『シン』


旧スクウェア(現・スクウェア・エニックス)のRPG『FINAL FANTASY X』に登場する物語の根幹を成す怪物。
作中では『』(二重鉤括弧)も含めて固有名詞として使用されているため本項目名もこれに準じて記載する。
制作側曰く名前の由来は宗教的な「罪」を意味する英単語「sin」から
その他の「シン」についてはこちらを参照。

機械が高度に発達していた1000年前のスピラに突如として出現。当時の文明をことごとく破壊し尽くして文明衰退を招き
現在に至るまで破壊と蹂躙を繰り返しては数々の悲劇をもたらし続けている生きた災害
既存の魔物を遥かに上回る怪獣サイズの巨体を持ちながら、高度な重力魔法を駆使して陸・海・空を自在に移動し、
街一つなら軽く消し飛ばす重力砲撃「ギガグラビトン」「テラ・グラビトン」という技を使用する他、
機械兵器ヴァジュラの攻撃すら防ぎきる重力の障壁を展開できるなど防御面も隙が無い。
何より、その肉体はスピラのあらゆる生命の根源的なエネルギーの塊「幻光虫」を重力で超高濃度に収縮して構成されているため、
通常の武器で傷つけただけでは、四散した幻光虫をすぐに再収集して一瞬で傷を治してしまう。
さらに切り離された部位は「『シン』のコケラ」と呼ばれる独立した魔物と化してしまうので始末に負えない。
このため、通常の手段では倒す事は不可能とされている。

その唯一の例外とされているのが、かつてザナルカンドの指導者だった召喚師エボンが娘のユウナレスカに伝授した「究極召喚」である。
これを取得・使用して『シン』を倒す事が今作における召喚士の目標であり、そのため召喚士とガードはエボンの寺院を巡り召喚獣を入手しつつ、
究極召喚を入手できると伝わるザナルカンドを目指して旅をするのである。
スウナレスカは例外として、長い歴史の中でガンドフ、オハランド、ヨンクン、そしてユウナの父ブラスカの4人がこれで『シン』を倒している。
ただし、究極召喚を使用した召喚師は死亡し、倒した『シン』も新たな活動開始に向けて大量の幻光虫を集めた末に復活する。
「ナギ節」はこの休眠期間によるものであり、その期間はまちまちである。

発生の原因はエボン教の教えでは「機械文明に頼り過ぎ傲慢になった人間への罰」とされており、
機械禁止や銃器禁止などの規則を守り、罪を償い続ける事によって、いつか「永遠のナギ節」が訪れるとされている。
究極召喚のリスクはスピラにおいて常識として知られているが、それでも召喚士達は次こそはシンは復活しないかもしれない、
永遠のナギ節が来るかもしれないと胸に希望を抱き、その命を散らしていくのである。
とはいえ、『シン』が復活するため究極召喚を無駄死にだと思う者、エボンの教えには何の物証も無いと否定的に見る者も少なからずいる。

至近距離で『シン』に遭遇した者はたまに眩暈などの体調不良や記憶の混乱が生じることがあり、
その状態をスピラでは「『シン』の毒気にあてられた」と表現される。
この現象は、別に『シン』から有毒物質が発生しているわけではなく、
『シン』を構成する高濃度の幻光虫が、人間の体内の低濃度の幻光虫に影響を及ぼすことにより発生するものである。
なお、ティーダはスピラの常識を知らない事を「『シン』の毒気にやられた記憶障害」という体裁でごまかしていた
(幸か不幸か『シン』のせいでそうした記憶障害患者はスピラでは珍しいものではなく、怪しまれたり詮索されることは少なかった)。

主人公ティーダがブリッツボールの試合中にザナルカンドに突如現れた『シン』に襲われ、
アーロンの導きにより『シン』に吸い込まれて一人でスピラに放り出された事が、今作の物語の発端となっている。
そこで行方不明になった自身の父ジェクトがブラスカと共に『シン』を倒す旅をしていた事を知ったティーダは、
ザナルカンドに戻る手掛かりを探すため、『シン』を倒すために旅をするというユウナ達に同行する。
やがてルカにて、自分を『シン』に飲み込ませた張本人であるアーロンと再会したティーダは、
自分を散々な目に遭わせたアーロンに対して、怒りと苛立ちをぶつけるも笑って一蹴される。
ひとしきり吐き出してようやく落ち着きを取り戻したティーダは、自分と同じようにスピラに飛ばされてきたというジェクトの事をアーロンに訊ねる。
しかし……

