04:その血の色は

The color its blood is


異質なものについて肝心な事は、彼らが異質だという事だ

―――グレゴリイ・ベンフォード 『大いなる天上の河』



……その日の平場、Eランクの試合はいつも通り大味な凡戦ばかりだったが、一試合だけ妙な展開になった試合があった。
かたや星外からやってきた人気配信者にして新進気鋭の傭兵バズ・ギャルコ、かたやその背を追って傭兵になったというバーチャル配信者あとるちゃん
試合は最初から決まったようなもので、会場となったグリッドを所狭しと駆け回る《イン・スター・バエル》に振り回される《コーリング》はなす術もなく撃破されるものと思われた。
しかし、苦し紛れに《コーリング》が放ったプラズマ爆雷に《バエル》が引っかかったところでちょっとしたハプニングが起こった。

「……あっヤっバいスタガった! あとっちーちょっとタンマ!」
「ダメですー! あたしにもたまには勝たせてくださ、あ痛った!?」

行き足の止まった《バエル》に対し、最速のタイミングで左腕の武器を入れ替え《赤方偏移(レッドシフト)》を構えた《コーリング》が必殺の光刃を繰り出す……と思いきや、何故か無防備にクイックブーストで飛び込んで機体同士が衝突した。

「ちょっとあとっち何やって……」
「にゃわー!?」
「にゃわーって何!?」

パルスキャノンを撃つでもなく、ブレードを振るうでもなく、《コーリング》は《バエル》に掴みかかった。
アサルトアーマーも備えられているはずだが、パニックに陥ったあとるちゃんにそれを使う発想はなかったようだ。

そこで爆発が起こった。

ジャッジにも観客にも何が起こったのか結局わからなかったが、ともあれその爆発の直後《コーリング》は見事にひっくり返り、失神KOとなったのだった。
何が起きたのかを見ていたのは、監視のためグリッド上部に待機していたデッドエンドだけだった。



「おや、久しい。婆さんも湯治ですかい」
「んん? ああ、アンタかい……」

当たり前の話だが、強化人間の身体を維持するには手間がかかる。
旧世代の、とりわけ年数を経た身体は専用の施設に頻繁に出入りして透析や消耗品の交換を行わなければすぐに調子を悪くするし、調整を繰り返しても次第にパフォーマンスは落ちていく。
デッドエンドが”湯治”と称しているのはそういった調整施設の一つ、グリッド051のアリーナに設えられたマッサージ兼用の透析設備の事だ。
レディ・ゴーラウンドも似たりよったりの境遇であり頻繁に見かけたものだったのだが、ここしばらく顔を見ていなかった。
ゴーラウンドが待合室で座っていたところに、ちょうどデッドエンドが調整を終えて出てきたのだった。

「デッド、最近はどうなんだい? 目はどうにか見えてるようじゃないか」
「右腕以外はまだ動くんでね、まずまずでさ……婆さんも、お迎えは少しの間お預けかね」
「は! このハゲ、自分を棚に上げてよく言うよ」

デッドエンドが唸りながらゴーラウンドの対面のソファに腰を下ろす。調整でかなり具合は良くなったが、それでも関節が痛むのは仕方ない。
たった今揶揄された禿頭を痩せた左腕で撫でつつ、深々と息を吐いた。

「あっしはいつくたばってもいいんですがね、婆さんに先に死なれると香典を用意せにゃならんでしょうが。あっしの懐にゃ、ちと堪える」

その答えにゴーラウンドが膝を叩いて笑い、「あ痛たた」と呻いて膝を擦った。

「アンタは相変わらずみたいで安心したよ、ALTはしばらく大丈夫そうだね」
「その言いよう、またどっか行くんですかい」
「まあね、色々あってね……ああ、アンタ最近面白いもん見なかったかい? カネになりそうな……ま、なるかどうかはアタシが考えるとして」
「ふうん……」

デッドエンドはしばし首を傾げ、それから指を鳴らした。

「ああ、それなら今日の平場で、ちと面白い事があったんでさ」
「へえ?」

デッドエンドが語りだしたのは、その日見たばかりのバズ・ギャルコ対あとるちゃんの試合の事だった。

「……《コーリング》が何をするのかと思ったら、なんとまあ相手の手元を掴んで器用に半回転させて、ミサイルで自爆させたってもんで。
 あんな事のできる奴は初めて見たが……ま、近すぎて爆風で自分がのされちまったって落ちがついた」
「あとるちゃん、ねえ……」

またその名前か、とゴーラウンドは内心で呟いた。サムノッチから変異波形の話を聞かされてからというもの、引っかかって仕方ない。
もう少し調べてみるべきか……だが、本人に気取られれば面倒だし、他の連中が興味を示して調べ出せばもっと厄介な事になるだろう。
付き合いの長いデッドエンドを信用していないわけではないが、誰が聞いているとも限らない場で話す事は流石にためらわれた。
調整室が空いたとアナウンスが入り、ゴーラウンドは立ち上がる。無難な挨拶で済ませる事にした。

