ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐が200機撃墜の勲章を得てから数日後、奇妙な噂がナイトウィッチ達の間で広まりつつあった。

 曰く、黒鷲。曰く、撃墜女王。曰く――。

 その噂が501へ届かないはずも無く、尾ひれの付いた噂話は次のような文言で501のナイトウィッチ、サーニャ・リトヴャクへと伝えられた。

「無念の死を遂げたエースが、自らを見捨てたウィッチに復讐するために空を飛びまわっている」と。

 そして、一緒に付け加えられた言葉によって物語の幕は上がった。

「そのウィッチは一人の男ウィッチを追っている」

「かつて自らを助けなかった、二番機を追っている」

「彼女はまるで陽炎のようで」

「薄く浮かんだ笑みは地獄の淵を見つめている」


――――  ――――  ――――


「だっテ! 馬鹿げてるよナー!」

 カーテンを閉め切った真っ暗な談話室のソファに掛けながら、神妙な顔をしていたエイラはけらけらと笑う。絶望したような顔でエイラを見つめる宮藤とリーネ、ルッキーニは乾いた笑いをこぼしながらも体を細かく震わせている。

「おいおい、こんなのただの噂話だっテ。お前ら本当にこういうの苦手だよナ」

 泣き出しそうな顔をしているリーネはそれとなく宮藤に肩を寄せる。宮藤も人肌が恋しいのか、目線はエイラに合わせたままでリーネの胸に手を置いていた。

 突然の扉が開かれる音に、宮藤とリーネが肩を跳ねさせる。エイラとルッキーニは鋭い目つきでその空気の読めない人物をにらみつけた。

「……何か気分を害するような事をしてしまったか?」

「ずいぶんと無礼な挨拶ではありませんこと?」

 やってきたのは、俺大尉とペリーヌであった。

「あ、俺さんにペリーヌさん……」

「脅かさないでくださいよ!」

「まぁ! 談話室に入るときにもノックをしてから入室許可を頂かなくてはならないのかしら!?」

 不満げに口を尖らせる宮藤に、たまらずペリーヌは食って掛かる。きゃあきゃあと黄色い声が響くなか、男は締め切ったカーテンを開けるとエイラの元へと近寄ってこの騒ぎの原因を探る。

「あぁ、面白い話をしてたんダ。サーニャが夜間哨戒の時に聞いた話なんだけど――」

 エイラは言葉を切り出そうと口を開けた瞬間、花壇でペリーヌに対して語られた男の過去の告白を思い出す。思えばこの男は――。

「ま、まあ、これは取っておきだからナ。今度の怖い話大会の時のために今は教えないでおいてやるよ」

「そうか、残念だが仕方あるまい。今度の怖い話大会にはぜひ参加させてもらおうか」

 嫌な胸騒ぎがエイラの心を埋める。もしかしたら、これはただの噂話ではないのかもしれない。

「……リネット曹長? 大丈夫か?」

 呆然と虚空を眺めるリーネに気を使い、男が声を掛ける。真横でペリーヌと宮藤が言い争っていると言うのに、たいした人物である。

「はへっ!? は、はい!」

 動揺したリーネはなぜか敬礼さえ作って男を見つめる。どう考えても大丈夫ではない。

「あ、ああ。大丈夫なら良いんだ。うん」

 たまらず、ルッキーニが噴出す。けらけらというルッキーニの笑い声に、赤面したリーネ、なんとも大人気ない口論を交わすペリーヌと宮藤、頭を抱えてうめき声をもらすエイラという混沌の中で、男は目頭を押さえると首を振った。


――――執務室――――


「どうしたんだ? 上層部から何か言われたか?」

「いいえ、その逆よ。上層部から何も言われてないの」

 その言葉の真意が分からない坂本は眉をひそめる。ミーナは疲れ果てたように、書類を坂本に付きだした。

「私が信頼できる人からの情報よ。交戦情報もあるネウロイなのに、上層部は不思議なくらい静かなの」

 書類に述べられているのは、人型のネウロイの概要である。ご丁寧に写真まで添えてある以上、フェイクではないのだろう。書類の最後には情報元であろう「カールスラント情報部」の捺印が押されていた。

