誰かが自分の頬を撫でている。
柔らかくて、それでいて懐かしさを胸の内に抱かせる手の平が頬に添えられている。
まるで自分の全てを優しく包み込んでくれるような心地よい感触に自然と頬を緩めてしまった。優しげな愛撫によって目を覚ました俺は、ほんの数瞬瞼を開くことに躊躇いを感じた。
瞼を開いてしまえば、この温もりに溢れた幸せがどこか遠くへと消え去ってしまうのではないか。
心の片隅で、そんな子どもじみた俺の微かな抗いを奪い取るかのように、カーテンの隙間から差し込んだ日差しが顔の上に降り注ぐ。
太陽光が瞼を透過し、痛みにも似た小さな刺激が眼球に押し付けられたかのような感覚に思わず口から呻き声が漏れ出し、それまで開くことを拒んでいた瞼を思わず開いてしまった。

俺「グンドュラ……?」

軽い後悔を感じながらも段々と明瞭化していく視界をぼんやりと眺め続けていたときである。
自室の天井を出し抜いて真っ先にベッドの上に横たわる自分の視界に入り込んだ愛しい恋人の優しさに満ちた微笑みを捉えた俺が目を丸くした。
僅かに生じた驚きも次の瞬間には掻き消え、得も言われぬ安らぎが全身を満たしていった。
女神像など比べ物にならないほどの慈愛に満ちたその微笑を前に体中の筋肉が緩んでいく感覚を覚えながら、無条件に自分を温めてくれる恋人の笑顔に綻ぶ俺の口許。

ラル「起こしたか?」

俺「……いや。大丈夫だ」

離れていく手の平に後ろ髪を引かれる思いを感じつつ、小さく欠伸を吐き出した。
目を覚ました自分の顔を覗き込む完成された美貌。澄んだ青の眼差しに思わず逸らしてしまいそうになる視線を半ば強引に固定する。
どこか気恥ずかしさを感じながらも、その春先の陽射しを思わせる微笑みをいつまでも見上げていたいという矛盾を胸裏に孕ませながら。

俺「どうして……俺の部屋に?」

手の甲で瞼にこびり付いた目脂を擦り落としながら問いかける。
そもそも目を覚ましてから一度も時間を確認していないため、今が何時なのかも判らない。
少なくともカーテンの隙間から差し込む光にほんのりと朱色が差し込んでいることから、夕暮れ辺りだろう。
そう見当をつけつつ上体を起こし、壁に掛けてある時計に視線を移した途端に俺の黒い瞳が見開かれた。
長短二つの針はちょうど休憩時刻の半ばを指していたからである。

俺「もしかして……会いに来てくれたのか?」

こくん――と。
それこそ、自分にしかわからないほど小さく頷いたラルの姿に俺は胸の奥がじんわりと熱を帯びていく感覚を覚えた。
本来なら今頃は書類の山のことなど忘れ、束の間のティータイムを楽しんでいたはず。
昼食を終えてから執務室でずっと書類仕事を続けていたというのに。
消灯時刻に入れば再び顔を合わし、同じ布団で眠りに就くことも出来たというのに。
それでも彼女は己の休息よりも自分との逢瀬を選び、こうしてわざわざ足を運んできてくれたのだ。

俺「……ありがとう」

たった一言。
けれども、その一言に込み上げてきた歓喜と感謝の全てを詰め込んで囁くように返し、つい先ほどまで自分の頬をそっと撫でていてくれた彼女の手を包み込む。
すると、そんな自分の気持ちに応えるかのようにラルもまた手を握り返してくる。
名前を呼べば返事をし、笑いかければ笑い返し、手を握れば握り返してくれる。
想いが通じ合い、将来を誓い合った今となっては当たり前のことだけど、そんな当たり前で……小さな幸せが何よりも愛おしくて仕方なかった。

