「……っ!」
薄まっていく酸素を懸命に吸い込んでは吐きながら逃げ場の無い火炎地獄を突き進む。
背後から砲声に紛れて耳朶を掠めるのは十にも満たない部下たちが立てる軍靴の音。
交戦開始時点では数十名だった隊員たちも今では片手で数えられる程度しか残っていない。
部隊発足からただの一度も補充を行わなかったことが部隊長であるジェンキンスにとって最大の誇りであった。
それが今では異形の軍勢相手に成す術なく蹂躙され、鼠の如く燃え盛る街の中を敗走する有様だ。
数十人はいた隊員たちの大半が頭上からの爆撃によって原型を留めず四散した。
出撃前はあれだけ頼もしく思えた重戦車隊も数の暴力によって散らされた。
加えて後方で待機していた支援部隊との連絡も途絶えている。
無論、魔法力を持たぬ一般歩兵である自分たちがネウロイ相手に優位に立ち回ることなど限りなく不可能であることは彼自身も充分に理解していた。
故に今までも、そして今回も陸戦魔女のサポートに最大限の死力を尽くしてきたのである。
だが地中から突如として現れた蠍や蜘蛛を模した歩兵掃討種により、陸戦魔女らと分断されてからというもの一方的な虐殺の憂き目に遭い、今に至る。
早くから気付くべきだったのだ。そもそも人外の敵に既存の戦術が通じるという認識そのものが浅はかであるということに。
鼻を突く硝煙の臭いに顔を歪ませつつ胸裏で命を落とした部下たちへの謝罪と陸戦魔女たちの無事を祈る最中、
「はぁ……はぁ……ぁぁぁぁぁっぁぁぁあああああああああああ!!! ちくしょおぉぉおおおおおおおおおおお!!!」
最後尾を走る最年少隊員――ジョーンズが叫び声を上げるなり足を止めた。
常に背後を狙われる緊迫感。命の保障など既に消え失せた絶望が恐慌を引き起こし、彼の理性を毟り取ったのだろう。
身を翻して銃口を向け、対象を照射線上に捉えた瞬間に引き金を絞る。
銃口から吐き出される弾丸が背後から肉薄してきた蠍型の装甲に着弾。されど魔法力が込められていないそれらが与える損傷など所詮は微々たるもの。
文明が生み出した力はいとも容易く、小さな火花を上げて黒の装甲に弾かれる。
異形にとって彼が放った銃弾など蚊に刺された程度、否、それ以下のものだろう。
「――ははっ」
間合いに捉えられるなり、しなる尾棘が振り下ろされる。にも拘わらず立ち止まった彼の頬は不気味なまでに引き攣っていた。
笑顔とも見て取れる面差しの裏には、早く殺されて恐怖から解放されたいという願いが窺える。事実彼は引き金を絞ることを止め、その場から逃げようともせず、ただ立ち尽くすだけであった。
振り下ろされるは槍の穂先を髣髴させる針。鋭利な一撃によって少年の肉体は微塵に弾け飛ぶ。
「カハッ! カッハハハハ!! ここかぁ、やっと追いついたぜェ……」
――はずだった。
諦観に彩られた笑顔の寸前で停止する切っ先。黒光りするその先端を握り締めていたのは見紛うことなく人間の手。
目を丸くした彼が手の主へと視線を動かした途端、半開きとなった口から驚愕とも恐怖とも聞き取れる吐息が発せられた。
仲間B「待ってろよぉ……俺ェ。わざわざ仲間E送り付けて回復させてやったんだ。存分にあの日の続きと行こうじゃねぇかア……!!」
蠍型の一撃を強引に受け止めたのは唇を歪に吊り上がらせる男だった。
凶の色を宿す目を見開き、凄惨な笑みを零すその姿は少年歩兵の脳裏に人外という言葉を過ぎらせる。
シャツの上にネイビーブルーの防塵ジャケットといったおよそ軍属とは無縁の出で立ち。
が、少年歩兵を絶句させたのは乱入者が前触れも無く現れたことではなく、その男が素手で蠍型の穂先を握り締めている光景であった。
少数ではあるが男性のウィッチが存在していることは軍に入る前から耳にしたことがある。
ネウロイの一撃を喰い止めた荒業からジョーンズは初め、目の前の乱入者も希少な男性ウィッチの一人であると認識していた。
けれどもこの男の頭部にはウィッチが有する使い魔の耳が発現していない。尾もまた然り。
つまりこの男は何ら特殊な力を持たずに、ただ純粋な膂力で蠍型の一撃を受け止めたということになる。
剛腕や鉄腕では形容しきれない男の腕。言うなれば鬼腕。煤煙と砲火が跋扈する地獄を庭とする戦鬼のそれである。
「あ、アンタ……一体――」
「気張るのは勝手だが、精々息切れを起こさんよう気をつけることだ」
尋常ならざる膂力を以って人外の敵を封じ込めた男に対する掠れ声を掻き消したのは深海を思わせる深い声。
視線を乱入者の背後に向ければ、炎の内側から声の主であろう男がその巌の如き体躯を露わにした。
外見から判断するに歳は六十の半ばから七十の前半。丸太を髣髴させる太い手足が織り成す逞しき全身は巨躯と呼ぶに相応しい。
その手が把持するは身の丈を遥かに超える長大な槍斧だった。
先端には蜘蛛型のボディが突き刺さり、杭を連想させるその六足はあたかも悲惨な最期を遂げた串刺し死体の如く垂れ落ちている。
「こんなものか……」
間髪入れずにコアが砕け、白光放つ結晶と化す蜘蛛型。自らの頭上に降り注ぐ破片を老兵が鬱陶しげに払う。
壮漢の頭部に発現する灰色の狼の存在から魔法力を有していることが窺える。
一握りの例外は存在するものの大多数のウィッチは成人と同時に魔法力を失う。
しかし、愛用の槍斧で自身の体躯の数倍もの巨大さを誇る歩兵掃討機種である蜘蛛型を串刺しにする様から少なくとも壮漢はその例外に入るようだ。
