――――俺の自室――――


 カチャカチャと言う金属音が部屋に響く。日の光の下で、男は銃の手入れをしている。

 通常は武器倉庫に放り込むべき銃器なのだが、彼は必死にミーナに懇願し、何とか携帯許可を得たのだ。その理由はいくつかあるのだが、これが彼のお守りだから、というところが大きい。

 もっとも、彼が最初にこの銃を得た際は、まだ銃身は短かったのだが。

 通常の7.63mmモーゼル弾ではなく、特殊弾丸を装填する都合上この銃自体は耐久力が高いとは言えない。それに、長すぎる銃身は内部に火薬のカスが付着することもあり、補給なしで用いるには不便な銃である。

 だが、十分に補給が来る状態ならば、この銃はそこらの機関銃よりも破壊力は大きいと、彼は信仰していた。彼へ支給されている弾丸の一つは、「爆裂徹甲焼夷弾」。敵の装甲をその鋼鉄の弾頭で打ち抜き、内部で炸裂、燃焼をさせる銃弾だ。

 それが一発ではなく、二十も三十も降り注ぐのだから、ネウロイにとってはたまった物では無いだろう。

 コトン、という軽い音とともに机の上に銃身が置かれ、一通り掃除を終了した男は息を吐く。窓の外からは眩しい日差しが部屋に差し込んでいる。

 今までいた戦場では、休暇などもらえなかったし、受け取るつもりも無かった。ネウロイは波のように押し寄せたし、それを落とすことが自分の仕事だったからだ。

 だから彼は、途方も無い時間をもてあましている。彼にとって趣味と言えるものは皆無であるのだから。

 時間つぶしに彼が考えた方法はいくつかある。基地内の散策、結論は否。他人の部屋に入り込む危険があるし、機密があるとも限らない。公共スペースだけを細々と移動していることが性分の彼には合わない。

 筋トレ、こちらも否。不用意な体力の消耗はそれだけ危機に直面した際に精神的な動揺と後悔が大きくなる。ネウロイが絶対にやってこないと言い切れない限り、体力は温存すべきである。

 談話室での休憩、こちらはなかなかの良い案だと考える。親睦を深めることでチームワークが円滑になれば、それだけ殲滅速度も上昇する。それに、固有魔法についていくつか知らせるべき事も残っている。固有魔法についての説明を先延ばしにすれば、「万が一」が起こりかねないのだ。

 最後に、先日通達を受けた扶桑式の風呂場での休憩、彼はこれを最善策であるという結論を下した。彼は今まで整備員達の入浴スペースを利用していたのだが、この何日かで男の整備員から明らかにおかしい視線を受け取る事があるため、二度と利用したくないと言うのが本音であった。

