開いたドアの先に待っていたのは広々とした客室。
宿泊客を優しく包み込んでくれる暖色の壁紙。
二人並んでもまだスペースに空きが出来るソファ。金縁の姿見に有名デザイナーが手がけた机や椅子、テーブルなどの家具類。

寝室に繋がる扉を開けば二人一緒に布団の中へ潜ることが可能なダブルサイズのベッドが、バスルームのドアを開けば広々としたバスタブが姿を見せた。
広大な海原が一望できるバルコニーからは時たま風に運ばれた潮の香りが客室へと舞い込んでくる。
そんな最上階の角部屋を前に興奮が最高潮に達したガランドが子どものような足取りで室内を歩き回った。

ガランド「俺くん! ほら! 海が見えるよ!」

俺「おいおい。危ないぞ」

潮風に導かれるようにバルコニーへと出て手すりから身を乗り出した状態で海を眺めるガランドの腰に手を回した俺が彼女を抱き寄せた。
柔らかな肢体から伝わる愛しい人の温もり。
潮風に弄ばれた彼女の優美な黒髪が顎下を軽く刺激する。

その際に、その墨色の絹糸から漂う甘い香りに鼻腔をくすぐられ妙なこそばゆさを覚えた俺は気付かれないように腰を引いた。
最前線で戦うウィッチである以上、身体は鍛えられているはずなのに。
どうして、自分の劣情を刺激するほど彼女の全身はこんなにも柔らかいのだろうか。

ガランド「それにしても夢のようだよ。まさか君とこうして旅行が出来るなんてね」

俺「旅行って言っても一泊二日だけどな」

ガランド「それでも二人旅であることに変わりないよ。嬉しいなぁ」

俺「あぁ。俺もだよ」

回す腕の力を若干強めた俺が落ち着いた声色で返す。
三月十九日の今日は恋人であるアドルフィーネ・ガランドの誕生日。
世間では何の変哲も無いただの一日かもしれないが俺にとっては自分の誕生日よりも遥かに大切な日であった。
本来なら前線基地で一日を過ごす予定だったのだがカールスラント皇帝が誕生日プレゼントとして特別に休暇を彼女に与えたため、こうして基地から離れたホテルを訪れているのである。
海辺に面した繁華街の片隅に聳え立つこの場所はあたかも時の止まった一角だった。

ガランド「陛下に感謝しないといけないね」

身体の向きを背後から自分を抱きとめる俺へと変えるや否や、彼の首に手を回したガランドが身体を密着させた。
忙殺されるほどの量の仕事、将官としての立場、他者の人目を気にすることなくこうして甘い一時を過ごせる幸せに身を震わせながら。
誰にも邪魔されることのないこの幸福な瞬間を、自分と彼との二人だけの世界を存分に満喫できることへの喜びを噛み締めながら。
全身を満たす充足感を表現するかのように愛しい男の身体を擁く。

ガランド「……っふふ」

一日中抱きしめていても飽きることのない恋人の身体に充足感を抱いたガランドが唇を吊り上げた。
にも拘わらずまだ物足りないのか、少しでも多くの温もりを享受しようと更に身体を俺へと押し付ける。
胸が潰れ多少の圧迫感を感じたとしても、それで彼との距離をより縮めることが出来るならばいくらでも受け入れられた。
それに今日ぐらいは少将でもなく、ウィッチでもなくただのアドルフィーネでいたいのだ。
一人の男を愛する女としてこれくらい貪欲になっても罰は当たらないはず。

俺「まったくだ。こうして二人きりの時間を過ごせるんだからな」

ガランド「……うん」

そんな自分の望みを汲んだかのように満面の笑みを湛えた俺がそっと頭に手を乗せた。
とっくに成人を迎えているにも拘わらず、とろけるような安らぎを自分に与えてくれる恋人の手の平。
頭を撫でられて喜ぶほど子どもではないというのに、何故だかもっと撫でて欲しいと考えてしまう。
きっと相手が彼だからなのだろうと納得し、大人しく彼の愛撫に身を委ねる。