仲間B「爺様こそ腰やられんじゃねぇぞ。それと、いっとくが俺の視界のなかでくたばんなよ? 寝覚めが悪ィからよお」
爆斧翁「そうだな。ならば俺も邪魔な小僧を敵諸共斬り捨てないよう気をつけるとしよう」
信頼など微塵も感じられない言葉に返された声音も同様に、情といった概念は介在していない。一見仲間のようにも見えるがその実、この奇怪な乱入者たちは互いの命運に何ら頓着などしていなかった。
おそらく彼らにとって隣を走る人間が傷を負い、斃れ伏せようと歯牙にもかけないだろう。
仲間B「おーおー。言ってくれるじゃねぇか。久しぶりの戦場でエクスタシー決めてんのか? おぉ? 何だったら俺の野郎よりも先にテメェから始末してやっても良いんだぜ?」
侮蔑の言葉を吐き捨て、見開いた目を更に抉じ開ける。
剥き出しにされたのは獣の牙と称しても差し支えないほどの鋭さを誇る犬歯。
醜悪という言葉がこれほど相応しい笑みを少年は
初めて目の当たりにした。
先刻までネウロイの追撃から逃げ回っていた最中に抱いていたものとは桁違いの恐怖を覚え、数歩後ずさる。
全身を圧砕する勢いで降り注ぐ弩級の重圧。この男は危険だと生存本能が激しく警鐘を打ち鳴らす。
もしも、この場がネウロイに蹂躙されていなければジョーンズは間違いなくこの男に銃を向けていただろう。
「あー、君たち。そろそろ仕事をしないか? 報酬を貰っている以上はそれに見合う働きをせねばならん」
それだけで人ひとり分殺めることが可能な気迫は、場違いなほど温厚な声によって薄められた。
気がつけば双方の間に立った長身痩躯の人物が宥めるように男二人を手で制止していた。
右腕に擦り切れた赤い腕章を身に着ける彼の背後に佇むフリーガーハマーを主武装とした集団。
仲間B「テメェも来たのかよ。こういうのは
トラウマに触れるんじゃなかったのかァ?」
相も変わらず尾針を鷲掴みにしたまま蠍型の動きを封じ込める男が表情を歪める。
侮蔑の色に彩られた笑みを前につられるかのように微笑む腕章男。
ここが地獄の釜であることを忘れさせる柔らかな笑顔は次の瞬間、一転して憎悪に塗れることとなった。
仲間F「無論だ。私も“ここ”へ来る前は似たような目に遭っていてね、あぁ……この風景思い出すよ。あの糞忌々しい赤軍どもが我が故郷ベルリンを包囲したあの日を」
見開かれた双眸。地獄の底から響いてくる幽鬼の鳴き声を思わせる声音。
醜悪に歪んだ腕章男の表情から彼が口にした赤軍なる集団への筆舌に尽くしがたい憎しみを少年は感じ取った。
「(何なんだよ。コイツらは)」
魔法力も持たずに素手でネウロイの攻撃を受け止め、今に至るまでその動きを抑え込む膂力を有する男。
無骨なフォルムの戦斧で歩兵掃討用の蜘蛛型を刺し貫いた壮漢。
“空飛ぶ鉄槌”で武装した集団を率いる腕章男。
少年歩兵が抱いた戸惑いなど微塵も気にかけず男たちは話を進めていく。
仲間B「ここはお前がいた世界じゃねぇぞ。勘違いすんな」
仲間F「無論だ」
仲間B「つぅかよ、これぐらいの数ならあいつ一人で何とかなんだろ? 何だってババァは管轄外してまで俺たちに行かせるかねぇ」
爆斧翁「薔薇十字の最奥術式は顕現階層ですら莫大な魔法力を消費する。減衰期を迎えたアイツでは秘奥が限界だろう」
仲間B「まぁ俺としても? 大成の銀河衝撃波なんて物騒極まりないもの喰らいたくねぇしな」
腹の底から漏れ出す下卑た笑い声がその場にいる全員の耳朶を打った。
金属音を連想させる異形の絶叫が遥かに心地良く思えるほどの哄笑。
周囲に佇む炎によって上昇していた体温が急激に奪われていく感覚が少年を襲う。
仲間F「それに彼の固有魔法の利点には射程の広さも含まれている。下手に撃てば味方まで巻き込む恐れがあるからな」
仲間B「…………あ? 味方っていやぁ獅子心王のヒョロ坊はどうした? ババァはあいつにも招集かけたんじゃねえのかよ。ばっくれか?」
仲間F「流石に陛下とて自国のエースを独断で動かすことは出来んさ。“部隊”の他の仲間たちも別戦線で奮迅している以上、ここは我々だけで動くしかあるまい」
腕章男の言葉が終わるよりも先に辺り一面を対空高射砲の発射音が駆け抜ける。
音響の大きさからそう遠くはない。
頭上を仰げば高射砲の直撃を受けた爆撃機級が白塵と化す光景が視界を埋め尽くした。
仲間F「ふむ、雑談はここまでのようだ……では鉄槌隊の諸君。これより戦争を始めようじゃないか。なぁに我らは彼女らに比べれば遥かに非力だ。だが雑魚には雑魚の意地が、矜持がある」
仲間B「塵も積もれば山となるってかぁ!? 雑魚が寄り集まって出来上がった山なんざ簡単に消し潰せんだよぉ! こんな風になぁ!」
消え失せる男の右腕。刹那、周囲一帯を消し飛ばすほどの破砕音が炸裂した。
辺り一面に叩き付けられる轟風は爆炎を打ち払い、半壊した建造物を跡形残らず粉砕していく。
腕の一振りで発生した暴風。吹き荒れた跡には何一つ残っていなかった。街灯も建物も、つい今の今まで押さえ込まれていた蠍型でさえも。
文字通り、男はこの地獄の一角を更地へと変えたのである。
特別な兵装も、ましてや人員も必要とせずに。たった腕の一振りで。
爆斧翁「……先行した仲間Eは既に東地区で攻撃用護符の設置作業に入っている。五角の陣形から見て明王陣だろう。俺は北地区の敵を撃滅する……間違っても踏み込んでくるなよ?」
――さもなくば斬る。