 ちなみに、視線は主に引き締まった腹筋や側筋に向けられていた。貞操の危機である。

 女性隊員とハチ合わせになる可能性も無くは無いが、十二分に確認を取れば平気であろうというのが彼の考えである。

 彼は手早く準備を整え、風呂場へと歩き出す。これから起こる不幸のことなど、ただの一片も知らずに。


――――風呂場、脱衣所前――――


 男はピンク色の暖簾の前で、うろうろと歩き回る。彼はかれこれ五分以上こうやって動き回り、内部の安全を確保しているのだ。

 傍から見れば、これだけで危険人物である。

 男はようやく内部の安全を確認したのだろうか。ゆっくりと中に声を掛ける。

「私だ。中に誰かいるか? 十秒以上応答の無い場合は進入させてもらう」

 しかし、応答は無い。少なくとも、脱衣所には誰もいないようだ。

 男はすばやく入り込み、周囲を見渡す。本来ならば「男が入っています」という張り紙でもしたいのだが、そのためには紙とペンが足りない。

「脱衣所、確保」

 男は浴室の扉へ近づき、注意深くノックを行う。幸いなことに、中から反応はない。念のために扉に耳を当てて見るが、音は聞こえてこない。

「フゥー……」

 扉をゆっくりと開き、内部を確認するが、案の定、内部には誰もいない。それに安心したのか、男は警戒を緩めると服を脱ぎ始める。

 アフリカ熱帯仕様のコートを脱ぎ、下も脱ぎ払う。手に持つのは体を洗うための道具とタオルのみだ。

 ゆっくりと、男は湯煙の中へと歩き出す。扶桑のウィッチは皆一様に「シャワーより風呂が良い」と言い、扶桑のウィッチの発言力が強い場所では風呂も設立されるという。それが笑い話でもなんでもなかったことが、男の表情をわずかに緩めていた。


――――それから数分後、風呂場前――――


「ひぃ、ひぃ……疲れたぁぁぁー」

「うぅー、もうヘロヘロだよー」

「はっはっは! だが訓練で汗をかいた後に風呂に入ると気持ち良いぞ?」

「ええ、それは全面的に同意いたしますわ、少佐!」

 訓練を終えた四人が脱衣所から浴場へと向かう。彼女達は果たして、脱衣籠の中身に気が付くのだろうか。

「汗でべとべと……早くお風呂入ろう」

「そうだね、芳佳ちゃん」

 芳佳とリーネは疲労のために周囲に気を払う余裕も無いのか、衣服を脱ぐとタオルで体を覆う。坂本とペリーヌは話に夢中で気が付かないようだ。

 結果、全滅。退却の指示が出来るのならばどんなにかうれしいだろうか。風呂場の中で一人くつろぐ男は、脱衣所の桃色の空間にまったく気がついてはいない。

 浴室のドアが開かれ、湯煙で一瞬視界がさえぎられる。あわただしい水音が響き、低い声とともに何者かが浴場から立ち上がり、右手を突き出したようだ。

「き……」

「待て! これは――」

「きゃああああー!!」

 絹を裂くような悲鳴が基地に響き渡る。それもそのはず、なんといってもいたいけな少女達なのだから。前回男の上半身をみたリーネと宮藤であったが、今回は四分の三裸の状態――いや、もはや全裸と言っても過言ではないだろう。腰周りのタオルだけなのだから、そんな男を見てしまったため、顔を真っ赤に染めてタオルを巻いた体をさらに腕で隠している。

 そんな中、坂本はただ一人、おおらかに笑う。だが声は優に零度を下回っていることは言うまでも無い。

「はっはっは! 俺! どうした!? お前はいつも男風呂だっただろうが!」

「ちょっ……! まずは落ち着いてください! てか、せめてズボンとコートをこちらにください!!」

 いつもの冷静な態度はどこへやら、男は半狂乱になって叫ぶ。タオルで必死に隠すべきところを隠して眼を瞑り、体制を低くする様はひどく滑稽で、ひどく哀れであった。


――――談話室――――


「だーっはははは! あの悲鳴はそういうわけか!」

 男の顔中についた生傷の後に、シャーリーは笑い転げる。不機嫌そうな空気を全身にまとった男は、笑い事ではない、というように視線を遣ると、シャーリーの笑いは止む。

「まあ何にせよ、首と体がつながって良かったじゃないか。坂本少佐だったら、切り捨てられてもおかしくなかったぞ?」

 その言葉に男の体から血の気が引く。俺大尉、享年十八歳、淫行により処刑など、あの世の戦友にどの面を下げれば良いのだろうか。

「いやー、済まんな俺、まさかお前がいるとは思わなかったから、つい……」

 坂本は心底申し訳なさそうに言う。若干笑いながら。

「いえ、気にしないでください、本当に。ええ、大丈夫です」

 まるで男の魂が抜け落ちたようなその光景に、遠めに見るハルトマンとバルクホルンは言葉を交わす。

「俺ってば抜け殻みたいだよねー」

「というか、性格変わってないか?」

 空ろな表情で天井を眺める俺大尉は、果たしてどうなってしまうのだろうか。それは彼の今後の行い次第だ。

 強く生きるんだ、大尉。踏まれても起き上がる麦のように!!