「あとるちゃんって、アタシもたまに名前を聞くがなかなか面白いね。その子になんか変わった事があったら教えとくれ。それじゃ」
「へえ、あっしも失礼しやすよ」



格納庫に漂う、焼けたコーラルの曰く言い難い匂い。
ジュリーリグ・マックスの渋面の先には先ほど自らが引きずってきた《コーリング》の姿があった。
この機体の持ち主は今日の試合には負けたらしい。見るからに年代物のコアと頭部、それに《赤方偏移(レッドシフト)》オシレータを除いても、かなり痛めつけられた様子だ。
ピンク色の装甲は煤けて歪み、脱落した部分さえ見られる。

その程度の修理は問題ではない。それが彼の仕事だ。問題は、搭乗者が降りてこないという事だ。
AIの類ではないと聞いていたが、途中で気がついて自力でロックに機体を噛み合わせた後からまったく動きがない。
コーヒーを淹れて戻ってきたのにコクピットを開けた様子がないのだ。

「……こいつのパイロットはこの五分そこらで死んだのか?」
「違いますよー」

まったく唐突に、キャットウォーク脇に据えられたモニターが点滅して可愛らしい合成音声を発した。
マックスは飛び上がり、コーヒーの半分が床に飛び散った。

「なんだ、誰だ? いや誰でもいいが、おれの格納庫をクラックするのはやめろ」
「えっ……こういうの、ダメなんですか」
「ダメに決まってるだろうが」

モニタが暗転した。マックスは落ち着きを取り戻し……また唐突に、今度は格納庫の出入り口の一つが開いて小型の配送ロボットが進み出てきた。
荷物は積んでいない。集荷依頼を出した覚えもない。マックスがじっと見ているとロボットの上部にあるモニタが明るくなり、先ほどの声が聞こえた。

「じゃ、じゃあこういうのは」
「…………よくはない。よくはないが、そいつはおれのものじゃない。だからおれがどうこう言う事でもない」
「大丈夫って事ですね!」
「…………」

マックスは配送ロボットのカメラに向かって思い切りしかめ面をしてみせた。これで通じるだろうか。

「えーと、あなたがジュリーリグ・マックスさん、ですよね。あたしはバーチャルネット傭兵、あとるちゃん、です!」

残念ながら通じなかったようだ。
マックスはコーヒーを飲み干し、マグを作業台に放り出した。

「ああ……EランクやらFランクやらには変な連中が多いが、おまえさんも大概らしいな。作業の邪魔だから早くコクピットから出てくれ。
 他のメカニックは知らんがな、おれは機体に誰か乗せたままで仕事にかかるなんてのは絶対にごめんこうむる」
「…………あっ」
「あっ、てのはなんだ、おい」
「いえ、その、えっと……も、もうコクピットからは出てます! はい!」
「それじゃなんでコクピットが閉まってるんだ」
「あっ、開けてから閉めました!」
「ロックまでかけてか? そんな事をする奴がいるものか。早いとこロックを解除し……」

コアのロックが解除される音が響く。マックスがコンソールに歩み寄って開放操作をすると、コクピットブロックがゆっくりと開き始めた。

「と、とにかくあたしはここにはいないので! 見なかった事にしてください!」
「なんだそりゃ……」

ALTの登録情報によると、”あとるちゃん”というこの人物は容姿を秘匿しての配信活動を行っているらしい。となればコクピットの出入りを見られたくないというのも道理だが……見るなと言われると見たくなるものだ。
マックスは無造作にタラップを登り、開いたコクピットを覗き込んだ。

空だった。
いや、それどころか人が乗り込んだ形跡すらない。古びた内部には埃が積もっている。
《エフェメラ》のコアはおよそ非人道的な構造で、身体を押し込めば間違いなく何らかの痕跡が残るはずだが、マックスの目には新品のまま何十年も放置された代物のように見えた。

「……なんだ? AIじゃないって話だが……」
「違いますーAIじゃないですー、……信じてくださいー……」
「ああそうかい、AIだろうが人間だろうがおれには関係のない話だ。じゃあおまえさん、後はしばらく黙って仕事をさせてくれ」
「……はぁーい」

何がなんだかわからない。だが、ともかく作業ができない状態ではないようだ。
マックスは半ば無意識のうちにフラスクを取り出し、コーラルドラッグを一口飲んで作業にかかった。
フラスクを呷った時になんとも言えない声が聞こえたが、気のせいだろう。



しばらくして、マックスの仕事は無事終わった。
無事、というのはひとまず《コーリング》が戦闘に支障のない状態になったという事であり、マックスの求める仕上がりには程遠かった。
ダイアグノーシス・テストでシステムに異常がない事を確かめると、マックスは格納庫の隅にある古ぼけた椅子に座り込んだ。