言外にそう言い含めた壮漢は炯々たる光を宿した瞳で場にいる全員を一瞥し、戦斧を担いで炎のなかに消えていった。
仲間B「……んじゃ、こっちは南地区の奴ら適当にぶち殺して……俺の奴でも探すとすっかねぇ。待ってろよォ俺ェ……っくくく! っはははははははははははは!!!」
仲間F「……相変わらず騒がしい男だ」
遠ざかっていく魔王の哄笑に腕章男は苦笑いを零す。
厄介なことにあの男はただ戦火を求めるのではなく自身という存在を輝かせる場を好む。それが偶然にも戦場であっただけ。
顔の造形も良いため、世が世ならば名の知れた俳優にでもなっていたのであろう。
仲間F「腕は立つのだが……」
しかし、こうも好き勝手に動かれるとこちらが調整に追われることを少しは察して欲しいものだ。
尤もかの悪名高き武装擲弾兵師団の連中と比較すれば、まだ真っ当な部類に属していることには間違いないが。
仲間F「敵でないだけ、ありがたいがね。さて、そこの君たち。この先を2ブロック進んだ場所に補給部隊が待機している。早いところ合流して装備を整えたまえ」
「補給って……だって支援部隊は!!」
仲間F「新たにリベリオン、ヒスパニアからの増援が既に到着している。嘘だと思うなら行ってみると良い」
「リベリオン……それにヒスパニアって――」
仲間F「あぁ失礼。鉄槌隊の諸君は西地区へ移動してくれたまえ! 状況によっては現場の部隊と協力しろ」
叫びにも聞き取れる返礼の後、“空飛ぶ鉄槌”で武装した集団は燃え上がる炎をものともせずに地獄を突き進んでいった。
炎に紛れて消えていく彼らの後姿を見送り、再び少年に目を向ける。
仲間F「信じるか、信じないかは君たちの自由だ。自由だが……このまま負け犬として逃げるか、人間としての矜持を貫き連中に一矢報いるか。選ぶのは君たちだ」
「それ……は」
仲間F「負けたままは辛いだろう? 敗者として生きるのは辛いだろう?」
腕章男の言葉に思わず背後にいる仲間たちへと振り返る。
その背に憧れを抱いた歴戦の戦士たちは。自分が命を預ける仲間たちは。今まで苦楽を共にする家族たちは皆一様に重々しく頷いた。
彼らの戦意は、まだ潰えていない。
管野『攻撃くるぞっ!』
俺「――ッ!」
インカムから迸る管野の叫びよりも先に、矢継ぎ早に放たれた熱線に身を翻す。直後それまで飛翔していた空域を疾走する紅蓮光。
欧州各地に点在する高名な建築物の数々を紙細工の如く容易に切り裂き、焼き払うほどの火力に男の面差しが歪に強張った。
前方に佇む中型からの熱線が掻き消えると同時に携行火器の引き金に指をかけ、発射。重い銃声を伴って銃口が発火炎を吐き出す。
連射される7.92mm弾が暗夜よりも深い中型の装甲を削り始める。
俺を含めた第502統合戦闘航空団に所属する魔女全員分の集中砲火を浴び、中枢であるコアがその姿を現した。
ロスマン『コアが見えたわ!』
俺「サーシャ!!」
間髪入れず蒼空に轟く銃声。一発でコアを撃ち貫かれた中型が霧散するよりも先に、次の標的へと肉薄していく魔女たちの後姿から俺は眼下の大地に視線を落とす。
地上部隊に対して立て続けに行われる爆撃。それに伴う爆音、破壊音が人間の断末魔すら掻き消す地獄絵図。
人類側は前回の作戦時での残存戦力に合わせ連合軍からの増援を、ネウロイ側は侵略拠点である都市奪還のため前回以上の戦力を投入した。
地上に展開される歩兵及び陸戦魔女部隊に降りかかる砲火を排除し、逸早く制空圏を確保および拡大せよ。それが第502統合戦闘航空団に課せられた指令であった。
ニパ『不味い!』
ラル「各機! 目標を軽爆撃級に設定! 攻勢開始!!」
眼前に展開される爆撃機級の編隊が地上に展開されている陸戦部隊に向けて爆撃を開始した。
風切り音を奏でながら大地に吸い込まれていく爆薬の数々に、俺は無言で右手を伸ばして極細状の衝撃波を五指の先端から照射する。
直後、都市と空中の中間にて発生する無数の光。全弾撃墜を確認するとともに爆撃機級の編隊に携行火器の銃口を向けて引き金を引く最中、耳元に装着しているインカムが軽いノイズを走らせた。
サーシャ『俺さん……こうなった以上は何も言いません』
俺「悪いな。最後の最後に我侭聞いてもらって」
流れ出した声は真正面の標的を見据えながら断続的に対物ライフルの引き金を絞るサーシャのそれであった。
日頃に比べ幾分か落ち込む声色から彼女が自分の身を案じていることを察した俺は、口許に苦笑を零しながらも引き金を引き続ける。
思えばここ数日は彼女らに心配をかけてばかりだ。基地を飛び出し、戦場に入り込み、ジグラットの崩壊に巻き込まれた。
まだ半世紀も生きていない若造であることは自覚していたが、青臭さだけはとっくの昔に抜け落ちているものとばかり思っていた。
にも拘わらず、この有様だ。魔力障壁を展開すら力を失っているというのに乱戦の渦中に身を置いている始末だ。
どれだけ世界を渡り歩いても。どれだけ砲火のなかを突き進み、実戦経験を積んだとしても。
結局自分は未だ青臭いままの若造なのだと己の未熟さに自嘲の念を禁じえない。
なにが自分をここまで変えたのかと原因を探り始める。時間にして数秒、答えはすぐさま弾き出された。
愛しい女性の笑顔を脳裏に思い浮かべ、銃口炎に照らされる俺の表情が緩やかに綻んでいく。
あの笑顔のためなら、彼女のためなら自分は何度だって命を張れる。
この感情が青臭いというならば自分は一生青臭い小僧だと嘲笑われ続けても構わない。
けれども、