ガランド「んっ……」

頭を撫でる手の平の心地よい感覚に目を瞑り、そのまま胸元に顔を埋めて俺の匂いで胸を満たす。
少しばかり汗の匂いが混じってはいるが、それすらも自分をまどろみに誘うのだ。
既に彼無しでは生きていけなくなっていることに気が付き自然と笑みが零れ落ちる。
しばらくの間、温かみを帯びる逞しい体躯に身を任せていたガランドが瞑目したまま爪先を立てた。
口に出さずとも俺ならば察してくれるという確かな信頼が垣間見える行為。
すると、すぐさま両の頬に添えられる硬い手の感触に口許に浮かび上がっていた笑みが深くなる。

ガランド「(君なら……こうしてくれると信じていたよ)」

静かに唇を塞がれながらも胸の内で語りかける。
初めは唇同士が触れ合う軽いキス。次第に相手の唇を甘噛みし、いつしか舌を交えた深く濃厚なものへと変化していった。
唾液と唾液が混ざり合い、潮の香りが混じる清々しい春風の音とは対照的に卑猥な水音がバルコニーに響き渡る。
それでも止める気配を見せないのは今自分たちが居るこの場所が基地ではなくホテルの一室だからなのか。

俺「(……なんだか)」

ガランド「(離れたくないよ……)」

奇しくも同じことを考えていた二人が同時に互いの腰へと手を回し、更に相手を抱き寄せた。

ガランド「(君も……同じことを考えてくれていたんだね。嬉しいよ)」

恋人と心を通い合わせることが出来る事実に、胸が痛むほどの熱を宿していく感覚を覚えるガランド。
彼女の青玉を覆い隠すように閉ざされた瞼の隙間からは透明な雫が零れ落ち、白く整った頬を静かに濡らしていった。

ガランド「ん……んちゅ……んっ……んんんんっ」

唇と唇の合間から口内を追い出されて行き場を失ったどちらのものともつかない唾液が流れ溢れ出し、口周りを汚していく。
息継ぎすら惜しくなるほどの甘い口付け。
このまま彼の腕の中で死んでしまっても悪くないかもしれないなどと考えてしまうほどに彼の腕の中は温かさと優しさに満ち溢れていた。

ガランド「っはぁ……」

頃合を見計らった俺にゆっくりと引き剥がされたガランドが胸裏に生じた名残惜しさに従うかのように瞳とは対照的な赤い舌を突き出した。
思い人の唾液を最後の一滴まで味わおうとする舌先からは銀色に輝く糸が彼女の胸元に向かって垂れ下がる。

俺「……大丈夫、か? 殆ど息継ぎ……してなかったけど」

ガランド「もちろん」

微笑みかけた瞬間、足場が消失したかのような不気味な浮遊感がガランドを襲った。

ガランド「あ……」

俺「フィーネ!?」

反射的に震える膝へと力を込めようとするも力が入らない。
そのままバルコニーに崩れ落ちる寸前、俺が抱えるように抱き寄せた。

ガランド「だ、大丈夫だよ。少し興奮しすぎたみたいだ」

俺「少し休むか?」

ガランド「そう……だね。少しだけ横にならせてもらうよ」

無言で頷いた俺が彼女を抱きかかえて寝室へと向かう。
幾分か暗い影が差した表情から責任を感じているのだろう。
“もう少し早くキスを止めていれば……”
そんな考えを思い浮かべていることが落ち込んだ面持ちから容易に想像できてしまう。

ガランド「俺くん。そんな顔はしないでくれ……私のことなら大丈夫だから」

俺「だけど――」

なおも食い下がる俺の唇に手を添えて言葉を遮る。

ガランド「心配してくれるのは嬉しいよ? だけど本当に大丈夫なんだ」

それ以上の追求を止め、黙って首を縦に振った俺を前にブーツを脱いでベッドの上に横になったガランドが表情を和らげた。

俺「あぁ……でも。本当に具合が悪くなったらちゃんと言うんだぞ?」

ガランド「そのときは介抱してくれるかな?」

俺「当たり前だろう」

ガランド「ふふふっ。ありがとう」

俺「……フィーネ?」

不意にガランドが視線を窓の外へと向けた。
俺が眼差しを追ってみると硝子越しに広がる白い雲が浮かぶ青い空と青い海が視界に飛び込んでくる。
心を安らげる風と波の音。
耳を済ませれば海鳥たちの鳴き声も微かに耳に入り込んできた。