「あいつはもう 人の姿をしていない
 だが……あれの片隅には確実にジェクトの意識が残っている
 あれに接触したとき おまえもジェクトを感じたはずだ」

「まさか……」

「そうだ 『シン』はジェクトだ」

そこでティーダに突き付けられたのはあまりにも残酷で信じ難い話であった。
スピラで暴れ回り、人々を恐怖と絶望に陥れている魔物が自分の父親だという話に、
半信半疑ながらもアーロンの言う通り確かに『シン』と接触する度に父の意志を漠然と感じていたティーダは、
真実を知るために、ガードとしてユウナの旅に本格的に同行するのを余儀なくされる。
そして、旅の果てに究極召喚の真実とジェクトの身に起きた出来事を知る事になるのだが……。

+ ネタバレ注意
『シン』の正体は「夢のザナルカンドを召喚し続ける」という永遠の呪縛に囚われたエボンだったもの「エボン=ジュ」が、
己の身を守るために重力魔法で集めた幻光虫を用いて構成した鎧とも言える存在。
構造は作中における召喚獣とほぼ同義だが、祈り子を用いず自身の重力魔法で集めた幻光虫で肉体を構成しているため、厳密には似て非なる存在である。

その誕生は本編より1000年ほど前にスピラ2大都市「ザナルカンド」と「ベベル」で起きた機械戦争がきっかけであった。
少数かつ才能ある者しかなれない召喚師を主戦力とするザナルカンドと、
機械(それも相当なオーバーテクノロジーの水準)を主戦力とするベベルでは圧倒的戦力差があり、
ベベル側の機械兵器の猛攻でザナルカンドは滅亡寸前にまで追い詰められていた。
当時のザナルカンドの統治者にして稀代の召喚士であったエボンはこの事態に、
娘夫婦を除くザナルカンドの生き残った住民達を全て祈り子に変えてガガゼト山の山頂に埋め込み、
全ての祈り子の夢を束ね、豊かで平和だった頃の故郷を再現した複合召喚獣「夢のザナルカンド」を召喚したのだ。
通常、ユウナ含めて本編に登場した召喚師は一度に1体の祈り子から召喚獣を呼び出すのが精一杯だが、
稀代の天才だったエボンは歴代の召喚師の中でただ一人、複数の祈り子から召喚獣を呼ぶ事が可能であり、そんな彼だからこそできた所業であった。

エボン及びザナルカンドの住人の目的は世界征服でも人類滅亡でもなく、ましてやベベルへの復讐でもなく、
ただ「どうせ戦争で死ぬのが避けられないなら人間を辞めてでも愛する故郷を残したい」というありふれた愛郷心から、
滅亡が避けられない愛する故郷を「夢」という形でも維持する事であった。
ただし、それには召喚者であるエボンが健在である必要がある。
よってエボンは自分を守る鎧にして機械文明に対する抑止力として『シン』を作り出した。
『シン』は旧ベベルのように夢のザナルカンドを脅かしかねない一定水準以上の文明に破壊衝動を抱く本能を持たされており、
人のいない現実のザナルカンドを破壊した後、ベベル軍を殲滅。
ベベルの民は当然、突如として現れた『シン』とガガゼト山の夥しい数の祈り子とを結び付け、
『シン』はエボンが召喚した召喚獣だと考えて恐怖する。
そのタイミングでエボンの娘ユウナレスカによって
「『シン』は人の罪が具現化した存在であり、機械を捨て罪を贖えばいつかは消え去る」という、
現代のエボンの教えの原型がスピラの人々に流布されて行き、
最終的にユウナレスカは最愛の夫であるゼイオンを祈り子として究極召喚を行い『シン』を討伐した。
これを見たスピラの人々の間でユウナレスカは救世主扱いされ、
同時に『シン』が機械文明を積極的に破壊する行動を見て機械を放棄する運動が広がった所で、
エボン及びユウナレスカを祀り、ユウナレスカの教えや機械の禁止の他の迷信や伝承の類も習合して設立したのがエボン教であった
(よってこの宗教の成立に『シン』の核となってしまったエボン本人は関わっていない)。