ロスマン『最後だなんて……縁起でもないこと言わないでください』
クルピンスキー『そうだよ。君には何が何でも生き残ってもらうからね? 途中で死んだりして、隊長を泣かせたら一生恨むよ』
俺「わかってる。俺だって惚れた女の泣き顔なんざ見たくないんでね」
それでは無意味なのだ。片方が生き残るような結末など彼女は望んでいない。
彼女が欲しているのは自分が隣にいる平穏な未来。故にここで死ぬわけにはいかない。
露出したコアに銃弾が直撃。砕け散る爆撃機級から視線を外すと同時に再びインカムから雑音が迸った。
サーシャ『魔法力の消費が激しい衝撃波の使用は可能な限り控えてください。通常火力での破壊が困難な場合はこちらが適時指示を出します』
俺「了解」
返事とともに残る爆撃機級への攻撃を開始。視界に入る敵勢力の観察も並行で行う。
現状は502を含めた航空歩兵部隊の奮迅により制空圏は微かではあるが確実に広まりつつあった。時折入る地上部隊に配備された高射砲による援護射撃がその勢いを後押している。
この状態を維持できれば制空圏確保も時間の問題だろう。
俺「(しかし……ここまで執着する理由はなんだ?)」
人類は廃棄都市の完全なる奪還のために前回以上の戦力を動員した。
同様に怪異側も先の激戦など前哨戦とでも言うように大量の兵力を投入したが、奴らにとってこの廃棄都市は貴重な戦力を投入するほどの価値があるのだろうか。
大型とはいえ所詮は一都市に過ぎない。更に付け足すならば類似する場所など欧州を探せばいくらでも転がっている。だというのに第二波戦力を動かす真意とは何なのか。
疑問と考察を幾度も巡らせた結果、俺の脳裏に一つの仮説が導き出される。
ネウロイが身を削ってまでこの地に執着する理由。それは、それは……
――この地でこれから何かを行おうとするためなのではないか……――
俺「ッ!?」
思考は前触れも無く耳元に届いた、砲声や爆音とはまた異なる轟音によって掻き消された。
視線を十時方向へと向けるや否や俺は反射的に身体を強張らせる。
作戦領域である都市に隣接した山々を越えて姿を見せた歪な影。
甲虫――それも眼下の都市に跋扈する蜘蛛型や蠍型とは比べ物にならないほどの大きさだ。
ジグラットに匹敵するサイズの四つ足。対航空歩兵用の赤い砲門があたかも天道虫の斑点のように散りばめられた背面。それだけならば何ら脅威にはならなかっただろう。
しかし背面に連結された巨大な砲身の凶悪過ぎるフォルムに否応無く視線が移ってしまう。
一撃で都市一つ消滅させられる程の火力を有していることがサイズと口径から容易に想像できる。
流石にこの乱戦の最中で使用してくることは考え難いが、だとしても迅速に撃破することに越したことは無い。
同じ考えに至ったのか巨大甲虫型を最重要破壊対象と判断し攻撃を開始する各航空歩兵隊。
彼女らが手にする銃器が空に鮮やかな炎の華を咲かせる光景をよそに、ラルは脳裏に策を巡らせていた。
巨体とそれを支える頑強な四つ脚から機動力はさして高くない。問題は機動力の低さを補うほどの防御力にある。
先刻から機銃弾の豪雨を浴びているというのに、巨大甲虫型の歩は止まるどころか鈍る気配すら見せていない。並大抵の火力では決定打はおろか致命傷を与えることすら至難だろう。
下原『――ここからでは脚部しか確認出来ませんが……現状、対地兵装らしき存在は見当たりません』
管野『――けどよ! んなもん無くたってあの脚さえありゃ!!』
ロスマン『――蹴散らされるのは目に見えるわね』
ジョゼ『――空から攻撃するにしてもあの数の砲門です。下手をすれば撃ち落されます』
管野『――だったらあの無駄にでかい脚ごとぶっ壊してやるよ!!』
俺『――よせ。それでお前の手が砕けたらどうする? いや……おい、まて』
戦意を燃やす管野を諌める俺の何かを察したかのような言葉に、思考の海から現実へと帰還するラル。
視線を標的に注いだ瞬間、悪寒が背筋を駆け抜けた。歩を止めた巨大甲虫――その背の砲門が明滅を開始する姿に。
嫌というほど見慣れたあの現象は――
ラル「――全機ッ! 障壁展開!!」
弾かれた動作でインカムに手を伸ばすなり回線を全航空歩兵に接続。
ワンテンポ遅れ、巨大甲虫の背面から伸びた幾条もの熱線が空中を飛び交う航空歩兵たちに殺到していった。次いでノイズを伴った状況報告が飛び交う。
撃墜された者、ストライカーを大破に追い込まれ飛行が困難になった者。
戦友を墜とされ怒り狂う者。
一瞬で十を超える航空歩兵が戦闘不能に追い込まれた状況にラルは端整な美貌を歪めた。
ラル「なんて範囲だ」
周囲を飛び交う目障りな存在を叩き落した巨大甲虫が再び移動を開始する。
自分が墜とした少女たちが迎える命運など歯牙にもかけぬ標的の態度に腹の底から湧き上がる怒りを抑えつつ、改めて状況整理に徹した。
対物ライフルの一撃を以ってしても貫くことが叶わなかった装甲からやはり最大の難所はあの鉄壁なまでの頑強さにある。
現状、502が有する火器ではあの城壁を破壊することは不可能と断じて良いだろう。
列車砲級の火力ならば損害を与えることも可能だろうが、生憎とこの場には“グスタフ”も“ドーラ”も配備されていない。高射砲も残る爆撃機級の撃墜が終わるまでは巨大甲虫の相手に回せない以上はやはり携行火器で食い止めるしか手は無い。
そのときラルの思考は辿りつく。辿り着いてしまう。