ガランド「なぁ……俺くん。行きたいところがあるんだ」

俺「行きたいところ?」

ガランド「ちょっとね……付き合ってくれるかな?」

照れたように頬を赤らめるガランドに俺は即座に首肯した。




体力を取り戻したガランドとともに部屋を後にした俺は懐から取り出した鍵を使って扉にロックをかけた。
客室の中に着替えなどの荷物が詰まった鞄を置いたままだが、散歩程度の外出なので持って出る必要はないだろう。
ホールに設置されたベンチに座りエレベーターが上がってくるのを待っていると同じように下の階へ降りようとする一組の老夫婦が姿を見せた。
手に旅行用の荷物を提げていることから、どうやらこれからチェックアウトを済ませるようだ。
人の良さそうな老婦人の話によると今日は六十回目の結婚記念日らしく何でも結婚後、新婚旅行に使ったこの思い出のホテルを選んだそうな。

他愛も無い世間話を楽しんでいると上がってきたエレベーターに乗り込んで一階まで下り、ロビーで簡単な挨拶をして分かれた。
どこにでもある出会いと別れ。
今まで何度も繰り返してきたけれど、その度に胸が痛んだ。
無論、今も例外ではなく胸の内にほんの少しばかりの寂しさを感じ取った俺は不意に隣のガランドの肩に手を回して抱き寄せる。
そうすることで寂しさを消すことが出来る気がしたから。

ガランド「大丈夫。私は絶対に君の傍を離れたりしないよ……大丈夫だから。ね?」

まるで自身の胸中を見透かしたかのように、そっと心を撫でる声色でガランドが身を預けてきた。
彼女の柔らかな身体から得られる温もりがありがたかった。

俺「……ありがとう」

ガランド「……うん」

ホテルから離れ、もう一度振り返ると小さくなった入り口では先ほどの老夫婦が自分たちに向かって小さく手を振っていた。
最後にもう一度だけ手を振って返すと、今度こそ背を向けて歩き出す。
おそらく、もう出会うことは無いだろう。旅の醍醐味とはいえ、やはり寂しい。
そういった寂寞の念を振り払い、目的地に向かって歩を進める俺は胸中で静かに老夫婦の旅の無事を祈った。








ガランド「人……いないね」

俺「海水浴の季節じゃないからな」

あれからホテルを後にした俺とガランドは彼女が行きたいと言った近くの浜辺へと足を運んでいた。
海開き前だけあってか白い砂浜の上には自分と彼女の二人以外、人の姿は見当たらない。
まだ寒さが残る春の海辺に出掛ける酔狂な人間はいないということなのだろう。
夏の海水浴のシーズンが訪れれば、この物寂しげな光景も活気に包まれたものとなるのだろうか。
遠くから微かに聞こえてくる海鳥たちの鳴き声を耳にしている最中、隣を歩くガランドが不意に身を屈めた。
ブーツの中に砂でも入り込んだのかと思い俺も身を屈める。途端に顰む俺の眉。
彼女の手はブーツの中ではなく足元の砂浜に潜り込んでいた。何かを探すような手つきにいぶかしむ俺の眉が更に歪んだ。
声をかけようと口を開く前にガランドが立ち上がった。

ガランド「あったあった」

俺「何かあったのか?」

ガランド「これだよ」

俺「……貝殻、か? 随分と綺麗だな」

ガランド「あぁ。本当にね」

差し出された手の平の上に載せられていたのは一枚の小さな白い貝殻。
彼女が掘り出すまで砂の中に埋まっていたことが嘘のように思えるほど一切の傷がないそれを前に俺の頬も次第に緩んでいく。
小さくて可愛らしい貝の見た目もそうだが、大人びた彼女が貝殻拾いをしたことも新鮮に映ったためであった。
また一つ恋人の意外な一面を発見できたことに小さな喜びをかみ締めた俺にガランドが微笑みかける。

ガランド「……そうだ!」

手にした貝殻をジャケットのポケットに仕舞い込んだガランドが唐突にブーツを脱ぎ捨てたかと思えばタイツにまで手をかける。

俺「ちょっ! おまっ!」

いくらシーズンオフで人がいないからといえども海水浴場であることに変わりは無い。
だというのに彼女の手は止まる気配を見せず遂にタイツが砂浜の上に投げ捨てられてしまった。
白い太ももが顕になり反射的に視線を逸らそうと身を捩る寸前、硬直する俺の身体。

