柔らかな陽光満ちた一室に、足を運んだ者を優しく包み込む色彩の壁紙に包まれた部屋に男がひとり。
窓辺に設置された姿見に映る己の姿を前に、黒髪に長身といった風貌の男は小さくほろ苦い笑みを零した。
磨き上げられた鏡面に映った埃一つ無い黒のロングタキシード姿の自分。世に云う新郎衣装を身に纏う自分の姿。
日頃ラフな格好をしているせいか、この手の引き締まった正装はどうも背中がむず痒くなって仕方が無い。
おまけに首元が締まって息苦しさまで感じられる始末。
呼吸するたびに動く喉を締め付けられる感覚に思わず首元に手を伸ばす。
そのまま第一、第二ボタンを外そうと動いた指を止め、伸ばす手を降ろした。
別室で愛しい花嫁が同じように慣れない衣装に戸惑っていることを考えると自分だけ楽をするわけにもいくまい。
今後の人生を共に歩いていくのだからこうした些細な苦しみも分かち合うべきだろう。
俺「本当に、俺……だよな?」
鏡に顔を近づけ、頬を引っ張りながら誰にとも無く一言。
自分でこんなことを思うのもなんだが身に着けていて違和感しか抱けない。
言ってしまえば似合っていないのだ。サイズが小さいのか、それとも単に着慣れていないだけなのかやたら動き難い。
早いところ脱ぎ捨てたいと逸る気持ちを何とか押さえ込みながら手足を伸ばして身体を慣らす。
俺「…………」
その際視界の片隅に入り込んだ右腕に自然と口元を強張らせる。
あの一戦で魔技を使用した代償として俺は右腕の肘から先と残存する魔法力の殆どを喪失した。
いま右の袖に通っているものは“部隊”に属する技師によって設計、開発されたものだ。
当初は接合手術を行う手筈だったのだが断面の損傷が予想以上に酷い上に肝心の千切れた右腕が魔技に耐え切れず四散したため接合は不可能となった。
次に仲間Eの固有魔法によって右腕を可能な限り本来の形状に創り返ることを試みるも単なる負傷の治癒とは違い、人体の一部を創り上げる。
更に言えば彼女自身まだ己の固有魔法を完全に制御出来ているわけではない。仲間Eが魔女としての成熟期を迎えていたのならば右腕の再生も可能だっただろう。
何度も謝罪の言葉を零しながら泣きじゃくる少女の頭を唯一残った左手で撫でる俺に残された選択は義肢の装着のみとなった。
しかし肝心の義肢を設計する人物の行方が知れず、探し出すまでに何ヶ月もの時間を要した結果。
クリスマスも。
バレンタインも。ホワイトデーも。指輪を渡したあの夜でさえも。
俺は片腕のまま過ごすこととなった。
俺「硬いな」
右前腕部を左手で掴む。手の平に伝わってきた感触は引き締まった筋肉とは異なる硬さだった。
紛いものの右腕。
硬質な右腕。
血が、体温が通わない右腕。
指の先まで作り物となったこの右腕で果たして最愛の彼女を抱けるだろうか。怪我をさせてしまわないだろうか。
様々な考えを巡らせている最中、不意に控え室の扉が乾いた音を発した。
「よっ! 久しぶりだなぁ!」
返事よりも先に扉が開く。
軽やかなリズムの靴音を立てながら姿を見せたのは、かつてブリタニアで共に背中を預け合った“ストライクウィッチーズ“の一人。
名をシャーロット・e・イェーガー。
陽の光を思わせる快活な笑みを湛えたドレス姿の彼女は軽やかな足取りで近づくや否や軽く手を挙げた。
俺「来てくれたのか」
俺「まさか本当に来てくれるとは思わなかった。ありがとう」
応えるかのように俺も手を挙げる。室内に響く清々しい音。
彼女たちと過ごした時間はたったの七日間。別れてからも手紙での交流は続けていたが、こうして面と向かって顔を合わせるのは随分と久しい。
だというのに彼女は全く変わっていなかった。もちろん見目は以前にも増して美しくなっている。
柔らかな髪も前より長くなり、彼女自身が誇る自慢の連山もより豊かなものへと成長していた。
しかし根本的な部分は。眩い太陽のような快活さは未だ色褪せていないと痺れた手の平を擦りながら実感した。