列車砲以上の火力を有する男に。堅牢無比な装甲を突破し、搭載された核の破壊が可能な航空歩兵の存在に。
俺『――こいつは俺の出番かな』
そして、その男は携行火器を左手に持ち替え空いた右の肩を回していた。
象嵌された黒瞳が硬質なる戦意の光を弾く。あたかも天を舞う狩猟者のそれを髣髴させる眼差しを捉えた瞬間、ラルは全身に寒気が駆け抜ける感覚を抱いた。
不意に視線絡み合う。途端、頬を綻ばせる俺。
俺『――あれほどの装甲じゃ単なる集中砲火だと時間がかかる。出力を上げた衝撃波なら突破口くらいは拓けるさ。ただ、まぁ。少しばかり距離を縮める必要があるけどな』
確かに俺の衝撃波ならば巨大甲虫が放つ熱線を押し返し、損傷を負わせることも可能だろう。けれども彼は既に魔力障壁を展開する力を失っている。あの数の熱線を全て回避する空戦技量を有しているとしても、防ぐ術が無い以上は一度でも直撃すれば死に至ることは火を見るよりも明らか。薄皮一枚で繋がる彼をあの紅蓮光の群れに向かわせるなど地獄の淵に突き落とすようなものである。恋人としてそのような特攻を看過できるはずがない。
しかしそれはあくまでグンドュラ・ラルとしての考えでしかなく。今の自分は第502統合戦闘航空団の司令として、この現状を打破しなければならない。軍人としての判断を優先するならば、作戦成功の確率を少しでも引き上げるために彼を巨大甲虫へと送り出すことだろう。
ラル「(……私は、どうすればっ!!)」
躊躇いが脳裏を支配する。愛しい男の身を案ずる自分と軍人としての自分。
二人の己に挟まれたラルは胸中に渦巻く逡巡が次第に痛みを生み出していく感覚を抱いた。
彼を向かわせれば作戦成功率も上がるだろう。けれど彼が確実に生きて還ってくる保証など、どこにもないではないか。
送り出した結果、今度こそ彼が還って来ない結果に終われば……
ラル「(い、やだ……もう。いやだ……!!)」
悲痛な叫びが胸裏で木霊する。
もうあんな思いは沢山だ。寂しさも、切なさも。痛みも、悲しみも。
二度と味わいたくない。
俺『――なぁ。グンドュラ』
震える身体を包み込んだのは他の誰でもない恋人の声音。
振り向けば真摯な光を宿した黒瞳と視線が絡み合う。
一歩間違えれば確実に命を落とす状況にこれから飛び込むというのに、男は驚くほど柔和な笑みを湛えていた。
俺「こうして俺の出撃を認めてくれたってことは。お前もあのときに覚悟を決めてくれたってことじゃないのか?」
先刻までの凛々しさは消え、大切な存在を喪うやもしれぬ恐怖に震える恋人から目を背けずに紡ぐ。人を愛するということは同時に喪失の恐怖を背負うということ。
その恐怖を背負わせた元凶は間違いなく俺自身だろう。
もしも彼女と出会わなければ、彼女に惹かれなければ、その心を動かしさえしなければラルは優秀な航空歩兵としていられただろう。
けれども、けれども……
俺「信じてくれ、としか言えない」
後悔はない。ラルと出会ったことも、ラルを愛すると決めたことも。彼女もそれは同じであるはず。
今日まで散々世界を放浪してきたし、これからもそうだと思っていたが、今は違う。
守るものが出来た。仕事を終えてまた次の目的地を目指すわけにはいかなくなった。
ならば、そろそろ根を下ろす頃合なのだろう。彼女とともに生きる為に。
しかしそのためには乗り越えなければならない壁が、いま眼前に立ち塞がっている。
俺「それに。なにも俺だけであのデカブツを倒そうとは思っていないさ」
言うなり周囲を見回す。
指の骨を鳴らした管野が白い歯を見せつけ、不敵な笑みを浮かべた。標的が大きいほど落とし甲斐があると日頃から豪語するだけあり、この状況に一切臆していない。
携行火器を構えるジョゼと定子の姿が視界に入る。既に自分たちの役目を察した彼女ら二人は既に臨戦態勢を整えていた。
日頃自身の不幸体質を嘆く姿は消え去り、断固たる戦意を瞳に宿すニパ。スオムス空軍十指の実力者としての矜持を顕現させる少女の姿に俺は高揚感を伴った頼もしさを抱いた。
柔和な笑みを浮かべるロスマンが頷く。手のかかる教え子を見守るかのような笑みに俺はそっと背中を押されたかのような感覚を覚えた。
新型種が投入されたにも拘わらず普段と変わらぬ流し目を送るプンスキー伯爵が細指で巨大甲虫型を指差す。端整な美貌に象嵌された瞳が物語る意図に俺は頷きを以って返した。
危険な役目を押し付けてしまった負い目から双眸に不安げな光を漂わせるサーシャ。
しかしすぐさま他の手段の模索が無意味だと悟り、自らの役割に徹するかのように対物ライフルを構えなおす。
ラル「本当に…………アレを斃せるんだな?」
声が震える。吐き出したものが言葉として形を成しているのか自分でも確信が抱けないほどに。
ただ判っていることは彼の瞳と言葉に一片の迷いが見出せないということ、
筆舌に尽くしがたい覚悟を傷だらけの全身に宿しているということ、
そして自分が根拠も無しにその光を信じてしまっているということ。
ラル「……本当に、帰ってくるんだな?」
俺『…………必ず』
耳朶を打つ力強い言葉に頬が綻んでいく。
あぁ、まただ。何一つ根拠も確証もないというのに。
つい先刻まで胸裏を苛んでいた不安と躊躇いの姿が消えていく。
ラル「………わかった。敵の注意は私たちが引きつける。“命令”だ……必ず帰って来い!!」
あのときとは違う。
この手は届く。絶対に死なせない。何が何でも守り切る。
必ず全員で、生きて還る!!