ラル「いいよ、私が会いたくて来たんだ」

俺「それでも嬉しいんだ。とっても」

ラル「……ぁ」

不意に手を引かれたラルがベッドへと腰掛ける俺の身体へと前のめりに倒れ込む。
手を引いた俺もまた彼女が怪我をしないよう、柔らかな肢体を抱きとめる。
窓を覆う布と布との間に生まれた僅かな隙目から差し込む赤みがかった光だけが唯一の灯りとなった石造りの部屋のなかで男と少女が寄り添い合った。
男はあらゆる重責を背負う少女の負担を少しでも和らげようと、なだらかな背に手を伸ばし。男の優しさを感じ取った少女もまた司令として魔女としての荷を降ろして愛しい温もりに身を委ねる。
その行為が如何に絶大な安らぎを彼女に齎しているのかが、緩む端整な頬から窺えた。

俺「お仕事、お疲れさん」

ラル「………………うん」

囁きとも取れる小さな返事が唇から零れ落ちる。
今まで多くの人間に、それこそ何度も掛けられた労いの言葉にも拘わらずラルは自身の胸がとくん――と弾んだ鼓動を放つのを感じながら唇を吊り上げた。
その短い言葉に自分の全てを満たしてくれる優しさと愛情が注ぎ込まれていることを感じ取ることができたから。

ラル「ありがとう」

静かに高鳴っていく胸の鼓動を耳にしながら、寝入るかのように目を瞑って頬を摺り寄せた。
しばらくの間、軍服に包まれた彼女の背中を撫でていた手を今度はふんわりとした感触の茶髪へと伸ばして撫でつけはじめ、

俺「本当にごめんな。せっかく会いに来てくれたのに寝ちまってて……何だったら起こしてくれても良かったんだぞ?」

ラル「あんなにも気持ち良く寝ている姿を見せられたら、起こすわけにもいかないだろ。それにな」

俺「……それに?」

ラル「惚れた男の寝顔をもっと見ていたかったんだよ」

それまで胸元に顔を埋め、大人しく身を委ねていたラルが返事と同時に顔を上げ、ニッと白い歯を見せて微笑んだ。
隠す気など微塵も感じ取れないほどの真っ直ぐな愛情で満たされた彼女の言葉に俺の心臓が跳ね上がり、次の瞬間には引き締まった頬が赤く色づいていた。
自分よりも年上の男が見せるどこかウブな一面に、くすり――とラルの笑い声が部屋の中を静かに広がっていった。

ラル「相変わらず可愛い寝顔だったぞ? なんだったら今度写真にでも撮るか?」

俺「と、撮らなくて良い!! やめてくれ!」

やや語気を荒めた俺が気恥ずかしさに耐え切れず顔を背ける。
そんな姿がラルの目にはますます子どもっぽく映り、一層彼女の笑みを生み落とす肥やしとなることも知らずに。

ラル「くくっ。そうか……そうかっ」

俺「まったく……」

目の前の椅子に腰掛けて優美な脚線美を見せ付けるように組んだ脚を揺らし、口許に手を添えて笑い声を上げる恋人の姿に目線を戻す。
すると再び目と目が合ってしまい、慌てて視線を逸らした。
視界の片隅で息を整えるラルが何やら歪に唇を歪ませたのは気のせいだと信じたい。

ラル「どうした? 随分と顔が赤いぞ。照れているのか?」

俺「ちっ! 違う! これは……あれだ! 夕日のせいだ!」

ラル「本当か?」

俺「ほ、本当だとも!」

ラル「それでも熱があったら大変だ。どれ」

俺「うぁっ!?」

何とかして内心の動揺を悟られないよう気丈に返す俺であるが、そんな彼に更なる追撃をかけようとラルが身を乗り出す。
俺はというと顔を背けていたせいで彼女の接近に気がつかず片手で押さえつけられてしまった。
そのまま身動きが出来ない恋人へと顔を近づけながら前髪を掻き上げ、こつんと小気味の良い音を立てて自分の額を彼のそれへと軽く打ち付ける。
しばらく体温を測っていたラルは平熱であることを確認し、ゆっくりと離れていった。

