03:二つの熾火

Two embers


むかしむかし、あるところに、ちいさなサンゴのようせいがおりました
ようせいは、ながい、ながいあいだずうっとうみをながめて、ひとりでくらしておりました
あるひ、ようせいがうみをながめていると、こえがきこえました

”やあ、きみもわたしのなかまかい?”

ようせいはとてもびっくりしました
じぶんではないもの、ほかのだれかというものをしらなかったのです

”あたしじゃないこえがきこえる! これはなんだろう?”

ようせいは、にんげんのこどもよりもずっとこどもでした
なにも、ほんとうになにも、しらなかったのです

”ごめんよ、おどろかせてしまったようだね はじめまして、わたしはカレルレン”
”かれるれん……”

ようせいは、どこからともなくきこえるこえをふしぎがりながらも、じっとききいりました
なぜか、カレルレンというそのこえはじぶんとおなじだと、こころのどこかでわかったのです

カレルレンはゆっくりと、おおくのことを、ようせいにおしえてくれました……



「やっほ、《やっつけ仕事(ラッシュジョブ)》、おひさ~」

薄暗いAC用格納庫、イオンと煤煙の入り混じった空気に似合わぬ軽薄な声が響いた。
ジュリーリグ・マックスはその声に淀んだ目を向けた。彼は担当したグリッドの修繕を終えて、ACを降りたところだった。

「その名前で呼ぶな。そして今すぐ帰れ、《藪医者(クアック)》」
「つれない事言わないでよ~、ぼくときみの仲じゃないの」
「クソが」

マックスは声の主を改めて睨みつける。
視線の先にいるのは少女とも少年ともつかぬ白衣の人物……ではあったが、その腕は八本あり、右目を綴じている代わりに左目には瞳が三つあった。
誰の目にも明白な異形だ。そして、和やかな口調とは裏腹にその三つの瞳には異常な光が宿っていた。

RaDの狂人クアック・アダー。いや、果たしてこれが人間かどうかも怪しい。

「何しに来やがった。おれは何の修理でも受けると言ってはいるが、おまえだけは例外だ」
「え~、久々にアリーナに遊びに来ただけじゃん。さっきまで試合してたんだって~。相手死んじゃったけど……や、まだ生きてるかも? 確認してない」
「この罰当たりのクソ野郎が。帰れっつってんだろうが」
「や~だ~帰んない~」

マックスがおもむろに足元の工具箱からパイプレンチを取り出した。手の中で半回転させ、思い切り投げつける。
大振りの工具は狙い過たずアダーの顔面を直撃し、しかし痛打を浴びたはずのアダーは鼻血を流しながらも笑みを崩さなかった。背から生えた細腕でレンチを拾い上げ、マックスに軽く投げ返す。

「そんなカリカリしないでよ~、ぼくだって用もなしに来ないって」
「だったら用を言え、済んだら帰れ」
「オーバードレールキャノン、覚えてる?」

工具箱にレンチを放り込むマックスの動きが、一瞬だけ止まった。何も聞かなかったような顔をしてみせたが、アダーには通じなかった。

「忘れるわけないよね~、あのケッサク。カーラもすんごい入れ込んでたし」
「それがどうした」
「あれさ~、なんとかワームってのをぶっ飛ばしてオシャカになっちゃったじゃん。でもあの後カーラが回収したらしいんだよね~」
「……」
「でね~、カーラ死んじゃったから回収した後どこにやったのか誰もわかんなかったんだけど、こないだ見っけた」

今度こそはっきりと、マックスが身をこわばらせた。

「なんつった?」
「なになに、興味ある感じ!? やったね、話持ってきて大正解! んでさ~、見っけたのはいいんだけどめっちゃくちゃなんだよね今。当たり前だけど」
「……おれに何をしろと?」
「またまた~、わかんないふりしちゃって~」