シャーリー「はははっ! たしかにリベリオンからここまでかなりの距離があるけどお前の晴れ舞台なんだ! 来ないわけにはいかないだろ!」
それにと一度区切るなり、背後の扉を肩越しに指差すシャーリー。
訝しげに首を傾げる俺だが徐々に近づいてくる軽快な足音と気配に頬を綻ばせた。
廊下を駆けてくる足音。近づくに連れ、はっきりと耳元に届く荒い息遣い。
足音の主が誰なのかを察した俺が笑みを湛えたまま扉に向かって両の腕を広げるのとほぼ同時に、
「おれぇぇぇぇぇ!!!」
俺「っとっと!! 久しぶりだな、フランカ」
扉を蹴破り、長い黒髪なびかせた少女が胸に飛び込んできた。
胸元に受ける衝撃もさることながら、幾年ぶりに耳にする声音に心地よさを抱きつつ、俺は胸元に顔を埋めた少女の頭に手を置く。
こうしてこの娘の頭を撫でてやるのは一体何年ぶりだろうか。最後に顔を会わせたときはまだ幼かったが今では幾分か小柄な身体に起伏が出来上がっている。
あともう何年もすれば望まず望まないと異性の目を惹く女性へと成長することだろうとしがみ付くルッキーニの頭に手を置く俺は静かに時の流れを思い知る。
シャーリー「おいルッキーニ。会えて嬉しいのは分かるけど離してやれ。今日は俺にとって大切な日なんだぞ」
タキシードに皺が出来るのを恐れたのか。ややたしなめる口調のシャーリーを手で制止する。
俺「別に構わないさ。俺だって久しぶりに会えて嬉しいよ」
ルッキーニ「ねぇ……おれ?」
俺「ん? どうした?」
胸元に埋めていた顔を上げるルッキーニに笑いかける。
彼女の顔からはいつもの活発さが消えていた。一対の瞳に宿るのは寂しさの色だった。
ルッキーニ「本当にけっこん、しちゃうの……?」
俺「あぁ。好きな人が出来たんだ」
ルッキーニ「……おめでとう」
瞳を潤ませ、振り絞るような少女の声音に俺は笑みを浮かべて返す。
そのか細い声音にどのような感情が込められていたのか。あえてそれに触れず、
俺「おう。ありがとうな」
ただ彼女の頭に手を乗せそっと撫でた。
シャーリー「にしても驚いたよ。手紙が来たと思ったら結婚します、だなんて。俺は結婚とかしないと思ってたよ」
ルッキーニ「そんなことないもん!!」
シャーリー「ははは。そうだな。そうだったな」
真っ先に自身の言葉を否定するルッキーニの反応に笑みを零すシャーリー。
少女が彼にどのような思いを抱いていたのかを、501の誰よりも彼を慕っていたことを知っていたからこその態度である。
俺「あのなぁ。これでも俺の方から指輪渡したんだぞ?」
そんなシャーリーの考えを知ってか否か、口を尖らせていると複数の足音が廊下から聞こえてきた。
うら若き少女たちの興奮したような話し声。
どうやら招待状は無事に届いたようだと安堵の息を吐く俺の前に足音の主たちが一斉に新郎控え室へと雪崩れ込んできた。
宮藤「俺さん! お久しぶりです!」
リーネ「ご結婚おめでとうございます!」
俺「芳佳、リーネ。二人とも来てくれてありがとうな」
宮藤「私のほうこそ」
リーネ「ご招待してくださってありがとうございます」
正装に身を包む少女二人の笑顔に吊られるかのように、俺の口元が綻んだ。
見る者全てに元気を分け与えてくれる宮藤の笑顔。見ているだけで心が安らぐリーネの微笑み。
久しぶりに目の当たりにする二人の笑みに懐かしさを感じながら、俺は宮藤に眼差しを向ける。
俺「あれから話は聞いているよ。色々と大活躍だったようじゃないか」
ブリタニアを去ったあとも彼女を始め501統合戦闘航空団の活躍はペテルブルグに身を置く自分の耳にも届いていた。
俺「特に芳佳。色々と苦労したみたいだな。オペレーション・マルスでは魔法力を失ったみたいだけど」
宮藤「はい」
俺「それで、また戻ったらしいな?」
宮藤「はいっ!」
俺「おめでとう。もう気安く芳佳、なんて呼べないな。うん、改めてよろしく頼むよ。“宮藤先生”」
言うなり彼女の頭に手を乗せて、少し強めに撫で回す。
宮藤「あぅ。何だか恥ずかしいです」
