逆四年戦争
ny iuprroutrelm
教法革命人民予備隊に襲撃されたヒェフュルの村
年月日:2037年4月20日 - 2037年5月18日
場所:アレークウィ、タフター地域
結果:
・連邦の支援によるアルヴェイルガードにおける過激派掃討
・ヒェフュル部族連合に対する連邦・南サニス連合治安維持部隊の駐屯
・東デュピネート居留区の成立
交戦勢力
南サニス側 アルヴェイルガード側
南サニス連合王国
王冠東デュピネート
サニス条約機構
アルヴェイルガード教法主義共和国
指導者・指揮官
南サニス側 アルヴェイルガード側
ターフ・ヴィール・ウォルツァスカイユ(連合王国国王)
ターフ・メブローデャ(連合王国指定摂政・連合王国軍総司令)
レヴェア・ラヴォラント・ミナミラハ・エスドヴァーダ(連合王国宰相)
ターフ・リファン・リファーリン(事務総長)
ショニヌ・リヤウタイ・シュニ(最高指導者)
****(アルヴェイルガーデン・ヴェフィサイト長官)
****(アルヴェイルガーデン・タミア長官)
逆四年戦争(理:ny iuprroutrelm、2037年4月20日 - 2037年5月18日)とは、アルヴェイルガード教法主義共和国南サニス連合王国の懲罰を企図してヒェフュル部族連合に侵攻した戦争。四年戦争とは逆で、アルヴェイルガードがヒェフュルを侵攻したことから、この名前で呼ばれる。その短さから四週間戦争とも呼ばれる。


概要

 2037年、アルヴェイルガードのタミア(宗教省)の圧力により、最高指導者のシュニは南サニスが反政府勢力を支援しているとして非難するが、南サニス政府はこれを否定した。このためにシュニは配下のアルヴェイルガーデン・ヴェフィサイト(戦争省)に「特殊解放作戦」を指示し、南サニスへと侵攻する前哨戦としてヒェフュルへ攻め込み、逆四年戦争が始まった。
 連邦は南サニスからの通報を受けてETCAに保護を要請、ETCAは連合軍を出撃させてアルヴェイルガード軍を撃退した。
 最終的にアルヴェイルガード側が降伏し、ヒェフュルへの駐屯・東デュピネートでの居留区成立・アルヴェイルガード国内の過激派駆逐を条件に講和が成立した。 

経過

宣戦布告直後、南サニスは国王がクラナ紛争のためファイクレオネのクラナ、摂政であるターフ・メブローデャは連邦とウォルツァスカイユの連絡訳として連邦にいた。
そのため、南サニスには戦争執行に必要な権力が存在せず*1、戦争の執行が不可能であった。
そこで超法規的措置としてターフ・ヴィール・エレーナ直属の王室軍部隊*2サイトプロールカ特別自治共和国*3が当初介入にあたった。

関連項目

最終更新:2023年10月26日 17:03
添付ファイル

*1 宰相には軍の管理権はあるが指揮権が無い

*2 個人的な防衛権行使としての指示

*3 連合王国への集団的自衛権の行使