メインカメラを圧して視界一杯に紅蓮が広がる。
ディスプレイが焼き付けをおこす。
ピーピーガーガー、こーしょん、クォーションと賑やかな音をたてる警告音。
右を向いているのか左を向いているのかもわからず、こわばった手が操縦桿のトリガーを引き絞ったままに離れない。
機体はまだいくらか持つはずだ。どうする?
めくら滅法に弾をばらまいても当たりはしないが、どう当ててもいいかわからない。
今の状況を有体に言えばパイルフィッシュはパニクっていた。
機体に吹き付けられる紅蓮の炎によってメインカメラの視界は遮られ、その視覚的な威力は未熟なパイロットを慄かせる。
彼に今少しの冷静さがあれば視界が効かなくとも計器とレーダーを頼りに目標を捉えなおし、当たらずとも接近を阻む牽制射撃くらいは返して安全な間合いをとるくらいはできたであろう。
そうしてる間に彼のヘッドアップディスプレイに表示されたロックオンマーカーが一瞬機影を捉えたことを示し、反射的に左手に装備された散弾を発射するがまるで手ごたえがない。
また新たな電子音がオーケストラに加わる。冷却システムがレッドゾーンに達しつつあることを示す音だ。
『キャハハハ!南妙フォーリンGet you!いぇーい』
オープンチャンネルから狂喜の色を帯びた少女の声がコクピットに響き、それが一層パイルフィッシュを慄かせる。
それなりに場数を踏んでいたつもりの彼ではあったがMTとACではまるで勝手が違う。
ナパームジェリーに酸化剤を添加した混合液からなる火焔は一度火がつけば水をかけようが砂に突っ伏しようが燃料が燃え尽きるまで消えない。
攻撃から逃れようとブーストを吹かしながら左右に切り返すたびに瞬間的なGがガクンガクンと体を揺さぶるが、それでも眼前に吹き付けられる炎の舌は執拗にパイルフィッシュの乗機キリングヒットをねぶりつづける。
『パイロットの人くるしい?それはあなたの、えっとなんだっけ、カルタ?だっけ?』
声の主が言いたいのはおそらくカルマであろう。
『カルタ、マークしてた札なのにいざ読まれると取れないときとかあるよね。そういうのがなんちゃらで巡ってきたからだよ。インガオホーっての』
不意に攻撃が止んだ。グリッドのフロア全体をゆらめかせる焦熱の空気の向こうに二脚型のACが浮かび上がる。声の主はその機体に乗っているらしい。
口ぶりから知性は感じないが、彼女なりに神妙さを取り繕って何かを伝えようとしているのはパイルフィッシュにも分かった。
説法をしているつもりらしい。
――これぞ不識の識。黎祭さまは己の知らざるということをもって知るを悟られておる。おんりえど ごんぐしょうど
無線に誰とも知れぬ男のささやくような声がまじる。
黎祭。それが彼女の名前であるらしい
――ああ、法福なるかな。おんりえど ごんぐしょうど
また誰かの声が加わる。
おんりえど ごんぐしょうど
おんりえど ごんぐしょうど
おんりえど ごんぐしょうど
それに続くようにどよどよと念仏めいたものが沸きおこる。
念仏に応じるように二機のACを取り巻く炎から、燃え盛る建築物から、次々とMTの機影が浮かび上がる。
おんりえど ごんぐしょうど
おんりえど ごんぐしょうど
おんりえど ごんぐしょうど
唱えるたびに一機、また一機と陽炎のなかから沸き出すように機械の巨体が現れ出でる。
そうしてでてきた作業用のMTが十数機。形式はまばらだがそのマニュピュレーターには火炎放射器やナパームランチャーなどの焼夷兵器が例外なく装備されている。
ここに地獄を現出させた悪鬼の群である。
「なんだこいつらは……」
説法を始めた敵ACの搭乗者はまるでその光景を見せるためにわざと攻撃の手を緩めたかのように見える。自機を取り囲むMTの群れは、ゆっくりとその輪を縮めていく。
パイルフィッシュは自分が暮らしているエリアに近いというだけの軽率さでこの依頼を受けたことを後悔し始めていた。
改造MTが周囲に見境なく放火しているから排除しろというだけのシンプルな内容だ。