俺「何を突然……って、え?」

ガランド「どうしたんだい?」

俺「え?」

黒いタイツが脱ぎ捨てられ顕になったはずの下半身はタイツと同色のズボンに包まれていた。
期待していただけに落胆も一際大きかった。

ガランド「もしかして。あれがズボンだと思っていたのかな?」

俺「……」

ガランド「図星のようだね」

沈黙を肯定と捉え、くっくと喉を鳴らしたガランドが砂浜に腰を降ろした。
そのまま裸足を波打ち際に伸ばし、打ち上げられてきた海水の冷たさを堪能し始める。

ガランド「俺くんもどうだい? 気持ちいいよ」

俺「……」

言いながら素足を持ち上げるのは反則じゃないか。
抗議にも似た呟きを胸裏で洩らしながらも大人しく靴と靴下を脱ぎ捨てて、波打ち際に両足を放り投げるところを見ると主導権を握っているのはどうやらガランドらしい。
俺本人もそのことを自覚しているのか言葉では言い表せない複雑な表情を浮かべている。
男として不甲斐ない自分を恥じているのか。それとも尻に敷かれることに幸せを見出しているのか。

ガランド「どう?」

俺「悪くない、かな」

妖艶さを秘める流し目に戸惑いつつ正直に感想を洩らす。
剥き出しとなった太陽から降り注ぐ春の日差しと冷えた海水が言い知れぬ快適さを与えてくれた。

ガランド「俺くん。手を繋いでもいいかな?」

俺「もちろん」

ガランド「ありがとう」

視線を眼前の大海原に向けたまま手を伸ばし、握り締める。

ガランド「さっきの二人。いい人たちだったね」

俺「あぁ。俺たちも……年とってもあんな風に過ごせるよな」

どれだけ長い年月を経たとしても相手を思いやり、愛し続ける気持ちだけは絶対に捨てたくない。
そういう意味ではホテルで出会ったあの老夫婦は街中で時たま見かける美男美女の組み合わせよりも遥かに理想的であった。
自分もあの老人のように愛し続けよう。
隣で座るガランドを。世界で一番大切な人を。
一生かけて愛し抜こう。

ガランド「もちろんだとも。君が皺くちゃのお爺さんになっても私は君を愛し続けるよ?」

俺「俺だってそうだよ」

互いに笑い合い、二度と離さないと言わんばかりに繋いだ手の力を強めた。
踵に当たる濡れた砂粒の感触が、頬を撫でる潮風が心地良い。
おまけに頭上から降り注ぐ柔らかな陽光がやたら眠気を誘ってくる。
思い切って寝転がってみたいところだが、そうすると起き上がったときに背中や腰に纏わりつく砂の処理に追われることが目に見えているので渋々と断念。
欠伸をかみ殺していると、ふと頬に手が添えられた。

ガランド「俺くん」

視線を向ければ片手を自身の頬に伸ばしたガランドが開花した花を思わせる微笑みを自分に向けていた。
大人びた微笑でもなく。悪戯めいた笑顔でもなく。
女性らしい真心に満ち溢れた笑みに俺は頬に熱が灯っていく感覚を覚えた。

俺「う、うん?」

ガランド「愛しているよ」

瞼を閉じ、自分自身に言い聞かせるように。
子守唄でも歌っているかのような、安らかな口調で囁かれた愛は矢と姿を変えて俺の胸を射抜いた。
心臓を押し潰された圧迫感に思わず咳き込んでしまった。