俺「恥じるな恥じるな。もうこうして撫でてやれるのも今日が最後かもしれないからな」
宮藤「……えっ?」
最後――という言葉を耳にした瞬間、二人の容貌に影が落ちた。
リーネ「俺さんはどちらに?」
俺「カールスラントに……あいつの、グンドュラの故郷に根を降ろそうと思う。復興作業も色々と手伝いながらな」
今更扶桑に戻るつもりはない。愛するラルは新婚旅行の目的地の一つとして自身の故郷を希望しているが、あの島国に骨を埋める気はなかった。
けれども、一度だけ世話になった者には真実を伝えても良いのではないだろうかと思う自分もいる。
かつて共に苦楽を過ごした“彼女たち“が果たして扶桑に戻っているか定かでないが、それでもやはり。
せめて自分の世話を焼いてくれた姉代わりの彼女には自分が生きて、幸せでいるということだけでも伝えておきたい。
俺「(敏ねぇ。俺は今日……結婚するよ。相手は俺よりも凄いウィッチだけど……ちゃんと幸せにしてみせる)」
自分のことを実の弟のように接してくれた彼女。寒い夜、自分を抱きしめてくれた彼女。
いま何をしているだろうか。怪我などしていないだろうか。病にかかっていないだろうか。
無論彼女だけではない。
幼い頃から妹のように可愛がってきた智子。美味しい珈琲を淹れてくれる武子。
何度も刃を交えて互いの腕を磨き合った黒江。射撃技術の向上のため共に訓練を積んだ圭子。
皆健やかな日々を送っているだろうか……
「何をぼーっとしているんですの? 今日は貴方の結婚式でしょう?」
俺「ん? あぁ悪い」
知らぬ内に
物思いに老け込んでいると背後からの声に我に返る。
振り向けば鮮やかな青を貴重としたドレスを身に纏うペリーヌと落ち着いた色合いの着物を着こなす坂本の二人が視界に入り込んだ。
貴族の令嬢として相応しい凛々しさと優雅さを兼ね揃えるほどに成長したペリーヌ。物腰もしばらく顔を合わせぬ内に大分柔らかくなっていた。
魔法力と同様に魔眼を喪った坂本は眼帯を外し、後頭部で結わえていた黒髪を降ろしておりブリタニアで過ごしていた時と比べて大人びているように見える。
坂本「はっはっは! いやぁ! 実にめでたい!!」
ペリーヌ「まったく……久しぶりに連絡が来たと思えば、結婚とは随分と急ですわね」
俺「そうか? これでも我慢していた方なんだぞ?」
そう返しつつも俺は彼女らとの手紙のやり取りのなかで自分がラルと交際していることを書いていなかったことを思い出す。
手紙を受け取るまで独り身だと思っていた男がいきなり自身の結婚を伝えてきたのだから急と捉えても仕方のないことだろう。
もしかしたら今日の式に合わせるために色々と苦労をかけてしまったのかもしれないと胸中に生じた罪悪感に強張る俺の面差し。
ミーナ「良いじゃない。俺さん、ご結婚おめでとうございます」
俺「礼を言うのは俺のほうだよ。来てくれて、ありがとう。その服――」
そんな彼の心情を解きほぐすかのように柔らかな笑みを携えたミーナが歩み寄る。
身に纏うのは美しい長髪と同色のドレスは他の面々が身につけているものと同じように過度の装飾を抑えた落ち着いた意匠だ。
けれども、かつて歌手を目指していただけあり男の目を惹くには十分過ぎるほどの魅力を帯びていた。
ミーナ「俺さん? その言葉は奥さんのために取っておいてあげてくださいね?」
俺「あぁ……そうだな。この言葉は……真っ先にあいつに伝えたいよ」
人差し指を口元に添えられ、どこかむず痒い感情を抱きつつも素直に首肯する。
ミーナ「是非そうしてあげてください」
俺「そうさせてもらうよ。そういえば大尉殿とエーリカは?」
姿が見えぬ二人の存在に気づき、室内を見回す。
新郎控え室に集った少女たちはみなかつての戦友たちとの再会に頬を綻ばせながら、各々が近況報告や昔話に花を咲かせていた。
しかしそのなかにゲルトルート・バルクホルンとエーリカ・ハルトマンの二人の姿が見当たらない。
はて、彼女らにも招待状は送ったはずだが……?
