――――俺大尉の部屋――――


 男の部屋の扉が、軽くノックの音を立てる。数度ほど繰り返されたその音は、やがてノブの捻られる音へと変わった。

「大尉? 入りますわよ?」

 つい二時間ほど前に大尉の部屋に突撃した五人が真っ赤な顔で食堂になだれ込み、バルクホルンが全力疾走で向かっていたこともあって、慎重にペリーヌは大尉の部屋へ入る。

 夕食の時間だからと呼んで見れば、反応は無い。意を決して扉を開け、そこで眼にしたのは――。

「あら?」

 自己紹介や廊下での会話の際に見せた険しい顔の無い、ただの青年の穏やかな寝顔であった。

「……こうしていれば、普通の青年ですのに」

 ペリーヌが金切り声を漏らさずに穏やかな声を紡いだのは、あまりにも寝顔が穏やかだったからだろうか。ペリーヌの日常を知るものが見れば、明らかに解せない行動である。

 そんなことを知らずに穏やかに寝息を立てる男は、口元を緩め、笑う。それはまるで、明日何をして遊ぼうか考えて眠る子供のような、無垢な笑みであった。

「見て……母さん……こんなに……花……きれい……」

 ガリア語で紡がれたその言葉に、ペリーヌの瞳は揺らぐ。彼の口から発せられた言葉は、紛れも無い母への言葉だったのだから。

 家族を無くしたペリーヌにとって、それは心の痛くなる言葉であった。

 嫉妬なのか憎悪なのか、ペリーヌが険しい顔で男の肩を掴もうとした瞬間、突然、男の顔が険しく曇り、眉間に皺が寄る。

 そして笑みは溶け落ち、荒い呼吸が口から漏れ出した。

「燃える……家が……ノルマンディが……」

 ペリーヌは大きく眼を見開くと、男の肩をつかみ、激しく揺らす。自らの憎悪の果てではなく、彼を悪夢から目覚めさせるために。

 男は眼を見開く。短く息を呑んで、冷たい汗をかきながら、男は黒い眼差しでペリーヌを見つめていた。

「……クロステルマン中尉? ――ああ、夕食の時間か。申し訳ない、今行く。手間をかけさせた」

 男はわずかにうろたえたようであったが、いつも通りの険しい顔を作るとベッドから起き上がる。そしてサイドチェストのモーゼルを両腰に差すと、ペリーヌへ言葉を投げた。

「なぜ、貴君は泣きそうな顔をしているんだ?」

「……いえ。何でもありませんわ。それと、私のことはペリーヌでよろしくてよ」

 大股にペリーヌは歩き出すが、歩幅の違いから、すぐに横に並ばれてしまう。ペリーヌはただ凛と、前方を見つめていた。

「……私の陳腐な過去くらい、隠さずに話すつもりだが」

 ペリーヌは眼を見開き、男を見つめる。普通ならば、こんなことは話したがらないはずなのだから。

「この世界では溢れるほどに在り来たりな過去だ。ノルマンディが陥落して、両親が灰になって、たった一人だけ生き延びた。ただそれだけのことだ」

 呆気に取られたのか、それとも怒りのせいか、ペリーヌはパクパクと口を開けて言葉を紡ごうとする。そんな彼女の瞳を見据えながら、男は言葉を紡いだ。

「だが、昔の話だ。いまさらどうやっても両親は還らない。だからこそ私は飛ぶ。私はただ私の憎しみのために空を飛び、望むままに凶暴であり、望まれるままに暴虐であるつもりだ」

「そんな……そんなことで、ご両親が喜ぶとでも――」

 声を震わせてペリーヌは言うが、その意見を、男はばっさりと切り落とした。

「否、両親は死んだ。死人に意思はない。私が成すべきことは、これ以上悲劇を生まないことだ。この戦争では戦災孤児が増えすぎた」

 二人は食堂の前の扉へと至る。ペリーヌは何事かを言おうとしたようだが、あきらめたように、食堂の扉を開けた。


――――食堂――――


 扉を開けると、視線が男に付きささる。どうやら淫行の冤罪は晴れたのか、先ほど部屋になだれ込んだ面々は皆申し訳なさそうに眼を伏せている。

 数人頭を抑えているのは、なぜだろうか?

