを拭うように、きつく抱きしめる。
ラル「うん……」
瞼を閉じて俺に身を委ねたラルが小さく、それこそ俺にしか届かない声色で呟いた。
ラル「ふふっ。もういいぞ? いつまでも抱きしめられるのも魅力的だが今日は他にすることがあるからな」
俺「そうだな。それじゃっ! 温泉行きますか!!」
目の前で赤と青の暖簾に飾られた二つの入り口に深い溜息を零した。
せっかくの温泉なのだ。
だというのに、こんなところで引き離されるなんて……――
俺「しょうがないさ。ここは旅館なんだし」
隣で着替えを手に持った俺も言葉とは反対に表情には暗い影が差し込んでいる。
どうやら彼も同じことを期待していたようだ。
ラル「おれぇ……」
俺「そんな顔しない。俺だって……グンドュラと離れるのは嫌だけど。でも、俺やお前がどっちかのところに行くわけにはいかないだろう?」
自分が女湯に入れるわけなどないし彼女を男湯に入れるわけにもいかない。
他の男に自分の女の裸を拝ませるなど絶対にあってはならないのだ。
それでもラルはあたかも今生の別れのように自分の袖を掴んでくいくい――と引っ張ってくる。
ラル「離れたくない……」
こんなことを男に対して自然と口に出来るなど数年前の自分では到底考えられなかった。
それほどまでに自分のなかでの俺が強く大きいという証拠なのだろう。
瞳に寂しげなラルが観念して女湯の暖簾を潜ろうとすると、
女将「あら? お二人ともお風呂はまだ早いですよ?」
廊下の角から現れた女将と思われる妙齢の女性が二人の許に向かって歩み寄ってくる。
俺「え、そうなんですか?」
女将「えぇ。あっ! でもちょうど良かった! 混浴の方なら開いてますよ」
ラル「こっ! 混浴!?」
俺「詳しい話を聞かせてください」
恐ろしいほど冷静な口調で俺。
女将曰くこの旅館には男湯と女湯の他にも混浴用の露天風呂を設けたのだが文化の違いからか混浴のほうは誰も利用していないらしい。
俺「あぁ……でも」
女将の話を聞いて初めは瞳を輝かせた俺だが、あることに気がつき言葉を濁らせる。
たしかにラルと同じ湯船に浸かりたいが温泉といえども公衆浴場であることには変わりない。
誰も利用していないだけでいつ他人が入ってくるかもわからず独占欲の高い俺にとって恋人の柔肌を他人にさらすことは自身が痛めつけられること以上の苦痛なのである。
といってもやはり同じ湯に浸かり、同じ景色を眺めたかった。
ジレンマに苛まれていると俺の心情を汲み取ったのか女将がしっとりとした笑みを浮かべた。
女性「でしたら……入り口のところに清掃中の札でも掛けておきましょうか。それなら誰も入って来ないですよ」
俺「本当ですか!?」
ラル「で、では……そうしてもらえますか?」
女将「はい。ただいまご案内しますね」
脱衣所に通されたあと、またしても互いに背を向けて浴衣を脱いだ俺は一足先に浴場へと足を踏み入れていた。
広々とした岩造りの露天風呂。
日が沈み始め紅色と深い青が入り混じった空を眺めていると背後の引き戸が音を立てて開いた。
ラル「お、おまたせ……」
俺「…………」
振り向いた瞬間、再び思考が停止した。
裸をタオル一枚で隠す際どい姿。薄いタオルで覆われた艶かしい肢体。
薄布の下からその存在感を放つ形良く盛り上がった胸。
きゅっとくびれたウェストラインは思わず抱きついて頬ずりしたくなるほどの滑らかなカーブを見せ付ける。
ほんのりと桜色に染まる白い太もも。
俺「………………綺麗だ」
どこか呆けたような口調。
正直自分でも何を口走ったのかよくわからない。
それほどまでに彼女の肉体は美しく、魅力的で、妖艶さをも兼ね揃えているのである。
ラル「そっ、そんなにジロジロと見るな」
俺「あぁ。悪い……」
――ぴた……ぴた……
俺「ん?」
ラル「その、だな。連れてきてくれた礼だ……せ、背中を流してやる」
俺「えっ! いや、でも!!」
ラル「今のお前だと苦労するだろ。だから……ほらっ! こっちにこい!」
そういうなり腕を掴まれると木製の椅子に座らせられる。
桶に溜め込んだ湯を流され石鹸を使って泡立てた手で背中を擦られる。
ん?