ミーナ「二人なら古株同士ということで新婦さんの控え室にいますよ」
俺「あぁ……」
得心がいったように頷く。
思えば彼女ら二人もかつてはラルやロスマン、クルピンスキーたちと同じ部隊に所属していた。
久しぶりの再会に積もる話もあるのだろう。
エイラ「まさか俺が結婚とはなぁ」
サーニャ「本当に、おめでとうございます……!!」
アウロラ「よぉ。来てやったぞ」
少女二人を引き連れた長身の女性がニッと白い歯を見せる。
肉付きの良い肢体をドレスで覆う女性が放つ妖艶さを前に俺は朗らかな笑みを浮かべて、彼女を迎える。
俺「アウロラも準備の方色々と手伝ってくれてありがとう」
アウロラ「気にすんな。一緒に酒を飲んだ仲だろうが。まっ、もうお前と酒が飲めなくなると思うと寂しくなるけどな」
俺「俺は酔っ払いの相手しなくて済むと思うと色々と荷が降りて助かるんだけどな」
アウロラ「っくく! だけどお前も色々と美味しい目を味わうことが出来ただろ? ならそれでチャラってことにしておけよ」
エイラ「むっ。おい、俺! ねーちゃんに何したんダヨ!」
俺「してねーし。されたの俺だし」
姉に手を出されたのかと勘違いし、眼つきを鋭利なものへと変化させるエイラの頭に手を乗せ押さえ込む俺。
確かにラルと付き合う前にアウロラと酒を酌み交わし、酔った彼女に抱き寄せられ、たっぷりと肉の詰まったバストやら瑞々しい太ももやらを押し付けられたこともあった。
首筋や頬にキスの雨を降らされたこともある。
言葉に表せば男にとっては憧れる出来事なのだろうが、あれは決してそんな生温いものではない。
抱き寄せられたといっても首を絞められたこともあれば、豊満なバストを顔に押し付けられて窒息死寸前の事態に発展したのである。
脳裏に蘇るかつての惨劇に俺が顔を顰めていると控え室の扉が唐突に開け放たれた。
ウィルマ「俺君! 久しぶりね!」
リーネ「お、お姉ちゃん!?」
俺「ウィルマ!? お前も来たのか!?」
ウィルマ「当たり前じゃない! リーネから聞いて飛んできたのよ!」
むふー。
鼻息荒く。どこか、そして何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべるウィルマの後に続いて新郎控え室に足を踏み入れる者達の姿に俺は笑みを取り戻した。
ワイト島分遣隊。かつて俺がペテルブルグに赴く直前まで世話になっていた部隊。
その懐かしい面々に俺は目頭が熱を帯びていく気配を感じた。
角丸「俺さん。ご結婚おめでとうございますっっ」
俺「美佐……すまないな。扶桑からここまで大変だっただろう?」
角丸「いいえ。お世話になった方の結婚式ですから。それに旅費まで出していただいて」
しっとりと微笑む美佐。その微笑みで一体どれだけの男の心を射抜いてきたのだろう。
魔弾の射手という称号に恥じぬ、男心を鋭く撃ち抜く笑顔を前に俺はただどこか取り繕うような笑みで返すことしか出来なかった。
俺「招待状出したのは俺の方だ。これぐらいはさせてくれ」
美佐「はいっ」
アメリー「俺さん。本当におめでとうございますっっ」
俺「ありがとう、アメリー。元気そうで安心したぞ」
アメリー「はいっ!」
気弱な性格だったアメリーは何年も会わない内に随分と明るくなっていた。
いや、もしかすると今のこの姿が本当の彼女なのかもしれない。
花が咲いたような笑顔を浮かべながら祝福の言葉を紡ぐ彼女を見つめ、しみじみ思う。
フラン「久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
俺「色々とあったけど、まだ生きているよ」
負けず嫌いのフラン。
ネウロイを取り逃がしてしまったとき、僅かに涙ぐんでしまっていた心の弱さは何処かへと消え去り、今では一人前の航空歩兵としての空気を身に纏っていた。
フラン「ほら。隠れてないでアンタも何か言ったらどうなのよ」
唇を尖らせながら背後に隠れる人物を引っ張り出すフラン。
小さな彼女の手によって自身の前に現れた少女に俺は目を丸くする。
無論他に漏れずこの少女にも招待状は送ったのだが、俺自身まさか本当に来てくれるとは思っていなかった。
ラウラ「……ひ、久しぶり」
俺「ラウラも来てくれたのか!」