ガランド「だ、大丈夫かい?」

俺「ごほっ……あ、あぁ。なんだか……フィーネに言わせてばっかりだな。俺」

ガランド「そう? 気に病むことじゃないよ。私が好きで言っているのだからね」

俺「そう……か?」

ガランド「そうだよ」

俺「俺も……好きだぞ。フィーネのこと」

いくら恋仲の関係とはいえ一方的に愛を囁かれて黙っている俺ではない。

ガランド「やっぱり良いね。君から好きだと言われるのは。身体が芯から熱くなってきてしまうよ」

俺「言われている回数的には俺のほうがもっと熱くなってるぞ?」

ガランド「なら……私のことも。沢山熱くしてくれるかな?」

俺が返事を返すよりも先に手を解いたガランドが彼にしがみ付き、屈強な肉体を砂浜の上に押し倒した。

俺「おっとっと」

ガランド「やけに顔が赤いじゃないか」

マウントを取り自身の優勢を信じて疑わないガランドの勝ち誇った笑みに俺も気丈な微笑をぶつけ返した。
彼女の柔らかな尻に敷かれるというのも悪くは無いが、敷かれっぱなしでは自分の立つ瀬が無い。
馬乗りになるガランドを支える名目の下、両の魔手をくびれた腰に添えて反撃に躍り出る。

俺「そういうフィーネこそ。緊張しているんじゃないのか?」

ガランド「そ、そんなこと……あんっ」

俺「どうした?」

ガランド「くっ……また意地悪さに磨きを、かけたみたいだね」

俺「人間とは常に進化する生き物なのだよ。ほれほれ」

反撃の隙を与えないよう腰に添えた手を変幻自在に動かしていきながら自分の上で身を捩るガランドの艶かしい姿を見上げる。
動きに合わせて乱れる彼女の黒髪が一層俺の情欲を掻きたてた。

ガランド「ぅぅう……って、俺くん! あれ!」

俺「どうし……」

言葉が最後まで紡がれることはなかった。
ガランドが指差した先に顔を向ければ、ちょうど太陽が海の向こう側に沈んでいく光景が広がっていた。
逢瀬に夢中で周りのことなど一切目に入らないところがまた自分たちらしいと思いつつ、

俺「帰ろうか」

ガランド「そうだね……帰ろう」

起き上がって身なりを整え、夕暮れに染まる海岸線を歩き始めた。

ガランド「また今度。こうして海に来るときは……平和な世の中だといいね」

俺「まったくだ。ネウロイとの戦いが終われば一緒にいられる時間も増えるんだけどな」

ガランド「その為にも頑張らないとね」

俺「そうだけど、今日ぐらい辛気臭い話はやめにしよう。今日はフィーネの誕生日で、今はせっかくの旅行中なんだ。湿っぽいのはなにしないか?」

ガランド「そうだったね。なら……楽しい話をしようか」

俺「楽しい話?」

ガランド「俺くんは私の水着姿は見たいかな?」

俺「フィーネの水着姿……だと……!?」

水着姿――その言葉を耳にした瞬間、俺がごくりと喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
白く滑らかな柔肌を包み込む彼女の水着。
一体何が似合うのだろうか。色は肌の白さから黒か、青か。
均整の取れた肉体美にはやはりビキニが似合うが体型がぴっちりと浮き出るカールスラント製の躍動感溢れる競泳水着も捨てがたい。
いや、ビキニにパレオという上品な組み合わせも意外と様になるのではないか。

ガランド「俺くん?」

俺「あっ! いや!」

ガランド「どうしたんだい? 顔が随分と赤いじゃないか。何を想像したのかな?」

俺「えっ……いや、その」

どこか得意げな口調に俺が言葉を詰まらせる。
ガランドの水着姿を想像しなかったといえば嘘になる。いや、むしろ想像しないほうがおかしい。
普段目にすることのない恋人の水着姿を想像しない男が一体どれだけこの世界に存在しているのだろう。
照りつける真夏の日差しの中をガランドが水しぶきと共に駆け回っているのである。
想像するなというほうが無理というものだ。

俺「仕方ないだろう!? お前の水着姿なんて見たことないんだから!!」

ガランド「そう……だったね。思えばこうして旅行に出るのもこれが初めてだったね」

俺「フィーネ?」

隣を歩くガランドが忽然と足を止める。
目は伏せられ先ほどまでのやり取りが嘘であったかのように消沈していた。

ガランド「君と私が恋人になってまだ一年も経っていないのだから仕方ないのだけれど、やっぱり……思い出が少ないというのは寂しいね」

俺「……」

力なく微笑むガランドを前に俺は無言で上着のポケットに手を入れた。
硬い感触が指先に伝わってきたことから、どうやら落としてはいないようだ。
そのことに安堵の溜息を吐いた俺は意を決した面持ちを浮かべて一歩、彼女に歩み寄る。

