本項ではYSFの土地、およびその周辺の歴史について扱う。
鶴見区の歴史についてより詳細な情報を求める方は、横浜市が提供する鶴見の歴史ページを参照することをおすすめします。
有史以前
約10万年前のナウマンゾウの化石が出土している。ムカシジカの化石が発見されたとも伝えられている。
縄文時代
この時代の鶴見は、花月園や末吉などの丘陵部を除いて全て海になっており、古多摩湾を形成していた。
およそ9000年前には縄文人が住んでいたことが遺跡や貝塚からわかっている。
5000年ほど前から海岸線は後退し始め、1500年ほど前にはほぼ現在の海岸線を形成したと言われている。ただ、YSFのある小野町周辺はまだ海の中だったと思われる。
近現代
明治時代
小野高義・麟之介親子が鶴見川河口付近で新田開発を行う。
このとき新田開発を行った場所が「小野新田」と名付けられ、昭和時代には周辺一帯が「小野町」と名付けられた。
このとき新田開発を行った場所が「小野新田」と名付けられ、昭和時代には周辺一帯が「小野町」と名付けられた。
大正・昭和時代
(年不明)小野重行が潮田町(現在の小野町及び潮田町一帯)に浅野造船所を誘致
1927年、横浜市に編入されたことにより周辺が小野町となる
1936年に鶴見小野駅が開業(当時は工業学校前停留所)
ほぼ同時期に横浜サイエンスフロンティア高校・附属中学校の前身にあたる鶴見工業高校が開校した。
1943年には鶴見線が国有化。工業化の礎を小野町で築き上げた小野重行の功績をたたえ、
「鶴見小野駅」と名付けられた(鶴見を冠するのは当時すでに小野駅があったため)
1936年に鶴見小野駅が開業(当時は工業学校前停留所)
ほぼ同時期に横浜サイエンスフロンティア高校・附属中学校の前身にあたる鶴見工業高校が開校した。
1943年には鶴見線が国有化。工業化の礎を小野町で築き上げた小野重行の功績をたたえ、
「鶴見小野駅」と名付けられた(鶴見を冠するのは当時すでに小野駅があったため)
平成時代
1998年に理研横浜キャンパスが、2001年に横浜市立大学鶴見キャンパスが開設。
(年不明)横浜サイエンスフロンティア地区が成立。
2011年「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」に「横浜サイエンスフロンティア地区」が指定される
(年不明)横浜サイエンスフロンティア地区が成立。
2011年「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」に「横浜サイエンスフロンティア地区」が指定される