――――俺の自室――――


 規則正しい呼吸の音が部屋に溶ける。男は食堂での会話が終わった後、程なくして自室へと戻った。隊の面々が談話室に移動するのは知っていたが、なにぶん部隊には男一人、居心地の悪さを感じでもしているのだろうか。

 男はコートを脱ぎ上半身を露出させ、モーゼルをサイドチェストに立てかけて、腕立てを行っている。

 彼のトレーニングは回数ではなく、時間でコントロールされているのだ。生活にリズムを持たせるためと、睡眠時間を十二分に確保するための彼のやり方である。

 うっすらと汗をかきながら、男は何回も繰り返した動きを行う。時間でコントロールされているがゆえに、怠けてはいけないと考えているのだろうか。狼の瞳は健在である。口から漏れる息の音は、まるで狼の息遣いのようだ。

 男の夜はこうして更けてゆく。転属一日目は、彼にとってはまずまずといった感触で帳を下ろした。


――――翌日、基地の外――――


 滑走路ではシャーリーと、ルッキーニ、ペリーヌ、そして、男の四人が並ぶ。その前には、坂本とバルクホルンが立ち、指示を下していた。

「さて、今日は模擬戦を行う。階級とペアの相性を考えた結果、シャーリーとルッキーニペア、ペリーヌと俺のペアで行うことにした。不平不満があればここで聞くぞ」

 坂本が言うが、不平を唱えるものはいないようだ。

「では、十分後に開始する。ペイント弾を用いてのドッグファイトだ。固有魔法の発動は原則禁止、同高度でペアがすれ違った瞬間が開始だ。異議が無ければ作戦会議でもストライカーの整備でもなんでもやれ」

 バルクホルンの宣言とともに、四名はハンガーに向けて歩き出した。

「大尉、私が僚機になりますわ。指示をお願いします」

「了解した、中尉。少々手荒な機動になると思うが、素直に着いてきてくれるとありがたい。旋回半径は貴機の方が少ないから、着いてこれるはずだ」

 重々しい口調に、ペリーヌの表情は曇る。

「え、ええ。了解しました。具体的にどんな機動をするんですの?」

「私が指示する。中尉は私の指示通りに飛んでくれれば良い」

 その言葉に、ペリーヌの表情は凍り付く。それはすなわち、機動のすべてを自らに任せろということなのだから。

「た、大尉!? そんな……」

「心配ない。僚機を落とさせはしない」

 男は腰からモーゼルを抜き、誰もいない海上へ向けて引き金を引く。かちんという乾いた音が数回響くと、男は右手に銃弾を持ち、左手にモーゼルを携える。

 ペリーヌは不安を隠しきれないようであったが、どこかあきらめたように男の後に着いていった。


――空中――


「よーし! 行くぞルッキーニ!」

「よっしゃー!」

「た、大尉、本当に?」

「信じろ。僚機を墜とさせはしない」

 各々ペアへ言葉を投げかけながら、相手に向かって同高度で突っ込む。顔がすれ違い、表情を認識した瞬間、四人は上昇を開始する。ちなみに男の頭には小さな耳が突き出している。彼の使い魔である狼のものだ。

「始まったな」

「ええ。俺大尉がどれほどなのか、楽しみです」

 バルクホルンと坂本は、テラスから模擬戦の様子を眺めている。とりわけバルクホルンは、同じ階級のよしみとして気になっているようだ。

 はじめに背後を取ったのは、シャーリー、ルッキーニペアであった。シャーリーは男に、ルッキーニはペリーヌに照準を合わせている。

 ちらりと背後を確認した男は、斜め後ろを飛ぶペリーヌに指示を下す。

「三秒後に右旋回。コーナー速度を保て。一、二……」

 ペリーヌがインカムで指示を受けたきっかり三秒後、二人の銃身からペイント弾が射出される。しかし、旋回機動に入っていた二人には当たらない。

 旋回性能の違いから機動が交差し、今度はルッキーニが男の背後を追い、シャーリーがペリーヌの背後を追っている。

「惜しい!」

「うにゃー!」

 背後から聞こえる声を頼りに、男は距離を測る。

「高度を50上げろ……今だ」

 射出音が響き、先ほどまでペリーヌがいた場所を弾が通り過ぎる。一瞬早く高度を上げた男は、追随するペリーヌに合わせるように回避機動を取る。まるでそれは、鏡に映したような精密さである。異なる機体を使用しているのというのに。

「なんだ!? 俺は後ろに眼が付いてるのか!?」

「むー! ちょこちょことー!」

 傍目にはひらりひらりと銃弾をよけているように見えるペリーヌだが、内心生きた心地がしないのだ。背後につかれっぱなしで、突然の機動指示のために速度は徐々に減少している。