俺「なら。思い出作るか?」

ガランド「えっ?」

俺「本当はホテルで夕飯を食べてから渡そうと思っていたんだけどな…」

そこで一度言葉を区切った俺が辺りを見回す。
水平線の彼方へと沈んでいく茜色の夕日にそれを浴びて煌く水面が何とも幻想的な雰囲気を醸し出していた。
これほどプレゼントを渡すのに適した状況はないだろう。
そう判断した俺は迷わずポケットの中に仕舞い込んでいたものを握り締めた。

ガランド「俺くん?」

俺「今日はフィーネの誕生日だったな……」

ガランド「……うん」

俺「受け取って欲しいものがある」

真摯な眼差しを伴って差し出されたものは手の平に納まるサイズの小さな箱。
鮮やかなブルーのそれを視界に捉えた瞬間、ガランドは自身の心臓が一際大きな脈を打つ感覚を覚えた。

俺「誕生日おめでとう」

穏やかな声音とともに蓋が開かれる。
中から姿を見せたのはブラッドストーンと称される深緑の宝玉が象嵌された銀の指輪。
その指輪が何を意味しているのかを知らぬほどガランドは幼稚ではない。
眩い光沢を放つエンゲージリングは彼の覚悟の証。命尽き果てるまで自分を守り続けるという不変の愛の象徴。
視線を俺に戻せば気恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、目線だけは逸らさずに真っ直ぐ自分を見つめていた。
オニキスを思わせる澄んだ黒瞳が弾く眼光にガランドは身体を射抜かれたような錯覚を抱いた。

ガランド「お、俺くん? こ、これって……もしかして……」

俺「クリスマスのとき言ったよな? 式を挙げるって。なら、これくらい前もって渡しておかないとマズイじゃないか」

ガランド「覚えていてくれたのかい……?」

確かに彼の言うとおり自分は去年のクリスマスに結婚式の話題を出した。
俺には黒のタキシードが似合うだとか。皇帝陛下の許可はもう得ているだとか。そんな内容。
だが、それは半ば彼をからかおうとして出したものである。
無論、全てが冗談だったわけではない。期待も込めていたが結局、俺に対して怒りの感情を抱く皇帝陛下の話題に摩り替わってしまい踏み込んだ展開にはならなかった。
いずれはきちんと話そうとは思っていたが、当分は先になるだろうというのがあのとき抱いた考えだ。

俺「当たり前だろう。それともあれは冗談だったのか?」

ガランド「そんなわけない!! そんなわけ……ないっ!!」

それだけに、あのときの言葉を今日に至るまで覚えていてくれたことが嬉しかった。
彼の前でみっともない泣き顔だけは晒すまいと必死に嗚咽を堪えるも気持ちとは裏腹に涙は一向に止む気配を見せてくれない。
視界は滲み、自分を見つめる俺の輪郭が崩れ始める。何とか歯を喰いしばってもしゃくり声を上げる度に口が半開きになってしまう。

俺「なら……受け取ってくれるか?」

ガランド「うん……!! うん……!! だけど! 肝心のものを……まだ貰って、いないよ?」

手の甲で瞼を擦るガランドが最後の反撃に躍り出た。

俺「ここまでしたんだ。もう俺の気持ちだって分かっているだろう?」

ガランド「駄目だよ。こういうのはちゃんと言葉にしてもらわないと」

俺「………………わかったよ」

たしかに指輪まで渡して気持ちを伝えないのは誠実さに欠けるというものだ。
ガランドに向かって一歩踏み出した俺の身体が微かに強張った。
ただいつものように愛を囁くのとはわけが違う。
文字通り永遠を誓うのである。
恐れもない。不安もない。指輪を出したことに対する後悔もない。

俺「フィーネ……いや、アドルフィーネ。ずっと俺の傍にいて欲しい」

唯一自分を縛り付ける緊張という名の鎖すらも引き千切った俺が大きく吸った息を吐き出した。

俺「俺と……結婚して欲しい。あのときの誓いを俺に果たさせてくれ」

まず返ってきたのは満面の笑み。次に差し出されたのはたおやかな左手。
小さく頷いた俺は黙って彼女が差し出した手を取り、薬指に銀の指輪を通した。

ガランド「私の方こそ改めてよろしく頼むよ」

俺の手を握るガランドが笑みを深くする。
まるで雨上がりに差し込んだ太陽の光を思わせる眩い微笑を前にした俺は自分でも知らない間に顔を彼女のそれへと近づけていた。
夕日に照らされた二つの影。
その二つが一つに重なるのに大した時間は要さなかった。







