神奈川県横浜市鶴見区にかつて存在した公立高校。愛称は「鶴工」。
概要
かつての所在地は神奈川県横浜市鶴見区下野谷4-146(現在ウェルシア・郵便局に隣接する公園のある地点、横浜市医師会聖灯看護専門学校付近)。郵便局に隣接した公園に記念碑がある(2018年設置)。
最寄り駅はサイエンスと同様に鶴見小野駅。鶴見臨港鉄道が国有化される前は工業学校前停留場という名称だった。
卒業生は約25000名。我が校以上に男子生徒の割合が大きかったらしい。高校コードは14215J。開校記念日は10月20日。
最寄り駅はサイエンスと同様に鶴見小野駅。鶴見臨港鉄道が国有化される前は工業学校前停留場という名称だった。
卒業生は約25000名。我が校以上に男子生徒の割合が大きかったらしい。高校コードは14215J。開校記念日は10月20日。
歴史
1936年 横浜市立鶴見工業実習学校として開校。入学式は鶴見区下野谷尋常高等小学校にて行われた。
1940年 横浜市立鶴見工業学校に改称。
1944年 大平洋戦争の影響により横浜市立浦島国民学校疎開跡に校舎移転、翌年復帰。
1948年 横浜市立鶴見工業高等学校に改称。
1950年 男女共学化。普通科と分校が設置。
1954年 普通科の募集を停止。神奈川県立鶴見高等学校に移管される。
同年 夏の甲子園大会に出場。以降も甲子園の出場はないながらも好成績をのこす。
1956年 普通科、分校廃止
2000年 横浜市立高等学校再編計画により廃校が決定
2005年度末 定時制課程廃止
2008年度末 横浜サイエンスフロンティア高校の開校に伴い全日制課程の募集を停止。
2010年度末 全日制課程廃止、閉校
1940年 横浜市立鶴見工業学校に改称。
1944年 大平洋戦争の影響により横浜市立浦島国民学校疎開跡に校舎移転、翌年復帰。
1948年 横浜市立鶴見工業高等学校に改称。
1950年 男女共学化。普通科と分校が設置。
1954年 普通科の募集を停止。神奈川県立鶴見高等学校に移管される。
同年 夏の甲子園大会に出場。以降も甲子園の出場はないながらも好成績をのこす。
1956年 普通科、分校廃止
2000年 横浜市立高等学校再編計画により廃校が決定
2005年度末 定時制課程廃止
2008年度末 横浜サイエンスフロンティア高校の開校に伴い全日制課程の募集を停止。
2010年度末 全日制課程廃止、閉校
サイエンスフロンティアとの関係
- この高校の名残はサイエンスフロンティア高校内にも残っている。(ex.器具、図書室の本等)
- 鶴見工業高校の学籍簿は本校に移管されており、各種証明書の発行業務を引き継いでいる。