 モノクロの上に不鮮明であるが、ネウロイというよりもウィッチと言ったほうがしっくり来る外見である。虚ろな表情に薄く笑みの浮かんだ口元。風を受けてなびく長い髪と腰のサーベルに携えられているしなやかな腕。かつてスオムスに現れたコピーネウロイ――ウィッチもどきのようにも思える。

「このネウロイの元となったウィッチを知るような人物はいないのか?」

 坂本が書類に眼を落としながらそう尋ねると、ミーナは少しだけ言葉を詰まらせて答えた。

「この姿を知っている人は数人いたわ。でも、皆信じられないようだったの。だって彼女は……ずっと前に死んでいるはずなんだから」

 その言葉に坂本は目を見開く。いかにウィッチと言えど、死人が蘇るなんていう事はありえないのだから。

「彼女の名はアネット・カプチェンコ。金色の啄木鳥と呼ばれたカールスラントのエースよ。そして、彼女を良く知るであろう人物がこの部隊にいるわ」

 ミーナは大きく息を吸うと、凛とした瞳で坂本の眼を見つめた。

「彼女は俺大尉と共にアフリカの空を駆け、そして墜落したの」

 坂本は写真を見つめる。よく見ればこの女性の腰に差してあるのはサーベルではなく、俺大尉の持つ長銃身のモーゼルそのものであった。

「……尋ねてみるか?」

「私がするわ。美緒は俺大尉を呼んできてくれるかしら?」

 ミーナが重苦しい調子で言うと、坂本は執務室から出ていった。ミーナは疲れたように深く椅子に掛けると、大きくため息を吐いて書類を見つめた。

 数分後、坂本に呼び出された男は神妙な面持ちで部屋に入り、鋭い敬礼を行う。坂本が扉を閉めると一瞬だけ沈黙が部屋を覆う。ミーナは畏まらなくて良いと伝えるが、声色は緊張したままだ。

「俺大尉、早速ですが見て欲しいものがあります」

 ミーナが坂本につき出した書類を同じようにつきだすと、男は驚いたように眼を見開いて添付された写真を見つめていた。その顔は単純な驚愕に加えて後悔の念も混ざっているような、複雑なものだった。

「……俺大尉、率直に聞きます。この写真の人物を知っていますか?」

 ミーナが問うと、男はパクパクと口を動かして声にならない声を漏らす。その男を辛抱強くミーナは待ち続ける。

「な……ぜ、『大尉』が……」

「知っているのですね?」

 男は信じられないというふうに小さく独り言を呟くが、やがてミーナに向けて言葉を紡いだ。

「彼女は……カプチェンコ大尉、いや、中佐は……アフリカで死んだはずです」

 男は反射的に自らの胸ぐらを掴む。確かに彼女の残骸は確かにその場所にあるのだから。

「アネット・カプチェンコ中佐は、確かに死亡したのですか?」

 ミーナが問うと、男は一度だけ首を縦に振った。

「墜落して……ザクロの実のように……」

 その言葉に、ミーナはお手上げと言うように天井を見上げる。

「それよりも彼女は……カプチェンコ中佐はなぜ写真に捉えられているのです!? 生きているわけが無い! 彼女が生きているわけが――」

「落ち着きなさい、俺大尉」

 ぴしゃりとミーナがそう命じると、男ははっとしたように息を詰まらせて目線を下げた。

「今後上層部から連絡があるまで、この事の口外および詮索を禁じます。わかりましたね?」

「……了解しました、中佐殿」

 男はゆっくりと敬礼を行う。その態度に満足したのか、ミーナは穏やかな笑みを浮かべると退出の指示を下す。

 男が鋭く踵を返して音も無く部屋を出ていくと同時に、ミーナは大きくため息を吐いて再び書類を眺めた。


――――談話室――――


「俺のやつ、また何かやらかしたのカ?」

「まさか。貴女とは違いますわよ」

 自室に駆けだしたリーネを宮藤が追い、坂本からの召還によって俺大尉が消え、談話室のルッキーニがシャーリーを探しにどこかへ行ってしまったため、現在談話室にはエイラとペリーヌの2人しかいない。ペリーヌは自家製のハーブティを淹れてすっかりとリラックスの体勢だし、エイラもソファに寝転がってタロットに興じている。