ラル「聞いての通りだ。我々はこれからこいつの援護に入る」
「絶対に死なせはしない! 俺も! そして諸君もだ!!」
自身に刻み込むが如き宣誓。
威厳溢れる声音は空を駆ける雷電にも似た鋭さを秘めていた。
ラル「お前の背中は私たちが守る。思う存分暴れて来い」
言うなり笑みを浮かべる。
周囲の人間を安心させるいつもの微笑み。
既にその青い双眸に迷いは無く、歴戦の航空歩兵が宿すに相応しい凄烈な眼光が宿っていた。
ラル「あの虫を地面にキスさせてやれ」
俺「……あぁ。委細承知」
口元を綻ばせて応える。
携行火器を背負い、これから自分が対峙すべき怨敵を見据える。
ロスマン『――俺さん。ご武運を』
管野『――今度こそ早く帰って来いよ!!』
クルピンスキー『――もしも無事に帰ってこれたらキスしてあげよう』
ハスキーな声音とともにプンスキー伯爵の妖艶な眼差しが俺へと流される。視線を注がれた本人はというと気恥ずかしそうに頬を掻くなり空を仰いで茶を濁した。
その光景を前にした途端、ラルは胸裏に粘性を帯びたどす黒い感情が渦巻いていく感覚を抱いた。
微かだが自然と膨れる頬。目を細めて非難の意思を顕にする。
こんなにも嫉妬してしまうものなのか、こんなにも容易に妬いてしまうほど自分は嫉妬深かったのかと感じつつも恋人睨む眼差しは下ろさない。
ラル「…………むぅ」
不意に非難めいた眼差しがクルピンスキーの艶を帯びた視線と絡み合った。
跳ね上がるラルの心臓。その目線の奥底に混ざりこんだ不吉な気配が彼女の身体を強張らせる。
その直後、彼女の予感は見事に的中した。
クルピンスキー『もちろん隊長がね』
ラル「なぁっ!?」
先ほどの凛々しさが嘘のように塗りつぶされて、ラルの顔が年相応の女へと変わっていく。
俺『そいつは良い! 褒美があれば俄然やる気が出てくるもんだ!』
ラル「こ、こら! 勝手に話を進めるな!」
クルピンスキー『しないの?』
俺『してくれないの? グンドュラがキスしてくれたら凄いの出せちゃうぞ?』
目を丸くし、首を傾げる馬鹿二人。
その妙に息の合った行動もまた癪に障るが口付け一つで彼のやる気が出るならば、彼が生還する確立が上がるなら……
ラル「その……頬に、くらいなら。してやらんことも、ない」
隊長としての威厳を損なわないよう極力冷静さを湛えた笑みを見せる。
人前で口付けすることへの羞恥に頬を赤く染め上げながらも、普段通りに振舞おうと努力する少女の姿を目にした途端、クルピンスキーは心臓が何かに撃ち抜かれた錯覚に陥った。
あの、あのグンドュラ・ラルが。世界第三位の撃墜数を誇る歴戦の航空歩兵が。さばさばとした姉後肌の彼女が。
こうもしおらしい表情を浮かべるとは!