待て。
手だと?
俺「おまっ! タオルはぁ!?」
ラル「タオルで擦るのもよくないんだぞ? それとも私の手だと不満か?」
俺「不満じゃ……ないです」
ラル「素直でよろしい。大人しくしていろよ」
自慢げに唇を吊り上げ俺の背中を擦っていく。
その無数の傷が刻み込まれた背を。
ただウィッチのためだけに生き、幾多の命を奪ってきた無数の代償にラルが目を細める。
いつしか背を擦る手は完治した傷口を上からなぞっていた。
俺「……グンドュラ?」
ラル「私は……お前が好きだよ」
俺「……あぁ。ありがとう」
笑みを零した俺がその一言に全てを込めて返した。
血で汚れた自分をラルは好きだと言ってくれた。
一緒に生きていくとも言ってくれた。
ならば自分も彼女の愛には応えなければならない。
あのとき月明かりの下で、銃弾飛び交う空の中で誓ったのだ。
一生幸せにしてみせると。
肩に乗せられた手に自分のそれを重ねて握り締める。
まだ湯船に浸かっていないというのに俺は全身が緩やかに温まっていく感覚を味わった。
ラル「いい湯だな……」
俺「あぁ。心が洗われるよ」
並んで湯船に浸かりながら俺とラルの二人が夜へとその姿を変えた空を仰ぐ。
湯の中で手を握り合っていると、
ラル「俺。もっと近づいても良いか?」
俺「もちろん。おいで」
ラル「……うん」
湯を掻き分け身を寄せるラルの肩に手を回し胸元に抱き寄せる。
ラルもまた抵抗せず黙って身を委ねた。
身体を密着させているせいか自然と体温が上昇していくのがわかる。
湯よりも熱く、そして心地よい互いの温もりを感じながら雲の切れ間から現れた月を見つけ、小さく笑みを落とした。
俺「気持ち良いな」
ラル「あぁ……本当に」
タオルを脱ぎ捨て互いに一糸纏わぬ姿となった俺とラルの二人。
不思議と下心は沸いて来ず肉欲よりも今この雰囲気を楽しみたいという欲求が二人を包み込んでいた。
俺「グンドュラ……」
ラル「ん? どうし――」
言葉は俺の唇によって遮られた。
突然の口付けに目を丸くしたラルであったが、すぐさま微笑みを作って彼の想いに応える。
舌と舌を絡めようとはせずただ唇を求め合うだけのキス。
それを数分にかけて繰り返す。離れたあとも二人の表情は紅潮しつつも相手から視線を逸らすことはなかった。
俺「そろそろ出るか?」
ラル「そうだな。もうそろそろ夕食の時間だからな」
名残惜しそうに返すと湯船から立ち上がる。
水滴を帯びた張りのある肌を見上げる俺も立ち上がり脱衣所へと向かう彼女の後に続いた。
俺・ラル「「乾杯」」
手にしたお猪口を小さく打ち付けあい口許に運ぶ。
ビールやワイン、ウィスキーとは異なるすっきりとした舌触りの扶桑酒が口を、喉を潤した。
視線を外に逸らせば剥き出しとなった満月が。
俺「夕食はどうだった?」
ラル「うん。刺身というのも悪くないな」
俺「よかったぁ」
安堵の溜息を零す。
今回の旅行の中で気がかりとなっていたのが実は食事だったりする。
西洋では地域によって生魚を食べる習慣がないと聞く。
扶桑の様に刺身や寿司の料理がない欧州の人間であるラルにとって今回出された活き作りは最大の難関であったのだが、それは杞憂に終わった。
さっぱりとした食感と独特の歯ごたえが気に入ったらしく彼女の箸は一度も止まることがなかった。
ラル「俺。今日はありがとう」
俺「いいさ。俺のほうこそ……ありがとう。楽しかったよ」
徳利を手にとってラルのお猪口に扶桑酒を注ぐ俺が落ち着いた声色で返した。