「……そうだ。皆さんに知っておいてもらいたいことがあります」

 ふと思い出したように、男はいつもの険しい表情を作る。正直、眉間の皺のせいで年齢が二十歳以上に見られていることが多い。坂本とミーナが部屋にいることもあり、彼は敬語で言葉を紡ぎだす。

 男の声に、談話室に集まっていた面々は男を見つめる。もっとも、宮藤にリーネ、ペリーヌはそっぽを向いたり、わずかに目線をはずしたりしているが。

「私の固有魔法についてです。私の固有魔法は『レーザー照射』、平たく言えば600km先の目標までを狙い打てる光の矢です。光線半径は3m、照射時間は最大0.5秒ですが、大型ネウロイを撃墜するには十分な時間です。ネウロイの光線、アレを単発にして威力と射程をあげたものと思ってもらえればそれで結構です」

 その言葉に、部屋はざわつく。600kmとは、あまりにも途方も無い距離なのだから。

「ろ、600km!? ええと、富士山の高さが3000メートルだから……」

 宮藤は指を折りながら考える。どうやら、答えを出すには少々時間がかかるようだ。

「ですので、私が固有魔法を使う際に、気をつけていただきたいことが二つあります。一つは当然、私より前に出ないこと。私の固有魔法は掌から放射されますから、私の後ろには当てません。もう一つは、ネウロイと同じ高度にいないこと。シャーリー大尉とペリーヌに初めてお会いした際の注意点は、これです。ネウロイが高速で機動すれば、私も掌を動かして追尾しますから、危険です」

 宮藤は隣に座るリーネに、富士山2000個分? とたずねだす。1kmは1000mだから200個分だよ、というリーネの呆れた声に、宮藤は顔を赤らめた。

「すると、魔法を発動する際はお前がネウロイから丸見えになるということか?」

 坂本が怪訝そうに尋ねると、男は首を縦に振る。

「ええ。そういうことです。ですが問題はありません、一発目を撃つ際の発動時間はおよそ0.3秒。その間は無防備ですが、大して気にするような時間ではありません」

 男の言葉に、部隊の面々は言葉を詰まらせる。確かに、コンマ三秒の時間の無防備が戦況を左右するようなものにはならないはずだ。

「それに、飛行しながらでもレーザーは撃てます。ですから、運用としては敵機を目視圏内に捕らえてからの照射と言う形になります。接敵までの飛行時間でこれを行えば、無防備な時間は限りなく『ゼロ』になります」

 反則じみた能力ダナ、と言う言葉がどこからか聞こえ、その声に同調するように何人かが首を振る。その反応に、男は薄く笑みを浮かべるだけだ。この強大な武器と引き換えに、彼にはある欠点があるのだが、それに気づくものはいないようだ。

「私からの連絡事項は以上です。つきましては中佐、少佐、ネウロイ襲来の際には存分に私をお使い潰しください」

 恭しく、そしてわざとらしく、男は頭を下げる。

 ミーナと坂本は何かが腑に落ちない様子では合ったが、首を縦に振った。

「わかったわ。俺大尉、今後強力なネウロイと接敵した際は、一度私か美緒に許可を得てちょうだい。編隊に指示を出して貴方の攻撃を援護します」

 その言葉に、男は頭を下げたまま小さく笑みを浮かべた。それは温和なものではなく、獲物を追い詰めた際の加虐心に満ちた笑みであった。

「(弱点のことは、報告しないでおこう。これでまた飛べる。まだ飛べる。あの黒の軍団に復讐が出来る)」

 笑みに気づいたものは、おそらくいないだろう。男は床を見つめて、笑っていたのだから。

最終更新:2013年02月07日 15:18