「ごめんなさいね、配属初日にいろいろ迷惑なことをしてしまって」

「まったく、新兵の配属初日に懲罰を受ける馬鹿がいるか」

 ミーナは心底申し訳浅そうに言い、坂本は呆れたように言う。

「いえ、お気になさらず。慣れていますから。それと、懲罰も必要ありません。私も気にしてはいませんから」

 低い声で言うと、何人かの瞳が悪戯っぽい色を帯びたが、坂本が一瞥すると再び眼を伏せる。

「俺大尉は、その席でお願いね。さあ、冷めないうちにいただきましょう」

 ミーナが男に着席を促し、食事の時間がやってきた。一同は合掌を行い、食事を始める。

 男の前に座る宮藤は、申し訳なさそうに目を伏せている。その様子に一瞬男は戸惑ったようだが、ふむ、と一人うなづくと言葉を紡ぐ。

「君が作ったのか?」

「え? あ、はい。私とリーネちゃんで。本当なら納豆も出したかったんですけど――」

「驚いたな。料理人が作ったのかと思ったよ」

 その言葉に、宮藤とリーネは互いに顔を見合わせ、笑みを浮かべる。ほんのわずかに、男の眉間の皺が和らいだ――気がした。

「それと、私は納豆を食える部類だ。苦手なものは無いから、食事に関しては気にすることは無い」

 その言葉に、男の隣に座るペリーヌは怪訝そうな顔を浮かべる。

「よ、よく食べられますわね。あんな腐った豆を……」

「ペリーヌ中尉は納豆が苦手か? どの国にも外国からは理解されない食べ物があると言うことだ。祖国のエスカルゴも理解されなかったよ」

 椅子とモーゼルがふれあい、かち、と音を立てる。

「そういえば、俺のストライカーは何だ?」

 咀嚼を一段落させたシャーリーが、男に尋ねる。

ガリアのMB.157だ。試作機体だから融通が利かないところはあるが、ある程度は私専用にチューンしてある」

「最高速度は?」

「およそ600km/hだ。無理をすれば630までは出せる」

「へえ、結構早いな。っと、そういえばまだ自己紹介をしていなかったな」

 シャーリーは簡単に自己紹介を行い、それに追随するように他の隊員達も自己紹介を行う。

「そういえばついさっき思い出したんだけど、俺ってもしかして『ヴェアヴォルフ』?」

 一足先に食事を終えたエーリカが、そのように訪ねる。「人狼」の意味を持つその言葉は、何人かの視線を獲た。

「ああ、そう呼ばれていた時期もあった」

「なんでそんな物騒な渾名なんだ?」

 バルクホルンが尋ねる。自室での一件もあってか、眼を合わせようとはしていない。

「いろいろと無茶をしたからな。敵中に突っ込んで銃弾が無くなるまで撃ち続け、魔法力が切れるまで固有魔法を使う様が由来らしい」

 その言葉に、ペリーヌの顔は曇る。先ほど廊下で彼が言った言葉は、紛れも無い真実なのだ。彼は今まで、憎しみを推進力に空を飛び続けてきたのだろう。そして、おそらくはこれからも飛び続けていくのだろう。

 ひょっとしたら、魔力が切れてシールドが張れなくなっても、最後の最期まで、ネウロイに攻撃を仕掛けるかもしれない。

「どうしたんですかペリーヌさん? 顔色が悪いですけど……」

 ペリーヌの対面に座るリーネは、心配そうにたずねる。その言葉に我に返ったペリーヌは、考えを振り払うと空元気を振り絞る。

「ほほほ! 何をおっしゃいますのリーネさん。貴族の令嬢たるもの、自分の体調管理くらいできますわ!」

 ああ、やっぱりいつものツンツンメガネだ。という言葉がどこからか聞こえ、ペリーヌはその言葉に噛み付く。まったく持って、いつもの光景だ。

「そういえば俺大尉、貴官の武装がまだ到着していないが、有事の際に出撃できるのか?」

 ハルトマンに続いて食事を終えたバルクホルンが男に尋ねる。その問いに、男はバルクホルンのほうを向く。身長はペリーヌよりも頭二つ分ほど高いので、ペリーヌの頭越しに言葉を返しているのだ。

「私の武装は生涯『これ』だ。武器はカールスラントの物に限る」

 男は座ったまま、右の腰からモーゼルを抜く。全長一メートル以上の拳銃が、明かりを浴びて鈍く輝く。

「マウザーか」

「ああ、マウザー……モーゼル・シュネルフォイヤーだ。銃身は見ての通りだし、中身もいろいろといじくらせて貰った」

「そんな銃でネウロイを落とせるのか?」

「今までも落としてきた。それに、銃弾には気を使っている。私宛の郵便物は、十中八九これの弾薬だ」

 男はサーベルを鞘にしまうように、モーゼルを腰に挟む。再び椅子とモーゼルが触れ合い、音を立てた。

 質問の時間は終わることを知らない。皆顔に笑みを浮かべ、男に質問を繰り返す。男の眉間の皺が徐々に和らいでいくのに気づいた人間は、おそらくいないであろう。

 時間は流れてゆく。一人の少女の胸の中にしこりの様なもやもやを残したまま、時間は流れてゆくのだ。

最終更新:2013年02月07日 15:17