 バルクホルンは双眼鏡をのぞきながら実況する。

「ペリーヌの奴、妙な機動をするな。いつものあいつの機動じゃない。機械みたいな機動だ」

 その言葉に魔眼を発動した坂本は状況を分析する。 

「俺の口が動いて……また妙な機動? まさか、俺が指示を下しているのか!?」

「そんな! そんな無茶なことが……!」

 速度差から、シャーリーは徐々にペリーヌとの距離を詰めてゆく。

「大尉! 指示を! 指示を……!」

 悲痛な叫び声が男のイヤホンを振るわせる。だが男は至極落ち着いた声で、指示を下した。

「ペリーヌ中尉、左ロールせよ」

「もらった!」

 くるりと、空中でペリーヌは左に体一つ分回転する。すると、失速したペリーヌの脇を、弾を放つシャーリーが飛びぬける。

「何!?」

「シャーリー!」

「これで終わりだよ」

 乾いた炸裂音が響き、シャーリーのストライカーにオレンジ色の塗料を撒き散らす。シャーリーは冷や汗を流しながらすばやく高度を下げ、着陸態勢へ移行する。

「ごめんルッキーニ! がんばってくれ!」

「シャーリー撃墜確認! ペリーヌがシャーリーを撃墜しました!」

「なんて機動を指示するんだあいつは!」

 いくつものピンチを潜り抜け、たった一つのチャンスを作り出し、確実にそこを攻めさせる。確実にそれは、場数を踏んだ戦い方である。

「ペリーヌ中尉、指示は以上だ。あとは存分に飛べ」

「了解しましたわ!」

 興奮冷めやらぬ様子のペリーヌは、ルッキーニ目指して突っ込む。ルッキーニは男を撃墜すべきか、ペリーヌを相手にすべきか、パニックに陥っているようだった。

「ウジュジュジュジャャァァァァァァ!!」

 ルッキーニは高度を下げ、速度を稼ぐ。その背後にはペリーヌが続き、男はルッキーニの上空を占位する。

「くっ……照準が定まらない……!」

 ペリーヌがルッキーニを照準に捕らえようと躍起になっていると、三回の発射音とともに三発がルッキーニのストライカーに着弾する。

 上方の男が放ったペイント弾は、三発三中の命中率を誇った。

「ウジャアアアー!! 負けたああああ!!」

 心底悔しそうにルッキーニは叫ぶ。ペリーヌが男のいる方向へ視線を向けると、男は袖口で汗を拭うと一つ息を吐いて急旋回を行う。

 鋭い飛行機雲が一筋、空に線を引いた。


――――滑走路――――


「おかえりー。いやー、完敗だ。すがすがしいほどに負けた」

「ウジュー……悔しいー……」

 機体を格納した四人は、言葉を交わしながら歩く。すると、テラスから降りたバルクホルンと坂本が男を呼び止める。 

「お疲れのところすまないが、俺大尉、少々聞きたいことがある」

「短く済ませるつもりだ。正直に答えてくれればな」

 坂本とバルクホルンは、どこか疑いを抱いたような声色で言う。そんなことを知ってか知らずか、男は居心地悪げな三人を見渡す。

「すまない、先に行ってくれ。すぐに行く。談話室で会おう」

 そういうと、三人はそそくさと基地の内部へ歩き出す。

「――率直に聞く。今回の模擬戦は正々堂々と行ったものか?」

 バルクホルンが男に詰めよる。男は身動きはせず、バルクホルンの瞳を見つめた。

「もちろんだとも。ペテンをしたように見えたか?」

「なぜ背後のシャーリーとルッキーニの位置が分かった? それに弾の発射のタイミングまで分かるなんて、考えられないんだ」

 坂本が険しい顔で男を見つめる。模擬戦でペテンをしたとなれば、好印象にはなりえないだろう。

「位置はエンジン音ですよ。最初、同高度で接触したときに二人のエンジン音を覚えました。背後に着かれたときの音と距離を覚えてましたから、距離もこれで測れます。弾の発射のタイミングは、わざと私が囮になることで判別できます。相棒が銃弾を撃てば、もう一人も射撃をするでしょう?」

 さらりとそう言ってのける男に、二人はただただ驚くことしか出来ない。いくら魔力で常人よりも感覚が研ぎ澄まされているとは言え、こんなことは普通ではない。

「まあ、ネウロイ相手には使えない技術ですが。お二人が見ている前で失態はさらせないと、年甲斐もなく熱くなってしまいました。他にお尋ねしたいことは?」

 二人は首を横に振る。その反応に満足したのか、薄く笑みを浮かべると男は一礼をし、背を向けて歩き出した。


――――談話室――――


「しっかしさすがだなー俺、『ヴェアヴォルフ』の渾名は伊達じゃないってわけか」

「俺ってー、実は後ろが見えてるとかじゃないよね?」

「運が良かっただけだ。それに、ペリーヌ中尉が指示通り行動してくれたことも大きい。あれくらいの狭い戦場なら、機動の管制程度はなんとか出来る」

「ひとえに大尉の指示のおかげでしてよ。背後の敵を見ないで指示を下すなんて、本当に化物じみてますわ」

 四人は談話室のソファに腰掛け、反省会を行う。とはいえ、男も今回の戦闘では冷や汗をかかされることが何回もあったのだ。

 背後を取られたことは想定内、いや、むしろそうさせたことであったとしても、射撃位置に着くまでの時間は彼が今まで経験した中でもかなり早い部類に入る。少しでも判断と指示が遅れていたら、少なくともペリーヌは被弾していたはずだ。