ラウラ「……世話に、なったから。行かないわけにはいかない」
俺「そっかそっか。ありがとうな。嬉しいよ」
ラウラ「……ん。ねぇ、おれ」
俺「ん?」
ラウラ「結婚……おめでとう」
――人間変わるものだ。
満面の笑みを湛えるラウラの頭に手を乗せる俺は、そう胸裏で零す。
あのときはこんな笑みを浮かべるような娘ではなかったはず。
自分が知らぬ内にさまざまな経験を積んだのだろう。もしかすると離れ離れになっていた仲間と再会できたのかもしれない。
俺「おう。ありがとうな」
はにかむラウラの頭を撫でる俺が壁に掛けられた時計に目線を移す。
二つの針は彼の人生において最大の戦いが、もうまもなく始まろうとしていることを示していた。
同刻―――新婦控え室にて
椅子に座り、窓から差し込む陽の光を浴びながら専門のスタッフらによって化粧を施される新婦の姿にエーリカ・ハルトマンは目を見開いた。
胸元が開き艶やかさと美しさが見事に調和した意匠のウェディングドレス。
しかしハルトマンの心を奪ったのはドレスを身に纏う花嫁の幸福に満ちた穏やかな笑みだった。
彼女の全身から喜びと幸せを感じ取ったハルトマンは
初めて結婚に対する強い羨望を抱いた。
いつか自分にも訪れるのだろうか。
純白の花嫁衣裳を身に纏い、人生において最高の幸せに満ち溢れた一瞬を迎えるときが。
エーリカ「うわぁ……ラル少佐、すっごく綺麗だよ!」
ラル「ありがとう。ハルトマン」
微笑む表情を向けられた瞬間、ハルトマンは自身の頬が熱を帯びていく感覚を味わった。
JG52時代に何度も目にした周囲を安心させる笑みとは異なるそれに息を呑む。
こんなにも穏やかな笑みを浮かべていただろうか。
こんなにも柔らかな空気を漂わせていただろうか。
こんなにも他人の心を奪うほど優しげな笑みを浮かべる人物だっただろうか。
ハルトマン「(いいなぁ)」
きっと彼が彼女を変えたのだろう。何故、彼女が彼に心を奪われたのか分かる気がする。
一緒に飛ぶと心強くて、傍にいると安心できる。
人の心に勝手に入り込んでくるくせに不快感を他者に抱かせない振る舞い。飛び込めば柔らかく包み込んでくれる穏やかさ。
それら全てが今や目の前に座る彼女のものになったのだと思い知るや否やハルトマンは自身の胸裏が小さな痛みを発したのを感じた。
けれどすぐさま首を横に振り理性で以って痛みを押しつぶす。
仮定の話ほど虚しいものは無い。今更どれだけ想いを膨らませようが、既に彼は目の前の友人の夫なのだ。ここは素直に祝福しよう。
バルクホルン「それにしても知らせを受けたときは驚いたぞ。まさか結婚とはな」
それまで腕を組み、無言で化粧を施されるラルの様子を見守っていたバルクホルンが口を開く。
形の良い唇から零れる声音には友人の幸せを祝福できる喜びが込められていた。
軍服ではなくパーティ用のドレスを身に付けているのは友人の晴れ舞台に合わせているからなのだろう。
それでも飾りつけの少ないシンプルな意匠のドレス選ぶあたり彼女らしい。
ラル「そうか?」
バルクホルン「あぁ。それに相手があの俺ときたものだ」
口元を綻ばすバルクホルン。
初めてラルが彼と交際しているという事実を聞かされたとき驚きこそすれど反対といった感情が湧き上がることはなかった。
むしろあの男にならば任せられるといった念を抱いている己に気付き笑みを零したほどである。
たった一週間という短い時のなか、自分が認識している以上の信頼をあの男に寄せていたようだ。
ラル「なんだ? バルクホルンは私とあいつとの結婚は不服か?」
バルクホルン「そういうわけではない。むしろあの男なら……俺ならば安心して祝福できるさ。本当におめでとう」
ヨハンナ「話に聞く限りだと優しい人みたいだし……それに貴女とも一戦交えたことがあるんでしょう? トゥルーデ」
バルクホルン「まぁ、な」
エーリカ「トゥルーデったら胸に顔を埋められちゃったよねー」
隣から突き刺さったどこか茶化すようなエーリカの言葉が耳朶を掠めた瞬間、バルクホルンの端正な容貌が緩やかに紅潮していく。
自身の胸に顔を埋められたときの感覚と気恥ずかしさを思い出し、取り乱すバルクホルン。
バルクホルン「なっ!? あのことはもう掘り返さんでいい!!」
ヨハンナ「へぇ。胸に? 顔を? そのことに対して花嫁さんから何か一言どうぞ」