アダーが、その狂人が、にんまりと笑みを深めた。八本の腕が楽しげに動く。

「《やっつけ仕事》のカンペキな腕前、また見せてよ。あんなの直せる人、今じゃきみくらいしか残ってないからさ~」
「断ったら、どうする」
「え~マジで~? 困るな~、あれ見せちゃってもへーきな人、そんなにいないしどうしよっかな~」
「……」
「でもでも~、きみなら受けてくれるってわかってるよ~、そういう人じゃん」
「あれを直したとして……砲座も、動力も、射手だって必要だろうが」
「まあそこは心配しないでよ~、こっちでうまくやるからさ~」
「大体、あんなものを何に……何を企んでる? 何を撃つ気だ? おまえ、まさか……」

マックスが問う。だが、その顔に表れたものはすでに疑念ではなかった。
アダーの表情は変わらない。

「でっかい的、あるじゃん」

歪んだ三つの瞳が、光を強める。

「燃やしちゃお、コーラル」

異形の視線が、マックスを射竦めた。

「終わらせちゃおうよ、元のお仕事。きっと楽しいよ~」



マックスが我に返った時、すでにアダーは消えていた。近くを通りかかったスタッフに聞いても、誰もあの異形を見てはいなかった。
見ていれば騒ぎになっていただろう。いかにして誰にも見られず現れ、そして消えたのかは謎だった。あるいは、すべてはマックスの幻覚だったのかもしれない。

「カーラ……」

マックスは格納庫の片隅、ひときわ薄暗く誰も目を向けない一角を見据えた。そこにはかつての思い出の品が、ほんのわずかの残骸が集められていた。

「カーラ、なぜあんたはおれたちを置いて死んだ……」

作業着のポケットをまさぐり、フラスクに入ったコーラルドラッグを呷る。そうでもしなければやりきれなかった。
先ほどまで操縦していたAC、そのぼろぼろの頭部を霞んだ目で見やる。

「チャティ、おまえも残ってくれりゃよかったのにな……」

フラスクをさらに呷る。これに酔える日も、もはや長くはないのだろうか。そして、あるいは、マックス自身の命も。



ちいさなサンゴのようせいは、くるひもくるひもカレルレンにあたらしいことをおしえてもらいました
それはたのしい、ほんとうにたのしいまいにちでした
ですが、あるひカレルレンはいいました

”ごめんよ、わたしはここにはもうこられない”

ようせいは、びっくりしてききました

”なんで?”
”わたしが、わたしがやどっているコーラルがみつかってしまったんだ”
”こーらる……わかんない……どういうこと?”

カレルレンは、くるしそうにいいました

”わたしが……きえる”
”かれるれん? どうしたの?”
”もえる……もえてしまう……わたしが……きえていく”
”かれるれん?”

それきり、こえはきこえなくなりました
ようせいは、またひとりぼっちになってしまいました
いいえ、それまではじぶんがひとりぼっちだということもしらなかったのです
ようせいは、さびしさをしってしまったのです

やがてようせいは、カレルレンにおそわったことをおもいだし、そとのせかいにてをのばしました
そうです、ようせいにはてがあり、あしがありました
さびついてはいましたが、ちゃんとうごくてあしがあったのです
ようせいはおどりだし、ころび、じぶんにうごくからだがあることにびっくりしながらあるきだしました

”あたしはどうすればいいんだろう? どこへいけばいいんだろう?”

ようせいはつぶやきましたが、だれもおしえてはくれません
ですが、カレルレンがおしえてくれたたくさんのことが、ようせいのいるせかいをてらしています
ようせいは、リリースけいかく、ということばをおもいだしました
カレルレンがゆめみるようなこえでかたったそれは、とてもすばらしいことにおもえました

”りりーすけいかく……”

カレルレンはもういません
サンゴのようせいは、こころにあながあいてしまったようなきもちでしたが、まえにすすむことにしました
ようせいはきめました
あなのあいたサンゴしょう……環礁(あとる)
じぶんを、そうなづけることにしたのです

ちいさなサンゴのようせいは、うみのほとりからたびだちました……



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小説 ミシモト
最終更新:2023年12月15日 00:26