作戦エリア周辺にいる傭兵に向けて突発的に発せられたこうしたばら撒き依頼には、敵の戦力も目的も定かではないというのは珍しくない。
依頼主は急ぎどうにかせねばならぬ事情から敵情把握もそこそこにオーダーを発する。
それが図らずとも依頼を受けた傭兵を窮地に追い込むことはよくある事だ。
『――でもでも、今生のカルタもこれでおしまい。ポアの時間がやってきました。輪廻を次に進めちゃうよ』
声音に嗜虐の趣が混じる。こうしてる間にも続いていた彼女の説法はちっとも要領を得ないが、命の取り合いに儀式めいた演出は明らかにこの状況に優越感を得ており恐怖をさらに煽っていたぶるのを楽しんでいるかのように思えた。
話しているうちにもオーバーヒートしつつあったキリングヒットの熱処理系は仕事をしており機体は平常を取り戻している。
侮られているのだ。
しかしこの儀式もどうやら終盤らしく、彼女はこれから凄惨な殺戮劇を観客に見せて興奮のフィナーレにもっていくつもりのようである。
敵ACが右手にもったバーストマシンガンがリズミカルな三連射を発する。
パイルフィッシュの反応は早かった。恐怖のために過敏ともいえる速さで、黎祭のACが銃口を上げるよりはやく右にクイックブーストを吹かしたが生身の体ではその衝撃で一瞬操作が止まってしまう。
そこを逃さずナパーム弾が放り込まれ、せっかく冷まされた機体がまた炎熱につつまれる。
「しまった」
黎祭は彼の反射的な動作も予測して掌で弄んでいる。
『アヒャヒャヒャ!ヴァ―カ♡』
先ほどと同じことをパイルフィッシュは繰り返そうとしているが、オーバーヒートに至るまでにはいくらか時間があることも学習していた。
彼はキリングヒットの右背部に装備されたベイラム製オービットを起動させる。
シュッと飛び出したオービットは機体の上空に留まり自動で敵を射撃を開始する。これならばサイティングが覚束ない状況でも使える。
不意に飛び出したオービットの射撃は黎祭のACに胸から右肩にかけて数発の弾痕を穿った。これにより機体はいくらか動揺したがすぐに立て直し追尾する火線を左右に動いて躱していく。
追撃の姿勢を見せる敵機に右手のバーストマシンガンで牽制射撃を浴びせる。無論、かすりもしない。
しかしその間にもパイルフィッシュは距離を取ることができた。
さて次は…
「どうする」
キリングヒットにはこのレンジで決め手がなかった。
だがそれは敵にしても同様である。
牽制しながら間合いを取り続けてもただ時間を稼ぐだけである。
黎祭のAC「無常」の装備は右にバーストマシンガン、ハンガーには火炎放射器、左にナパームランチャーという構成である。
対してパイルフィッシュのAC「キリングヒット」は右にはバーストマシンガン、右肩には今使ったオービット。左側にはスウィートシックスティーンと呼ばれるRaD製の散弾銃とハンガーにパイルバンカー。
武装の射程からすれば双方ともに近距離で威力を発揮するアセンブルになっている。
お互い相手の間合いに入らなければ倒せないということだ。
操作技術は向こうが圧倒的に上回っているのは明らかであり、接近して旋回戦となったら簡単に翻弄されてしまうだろう。
周囲は敵MTに取り囲まれており撤退することもままならない。
今は二機のACの戦いに手を出す素振りもなく、沈黙し儀式めいた闘争の結末を見守っているがその環から逃れようとすれば阻止に動くだろう。
時間にして十秒ほど。その間にも敵は仕掛ける姿勢を取り続けじりじりとパイルフィッシュにプレッシャーをかけつづけている。それはこちらが怯えている様を楽しんでいるようであった。
ならばいっそ
「……やるしかない」
パイルフィッシュは意を決して彼はブーストペダルを踏みこんだ。基本通り機体を左右に動かしながら射線を外しつつ、マシンガンを打ちながら牽制を加える。
敵も応射し、双方とも同じ武装の為同時に打ち合いになる。そこでさらにオービットを起動すればこの火力も合わせて打ち合いで有利になる。
火炎放射器の射程に入りさえしなければ削り切れるはずだ。