ラル「無いさ。徹底的に絞ってやったからな」
クルピンスキー「あのときの俺はすごかったよぉ」
エーリカ「どんな風に?」
ロスマン「以外にも逃げ出さなかったわね。『お前の全ては俺が受け止めてやる!!』って基地の中で叫んでいたわ」
バルクホルン「あの男らしいな」
クルピンスキー「あれ以来すっかり基地公認の仲になったからね」
ロスマン「そういえばあの子は?」
エーリカ「ハンナなら私は忙しいんだって言って……」
バルクホルン「まったく。世話になった上官が結婚するというにあいつは……!!」
ラル「構わんさ。むしろ逆に……なぁ?」
ヨハンナ「えぇ。あの子らしいわね」
怒気を露にするバルクホルンを静止し、ラルは真横に置かれたテーブルの上に手を伸ばす。
ウェディンググローブに包まれた細い指が摘みあげたのは一通の手紙だった。
なるほど、たしかに彼女らしいとヨハンナは小さな笑みを口元に零す。
その手紙にどんな祝辞が綴られているのか。それは花嫁のみが知ることだ。今ここで詮索するのは野暮というものだろう。
けれどもヨハンナはその一通の手紙から確かに、今この場にはいない問題児の存在を感じ取っていた。
ラル「本当に良い天気だな」
すぐ傍に、欠席した“彼女”の気配を感じながらラルは窓の外の景色に目線を移す。
これから先の未来を祝福するかのように澄み渡った青空からは穏やかな光が降り注いでいた。
祭壇の上に立ち、大勢の友人たちに見守られるなか俺は花嫁の登場を待ちわびる。
戦場に出るときのそれとは桁外れの重圧に臓腑を押し潰されそうになりながらも表情では冷静を装う。
ネクタイは曲がっていないだろうか。
タキシードのボタンを掛け間違えてはいないだろうか。
彼女の細い指に指輪を嵌めるとき誤って落としてしまったりしないだろうか。
一秒毎に次々と圧し掛かってくる不安。このままではいかんと俺は己を叱咤する。
今日は一生に一度の晴れ舞台。自分だけならまだしも彼女に恥をかかせるわけにはいかない。
愛しい花嫁が今日という日を一生の宝物に出来るよう新郎として成すべきことを成さねば。
そう意気込む最中遂に礼拝堂の重い扉が開く音が俺の耳朶を打った。
「…………」
視線逸らさず、無言のまま俺はバージンロードを歩く花嫁が視界に入るのを待ち続ける。
ゆっくりとした歩調が刻む靴音が段々と大きくなっていく様を耳で感じながら。
「……ぁ」
そして俺は息を呑んだ。
視界を独占する最愛の女性の姿に。ステンドグラス越しに差し込む陽光を浴びる花嫁の姿に。
レースによって飾り付けられた純白のドレス。
胸元が開き、豊かなバストが刻む谷間が露になっているにも拘わらず下品さといったものは微塵も感じられない。
曝け出された胸元が醸し出す妖艶さすら美しいと思えるぐらいに、その衣装は見事なまでに彼女の美貌を引き立たせていた。
むしろ花嫁衣装自体が彼女のために、彼女の美しさを際立たせるために作られたと断言しても過言ではなかった。
ベール越しに見える恋人の頬には気恥ずかしさか喜びか。ほんのりと桃色が浮き上がっている。
進行役を務める老人に促されるまま、差しだされたケースに手を伸ばす俺。
摘んだものは誓いの証。
ウェディンググローブを外し、手にしていたブーケを控えていた係員に預けたラルが俺に向かって、そのたおやかな手を伸ばす。
「…………ふぅ」
花嫁の細い指に指輪を通し終えた俺が短く息を吐き出す。
こめかみにはいつの間にか汗が滲み出ていた。
「…………っっ」
同様に指輪を手に取ったラルもまた自身に伸びる新郎の指に誓いの証を嵌め込む。
自分と違って落ち着いた挙措にどこか悔しさを感じながらも、喜びに胸裏を焦がしていると視界の片隅に入る進行役の老人が徐に頷いた。
意を決し俺は花嫁の容貌を覆うその白く透明な薄布に両の手を伸ばし、ゆっくりと捲り上げていく。
露になった最愛の女性の素顔を前に、俺は胸に秘める言葉を紡がんと口を開いた。
真っ先に伝えたい言葉を伝えるために。花嫁のために取っておいたこの言葉を伝えるために。
「…………すごく、綺麗だ。そのドレスも……本当によく似合ってるよ」
「お前こそ。かっこいいぞ? いつもそういう引き締まった格好をすればいいものを」