ラル「うん。熱はないみたいだぞ」

俺「そ、そうか……」

満足げな声色に上擦った声しか返せない。
目を覚ましてから今に至るまで俺は完全に彼女の術中に落ちていた。

ラル「よかったじゃないか。いつかのように風邪を引いてなくて」

隣に腰を降ろし、身体を預けてきたラルの腰に手を回して抱き寄せたとき、俺の脳裏にある出来事が蘇る。
それは今年の初め。雪が降り積もり北国ならではの厳しい寒さが基地内にまで入り込んできた季節のある日のことだ。
サロンに持ち込んだこたつを使ってラルとともに束の間の休息を楽しんだ俺はつい寝入ってしまい、珍しく風邪を引いた。
その後は一日中、彼女に身体を拭かれ、食べ物を食べさせられるなど何かと恥ずかしい思いを味わう羽目になったのである。

俺「当たり前だろう。そんなに何回も引いてられないさ」

赤裸々に蘇ってきた恥ずかしい記憶を振り払うかのように頬を赤く染めた俺が視線を泳がせた。

ラル「私は構わないぞ。お前の看病は楽しかったからな」

俺「俺は! 恥ずかしかったんだよ……」

胸板の上に這わせた五指を動かし、人差し指で“の”の字を描くラルの弾んだ言葉に何とか反論を搾り出す。

俺「自分の女の前とはいえ、あんなみっともない姿晒したくないんだ」

ラル「……私はみっともないとは思わなかったぞ」

俺「そう、か? だけど……カッコ悪く、なかったか?」

ラル「まさか。人間生きていれば風邪の一回や二回は引くさ。それに、また一つお前のことを知ることが出来たんだ。むしろ……嬉しいくらいだよ」

身を預けるラルが笑みとともに本音を吐き出す。
風邪で弱った俺が見せた寂しげな表情。それは普段、決して見せることのない彼の内に秘めた弱さでもあった。
恋人が初めて曝け出した繊細な一面を包み込むことが出来たあのときの幸福感は今でも鮮明に忘れることができない。

ラル「私でもお前を包んでやれるんだな……」

じんわりと胸の中を広がっていく温かさに浸りつつ、瞼を閉じる。
大切な人に愛され、愛し。その人に包まれ、包み込む。
そうやって互いに寄り添い合いながら共に生きていけることに確かな幸せを抱きながら。

ラル「そ、それに。私たちは……もう、夫婦だろ? 夫婦は互いに、さ、支えあう……ものじゃないか……」

俺「……夫婦、か」

顔を赤らめるラルの指に通された指輪が僅かに差し込んだ光を浴びて煌きを帯びる光景を見下ろす俺が目を細めた。

俺「結婚式。早く開けると良いな」

ラル「そうだな。早く戦いが終われば良いんだけどな……」

俺「不安か?」

ラル「不安だよ。今がこんなにも幸せなんだ。不安にもなる」

俺「……大丈夫だ。少なくとも俺はお前を残して逝ったりしないし、お前や皆を死なせたりはしない。もう魔法力なんて殆ど残ってないんだけどな」

その美貌を微かに曇らせながら上着の裾を弱々しく握ってきた彼女の頭に手をのせて、少しばかり強めに頭を撫でる。
胸裏に宿る不安を打ち払うかのように。繊細な心を柔らかく包み込むように。
丁寧な手つきで手の平を動かしていると、身体を小さく強張らせたラルがくすぐったそうに腰を捻った。

