地球圏へ到達したELSは調査の為に派遣された連邦軍の先遣部隊と接触、交戦状態に入る。
更にはこれ以前から地球上で頻発していた怪現象の原因が彼らだと判明した事で連邦政府はELSを敵性生物と判断、
その戦力差は「ざっと10000対1」とまで評される程で人類側に勝利の可能性は万に一もない状況で、
ELSは絶対防衛線を構築した連邦軍艦隊の70%を壊滅させたが、
ロックオン、アレルヤ、グラハムらの死力で、「ダブルオークアンタ」の消耗を最小限に抑えて中枢に辿り着いた刹那によって、
実は彼らに地球人類への敵対意思は無かった事が明らかになる。
ELSの母星は 主星の白色矮星化とそれによって発生した惑星状星雲に飲み込まれて滅亡寸前であったため、
彼らは自身の形成した巨大コロニー(超大型ELS)に乗り込んで母星を離れ、宇宙を放浪中に偶然遭遇した者達へ助けを求めていただけであり、
MSや地球人の姿を模していた事も彼らなりの対話やSOSの意思表明に過ぎず、地球人と融合するという行為や地球の兵器や地球人への擬態行為も、
異星人と1つになる事で相互理解を成そうとする彼らなりのコミュニケーション方法であった。
脳量子波を持つ者を襲って融合を試みたのも肥大化した固体内で意識を共有するには脳量子波が不可欠だったためである
(ELSがビームを撃ってきたのも、脳量子波と同じGN粒子技術であるため、 地球側のビームを通信の一種と思いオウム返ししていた訳である。
GN粒子には脳量子波による意思伝達を補助する性質があり、これによる迎撃を積極的な対話の準備だと勘違いしてしまった面もある)。
人の命を奪いかねない行動も前述の通り「個」ではなく「群」で思考する個体であるため、 一体一体の「命」が失われる行為に関して希薄だった事もある。
またこうした経緯から、これまでの旅路でも対話に失敗した複数の異星生物やその文明を滅ぼしてしまっているらしく、
本ページ最上部の画像で取っている姿も、かつて接触した文明から読み取った中で、星間航行に適した形態を選んでいるだけだとか。
ELS及び地球圏にとって幸運だったのが、最初に接触した人類が常識の範囲内の人物であった事であり、
もしもサーシェスやリボンズの様に対話の価値すらない悪意の塊であれば、次の生命体を探すか殲滅し、
地球を第二の母星にする侵略戦争に移行していた可能性も有る。
また、別作品ではあるが、 ドモン・カッシュの様に「拳が挨拶」などという人物に最初に出会っていれば、
話す前にとりあえず殴り掛かってくるという恐怖のコミュニケーションが世界標準と勘違いされかねなかった。
「そうか、彼らの母星は死を迎えようとしていて、生き延びる道を探していたのか」
本作の主人公である 刹那・F・セイエイが自機であるクアンタの特殊能力、
「クアンタムバースト」を発動させてELSとの対話が行われた結果、地球人類が「個」を基準に成立している事や、
その個体スペックでは自分達の送り込む情報量に耐えられない事を理解したELSは全攻撃・進行中の全侵食を停止させ、
地球圏の一箇所へ集まり、地球上からも目視できる巨大な一輪の花(対話相手であった刹那にとっての平和の象徴)となった。
その後は地球人類の間で改めてELSに対する扱いをどうするか、という意見の違いから戦争が起きてしまったが、
初めての接触から50年後の西暦2364年時には人類とELSの共存が進み、共同で操作するMSも開発、人類の中にはELSと融合し、共生関係にある人間もいる。
制作側に「あれで生きてたら気持ち悪い」と死亡確認された準メインキャラとか
(人類と和解しただけあって、人類と融合しても送り込む情報量を抑える事で人類側が脳死しないように気を使っている)
また、ELSの巨大な花は宇宙ステーションとなっている。
- 対話目的のダブルオークアンタでは無く、戦闘特化装備の「ダブルオークアンタフルセイバー」である事
- クアンタが一切消耗せず不具合も起こさず刹那も1週間不眠不休で戦える事
- ELSがこれ以上進化しない事(クアンタをコピーしない事。なお先代である「ダブルオーライザー」は既にコピーされている)
- ELS側の援軍が来ない事
- ELSがクアンタ以外には目もくれない事(ELSを殲滅する前に刹那以外の地球人類が滅亡する為)
という、(フルセイバーの件を除き)クアンタ側にあまりにも有利な設定での「シミュレート結果」とする事で、
件の「殲滅できる」発言の価値を徹底的に失わせた。
また、シミュレーターに入力されていたであろうELSの能力は、前述した状況から鑑みるに「地球側に助けを求めて交信を試みていた状態」のもの。
よって、彼らが本気で戦う意志を示した場合の戦闘力は未知数である。
これら都合の良すぎるシミュレーション設定内容とそれによって出された結果の価値の無さ、
実際の戦場との戦況状況の乖離を公式書籍『GUNDAM WEAPONS』で記されるに至っており、
現在ではクアンタは当然として、対外来種特化のフルセイバーでさえ 「殲滅できる」というのは机上の空論でしかないという評価に落ち着いている。
またこの事実により、もしTV版最終回でリボンズが勝利していたら、その傲慢さからELSとの相互理解が為されないまま人類は滅亡していたと予測される。
故に(リボンズが乗る)クアンタで殲滅できてしまうと「本作のテーマが台無し」なのである。
このテーマに関しては作中でもきちんと描かれており、刹那と同じくイノベイター
(※GN粒子の作用により脳量子波によるコミュニケーション能力を獲得する等、既存の人類から進化した新人類)
に覚醒し、人格的にも決して破綻はしていなかった連邦軍のデカルト・シャーマン大尉などが、
ELSとまず対話しようという意思を持たず、戦う事を選んでしまったが故に彼らに人類とのコミュニケーション方法を誤解させ、 自身も死亡してしまったのはその一例であろう。
こうして経緯を冷静に振り返る事で、本映画OPで時折挟み込まれた意図不明の奇妙な映像の数々が「ELS側の描写」であったと、
視聴者も後から気付くというのも心憎い演出である。
全く異なる生物同士の不用意な接触が結果的に互いを、或いは片方を傷つけてしまうという展開はSFではまま見られるものであるが、
シリーズ全体を見渡してみると「ここまでの無益にも思えた長い戦いが無ければ、対話により互いを救うこのような着地はあり得なかった」
と理解出来る構成になっており、『00』という物語全体の完結編としてこれ以上ない大団円となっている。
そして本作のラストシーンは、かの物理学者アルバート・アインシュタインが残した言葉で結ばれる。
"Peace cannot be kept by force;
it can only be achieved by understanding."
(平和とは武力によって維持される事は無い。
それはただ、わかりあうことによってのみ保たれるのだ)
ちなみに『ガンダム』シリーズにおいて最後に平和の意味を示しそれを維持し始めた数少ない作品であるが、
過去に平和の意味を示しその道を歩み始めた事で〆に入った『新機動戦記ガンダムW』シリーズでは、
人類全てが、戦争の無意味さを理解し兵器を忌み嫌い放棄し、その口で嫌悪の意思を発することで支配から脱却し、
戦争・平和・革命の三拍子のワルツから平和・革命のマーチへと変調させ維持させると外伝で語られたりもしており、
理解では無く突き放しであるため、実は『ガンダム00』で語られる平和を手に入れた共存や歩み寄りとは真逆の方向性であったりする。
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