――俺の自室――
薄く月光が部屋を照らす。臨戦態勢で警報を待ちわびていた男であったが、本日はついに出撃指令が下る事は無かった。もちろん、世界が平和である事は、彼以外の人物にとっては喜ばしいはずなのだが。
「(予報がズレている)」
いつもの険しい顔をさらに険しくさせ、男は月を見つめる。彼にとっては、来るべきネウロイが来ないと言うことはご馳走をお預けにされたようなものなのだから。
「……『あそこから声がする』」
男がつぶやくのはまたしても魔弾の射手の一節、このオペラは彼にとっては特別なもののようだ。
「『義務がこのわたしを呼ぶ』」
男はその台詞をつぶやくと、笑みを浮かべる。口元を吊り上げたその笑みは、加虐的で、残忍な、それでいて自嘲気味な笑みである。
規則正しいノックの音が三回響き、ドアの向こうから言葉が投げかけられる。
「大尉、いらっしゃいますか?」
「ああ」
「申し訳無いのですが、扉を開けていただけますか? 両手が塞がって……」
男はわずかに疑問に思ったようだが、扉まで歩み寄ると室内灯のスイッチをいれ扉を開ける。薄暗がりの中から現れたのは、ワインの瓶と二つのグラス、そしてオープナーを持ったペリーヌであった。
「君は私が魔弾の射手を口ずさんでいる時に良く現れる」
「偶然ですわよ」
二人はくす、と穏やかな笑みを浮かべる。まるで大昔から信頼していた間柄であるような笑みであった。
「先日、貴方がお酒を探していたことを思い出しましたの。もっと早くお渡ししようと思ったのですけど、その……気恥ずかしくて」
ペリーヌはわずかに頬を染めて目線をはずす。そして、はっとしたようにワインボトルを男に差し出した。
「こ、これがお土産ですわ。本当なら
ガリアのものをお持ちしたかったのですけれど、さすがに今はまだ熟成途中でしてよ」
男はワインの瓶を受け取り、ちらりと視線を向ける。蜂蜜のような色合いと光沢をもつ、貴腐ワインである。
「さあ、早く開けてくださいまし。まさか、レディにコルクを開けさせるつもりですの?」
ペリーヌは椅子に腰掛けくすくすと笑う。男も薄く笑うと、コルクにオープナーをねじ込み、コルクを抜く。
小気味良い音とともに、わずかに部屋に芳香が満ちる。
「君は飲酒をしても大丈夫なのか?」
「私、もう16ですのよ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、ペリーヌは言う。男はそれ以上言及することは無く、二つのグラスにほんの少しだけ、ワインを注いだ。
「良い色だ。それに香りも良い。君は『良い目』を持っているな」
「『視力』はよろしくないですけれど?」
軽口を交わしながら、二人はそれぞれグラスを持ち上げる。男はベッドに腰掛ける。
「乾杯の音頭は決めてありまして?」
「こういう畏まった酒飲みはあまり経験が無いが、君になら言えそうだ」
男はグラスを目の前に掲げ、息を吸い込む。
そして、言葉を吐いた。
「君との時間に、乾杯」
その言葉に、ペリーヌは顔を真っ赤にし、口をパクパクと動かす。ちょうど彼女が放心状態で帰ってきたときに投げかけた言葉に対する反応のようだ。
「……言っている方も恥ずかしい。グラスを鳴らすか、せめて小馬鹿にでもしてくれないと不安になる」
男はグラスを掲げたままで言葉を紡ぐ。ペリーヌの頬の紅が若干引き始めると、ペリーヌは機関銃のごとく言葉を放つ。
「あ、あ、あ、貴方と言う人はどうしていつもいつもそういう気恥ずかしい台詞を平然と言えますの!?」
「(なぜ怒られているんだ……?)」
「そもそも! そもそも!! なぜ私がこうも慌てていますの!? 本来ならば私がリードをすべきではありませんの?!」
「君はリードをするほうが好みか。ならば乾杯の音頭は君に任せるとしよう」
男は頬の筋肉を小刻みに震わせながら、笑いをこらえるように言葉を紡ぐ。声が震えているのは、気のせいでは無いだろう。
「あ……え? あ、その……」
たまらず、男は噴出す。心底楽しそうに、からからと笑う。
ペリーヌはあきらめたようにグラスを掲げ。軽くグラスをぶつける。カチンという音が響くと、男は溶けるように笑いを止める。