ラル「こ、こら。くすぐったいぞ」

俺「じゃあ、やめるか?」

わざとらしい笑顔を貼り付け、手を頭から離す。

ラル「そ、そんなことは言ってない。もう少し優しくしてくれ」

俺「こう、か?」

ラル「……なぁ、俺」

俺「ん?」

それまで黙って俺の愛撫に身を任せていたラルが不意に顔を上げる。
青い瞳に漂う物欲しげな光を捉えた瞬間、俺は思わず生唾を飲み込んでしまった。
他の隊員たちと比べ、幾分か大人びた彼女が曝け出した“女”の一面。
込み上げてきた黒々とした衝動をどうにか斬り捨てようと何度も瞬きを繰り返すも、そんな俺の努力を押し潰すかのように瑞々しい桜色の唇は蜜にも似た甘い言葉を囁いた。

ラル「せっかく会いに来たのに。何も、してくれないのか?」

俺「……良い、のか?」

言葉が妙なところで途切れてしまう。
正直なところ、自分でも正確に声を発せられているかどうか自信が無かった。

ラル「当たり前だ。ずっと会えなくて、切なかったんだぞ? 少しは判ってくれても良いじゃないか……」

それに――と一度口を噤むなり、気恥ずかしそうに視線を泳がせはじめる。
これから何を言おうとしているのか自分でもわかっているからこそ、全身を焦がす熱に思わず身を捩る。

ラル「私はもう……お前の女(もの)なんだぞ。一々聞かなくても……欲しかったら……いつでも、その」

羞恥心が最高潮にまで達したのか最後まで続けることが出来ず、俯いてしまった愛おしい人の顎下にそっと指を這わせた俺は、

俺「……ごめんよ」

一言告げて。
部屋の中へと微かに入り込む茜色の光に照らされたラルの顔に自分のそれを近づけ、形の良い唇を奪った。

ラル「……ん」

唇と唇の合間から漏れ出す吐息に熱が帯びているのを肌で感じたラルが両腕を俺の背中に回して身体を密着させる。
重なり合う胸と胸から伝わってくる心臓の鼓動。
身も心も蕩けてしまいそうな熱に思わず瞼を閉じてしまう。

俺「とりあえず今はこのくらいにしておこうな」

ラル「あ、あぁ……」

笑みを湛えて離れていく俺の言葉にぎこちなく頷いたそのとき。
サイドテーブルに置かれた一つのフォトフレームが、口付けの余韻を楽しもうと唇に指を這わせたラルの視線を引きつけた。
木製のフレームに収められている写真はかつて彼が扶桑皇国陸軍に所属していた頃、同じ部隊に所属していた仲間たちと共に撮影されたもの。
“巴御前”こと穴拭智子。
“隼”の加藤武子。
“電光”と名高い加東圭子。
“魔のクロエ”の異名を持つ黒江綾香。
どれも扶桑を代表とする錚々たる顔ぶれが彼を囲んで年相応の少女らしい可憐な笑みを向けている写真に何を感じ取ったのか目を細めていくラル。
気がつけば青い瞳に漂っていた潤んだ光は消えうせ、やや不吉めいた色が浮かび上がっていた。

俺「その写真がどうかしたのか?」

ラル「本当に大切なものなんだな。この写真は」

この部屋に足を踏み入れれば必ずと言っていいほど目にする写真を眺めながら問いかける。

俺「あいつらとの思い出が形として残っているものは……あまり無いからな」

この写真以外のものと言えば誕生日に彼女たちから貰ったプレゼントだろうか。
武子からはカメラを、圭子からは腕時計、黒江からは鞄を、智子と敏子の二人からはそれぞれ双眼鏡とブーツが贈られた。
幸いどれも持ち運びに困らず、また身に着けられるものであるため今も手元に残っている。
いま自分が使用している鞄も、その中にしまい込んだカメラと双眼鏡はもちろんのこと。
フォトフレームの隣にある腕時計やベッド近くに置かれているブーツも全て彼女たちから贈られたものである。