朱から紺碧へと様変わりした空に向かって白ワインが注がれたグラスを掲げ持つ。
星々が煌く夜天を黄金色の液体の中に閉じ込めた光景にガランドがニヤりと薄桃色の唇を吊り上げた。
天に捧げた透明な杯をそのまま動かし、隣で同じようにグラスを弄ぶ俺に近づけ、

ガランド「乾杯」

俺「あぁ。乾杯だ」

カラン――と硝子と硝子が打ち付け合う清々しい音が夜のバルコニーに響き渡った。
そのままグラスを口許に運んで中身を飲み干す。
一気飲みであるにも拘わらず気品と優雅さを漂わせているのは流石少将といったところか。

ガランド「俺くん。今日は本当にありがとう。こんな最高なプレゼントは初めてだよ」

俺「そう言って貰えると選んだ甲斐があるな」

ガランド「嬉しすぎて夢なんじゃないかと思ってしまうよ」

俺「これは夢じゃない。現実だ」

グラスを円状のサイドテーブルに置いた俺が隣に腰掛けるガランドの手を握った。
瑞々しい手の平はまるで火にくべた鉄のように熱を帯びていた。

ガランド「あぁ本当だ。ちゃんと君の手を握ることが出来る……夢なんかじゃないね」

うっとりとした声色で返すガランドが徐に俺へとしなだれかかった。
そんなガランドの肩に手を回して抱き寄せると彼女が更に身を摺り寄せてくる。

俺「フィーネ。思い出はこれから作っていけば良い。時間は沢山あるんだ」

ガランド「……うん」

俺「色んなところに行こう。ロマーニャでもブリタニアでもリベリオンでも良い」

ガランド「私は……また扶桑に行きたいな。軍人としてではなく君の妻として。君の故郷をこの目で見たいよ」

手を握る力を強めたガランドが瞼を閉じて顔を近づけた。
頬に空いた片手を添え、そっと唇を重ねる。

ガランド「幸せだよ……凄くね。基地に帰りたくないなんて思ったのは久方ぶりだ」

俺「フィーネ……」

ガランド「何てね。今こうしている間にも多くのウィッチたちが命を賭して戦っている。私だけ逃げるわけにはいかないよ」

ニッと笑うガランド。
青い瞳が弾く光はあたかも彼女の内面を表しているかのようにも見えた。

ガランド「だから今日という日がずっと心に残るようにしてくれないかな?」

俺「あぁ。最高の思い出にしよう」

笑い合う二人の遥か頭上に散りばめられた幾千の星々が一層強い光を放った。


~おしまい~


+ おまけ ~石に秘められた力~
ガランド「俺くん。ブラッドストーンが持つヒーリング効果にはね。こういうのが多いんだよ」

俺「どういうのだ?」

ガランド「生きることへの欲求を高める」

俺「ほうほう」

ガランド「安産のお守り」

俺「……ほ、他は?」

ガランド「妊娠しやすくなる」

俺「ぶふぅ!?」

ガランド「一族の繁栄」

俺「ぶふぅぉぁ!?」

ガランド「どうやら子宝には恵まれそうだね。ふふふっ……俺くんに、いっぱいいっぱい孕まされてしまうのかな?」ニヤニヤ

俺「べべべべ! 別に俺はそんなつもりで選んだんじゃ!! ////」

ガランド「そう? 私は構わないよ。他の誰でもない君との……赤ちゃんだからね ////」

俺「う……で、でも。フィーネとの子どもなら……俺だって」

ガランド「そのためにも俺くん。幸せになろう? どちらか一人だけじゃなく……二人一緒に」

俺「あぁ……そうだよな。ずっと一緒なんだ。二人で幸せにならないとな」

ガランド「そういうこと。それじゃ、これからもよろしく頼むよ。あ・な・た♪」

おしまい

※前日談となるホワイトデー短編はもうしばらくお待ちください
最終更新:2013年02月04日 14:31