「そのハーブティ、減りが早くなってないカー?」

「大尉が気に入ったようですの。というか、あの人はずいぶん前からこの茶葉がお気に入りでしてよ?」

 短い言葉の応酬だが、場の雰囲気は和やかなままだ。おそらくガリア奪還前のペリーヌであればここまで和やかではなかっただろうな、とエイラは思う。

「マァ、俺大尉のおかげかもしれないけどナー」

「何、か、おっ、しゃい、まし、て?」

 おおよそ会話と言うものが成り立っていないためか、ペリーヌは語気を荒げながらエイラに問う。エイラは軽くあしらうが、やがて思いついたようにタロットカードの山から1枚の札を引き抜いた。

「やっぱりゾッコンかよ」

「貴女はさっきから何をおっしゃってますの!?」

 エイラが俺大尉とペリーヌの関係を占い、引き抜いた札はやはり「恋人」。しかも正位置ときたもので、気のせいか札の人物がドヤ顔でこちらを見つめているようにも思う。

「いや、俺大尉とペリーヌの関係を占ったらこの札だった」

「むぐ……! というか、花壇の一軒をシャーリー大尉に聞きましたわ。盗み聞きなんて性質の悪い事を」

「あー……あれは素直に申し訳ないと思ってるゾ?」

「だったら普段の態度で示してくださいまし! というか、まさかサーニャさんに報告なんてしていないでしょうね?」

「も、もちろんダ! 私をルッキーニと一緒にしないでくれ!」

 しどろもどろと言った様子のエイラが新鮮だったが、ペリーヌはひとまず安心と行った様子で息を吐く。

「でも、本当に驚いたゾ。ああいうバルクホルン大尉みたいなタイプって、ペリーヌは苦手そうだと思ってたから」

「あら、俺大尉は話せばユーモアのある方ですわよ? それに、私はバルクホルン大尉が苦手と言うわけでもありません」

 ペリーヌが言うと、エイラは言葉を詰まらせて宙を見つめた。

「……なんでだろう、俺大尉がシャーリーみたいに豪快に笑うところを想像してしまったんダナ」

「ありえませんわね」

 ペリーヌはほんの少しだけ想像をめぐらせると、すぐさま言葉を切って落とす。普段の皮肉で自嘲気味な薄い笑みの男が、眼を細めて口元を吊り上げ豪快に笑う様はそれだけで違和感が尋常ではない。

「……ありえませんわ」

 たまらずペリーヌはもう1度、否定の言葉を口にした。普段の落ち着いた雰囲気を浮かべる彼には、どうしても豪快な笑いは似合わない。

「だよな、私も自分で言って寒気がした」

 エイラが言うと、ペリーヌは少しだけ笑い声をもらす。その反応に、エイラは相当驚いたようだった。

「てっきりペリーヌのことだからまた噛みつかれると思ったゾ」

「貴女は私を何だと思ってるのかしら?」

 パチパチと体から静電気をもらしながらペリーヌは笑う。エイラが必死に弁解を行うと、静電気の音は消えて行く。

「ま、私としてはツンツンメガネが俺大尉とどんな関係になっても邪魔する理由は無いしナー」

「ツンツンメガネって……その呼び方やめてくださる?」

 エイラはペリーヌのいつもの反応に満足したのか、ニシシと笑みを浮かべてタロットカードを引いた。今回の占いは、しこりのような違和感を覚える俺大尉についてである。

「ツンツンメガネはツンツンメガネダロ? ん?」

 エイラは引いた札を見てわずかに眉をひそめる。カードは正位置、しかし描かれているのは大鎌を持った黒衣の骸骨だ。

「だーかーら! その呼び方をやめてくださいと言っているのです! エイラさん! 聞いていまして!?」

 ペリーヌはついにソファから立ち上がってそう叫ぶが、険しい表情を浮かべるエイラに気付くとわずかに、ほんのわずかに語気を穏やかにした。

「……良くない事が起こる」

「は? え? 一体何を?」

「俺大尉の運勢、『死神』の札ダ」

 エイラの言葉をくだらない、と一蹴し、ペリーヌはソファに掛ける。

「縁起でもない。大方逆向きに当たるんでしょう?」

 その瞬間、すぐ近くで男の声と鈍い衝突音が響く。その音にすぐさま反応したのは、ほかならぬペリーヌその人であった。

「大尉!?」

 ペリーヌが電光石火で談話室を抜け出した廊下のその場所に、男がうつぶせで倒れていた。

「見苦しいところを見せたな。考え事をしながらあるいていたらこのザマだ」

 男が頭を抑えながら立ち上がると、ペリーヌはおろおろと男を見渡し、そしてエイラがニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら見ている事に気付いたのか、咳払いを一つ落とすとそっぽをむいた。