旅行に行こうと持ちかけたとき、正直に言うと不安だったのだ。
日頃の激務で疲れているなかの旅行など彼女にとっては迷惑ではないか。
そんな思いが強かっただけに潔く二つ返事で応えてくれた彼女の微笑みを見たときは、どこか救われたような心地だった。
ラル「あぁ……最高のプレゼントだよ。本当にありがとう」
俺「………………え?」
ラル「ち、違うのか?」
素っ頓狂な俺の物言いにラルは口許へ運ぶお猪口をテーブルの上に戻した。
てっきり今回の温泉旅行をプレゼントと捉えていただけに俺の言葉は他にプレゼントがあることを仄めかしていた。
俺「あぁ。ちゃんと用意してあるぞ」
言うなり部屋の隅に置いてあった自分の鞄から何かを取り出し、後ろ手に隠して戻ってくる。
俺「グンドュラ。左手を出して目を瞑ってくれないか?」
ラル「うん? 構わないが」
言われた通りに目を瞑って左手を俺に差し出す。
一体なんだろうか。
期待に胸を膨らませていると、
ラル「……えっ?」
薬指に通された冷たい金属輪の感触に思わず瞼を開いてしまった。
ラル「こ、これって……」
プレゼントを通された左手を持ち上げる。
薬指には月光を受けて煌く銀の指輪。
更に手を動かすと中央には小さな藍玉がその姿を覗かせた。
俺「誕生日、おめでとう。それで……その、こんな時に言うのもなんだけど。お前さえ良ければ……今後もずっと、俺の傍にいてくれると嬉しい」
恥ずかしいのか言葉を途切れ途切れにする俺が頬を赤らめながらも真っ直ぐに視線を注ぎ、
俺「俺と……結婚してください」
深々と頭を下げた。
家はないけど。貯蓄は……まだ残ってるけど。
それでも世界中の誰よりも愛している気持ちは誰にも負けないから……――
黙って彼女の返事を待っていると頭上から泣き声が聞こえてきた。
慌てて顔を上げれば瞳から大粒の涙を流す恋人の泣き顔が視界に飛び込んでくる。
俺「グンドュラ?」
もしかして気に入らなかったのだろうか。
ひょっとしたら宝石が小さかったかもしれない。
サイズが合わずきつくて痛いのかもしれない。
そんな不安が次々と過ぎるなかラルが涙を零しながらも笑みを作った。
ラル「ちがっ! ちが……うんだっ! だって……ひっく……こ、こんな……」
俺「?」
ラル「嬉しいんだっ! 嬉しいんだよっ! おまえが……ずっとっ、私との未来を考えていてくれたことが……私はぁ! 嬉しくて! 嬉しくて!!」
あぁ……どうしてこの男はこんなにも自分の心を揺さぶってくるのだろうか。
ほんと、お前には敵わないよ。
だから俺。
そんな不安そうな顔をするな。好きな男から指輪を貰って喜ばない女などいるわけがないだろう。
俺「じゃ、じゃあ」
ラル「っぐ……私でよければ。しあわせに、してください……」
必死に嗚咽を殺しながら、ラルは自分に出来る最大級の言葉を口にした。
月明かりに照らされた二つの影。
それらが一つとなることに然程の時間は要さなかった。
照明が落とされ暗闇が広がる室内のなか、用意された布団に包まる俺は薄っすらと見える天井の木目を見上げていた。
今日という日が終わることへの寂しさを抱きながら寝返りを打つとまだ起きていたのかラルが笑顔のまま自分に視線を注いでいた。
俺「どうした? 寝れないのか?」
ラル「あぁ。まだ身体が火照っていてな……なぁ? これは夢じゃないんだよな?」
俺「もちろん」
ラル「だったら……証明してくれ。これが現実であることを」
私たちの未来が決まったことを。