ラル「やっぱり……会えなくて寂しいか?」

俺「…………それ、は」

問いかけに俺が口ごもる。

ラル「私のことは良い。正直に聞かせてくれ」

俺「………………寂しいよ」

初めて心の底から気を許すことのできる“家族”。それが俺にとっての陸軍飛行第一戦隊だった。
温泉旅館への旅行も、節分の日に鬼役を押し付けられ、追い掛け回されたことも、敏子も含めた六人での花見も。
夏に訓練と称して海まで出向き、彼女らの水着姿を前にしてうろたえたことも。
どれも忘れることのできない大切な思い出だ。
たとえ、二度と取り戻せないとわかっていても捨て去ることなど出来ない。

俺「それでも、もう戻ってこないなら前を向いて歩くしかないんだ」

ぽつりと零れ落ちた言葉に込められた感情は悲壮。
どんなに美しい過去も執着すれば足枷へと姿を変え、前へ進む意思を束縛する。
だからこそ思い出はたまに振り返る程度で良い。いつまでも眺め続けていたら、きっと一歩も動けなくなる。

俺「……で、この写真がどうしたんだ?」

ラル「少し……いや、少しばかりじゃないな。悔しいんだよ」

俺「悔しい?」

ラル「私は……お前が好きだ。それこそ、この写真に写っている他の四人に負けないくらいにな」

俺を囲むようにして写る四人の少女たち。もしかしたら、彼女らもまた自分と同じように彼に惹かれていたのではないか。
これといった根拠も無く推測の域を出ないにも拘わらず確信めいたものが胸の内に宿っている感覚に気がつくラル。
もしかすると、この奇妙な感覚こそ俗にいう女の勘というものなのだろうかと感じながら、正直に思いの丈を告白した。

ラル「だからこそ悔しいんだ。私が知らない俺のことをこの四人は知っているから……!!」

世界中の誰よりも彼を愛しているのは自分だというのに。世界中の誰よりも彼の愛を受け止めているのも自分だというのに。
自分は俺のことをあまり知らない。好きな食べ物も、好む音楽のジャンルも、趣味も。
恋人なのに、将来を誓い合った仲なのに。
自分が知らないことを写真に写る少女たちは知っていて、そのことが悔しくて、悔しくてたまらない。

ラル「悔しいよ……おれ……!!」

溢れんばかりの切実な想いを綴るラルの姿に自然と口許が緩んでいく感覚を覚えた俺は、

俺「……」

ラル「すまなかったな。こんなこと、いきな……ッ!?」

どうかしていたよと続ける彼女の頭に手を乗せていた。

俺「いや。それだけ想われていると喜びしか湧かないよ。要はやきもち、なんだろ?」

ラル「ま、まぁな……」

俺「嬉しいよ。妬いてくれるほど好かれているってことなんだからな」

好きな人がやきもちを焼いてくれるなど男として冥利に尽きるというもの。
拒む理由など、どこにもない。

俺「それじゃ、俺も伝えたいこと。伝えないといけないな」

立ち上がった俺が背を伸ばし、左手で両頬を交互に叩く。

ラル「伝えたい……こと?」

俺「なぁ。いま、時間あるか?」

笑顔で差し出された手をラルは迷うことなく握り返していた。








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ラル「ここは……私の執務室じゃないか」

連れてこられた場所は自分の執務室だった。
デスクには俺の部屋へ向かう直前に整理を済ませた書類が残っている。
逢瀬にしては予想外な場所に目を丸くするラルの手を引いた俺が部屋の中央まで歩を進めた。