彼が502に配属される前までは考えられなかった部隊長の恥らう姿に息を荒げ、生唾を飲み込むプンスキー伯爵。
クルピンスキー「ねぇ、おれ――」
俺『やらんぞ』
返されたのは極限にまで冷気を孕んだ声音。
あたかも罪人を黄泉路へと送る断罪の執行者が如き鋭さにクルピンスキーの身体があたかも金縛りにでもあったかのように硬直した。
初めてストライカーを履き、ネウロイと対峙したときに感じたそれを遥かに上回る恐怖に脳がけたたましく警鐘を鳴らしている。
俺『伯爵。お前の魔手は届かない』
本能が告げる。これ以上、彼女に深く関わるなと。間違っても彼女を口説き落とそうなど考えるなと。
『残 念 だ っ た な!』
クルピンスキー「ははは。いやだなぁ……冗談だよ。そんな風に見つめないでよ!」
ロスマン『――おふざけはその辺りでやめておきなさい。隊長、ご指示を』
ラル「ブレイブウィッチーズ! 全機、攻勢再開!!」
遠方から轟く対空高射砲の砲声。
それを戦闘再開の号砲とし、勇壮なる航空歩兵たちは一斉に標的へと向かっていった。
猛然と迫る紅蓮の熱線が魔力障壁に激突する。
障壁越しに伝わる衝撃にラルは反射的に歯を喰いしばった。新型だけあってか対象へと突き進む速度も、密度も。通常の航空歩兵とは一線を画している。
ラル「相変わらず凄い火力だな!」
クルピンスキー『――だけど攻撃は僕たちや他の部隊に集中してる! これならいけるかもしれない!』
ロスマン『――いけるかもじゃなくて、上手くいかせなきゃ駄目なのよ!』
二人のやり取りを耳にするラルの視界に影が横切った。
黒髪を靡かせながら対象への距離を詰めていく恋人の背に、少女の身体が僅かに固まる。けれども次の瞬間にはすぐさま攻撃を再開する。
この手で守ると誓った。
ならば自分は自分に出来ることを貫くまで。
俺「(あの砲身が邪魔だな)」
少女の想いを背に受け、男は巨大甲虫が背負う巨砲を改めて観察する。
艦船に搭載されたものよりも遥かに巨大な砲を。都市一つ容易に焼き尽くしてしまうほどの砲を。
威力、射程。そのどちらも、装甲各部に設置された砲門から放たれる熱線の上をいくのはフォルムからみても明らかである。
万が一、地上や航空部隊にでも使用されることになれば連合軍の敗北は確約されてしまう。
それだけではない。放たれたら最後、作戦領域を突き破り遥か遠方の市街地にさえ到達するだろう。
俺「(砕くか)」
ここで後顧の憂いを断つべきだ。
加えて言えば敵の攻撃手段は少しでも減らしておくに越したことはない。
蜘蛛型が歩行を止めると同時に周辺空域に放射される熱線が消失した。
おそらくは対空用に用いる熱線のエネルギーを全てあの砲身から放つ攻撃に費やしているのだろう。
脚を止めたのは発射時の誤差を少しでも抑えるため。
俺「(ここで使っちまうか?)」
――魔技。
稀代の魔女――薔薇十字が創り上げた術式を基に独自の理論で編み出した術技であり、言うなれば“俺たち“にとって切り札のようなもの。
が、俺が習得した魔技は徹底的に破壊力と範囲を強化されており、その威力は現行最大時では宇宙一つを砕くほどに至っている。
下手をすればこの星にまで損害を与える危険も孕んでいる以上、現時点では術式による魔技の使用は控えるべきだろう。
ジョゼ『――俺さん!』
砲身の奥底に灯る紅蓮の炎を見咎めた俺は迷わず右の掌を打ち出した。砲身内部へと潜り込んだ衝撃波が放たれた熱線と激突。
衝撃波を通して右腕に伝播するインパクトに面差しを歪める。
あたかも濁流を素手で受け止めているかのような衝撃に右腕の骨格が軋む感覚に苛まれる。
このまま押し返し、砲身を破壊することも可能だが今後の戦況を鑑みればここで魔法力を消耗するのは得策ではない。
思考を巡らせている隙を突いて熱線の出力を引き上げる巨大甲虫型。必然的に砲身内部に放出される衝撃波が押し返されていく。
その単純なまでの力押しから巨大甲虫型が秘める明確な殺意が自身に注がれていることを察し、俺は唇を吊り上げた。低脳な異形の分際で生意気にも意思を有するとは。
俺「(――は。目にもの見せてやるよ)」
対象を胸裏で嘲笑い、衝撃波の出力を砲身の中間地点まで押し返す段階まで引き上げる。今後どう転ぶか分からぬ戦況を踏まえるとここで砲身を破壊するほどの魔法力の消費は避けなければならない。この後には堅牢な装甲を破壊する作業も控えているのだ。多少時間はかかるものの俺は出力の維持に徹した。
サーシャ『――砲身が!!』
航空歩兵と巨大甲虫が鬩ぎ合いを開始して数分足らず。変化は目に見える形となって現れた。突如として黒い巨大な砲身に奔る亀裂。内側から白光を滲ませるそれは瞬く間に砲身全体に駆け巡り、目を凝らせば凶悪な砲身のフォルムがその姿を歪に変えていく。刹那、大音響を伴った衝撃が周囲に迸った。
俺の目論見はこれにあった。自ら貴重な魔法力を消費せずとも衝撃波を砲身内部に押し込めておけば巨大甲虫自身が放つ熱線の熱量と衝撃波の熱量が重なり合う。その結果、砲身内部は熱の過剰供給状態に陥り、許容量を超えた極度の負荷に耐え切れず砲身は破裂する。爆発の影響を直に受け巨大甲虫型が数歩、後退した。その巨体が故に体勢を整えるには幾許かの時間を要するらしい。
ラル「各機! 手を休めるな!」
四肢を曲げ、不気味な間接音を響かせて、周辺に散在する航空歩兵が放つ銃弾を浴びながら体勢を整える巨大甲虫を尻目にラルは青空を舞う男の姿を探していた。
引き金にかける指はそのままに、照準が乱れないよう両腕に力を込めながら。
視界の片隅に対象を捉え、安堵の意思を口元に浮かべる。が、その笑みはすぐさま掻き消えた。
右腕を押さえる、恋人の姿。表情を歪ませながら左腕で右腕を押えつける姿が少女の胸を深く抉る。
