「なんと!彼女はあの偉大なるスステ=スカルムレイ!!」
唐突に大声を上げたのは言うまでもなくラーセマング。そのリアクションに便乗するかのようにスリャーザも解説を付け加える。
「君たちの言う通り、言わずと知れたスカルムレイだ。彼女は997年にお生まれになり、その28年後にスカルムレイに即位なさった。彼女の時代、王国は派閥分裂による宗教戦争により内乱が悪化していた。内乱が起こりすぎて当然ながら経済は停滞し情勢は悪化していた。そこを救われたのが彼女だった」
いつも通りのスリャーザの解説である、と思われる。なにしろナムレはまだ、スリャーザのこういう姿を見てからまだ二日なのだ。スリャーザの熱弁は続く。今度は話し方を変えてきた。
「当時派閥の乱立と言うものはとても重要な意味を持った。信仰はもちろん行政、経済など、生活にいたるところにシャスティの派閥と言うものは大きな意味を持ち、この国を支配していた。それをすべて解体して中央集権とされたのだ。それ以来スカルムレイは指揮官からこの国の全権限を握り、トイターの遺産と神の意志を受け継ぐ最高権力者として見せたのだ」
ナムレ以外すっかり熱くなった研究会メンバー。同じようにラーセマングも解説を加えた。
「さすがは歴史的なスカルムレイ。彼女が始めたこの体制を以来スステ政治と呼ぶのよ」
このことはハタ王国の人民にとってはもはや常識中の常識。なぜ海は青いのか、なぜ鳥は空を飛ぶのかといったことと同じであった。ナムレもそのことは散々教えられてきた。――
ある少女の占い #2
スステ政治(有:Sustemeqtes、理:custenasch lertasel, custera, orcerger)とは、ハタ王国における政治体制の一種。スステ=スカルムレイが行った治世を構造的に捉え、政治形態の一つと捉える「スカルムレイによる親政」のことである。
概要
スステ政治の概念は、ハタ王国において開花したものであり、基本的には
「スカルムレイによる絶対専制政治」として解釈されている。
スステ政治以前、トイター教の礼拝堂であるイルキスを支配する宗教者であるところのシャスティは世襲制であり、その地域地域に名家が自身のイルキスを立ててあたりの土地の信仰を支配するという体制を取っていた。しかし、そのような体制は、のちのマフ=スカルムレイ暗殺、ガレブァ原理派大虐殺、シーナリア派暴動、チェシェオの乱などの騒乱を次々と引き起こし、現代までに続くアッタクテイ派とクントイタクテイ派の対立を始めとした数多くの教派対立を引き起こし、ハタ王国という一つの国家体制の存続を幾度となく脅かしてきた。
トイター歴800年頃、クントイタクテイ派パンシャスティのパシュ=テリーンや同派のパンシャスティであるトロムス=イザルタシーナリアによる平和主義や反戦運動の高まりは後に生まれるスステ=スカルムレイにも影響したと思われている。
トイター歴1050年、スステ=スカルムレイは派閥対立を収めるためにシャスティの政治的権限を縮小化しつつ、トイター教徒たちがお互いに争いをしないように諭す宣言を発令した。有力シャスティ家は政治力の減少によって、食い扶持が潰れることを危惧したが、スステはスカルムレイがシャスティを任命し、決められたイルキスを与えられて、設備と必要な運営費が支給する一種の社会保障システムを構築し、その危惧を丁寧に取り払った。
これに感銘を受けた各地のシャスティ家は武力を抑え、臣民の圧力もあり、その政治的権限が縮小していくことになり、
ユーゲ平野には暫しの平和が訪れることになった。
批判
一般的に
ハタ王国では、スステ政治はスステ=スカルムレイが勇気と知恵で平野を平定したとする教育がなされ、肯定的に考えられているが、ウィトイター(非トイター教徒)のユーゲ人氏族や連邦影響圏からは一定の理解と共に批判がなされている。
ウィトイター側からはスステ政治の理念は「同調圧力」的であるとされる。この意義はウィトイターを首謀するハフリスンターリブ氏族などの複数氏族の共通した政治的意識であり、非トイター教徒であったことによってスステ政治の理念における「
トイター教徒同士の平和」から欠落し、差別などを受けたが故の結果であると主張することがある。
一方で、ユエスレオネ連邦とその同盟国は、サニス条約が加盟国を民主制国家に限ることから、スステ政治には批判的であるという別の側面を持つ。一方で、初期のユエスレオネ連邦はハタ王国におけるスカルムレイの政治参加を半分認めており、「スカルムレイに対する国民の信頼がスカルムレイの議会参入理由とする。スカルムレイへの国民の信頼が消えない限り、その参入権は民主主義的に成立するため連邦政府としてはこれに介入しないという方針を取る。ただし、
スステ体制に関しては断固反対する」と答えた外務省大臣アレス・スカジューの国会での発言は
アレス談話として知られている。
このアレス談話は
ユエスレオネ連邦においては野党になりがちな右派の非難の対象になりがちである。
教育
ハタ王国では、一般的に義務教育課程でスステ政治について基礎的な点を歴史の授業で教育される。
ハグナンスケ中央大学においては、以下のスステ関連コースが設置されている。
連邦影響圏で、スステ時代について専門的に学べるコースは存在しないが、一般的には宗教学部の
トイター教系学科が最適であるとされる。
表現
ユーゴック語でスステ政治を指す最も一般的な表現は "Sustemeqtes"(スステ政治) である。一方で、その権威性を強調して呼ぶ表現として "O man mo Syet man Gonsum"(大衆と王を分かち生活する)というものがあり、これを省略して "OSG"(OSG) とも呼ばれる。
リパライン語では、ユーゴック語でのこれらの単語に由来する "custera"(スステ主義)、"orcerger"(OCG;≒OSG) と呼ばれることも多いが、中立的な表現としては "custenasch lertasel"(スステ性政治論) が主に用いられる。
連邦政治における「スステ政治」
スステ政治を指す表現の一つであるスステ性政治論(
custenasch lertasel)は、連邦政治では概念としての専制政治を指すことがある。これに影響されて、その他の表現も専制政治を指す場合もある。
例えば、
フィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャは「ハタ王国でも、
南サニスでもユエスレオネ連邦は、ある種の『スステ政治』を完全には止めることが出来なかった。むしろ助長し、民会主義の健全な発達を阻害した」と著書で述べている。
最終更新:2024年12月20日 23:55