しかし、この究極召喚こそがジェクトを『シン』へと変えてしまった最大の原因である。
そもそもスピラの召喚獣は、祈り子というエボンの秘術によって魂を取り出された人柱達が見る夢が具現化された存在なのだが、
ユウナレスカが残した究極召喚獣の秘術とは、召喚師のガードを祈り子に変えて呼び出す召喚獣の事である。
かみ砕いて説明すると、究極召喚とは召喚師と祈り子が愛や友情といった絆の力で強くシンクロしている状態で起きる現象である。
召喚士がザナルカンドを目指す前に各地の寺院を巡るのも、修行だけでなく厳しい旅の過程で召喚士とガードが絆を育む事も目的としている。
この状態の究極召喚獣は幻光体を分解する力が付与されるため、
膨大な量の幻光虫で構成され、傷を負っても再生してしまう『シン』の再生能力を阻害する事ができるのである。
しかし、これで倒せるのはいわば外装である『シン』だけで、核となるエボン=ジュを害する事はできず、さらに『シン』を砕いた時、
『シン』に似た高度の幻光虫の集合体に等しい究極召喚獣はエボン=ジュに憑依され、次の『シン』に造り変えられてしまう。
当然ながら、この際究極召喚獣は身体を根本から改造されるので想像を絶するダメージを受け、現物の祈り子はその副作用で消滅し、
さらに召喚士と究極召喚獣は強い絆で結ばれてシンクロしているせいで、
召喚者は極召喚獣が『シン』になる苦しみがダイレクトに伝わり、それに耐えられず死んでしまう。
よって「究極召喚を用いると死ぬ」というのは半分正確ではなく、「『シン』に究極召喚を用いると死ぬ」というのが正しい
(その証拠にシーモアは母親を祈り子とした召喚獣アニマを用いているが死んではいない)。
いずれにせよ、究極召喚を用いて『シン』を倒す限りこの無限ループは続くため、それを続ける限りエボン教の教えにある、
「罪を償い切った時に『シン』が消えるいつか」など来ようはずもないのである。
スピラの過半数の住人はこの事実を知る事も無く過ごしているが、スピラに住まう人種の1つであるアルベド族は稼業のサルベージで回収した文献から、
『シン』を完全に消滅させる方法として究極召喚では意味が無いことを知っており、本編中でもアルベド族による召喚士の誘拐が発生している。

なお、ユウナレスカに人を祈り子化させる秘術を授けたのはエボンとされているが、
これはまやかしの希望を残すことでスピラの人々の生きる意志を保たせるという目的だけでなく、
表向き『シン』を倒せる方法を示しつつ、それ「だけ」に人々が縋るように誘導することで、
「究極召喚以外の『シン』を倒す方法を探す」という道から目を背けさせて、
究極召喚だけ使わせてエボン=ジュとなった自分を維持し続ける意図もあったのではないかいう考察もある。
実際、ザナルカンド到着した際のルールーやワッカが見せた、
「召喚師を死なせたくない、『シン』を倒したい、復活もさせたくない、全部叶えば最高だが欲張りすぎると全て失敗する」(意訳)、
という大人の合理的な意見が「普遍的」な召喚師やガードの思想を如実に物語っている。
成功するかどうかも分からない未知の方策を模索するよりも、成功したという結果を踏まえた前例のある手段に倣うのは、
人間であれば当然の判断ではあるし、『シン』倒されても次の転生先である究極召喚獣がいる限りエボン=ジュは安泰で夢のザナルカンドを召喚し続けられる。
その意味では究極召喚は実に合理的なシステムである。
とはいえ、ゲーム内ではエボンの人となりは伝聞でしか判断できないため、実際にこうした打算ありきで動いていたかは定かではないが、
いずれにせよユウナレスカは究極召喚が唯一の希望と信じて疑わなかった。

シナリオ前半で展開される『シン』討伐作戦「ミヘン・セッション」も、
究極召喚に頼らず『シン』を撃破することを目標としたアルベド族と民間の自警団組織「討伐隊」の共同作戦だが、
切り札となる電撃砲塔「ヴァジュラ」が『シン』の重力障壁を突き破ることが出来ず、「テラ・グラビトン」の一撃により討伐隊は一瞬で殲滅。
主だった構成員の殆どを失った討伐隊は大きく弱体化し、スピラの住民達の「やはり機械に頼っては駄目」という意識を一層強める結果となった。
スピラでは過去にも同様の『シン』討伐が幾度となく試みられており、ワッカの弟チャップもこれで戦死している。

+ エボン教について
このように、偽りの教義により多くの民を騙し続けてきた典型的な似非宗教である「エボン教」ではあるが、
一方でこの手の創作内での宗教組織にありがちな「トップの人間が私利私欲の為に無辜の民を利用する」事は実はほとんど無い。

エボン寺院のトップであるマイカ総老師は、その立場を利用してユウナ抹殺を企てるなどの悪の限りを尽くし、
実際作中でも大いに批判されているのだが、その行動原理は「スピラとエボン教の維持」という一点に集約している
(これは彼もまた既に死人であり、スピラの平穏という未練を拠り所に現世に留まっているため)。
また、スピラをこの絶望的な状況に陥らせた元凶とも言えるユウナレスカも、同じく「究極召喚」というまやかしのシステムを維持する事により、
スピラの平穏を保つ事を目的に現世に留まり続けていた。