今朝式場の入り口で分かれてからまた数時間しか経過していないというのに久しぶりに彼女の声音を耳にした気がしてならない。
「っはは、ありがとう。だけど首の辺りが息苦しいから今日だけにしてくれないか?」
「そうだな。私もお前のその姿をこれ以上他の女に見せたくはないな」
笑いあう二人の耳に老人の声が届く。
それは至ってありきたりな言葉だった。婚姻の儀において昔から続く定型句だった。
新郎はグンドュラ・ラルを妻とし、富めるときも貧しきときも。健やかなるときも病めるときも。誠実なる愛を貫き、真心を尽くすことを誓うか。
新婦もまた新郎を夫とし、富めるときも貧しきときも。健やかなるときも病めるときも。誠実なる愛を貫き、真心を尽くすことを誓うか。
死が二人を分かつまで。
そう締め括られた言葉に一度顔を見合わせた二人は声を揃えて言い放った。
――誓います――
静謐な礼拝堂に誓いの言葉を響かせてから数秒足らずのこと。俺へと真っ直ぐに眼差しを注ぐラルが徐に瞼を閉じた。
次いでヒールのつま先を立たせ、捧げるように上げた顔を近づける。
その行動が何を意味しているのか。瞬時に察した俺もまた彼女の唇に自身のそれが届くよう腰を屈める。
ラルの肩に手を乗せ、彼女が姿勢を崩さぬよう支えながら。
徐々に近づく花嫁の美貌。衆人環視のなかでのキスということもあり頬には恥じらいによる薄紅色が浮き上がっていた。
かくいう新郎の心臓もまたいつになく速い脈を打っていた。
ゆっくり、ゆっくりと近づく二人の唇。
多くの眼差しを浴びながらも。
自身の唇が相手の唇に近づくまでの時間がやけに長く感じながらも。
互いの想いを結びつけるように。そして二度と離さぬように。
二人の唇は重なり合った。
それは俺とラルの二人が名実共に夫婦となった瞬間でもあった。
「なんだか……恥ずかしい、な」
「だけど悪くはないだろう?」
「あぁ。そうだな……悪くないっ」
青い瞳を潤ませながら。
静かに涙を零しながら。
差し出された手を握るラルの美貌を柔らかな微笑みが彩っていた。
祝福の言葉と花吹雪を浴びながら礼拝堂から出てくる新郎と新婦。
今日この場に集った誰よりも傍で二人を見守ってきた少女たちは双眸を潤ませる。
まさか自分達が今日という日を迎えるとは。
まさか彼女の花嫁姿を拝むことになろうとは。
新郎である彼がペテルブルグにやって来た頃は想像もつかなかった光景を前に、かつて第502統合戦闘航空団に所属していたウィッチたちは胸中に戸惑いを残しつつも拍手を続ける。
下原「隊長……」
ジョゼ「すごく、きれい……」
ニパ「うわぁ……」
管野「……本当に隊長、なんだよな?」
サーシャ「そうですよ。私たちの隊長、グンドュラ・ラル少佐です」
ロスマン「よく目に焼き付けておきなさい」
クルピンスキー「僕らの隊長の……一生に一度の晴れ姿だよ」
純白のウェディングドレスを身に纏う花嫁の姿に。
そして、それに身を包む彼女の微笑みに見惚れてしまっているブレイブウィッチーズの面々。
頬を赤らめつつも愛しい男と手を取り合って階段を下りていく彼女の笑顔は、とても優しく、それでいて幸せそうで。
同性の自分すら思わず魅入ってしまうほどの柔らかさを帯びていた。
ラル「見られて、いるな……」
招待客全ての視線を独占する花嫁が呟く。
頬に差し込んだ紅を一層濃いものに変えながら。
胸の前で持つブーケで思わず顔を隠したくなるのを堪えながら。
俺「当たり前だろう? みんな綺麗な花嫁に見惚れてるのさ」
ラル「変じゃ……ないか?」
俺「まさか」
おかしなことを言うものだと笑い飛ばす。
瞳に強固な光を宿し、万感の思いを込めて口を開く。
未だ自分の魅力に気づかぬ、隣の花嫁に向けて。
俺「さっきも言っただろう? 世界中の誰よりも綺麗だよ。俺が保証する」
ラル「……っぐ」
俺「グンドュラ?」
ラル「すまない……いかんな。どうにも、涙が……っく!!」
俺「大丈夫か?」
ラル「ぐすっ…………もう、大丈夫だ。すまないな」
俺「それじゃ。最後の一仕事……頼めるか?」
ラル「あぁ。それっ!!」
新郎の言葉に笑みを携えて返した花嫁が手にしていたブーケを青空に向かって放り投げた。
歓声を上げる女性陣が一斉に中空を舞う花束へと手を伸ばす。
風に揺られた花束はしばらくの間、彼女らの頭上を踊り、風に吹かれるまま落ちていった。