俺「あぁ。ここに来たかったんだ……今日、お前と二人でな」

ラル「どうして?」

俺「……なぁ、覚えてるか? ちょうど一年前の今日、俺とお前はここで出会ったんだ」

ラル「あ……」

俺の言葉に思わずカレンダーに目線を移す。
日付はちょうど一年前に俺がこのペテルブルグ基地に配属となった日付を示していた。

俺「さっきの質問で俺は寂しいって答えたな。だけど……俺は撃墜されて良かったと思うよ」

ラル「だけどお前はそのせいで……仲間たちとも」

俺「それでも、あの過去があるから今がある。あのとき俺が救助されていたら……きっと、こうしてグンドュラと過ごせる今が無かったかもしれない」

ぼそりと。
呟くような俺の声音にラルは息を呑んだ。
俺と過ごす今がない? 彼と分かち合うこの幸福な時間が存在しない?
そう考えた瞬間、寒気にも似た不安に全身を蝕まれていく錯覚を覚えた。

俺「もしも、あのとき……助けられていたら。俺とお前は互いのことを知ることなく、すれ違うだけだったのかもしれない。ここ最近はそんなことばかり考えるようになっちまってる」

ラル「おれ……」

俺「嫌だなぁ……そんなの。グンドュラのことを知らずに生きて、死ぬ。そんな人生は、あぁ……嫌だよ」

結局のところ心の底から自分の死を悼んだ人間など、おそらく同じ部隊に所属していた彼女らだけではないか。
さっさと捜索を打ち切った陸軍上層部にとって巴御前を庇って扶桑海に散った自分の死は事変を乗り切るために必要な士気向上の絶好の燃料となったことだろう。
それでも不思議と恨みや、憎しみといった感情が胸中に沸いてくることはなかった。
意識を失って海面へと激突する直前、確かに自分は大切な仲間を――妹である智子をこの命で守り通すことができた達成感をこの胸に宿していたのだ。

俺「むしろ感謝しているくらいさ。捜索を打ち切ってくれたからこそ、俺はこうして……世界中の誰よりも大切な人の傍を歩くことが出来ているんだからな」

もしも、あのとき打ち切られることなく捜索が続き、救助されていたら自分は大切な仲間たちと共に事変を駆け抜け、欧州へと旅立っていたのだろう。
だが、それは同時に。目の前の少女と過ごす幸福な今が存在していないということになる。

俺「だから。そんな顔はしないでくれ」

振り返る俺が破顔した。
失ったものは決して小さくない。
けれどもそれ以上のものをこの手で掴み取ることが出来たのだ。
グンドュラ・ラルという掛け替えの無い存在を。
命を賭して守り抜きたいと思える存在に出逢うことが出来たのだから、これ以上望むものなど何も無かった。

俺「お前と出会えて……その上残った時間をお前と過ごすことができる。こんな幸せ他にないだろう? この幸せに比べたら今までの苦労なんて塵みたいなもんだよ」

愛する家族との別離も。
たった一人で戦場を駆け抜けたことも。
ほんの一時期、背中を預けあった仲間たちとの別れも。幾度もの痛みと傷を受けたことも。
全ては目の前の少女に出逢うための長い道のりだったのだと胸を張って言い切れる。

俺「はっきり言える。俺は……お前に出会えてよかったよ」

ラル「おれ……」

飾り気の無い真っ直ぐな言葉だけれど。
自分に対する深い愛情が全て、そこに詰めこまれていることを察したラルは激しさを増す胸の高鳴りを抑えることができなかった。

俺「これからもよろしくな。俺の魔女」

ラル「……こちらこそ、末永くよろしく頼むよ。私の……いや、私だけの俺」

目尻に浮かんできたものをさっと拭い、差し出された手を握り締める。
彼も、そしてこの幸せも二度と離さないと言わんばかりに。
強く、強く握り締めるのだった

~おしまい~



時間の関係上、直投となりましたが……本当なら四月の二十三日辺りに載せる予定が、ずるずると二週間以上も長引いてしまった……

流石に下原さんの誕生日SSは避難所あたりに投下しないと
そのあとはいい加減本編も進めないといけないし

最後にこんな妄想の塊に満ちた話ばかりですが一年間見守ってくださってありがとうございました
最終更新:2013年02月04日 14:36