「苦手ですわ。貴方は」
「それは残念」
二人は同時にグラスの中身を口に含む。少量なだけはあって、互いに一口で飲み干せてしまう。ペリーヌはグラスを机に置き、男はサイドチェストにグラスを置く。男は立ち上がり、グラスにワインを満たして行く。
「美味いな」
「当然ですわ。私が見つけた一つですもの」
ふん、と鼻を鳴らし、さらにペリーヌはグラスに口を付ける。ペースが速い。
「酔っ払うまで飲むつもりか?」
「そんなに飲みませんわよ。嗜む程度ですわ」
そうは言うが、ペリーヌは既に2杯目を空けている。男は呆れたように、再びグラスにワインを満たす。
「甘くて飲みやすいが、ビールよりもアルコールは強い。飲みすぎて明日に引きずらないように」
「お気遣い感謝しますわ」
今度はグラスの半分ほどを飲み、ペリーヌは言う。顔は既に赤く、眼は据わっている。どう考えても酔っているのだろう。男はようやく二杯目を空け、三杯目をグラスに注ぐ。まだ酔う気配は見せていない。
「大尉は、お酒は強いほうですの?」
「弱くは無いと思う。ウィッチになりたての頃は上官から飲み比べにつき合わされたからな」
男は顔色一つ変えずにワインに口を付け。そしてサイドチェストにグラスを置く。まだまだ、ワインは減らない。
「本当、貴方は苦手ですわ。私が持っていないものを持っていますもの」
「それは君もだ。私が持っていないものは、君が持っている」
互いにアルコールが入っているせいであろうか、二人は普段よりも饒舌で、恥知らずであった。
「……酔ってしまいましたわ。私としたことが」
「水を持って来よう。少し待っていてくれ」
男は立ち上がると、扉を開ける。廊下の暗闇が、部屋を覗きこむ。
男はその暗闇に臆する様子は無く、大股に足を踏み出す。
ぱたんという軽い音とともに、ペリーヌはただ一人部屋に残された。
―――― ―――― ――――
男がミネラルウォーターのボトルを持って部屋に戻った時、部屋には規則正しい寝息が響いていた。その音の主であるペリーヌは、机に突っ伏して穏やかに寝息を立てている。
男は一つ笑みを漏らすと、ボトルを机に置き、勤めて穏やかにペリーヌを抱きかかえ、そして硬直した。彼はペリーヌの自室を知らない。
さすがに、彼女を起こすのも気が引けたのだろう。男は彼女の顔を見ないように自らのベッドに寝かせる。そして、気付いたように眼鏡を取り、サイドチェストの上に乗せた。
そして男は本当に困惑したように、自らの顎を指で撫でる。ヴェアヴォルフだろうが大尉だろうか
エクスキャリバーだろうがウィッチだろうが、彼は正真正銘の人間で、男なのだ。自らが恋焦がれる少女が穏やかに寝入っている光景に、彼の視線は釘付けになった。
わずかに頬は紅潮し、整った顔はそれこそガリアの人形を髣髴とさせる。閉じられた瞳も、金色の髪も、何もかもが彼女にふさわしいものであった。
男の心にどす黒い思いがこみ上げる。それは殺意や憎悪と同じように、あっという間に男の心を征服する。だが、男は手を伸ばすことが出来ない。
なぜなら、彼は彼女のことを真に大切に思っているのだから。
男は自らのグラスにわずかに残ったワインを飲み干し、そして迷ったようだが、ペリーヌの残したワインも飲み干す。極力、グラスに口を付けないようにして。
男の背を背徳感がかけぬける。男の顔に自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「……何をしているんだ私は」
男はゆっくりと首を振ると、二つのグラスとコルクの締められたワインの瓶を持って部屋を後にした。
さすがに彼も、恋焦がれる人物と一晩過ごせるほど人間が出来てはいないのだろう、それとも、ただのヘタレなだけであろうか。
男は脳内で考えをめぐらせ、そして結論にたどり着く。その結論は、談話室のソファで仮眠をとることであった。
男は大股に食堂へと歩く。まずは、ワインを保存するために。
彼女の瞳と同じ金色が、薄暗がりの中で静かに揺れていた。
最終更新:2013年02月07日 15:20