そう続けるラルの布団に潜り込んだ俺は左腕で彼女の身体を抱き寄せた。
そのとき、俺は気付いてしまった。下着越しから伝わってくるはずのブラジャーの感触がないことに。
俺「なぁ? ぐ、グンドュラ……お前もしかして」
ラル「……前に、な。本で読んだとき……下着はつけないと書いてあったから……ま、間違っていたか!?」
恥ずかしさに耐え切れず言葉を途切れさせながら返すラルを見つめる俺が数回ほど頷いた。
なるほど。彼女が浴衣に着替えている際に畳の上に落ちた衣類の音が一つ多かったのはブラジャーを外したからだったのか。
何度か浴衣を身に着けた経験がある俺だが、いくらなんでも女性が下着を身に着けるかどうかまではわからなかった。
その本に記載されている内容が真実とも偽りとも言えない彼はただラルを抱き寄せて安心させることしか出来なかった。
密着する身体と身体。上質なシルクなど安物に思えてしまう肌触りが全身を満たす。
俺「どうだ?」
ラル「あぁ……現実だな。私は今ここにいる……お前の傍で。お前に抱かれながら、ここにいる」
俺「グンドュラ」
ラル「?」
俺「好きだぞ」
月並みな台詞だが、これほど想いを伝えるのに適した言葉は他に見当たらない。
愛を囁くのに余計な飾りつけなど必要ないのである。
ラル「…………あぁ。私もだ。愛しい俺」
今日何回目かも知れない口づけ。
きっとこれからも繰り返していくのだろうと思いながら俺は愛しい女の手を握り締めて夢のなかへと落ちていった。
翌朝、自分たちが一夜を過ごした宿を見上げるラルが深い溜息を吐いた。
楽しい時間とは本当に一瞬で過ぎ去っていくものだ。
ウィッチとしての仕事が嫌だというわけではないが、もっと俺との時間を過ごしたいという気持ちもある。
俺「戦いが終わったらまた来れるさ」
ラル「そうなんだが……な」
ネウロイとの戦いさえ終わればいつでも好きなように彼と過ごすことができる。
わかってはいるのだが先の見えない戦いにどうしても不安を抱いてしまう。
大切なものが出来たからこそ失うのが怖くなる。
本当に自分はこの戦いが終わるまで生き残ることが出来るだろうか。
普段ならば考えないことまで考え込むラルの肩に俺が手を乗せ、
俺「だったら。戦いが終わったら……今度は一緒に扶桑に行って見ないか?」
ラル「扶桑にか?」
俺「あぁ。本場の温泉もいいものだぞ? それに目的があるほうが今後にも気合が入るだろう?」
そうだ。何も弱気になる必要はない。
自分には支えてくれる仲間が、優しく包み込んでくれる俺がいる。
決して一人ではないのだから。
平和が訪れた暁には俺と一緒に扶桑旅行を楽しめば良い。
尤も本場の温泉にも惹かれるがラルの胸の内では彼の故郷をこの目で見たいという欲求が勝っているのだが。
ラル「たしかに魅力的だな。だけど新婚旅行にはまだ早くないか?」
俺「……駄目?」
ラル「もう少し。今はもう少しだけ恋人としての関係を楽しみたいんだ……それくらい。いいだろう?」
俺「むっ……それも、そうだな。なら今はこのままで良いか」
ラル「あぁ」
互いに微笑みかけ手を繋いで歩き出す際にラルの左手薬指に通された指輪のアクアマリンが陽の光を浴びて柔らかに輝いた。
基地への帰路を辿りながらラルはこの指輪のことをどう説明すれば良いか悩み始める。
そして、何か妙案を思いついたのか口許を綻ばせた。
もし何か言われたのなら真っ先にこう返そう。
自慢の旦那が出来たと。
おしまい
最終更新:2013年02月04日 14:35