「ペリーヌ中尉、今回はむちゃくちゃな指示を出して申し訳なかった。本来ならば綿密な会話やお互いの飛行のクセを把握してからするべきだったが、なにぶん急なことだったからな。

 わずかに表情を和らげ、男は言う。その様子に、シャーリーとルッキーニは小声で会話を行う。

「ねえねえシャーリー、なんか俺って雰囲気変わってない?」

「なんか吹っ切れたっていうか、丸くなった感じがするよな」

 ひそひそと会話を交わす二人をわずかに気にしたようだが、男は彼女らには会話は振らない。会話を途中でさえぎるのもさえぎられるのも、彼が嫌うことだからだ。

 男が息を吸い込み、言葉を紡ごうとした瞬間、ペリーヌが話題を振る。

「大尉は、どこであんな管制術を?」

「……アフリカで、だ。まだひよっこだったときに上官が指示をしてくれた。それを真似てみただけだ」

「へえ、アフリカかぁ。その上官の名前はなんて言うんだ? 私達もアフリカにいたから、もしかしたら知ってるかも知れない」

 シャーリーの問いに、一瞬だけ男の顔が曇る。だが、一瞬でそれを振り払うと、男は言葉を紡ぐ。

「アネット・カプチェンコ……中佐だ。すばらしく強く、人間としてもすばらしい上官だった」

「……だった?」

 ルッキーニがたずねると、シャーリーとペリーヌは厳しい表情でルッキーニを見る。だが男は首を横に振ると、言葉を紡ぐ。

「二階級特進なされた。あの時以来、ヴェアヴォルフは現れてはいない」

 空気が重くなった空間で、男は続けて言葉を紡ぐ。

「暗い話はこれでおしまいにしよう。空気を重くした償いに、ホストを勤めさせてもらおうか」

 くつくつと喉を鳴らし、男は笑う。至極くだらない話が、空気を弛緩させていった。


――――俺の自室――――


 夕食を摂り終え、夜闇が周囲を覆う時間、部屋には二人がいた。

 一人は当然、この部屋の主である俺大尉、もう一人は、ペリーヌ・クロステルマン中尉であった。

 部屋にはいつの間にかデスクと椅子が運び込まれ、わずかに生活感の漂う部屋へと進化している。

「立っているのも辛いだろう? 掛けて良い」

 男は椅子を掌で差し、言う。男はベッドに腰掛けている。ペリーヌはおとなしく、椅子に腰掛けた。

「……今日の模擬戦、あんなに疲弊してまで何で私を守りましたの?」

 その言葉に、男は呆気に取られたような表情を浮かべ、わずかに口元を吊り上げた。

「よく見ている」

「あんなに汗をかいて、四方八方に神経を張り巡らせて、私にそれほど気をかける理由がありまして?」

 ペリーヌはうつむいたまま言葉を紡ぐ。

「理由? 僚機を――仲間を守るために理由が必要か?」

 その言葉に、ペリーヌは顔を上げる。黒い瞳と金色の瞳が交差する。

「強いて言うなら……ガリアを開放してくれたことが理由だ。心から感謝している」

 深々と頭を下げた男に対して、ペリーヌは眼を見開き、口を小さく動かす。

「祖国の英雄とともに空を飛べることは私にとって――否、ガリアのウィッチにとってはどんな勲章よりも価値のあるものだ。これからも、中尉とともに飛ぶ空を持ちたいものだ」

 ペリーヌの心臓が跳ねる。頬が高潮する。息が荒くなる。それは彼女が坂本を思うときの現象に似ていた。

 もっとも、これが何なのか、まだ彼女には分からない。

「……大尉、よろしければ――」

 少しずつ、ペリーヌは言葉を紡ぐ。

「わ、私のことは、その……ただ単に、ペリーヌと呼んでくださいまし」

 その言葉に男は少々驚いたようだった。何せ今まで、彼はこんなことを経験したことが無い。

「か、勘違いしないでくださいまし! 私は同じガリア出身の貴方に他人行儀な態度を使われるのが気に食わないだけです! ですから! 私も貴方には話しやすいように話させてもらいます! 良いですわね!!」

 一息でそれだけ言い切ると、ペリーヌは走るような速度で歩くと、扉を開けて逃げてゆく。男は何が起こったのか、全く分かってはいない。

 ただ、ペリーヌと打ち解けられたことを感じたのだろうか。わずかに笑みがうかんでいる。眉間の皺は、わずかに和らいだようだった。

最終更新:2013年02月07日 15:17