――丘の彼方の
スロンミーサよ、我が里の飢えを救い給え。
――爾の杖を振るい、野山を潤し、祈りを受け取り、丘へと帰り給え。
――我がスロンミーサよ、全ての祈りが爾にあらんことを。
そんな古い詩を口ずさみながら、俺は馬を駆っていた。
一面に広がる草原、我々
ゼマフェロスの民が普通は恐れて近づかない
スィレフとの邦境へと徐々に近づいていく。
暫くすると、奇妙な建物が見えてくる。蔓で編んだ網――しかし、それは金属で出来ているらしい――のようなもので囲われ、奇妙な服装に身を包んだ人々が周囲を警戒している。
俺の目的は「連邦」に会って、今のゼマフェロスの窮状について話し合うことだった。「連邦」はこのクラナの地に空から降り立ったという。
しかし、
ケートニアーであればそんなことも出来なくはないはずだった。少なくとも、アレフィスではないことははっきりしていた。
そんな愚にもつかないことを考えながら、俺――スローヴェ・アシュタフィテスは、馬から降りる。
彼は家に伝わる名馬の血を継ぐ賢い馬だ。その鼻を撫でてから、目を見合わせた。
「大人しく待っていてくれ」
そういって、俺は彼を置いて「連邦」へと歩みを進めた。新調した伝統衣装はこのときのために陽の光を受けて、燦々と輝いている。
気が大きくなったように感じて、両手の袖を少し振るってみせた。本番はこれからだというのに、今から成功した気になっていた。
「harmie si lkurf?」
「mi qune niv.」
「ar……」
客人を中に入れるというのは、これほどまでに難儀なものなんだろうか?
「連邦」の入り口らしきところで、俺はおあずけを食らっていた。
眼の前に立つ二人は衛兵らしく、まるで
ルアンシーの民のように全身をオリーブ色の服で身を包んでいた。彼らに阻まれたうえに、自分の目的を話そうにも言葉が通じなかった。
自分の考えが浅かったと言わざるを得ないのかもしれない。「連邦」の人間がゼマフェロスの言葉を話すとは限らない。それはこの
クラナという世界でも言えることだ。少しでも場所や階級が違えば、言葉は全く通じないものになってしまう。そんな常識を、ゼマフェロスを救うという大義名分のために忘れてしまっていたのだ。
「おい、頼むから中に入れてくれ。ここまで来るのにどれほどの時間がかかったと思っているんだ」
「harmie……」
「fanken fqa ler! da!」
再度語りかけると彼らはこちらに不思議な道具を向けてきた。銃……というには非常に短いものだが、彼らの警戒する表情からそれは武器のように見えた。
「おい、こっちは丸腰だぞ!」
「fanken! fanken da!」
衛兵は何かを求めるように強い口調で言葉を投げつけてくる。しかし、ここで引くことは出来ない。ここで引けば、ゼスナディの助力は一体どうなる。ゼマフェロスの未来は俺に託されている。彼らに背を向けることは出来ない。
一触即発の空気、それは次の瞬間に霧散した。
「やあやあ、久しぶりだね」
聞き覚えのない声、その方に目を向けるとこれまた奇妙な服装に身を包んだ少女が居た。それを「黒のパーカー、デニムのショートパンツ、灰色じみたビジュアルバンドロゴプリントのTシャツ」ということを知るのは暫くあとのこととなった。
「といっても、ハジメマシテだけど。ある程度、
ゼマフェロスの言語で適当にまくし立てれば、こいつらも勘違いするでしょ。ああ、私の名前は
ラムノイでよろしく」
衛兵二人は異言語を話し始めた彼女を見て、目を丸くした。
「無茶するね。君」
俺は、先の少女――ラムノイに連れられて透明の壁に区切られた場所に連れ込まれていた。健気な陽光が部屋に差し込み、その場はとても明るかった。
眼の前には彼女が持ってきた黒々とした液体が置かれている。彼女はそれを一口飲んで、安心したようにため息を付いた。
年下にハッキリと「わからない」と言う勇気がなかった俺は言い淀むほかなかった。
ラムノイはそれを読み取ったかのように、アンニュイな表情のまま、透明な壁の外を見ながら、つぶやく。
「ともかく、あんたはなんでここに来たわけ?」
「『連邦』に会うためだ」
答えつつ、礼儀に答えるために目の前の黒い液体を口に運ぶ。一口飲むと、それが毒だと分かった。これだけ苦い飲み物を客人に出す者が居るわけがない。
俺はラムノイを指さして、立ち上がる。
「計ったな……!」
「あれ、
kutyv は気に入らなかったみたいだね。砂糖を入れたほうが良かったかも」
「一体どういうつもりだ!」
「うーん……」
彼女は悩むように唸りながら、俺の方に手を伸ばす。
暗殺するつもりか――と思うも彼女の手は俺の手元にあるカップに伸びていた。
黒色の液体で満ち足りたカップを取り上げて、彼女はそれを呷って、飲み干した。
「はぁ……熱っつ……これで分かった? 飲み慣れてないものを飲んだからって、早とちりしないでくれる?」
俺は目を点にする他なかった。