痛みが治まったのか俺は巨大甲虫型への接敵を開始する。遠ざかる後姿。
後ろ髪を引かれる思いを振り払い、ラルは標的の注意を引きつけるために陽動を続けた。
俺「(大人しくはしてくれないか!)」
空を引き千切り、俺が猛然と巨大甲虫型に迫る。大きく身体を捻っては熱線をいなし、衝撃波を放射。
着弾した部分が大きく拉げていることから威力はまだ落ちてはいないようだ。
ネウロイもまた砲身を砕いた彼が最も厄介な戦力だと認識したのか他の航空歩兵への攻撃全て眼前を飛び回る蝿へと向けた。
矢継ぎ早に放たれる熱線の弾幕。
俺「こいつは……凄いな」
口から洩れたのは純粋な感嘆。地獄の針山とはこのような光景を指すのだろう。
容赦無く迫り来る猛威を紙一重の領域で避ける俺の胸裏でそんな考えが過ぎる。黒い山肌から無数の紅い棘が生まれる様は正に針の山と称すに相応しい。
無策に近づけば奈落へ堕ちた罪人と同じ末路を辿るのは必至。
故に一定の距離を保ち防御と攻撃を
繰り返しながら突撃のタイミングを図る。
俺「破ッ!!」
大型ネウロイから放たれる極太の熱戦と衝撃波が両者の間で激突。盛大な爆発を巻き起こす。空中に漂う噴煙を引き千切り、一直線に大型へと肉薄。
両の掌から衝撃波を噴射することで追加推進機の役割を果たすそれは迅速に敵対象との距離を消していく。敵機が攻撃を放つのが先か。それとも自身が先か。
乾坤一擲の大勝負。迷いは無い。決して死に逝くわけでもない。
仲間が開いてくれた血路を無駄にしないため。ただ勝利をもぎ取ることに尋常ならざる妄執を全身に内包した男は一個の砲弾と化していた。
俺「――ッ!!」
初めて触れる異形の装甲。手の平に伝わる凍てついた感触
俺はある男を思い出していた。
あの男ならば、魔法力を用いずとも素手でこの堅牢な外殻を叩き砕くことが出来るのだろう。
俺「消し、飛べッ!!」
幾多の航空歩兵を葬ってきた悪しき甲に手を添えた次の刹那、最大出力の衝撃波を零距離発射。
両の掌か放射された破壊の奔流は鉄壁の防殻を易々と粉砕し、核が存在する内部を完膚なきまでに蹂躙していく。両腕に伝わる微弱な振動。轟音に紛れ、微かな破砕音が耳朶を打った。
直後、巨大甲虫型が白光放つ結晶となって砕け散る。
光の破片が降り注ぐなか、歓声を耳にしながら俺は周囲を見回し、敵の全滅を確認した後離脱を開始した。
巨大甲虫型の撃破から既に数十分の時間が経過した。
魔力切れを起こし、前線から撤退する航空歩兵が何名か現れたものの敵勢力が誇る侵略の要を破壊したことで人類側の反攻に勢いがつく最中。
愛機のエンジンを轟かせながら友軍機とともに敵の布陣を崩すクルピンスキーは背筋に悪寒を感じ、上空を仰ぐ。
青空に走る、黒々とした帯状の雲。それは決して自然界が生み出す暗雲ではなかった。
航空歩兵たちが飛び交う空域よりも更に高高度の空中に集束する暗雲。
帯電し、徐々にその規模を膨れ上がらせ、形を成していくその光景に彼女だけではなく都市上空に展開されていた全ての航空歩兵が動きを止めた。
ジョゼ「うそ……」
クルピンスキー「……そんな」
ラル「まさか……」
ロスマン「巣を……ここに張るつもりッ!?」
祖国を奪われた者にとって決して忘れようが無い光景にロスマンの端整な容貌が悲痛な色を伴って歪んでいく。
巣の誕生。
正に怪異はこの場所に新たな侵略拠点を築き始めたのである。
好転していた戦況が瞬く間に覆された瞬間であった。
新たな巣の顕現によって戦況は一変した。
頭上に敵の本拠地が出現したことで眼下の歩兵隊は退却を始めていた。作戦司令部から全軍への退却命令が下るのも時間の問題だろう。
都市全域に展開されていた各部隊の士気が著しく低下する空気を肌で感じるクルピンスキーは苦虫を噛み潰した表情を端正な容貌に浮かべていた。
巨大甲虫型を撃破し、活路を開いたと思った矢先に発生した巣の誕生という異常事態。
あえて希望をちらつかせ、一気に叩き落とす。相変わらずの卑怯な戦術に憤りすら覚える。
クルピンスキー「うっ……あぁ……」
不意に視界が歪んだ。
どうやら自分が把握している以上の疲労が蓄積されていたようだ。加えて上空には禍々しい暗雲。
悪化した戦況が精神的重圧へと繋がり、肉体的疲労と相成って眩暈を引き起こしたのだろう。
幸い魔法力はまだ切れていない。障壁も展開できる。
けれど、
ロスマン『――伯爵っ!?』
インカムから聞こえてくる声音は焦燥の色に染まっていた。
先生のこんな声を聞くのはいつ以来だったかなと胸裏で零すクルピンスキーは傍に寄ってきた小さな戦友に笑いかける。
クルピンスキー「っははは。大丈夫だよ……そんな顔しないで」
弱々しい笑みを零したその瞬間、何かが視界を掠め飛んだ。
空中を引き裂くかのように吹き飛ばされたそいつは速度を落とすことなく大型に向かって肉薄し、速度と飛翔力を維持したまま激突。
衝突対象と命運を共にするまでの数瞬、遥か眼下の地上から吹き飛ばされた物体の正体が少女たちの視線に晒される。
ボディの左右から、杭を連想させる六つの脚部。打ち上げられた物体が歩兵掃討用の蜘蛛型であると気付くと同時に結晶化。
下原『――今のは……』
クルピンスキー「まさか、陸戦型ッ!?」
砲撃によって吹き飛んできたわけではない。仮にそうであるならば、相応の砲声が轟くはず。
しかし蜘蛛型が打ち上げられた際、火器が放つ砲音は何一つ耳には届かなかった。
俺「来たか」
結晶化する寸前の蜘蛛型を見咎めた俺の口元が歪んだ。その眼差しの先にあったもの――それは、黒の装甲に落ちる拳大の窪み。
自分が知る限り、このような馬鹿げた芸当を行えるのは一人しかいない。
蜘蛛型が殴り飛ばされてきた方角に視線を落とした瞬間、下卑た哄笑が彼の耳朶を打った。
続く
最終更新:2013年08月25日 12:29