結局の所、彼らもまた「『シン』はどうやっても消せない」という絶望を抱えたまま現世に留まり続ける存在であり、
そういう意味ではエボン教すら死の螺旋の中の存在でしかない。
そして実際、例えまやかしであってもその教義により心を救われ、日々を生きていける無辜の民が大勢いる事、
人々が『シン』の振り撒く脅威と絶望の中で懸命に日々の生活を守り、ナギ節という平和を尊び生きて来た事もまた事実なのである。
また確かに『シン』に関しては教義に偽りの部分が多く、上記の行動原理の為にアルベド族の弾圧等の後ろめたい事も行っているが、
基本的な教義は決して過激なモノではなく、人間として真っ当な道徳観や生活規範などをスピラの住民にしっかり広めている部分もある。

かくして1000年間続いたこの死の螺旋だったが、ジェクト&ティーダ親子と『シン』の出会いにより終止符が打たれる事になる。
『シン』は定期的に夢のザナルカンドを訪れては人目に付かない海域で休養する習性があったのだが、
人知れずそこでブリッツボールの練習をしていたジェクトに発見された。
でかい生き物がいると知ったジェクトは正体も明からない先代の『シン』に触れてみたいと何度か接触を試み、
ある日とうとう比較的浅瀬に来ていた『シン』に触れるが、そのせいで『シン』に吸い込まれてスピラに来てしまった。
そして上記のようにブラスカと共に旅をするジェクトだが、その道程でもはや自分は故郷に帰れないと悟るようになり、
やがて辿り着いたザナルカンドの遺跡で究極召喚の事を知り、自らブラスカの祈り子になる事を決断する。
しかしその結果、歴代究極召喚の祈り子と同じく『シン』に変えられてしまったのである。

この事からも分かるだろうが、ジェクトとティーダは1000年前のザナルカンドからタイムスリップした訳ではない。
彼らもまた召喚獣「夢のザナルカンド」の住人であり、エボンの呼び出している召喚獣の一部である。
元からジェクトが人ではなく幻光体だったためか、作中の『シン』は歴代の中でも際立って依り代であるジェクトの意志が反映されていた他、
ジェクトは最終決戦ギリギリまで自我を保てていた。
また、理想郷と見なしていた夢のザナルカンドの住人だったジェクトが『シン』になった事は、各地の召喚獣の祈り子達に大きな衝撃を与え、
彼らもまた同じくスピラへ現れたティーダと共に夢を終わらせようと動き出す事態を起こした。

最終決戦ではスピラ中の住人達が生前のジェクトが好きだった「祈りの歌」を歌い、
活性化したジェクトの意識が何とかギリギリまで『シン』の破壊衝動を抑え込んでいる間に、
飛行艇「ファーレンハイト」が『シン』を移動できなくなるまで追い込み、
その隙にティーダ達が体内に乗り込み、ブラスカの究極召喚獣と化したジェクトを打倒。
これにより鎧を失ったエボン=ジュは、乗り移るべき次の究極召喚獣が無いため、
祈り子達の指示の元でユウナが召喚した、プレイヤー達が攻略の道程で苦楽を共にした普通の召喚獣に乗り移る。
先に述べた通り、『シン』並みの幻光虫を集めるのはエボン=ジュと言えども年単位の時間がかかるため、
召喚獣に乗り移り改造するのは、手始めに幻光虫の塊である召喚獣を次の『シン』に造り変えるのが最も手早く幻光虫を確保できるための行動である。
とはいえ、普通の召喚獣は究極召喚獣ほどのスペックは無く、人の手でも打倒は可能な程度。
故に、ティーダ達により次々と召喚獣を倒されたエボン=ジュはやがてスピラ中の祈り子を活動停止にしてしまい、
最後の召喚獣が敗れた時、隠れる鎧を無くし剥き出しの状態のまま戦うことを余儀なくされる。
召喚獣がいる限りエボン=ジュはそれに乗り移り『シン』に造り変えてしまうということは、
逆に言えば召喚獣がいなければエボン=ジュは次の『シン』を即席で作ることができないという事。
かくして隠れ蓑を失い、再び『シン』になる材料の確保もままらないまま自前の力だけで戦う事を余儀なくされたエボン=ジュは、
その末についにティーダに敗北。
善意も悪意も無く、ただ夢であれ永遠の故郷の存続を望んだエボン=ジュだったが、
皮肉にも自らが生み出した夢の一部であったジェクトとティーダにより、その夢に「永遠」に終止符を打たれたのである。


MUGENにおける『シン』

axois氏の製作したWinMUGEN用のキャラが公開中。
スプライトは『FFRK』のものを使用して作られている。
常時ハイパーアーマーで「グラビデ」や「グラビガ」などの割合攻撃を多数持つ。
攻撃を行う毎に増加する特殊1ゲージ「オーバードライブ」という固有システムがあり、
最大の時に即死攻撃「ギガグラビトン」が解禁される。
AIもデフォルトで搭載されており、想定ランクは狂中位以上との事。

出場大会

  • 「[大会] [『シン』]」をタグに含むページは1つもありません。


最終更新:2023年07月17日 21:35
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