エイラ「おっ?」
クルピンスキー「これはこれは……おめでとう、ニパ君」
ニパ「えっ? え、え、えぇぇぇぇぇぇっ!?」
自らの不幸を嘆く少女の手元に。
ラル「それで。これからどうする?」
俺「そうだな……」
予約したホテルの一室――その寝室に設置されたキングサイズのベッドに腰を降ろすウェディングドレスを纏ったままのラルの言葉に手を顎下に宛がう。
俺「まずはハネムーンに行こうか。ルートは追々考えるとして」
以前からラルが新婚旅行の目的地の一つとして強く希望する極東の島国、扶桑。
故郷を去る際はこのような形で再び足を踏み入れることを決めるとは夢にも思わなかった。
けれども最愛の花嫁が隣にいるのなら、帰郷というのも悪くは無い。故郷を捨ててから、かれこれ五年以上の歳月が流れている。
見慣れた街並みがどのような変化を遂げたのか。興味もあるし、隣にラルがいるならばなおさら楽しめよう。
それに、せめて世話になった“彼女”くらいには自分の妻を紹介してもいいだろう。
死んだ筈の人間が生きて、結婚して嫁を連れて目の前に現れたとき。彼女はどんな表情を浮かべるだろうか。
俺「そのあとはどこかに根を降ろして」
ラル「子供を授かって」
俺「孫に囲まれて。んー……とりあえず、第一目標は一緒に二十一世紀を迎えようか」
ラル「そうだな。だが、肝心なことを忘れてないか?」
その言葉に首を傾げる俺。
蜜月以外で肝心なことというと、これから暮らす家のことだろうか。
たしかに住まいは大切なことだ。忘れてはならない。まだ貯蓄は腐るほどあるし、庭付きの一軒家を買うのも良いかもしれない。
しかしそんな俺の手を握るラルはこほんと一度咳払いをし、頬を紅く染め上げながらか細くなった声音を搾り出した。
ラル「その……言わなきゃ分からないか? 今日の、夜のことだ……」
俺「あ…………ッ!?」
そう。今宵は新婚初夜。
そして既に今はネウロイとの戦いも終結し、ラルもまたウィッチとしての寿命を終え“上がり”を迎えている。
つまり何ら気兼ねすることなく、愛しい彼女を抱くことが出来るということ。
ラル「ネウロイもいなくなったんだ……その、ようやく……お前に……わ、わたしの」
後に続く言葉は窓の外を走る風の音によって掻き消されたが、それが何なのか知らぬほど俺も幼稚ではない。
夢にまで見た瞬間が今現実のものになろうとしているのだ。
ラル「受け取って……くれないか?」
俺「本当に、良いんだな?」
ラル「当たり前だ。ここらで男の甲斐性を見せてくれ」
小さく頷き、はにかみながら返された言葉に俺は自分の理性が切れた 音を耳にした。
俺「グンドュラァ!!」
間髪入れずラルのなだらかな肩に手を乗せる俺。
そして、そのままベッドの上に押し倒す寸前、胸元に手を添えられ静止された。
ラル「ひゃっ!? ま、まて!!」
俺「……?」
ラル「お、お前のモノは……その、凶悪だろう? あんなもので貫かれたら……多分、泣く」
俺「え、あ……」
以前、右腕を失い劣情に苛まれていたとき。何度か彼女に鎮めてもらった記憶を思い出す。
その際に愚息の大きさに圧倒されていたラルの表情が脳裏に蘇り、俺は彼女の肩に乗せた手の力を弱めた。
ラル「だから……な? 優しく、してくれ?」
形のよい桜色の唇から零れ落ちた切なげな声音。
今この場で、そんな声でそんな言葉を吐くのは反則ではないか。
脳髄を揺さぶられる衝撃に苛まれながら、生唾を飲み込む。
俺「……」
ラル「おれ?」
俺「わかった。出来る限り……優しくする」
ラル「ありがとう」
笑み零す花嫁を前に俺は胸裏にため息を零す。
先ほどまで自身の全身を駆け巡っていた劣情は跡形も無く消え、代わりに彼女を愛したいという想いが胸の裡を支配していた。
強烈な獣欲を上回るほどに自分は彼女に惹かれているのだと実感する。
俺「抱くぞ。グンドュラ」
ラル「きて……」
誘われるまま。
導かれるまま。
俺は静かに、そして慈しむ挙措で世界中の誰よりも愛おしい花嫁を再びベッドの上に押し倒し、身を重ねた。
Happy&Bed End
Rall route…………fin
ラル√おしまい
ギュンター・ラル氏は四人の子どもに恵まれたそうな
つまり……
最終更新:2013年11月13日 15:58