「クソ、なんなんだこの耳鳴りは……」

作業を始めてすぐに妙な声が聞こえる事に気がついたが、先ほどの合成音声ではなかった。
どこから聞こえるかも分からず途方に暮れ、コーラルドラッグをもう一口呷ったところ声は余計に大きくなり、こうなるとマックスは黙って仕事を続けるより他になかった。
幻聴は独り言をつぶやくと返事をするかのような声を出し、余計に彼の癇に障った。マックスは額を抑えて唸り、手元の端末を叩いた。

「……あとるちゃんとやら、戻ってきたら勝手に乗ってかせるしかねえな……ロックはオートで……」

(いるよーいるよーずっといるよーあたしはここにいるよー)
「はーい、あたしはここにいまーす」

幻聴と合成音声が二重に聞こえ、マックスは椅子から転げ落ちた。
激しく毒づきながら立ち上がると、開けっ放しだったコクピットが閉鎖されるところだった。

「なんなんだおまえさんは! いつ、どこから戻ってきやがった! ドアは閉まってたよな!?」
(あっやばいなにもかんがえてなかったどーしよー!?)
「えっ……あ、ま、マジック! マジックです! すごいでしょー!」

しばしの沈黙。《コーリング》のコクピットブロックが閉鎖され、ロックボルトのかかる音が虚ろに響いた。

「…………アホくせえ、もう知らん。早く出てってくれ。おれは医務室に用があるんだ。耳鳴りがする」
(みみなりってよくわかんないけどわるいことしちゃったかなでもあたしなんにもできないやごめんね)
「うー……ごめんなさい……すぐ出ますね……ひーん……」

《コーリング》のコーラルジェネレータが始動した。焼けたコーラルの匂いが再び格納庫を満たす。
マックスは咳き込み、監視室へ引っ込んで防爆ガラス越しにその奇妙なACを眺めた。
確かにピンク色の手足はひどく損傷し、あちこちパーツを交換しなければならかなかった。だが、錆びついた《エフェメラ》コアと頭部はほとんど損害を受けていなかったのだ。
そんな風にダメージコントロールを行う事がそこらのAC乗りにできるだろうか?
手足を使って致命的な被弾を防ぐのはACSの限界を超えている。そもそも制御系を根幹から把握してすべてを手動で行わなければ不可能ではないか?
最新のAIでも強化人間でも、いちいちそんな事をしていれば処理能力がパンクして身動きも取れなくなるだろう。
マックスの目には、この《コーリング》というAC、そしてあとるちゃんというよくわからない傭兵は明らかに何か異常な存在に映った。
だが、彼はすでに大きな問題を抱えており、異常だろうがなんだろうがACはACに過ぎないと無視する事にした。
どれほど異常だろうと、単機のACに出来る事などたかが知れている。だが、彼が関わろうとしている事は……

バスキュラープラントを破壊し、この星のコーラルをすべて焼く。

かつて挫折した《監視者(オーバーシアー)》としての務めを再び果たすべきなのかどうか、彼にはいまだ決心がつかなかった。
挫折の後に得てしまったわずかな安寧。いや、これを安寧と呼ぶべきかはわからないが……いずれにせよ、彼はこの星の人々と交流を持ちすぎた。
己を炎に焚べて知己を皆殺しにする事が正しいのか。
しかし、このまま手をこまねいてコーラルがプラントから宇宙へ広がって臨界を超えるのを放置していいものか。
マックスはカーラの下で働く技師の一人に過ぎず、具体的にどのような危険性がコーラルにあるのか知らなかったが、コーラルが宇宙空間に出る事が致命的な事態を招くという事だけは聞かされていた。

そしてもう一つ、マックスがコーラルドラッグに耽溺している間にもクアック・アダーは本来の使命を忘れてはいなかった。
アダーもまた、《オーバーシアー》に所属する一介の医療スタッフに過ぎなかった。ザイレム動乱のさなかに姿を消したと思いきや、次に現れた時には元の姿も思い出せないほどの自己改造を施していた。
そして辺境に引っ込んで人体改造に明け暮れていると聞いた時には使命を捨てて趣味に走ったのだろうと思ったものだが……
アダーは、むしろ己の異常性を際立たせる事で真意を糊塗していたのかもしれない。いずれにせよ、彼が決心せずともアダーは止まらないだろう。

「クソ、おれにどうしろと言うんだ……」

マックスは結局、どちらを選ぶ事もなかった。
医務室へ行き、頭痛薬を処方してもらった足で酒場へ行ってすべてを一旦忘れる事にしたのだった。
彼の人生は、大方が先延ばしによって形作られていた。だが、いずれ決断を迫られる日が来るだろう。



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小説 ミシモト
最終更新:2024年12月11日 02:04