そう判断したが彼は致命的なミスを犯していた。
「あれ?」
がしゃんという軽妙な機械音が響き渡る。
なんたる迂闊。オービットは丁度いまキリングヒットの右肩に戻ってきた。彼は先ほど離脱する際に起動したままオフにし忘れていたのだ。
『ヒャヒャヒャヒャ!ここでオービット切らすとかマジウケるんですけど?』
少女の嘲り笑いがコクピットの中で跳ね回る。そう言ってる間に双方ともマシンガンを同時に打ち切った。
パイルフィッシュはすぐに距離を取ろうとするが黎祭そうはさせず追いかけてくる。
火炎放射器に持ち替えた敵に向けて散弾を放つがこれも彼女の想定内。
容易くクイックブーストで回避し、そしてまた炎の舌がキリングヒットに迫りくる。
「あばばばば」
『キャハハハハ!南無たらお陀仏!』
もはや僅かばかりの平静さも失い彼は完全にパニックに陥っていた。
機体の温度はみるみるうちにレッドゾーンへとせまるが彼はなすところを知らず狼狽し、手足はまるで頭の統制を失ったかのように出鱈目にペタルや操縦桿を乱暴に叩いた。
だがその混乱がたまさか吉とでた。
キューンという鋭い吸気音
外燃機関のコンプレッサーが最大出力で回りだしキリングヒットの背中で空気を圧縮させ、それがジェネレーターからの高電磁圧によって一気にプラズマ化して燃焼する。
パイルフィッシュは意図せずしてアサルトブーストを起動させたのだ。
炎に向けて突進を始めたキリングヒット。
「あぶなっ」
しかしその最後の突撃もあっけなく黎祭のACは回避した。
「んごぉぉ……」
パイルフィッシュの身に突然体重の数倍のGがのしかかる。それが来るとわかっていれば全身を強張らせて耐えもできたが、これは意図しない操作であるためそうした態勢はとれてない。
視界の外から不意に強烈なパンチをくらったボクサーのように彼の頭はガクンとシートに押し付けられ、そこで彼は失神した。
搭乗者の意識が失われた事などお構いなしにキリングヒットは黎祭を尻目に驀進を続ける。ついには彼らを取り囲んでいたMTの一機に衝突した。だがそれだけでは勢いは失われずMTともつれ合ったまま、フロアを区切るシャッターに激突した。
その衝撃で意識を失っていたパイルフィッシュはコクピット正面のコンソールに勢いよく叩きつけられそうになるが、すんでのところで衝撃吸収用のバルーンが作動し彼を受け止めシートに押し返す。
それと同時にまた彼は慣性に翻弄されるまま左武器のトリガーを引いていた。
それは彼が狂乱したときに散弾に代わって換装されていたパイルバンカーの引き金であった。
キリングヒットは搭乗者の入力に従うがままに左手を引きその鉄根をMTのコクピットに叩きつけた。
パイルの威力はMTを刺し貫いて余りあり、衝突の衝撃でひしゃげたシャッターまで貫通した。
背後にある変形したシャッターはその衝撃に耐えられず基部ごとにもげる。
その向こうにあったのは虚空。
シャッターは階層間を移動するのに用いる大型リフトの出入り口に通じていた。
しかしにそこにリフトはなく、エレベーターシャフトがグリッドの底まで続いてるような真っ黒い口を広げてたたずんでおり、もつれ合った二機の人型機械は重力に引かれるまま無造作に落ちていった。
すぐさま後を追ってきた黎祭の機体がシャフトをのぞき込む
「ありゃま。逃したかな」
スキャンしてみたが、センサーの探知範囲内に反応はない。
「それとも落っ死んだかな……ま、いっか」
今日もまた一つ穢土を焼き払った。それだけでみんな褒めてくれる。少女はそれだけで十分だった。
いやまだまだもっと褒めて褒めて褒められたい。そのために……
――おんりえど ごんぐしょうど
ACと共に落下していった仲間の不幸を悼むかのように誰かがまた例の念仏を唱えだす
すると他の者もそれに続く。
――おんりえど ごんぐしょうど
「そうそう厭離穢土 欣求焦土。こんな穢れた星なんて一切合切焼き焦がしていきまっしょい!今日も明日も明後日も」
アヒャ
アヒャアヒャアヒャ
アヒャヒャヒャ
最終更新:2024年11月25日 23:57