「ふ、ふん! まったく! ぼーっと歩いてるからそういうことになるんですわよ!」

 男は何故怒られたのか理解できないまま子首を傾げ、そしてロングコートを叩いてホコリを払うと踵を返し、自室へと歩みを進めた。

「あ、大尉……?」

 てっきり談話室で談笑に興じるとばかり思っていたペリーヌは、肩透かしを食らったような顔をしてか細い声を漏らす。だが男はそんな彼女の心中を知ってかしらずか、「少し一人にしてくれ」と小さく呟くと廊下の角に隠れてしまった。

「あー、これは振られたナ。ご愁傷様、ペリーヌ」

「んなぁッ!?」

 想定外の出来事の連続に、ペリーヌは顔を赤く染めたままパクパクと言葉にならない声を漏らす。

「でも、私の占いは当たったな。どうだ?」

 会話のキャッチボールと言うものが成り立たない事にうすうす気付いたのか、ペリーヌは大きくため息を吐くと再びソファに腰を下ろした。

「えぇ、どうせなら良いほうに当たって欲しいものですわ」

「さっき恋人の札を引いたダロー?」

 その言葉にペリーヌは顔を赤らめる。エイラはフフンと鼻を鳴らすとペリーヌに肩を組んだ。

「で、結局どこまで進んだんダ?」

「も、黙秘しますわ」

 結局シャーリーに問われた時と同じような状況となってしまったペリーヌは、冷めかけた紅茶に視線を落としながら、真っ赤な顔でエイラの尋問に耐えていた。


――――俺大尉の自室――――


 まだ昼間だと言うのにカーテンを締め切った男は、部屋の真ん中に腰掛けて焦点の合わない瞳で虚空を見つめていた。

 ロングコートを乱暴に脱ぎ捨て、モーゼルをサイドチェストに立てかけた男は心底疲れ切ったような表情を浮かべている。首に掛けられた真っ白な「残骸」は暗闇の中でも見失うことは無い。

「(カプチェンコ大尉が生きていらっしゃるのか……?)」

 在りし日の記憶を男は辿る。おそらく自らの転換点となった、あの戦場での数秒を。

「(否、否否否否!! 大尉は死んだ! 二階級特進なされた! 肋骨も遺品も回収したじゃないか!! 死人に意思は無い! そうやって今まで飛んできたのは『俺』自身じゃないか!!)」

 閃光のように、男の脳裏に暗い記憶が弾けた。

 真っ黒な雲を引く自らの長機。

 インカムを通じて響く悲痛な声。

 爆音。

 耳障りなノイズ。

 視界の端で流れる血煙。

 恐怖をありありと浮かべたまま墜ちていく「彼女」の表情。

 インカムが壊れている事に気付かずに必死に呼びかけているであろう口元。

 砂煙。

 赤。

「やめろ!!」

 硬く眼を閉じたまま男が吼える。誰に向けた叫びなのか、男自身も知らない。

「やめてくれ……」

 男は震える声で、懺悔するように頭をたれる。たった1枚の写真がこの男をこれほどまでにかき乱すとは誰が想像できただろうか。

「俺はどうしたら良い……」

 普段とは別人のような弱りきった声が虚空に溶けて行く。

 そして、警報が響いた。

「……俺はただの武器で良い、感情も無く、後悔も未来も無い、そういう存在であれば良い」

 コートを羽織った男はモーゼルをサーベルのように両腰に差し、大股にブリーフィングルームへと歩みだす。

「さあ、戦争の時間だぞ『私』」

 無人になった真っ暗な部屋の中は時が止まったように静まり返っていた。


最終更新:2013年02月07日 15:24