属性(真・女神転生シリーズ)

登録日:2014/02/12 (水) 03:51:14
更新日:2022/04/15 Fri 15:49:37
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※女神転生シリーズにおける「魔法の属性」については属性相性を参照。

『真・女神転生』シリーズにおけるシナリオ分岐に関わる要素。

【概要】

  • 秩序を重視する「Law
  • 自由を重視する「Chaos
  • どちらにも属さない中庸の「Neutral
以上の3種類に分かれ、プレイヤーがプレイ中に選んだ選択肢に応じて、それぞれのルートのシナリオに分岐する、というシステムとなっている。

恐らくではあるが、元ネタはRPGの始祖である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』における属性区分であろう。

元々、初代『女神転生』の属性は「Good」「Neutral」「Evil」の3種類であり、
ただ単に仲魔にできる敵(Neutral)、仲魔専用悪魔(Good)、仲魔にできない敵(Evil) を区別するだけのものだった。
『真』系列に入り、初代である『真・女神転生』から「Law」「Chaos」「Neutral」が登場し、上記のシステムが導入された。以降、『真』系列では恒例の要素となっている。
また、思想を表すL/N/Cの他に性格・手段の方向性を示す「Light」「Dark」「Neutral」の軸が登場し属性が計9種類となった。
『真・女神転生NINE』のみタイトル通り、主人公もこの両軸で属性が変化する。
L/N/Cは主に悪魔会話の可否に影響しており、Lightはそもそも通常エンカウントせず*1、Darkは話しかけることはできても会話が成立しない*2

明確に属性に応じたシナリオ分岐が用意されているのはナンバリングタイトルと『魔神転生Ⅱ』、『NINE』、『IMAGINE』、『ストレンジジャーニー』くらいであり、『真』と付くタイトルでも必ずしもこの分岐があるとは限らない。
(ルート分岐自体は用意されていたりもするし、Lawっぽい奴がいたりChaosっぽい奴がいたりする作品もある。なお魔神転生ⅡではLightとDarkでも分岐する)

また、時に属性の違いがゲームシステムに密接に関わってくることもある。
代表的なのが、「属性がどちらかに傾いている場合、反する属性の悪魔は会話で仲魔にしたり、COMPで召喚することができない」という要素だろう。*3
必然的にPT編成もLawなら天使系、Chaosなら破壊神や魔王を軸とする傾向となり、見方によっては「どの勢力に肩入れしたか」を表す演出の一環と捉えることもできる。
他にも装備品に属性による制限があったり、属性に応じて効果が変わるスキルやアイテムが存在したりする。
これらの属性に関係するシステムは特に『真Ⅰ』『真Ⅱ』あたりで顕著で、両作品では回復施設も各属性に対応したものが存在し、利用するとわずかに属性も変動する。
メシア教会Chaosだと問答無用で追い出されるが、ガイア神殿Lawでも追加料金(お布施)を払えば利用可能、回復道場(Ⅰ)/リペアガレージ(Ⅱ)はどの属性でも利用できるが割高…とスタンスも三者三様。
分岐のない『if…』『デビルサマナー』『ソウルハッカーズ』などでは、「属性が極端に片寄った悪魔がPT内にいる場合、反する属性の悪魔を勧誘ないし召喚できない」という形で制限が存在している。

『ストレンジジャーニー』の「スタンス」のように同じ仕組みでも名前が違うこともあり、純和風の『アバドン王』では「日和見者(≒Law)」「切れ者(≒Neutral)」「正直者(≒Chaos)」となっている。(後述)

どの作品でも、遅かれ早かれエンディングまでにはどれかの属性を選ぶ必要があるのだが……


ぶっちゃけ、どれを選んでも一筋縄では行かないのがメガテンシリーズの恒例と化している。


■Lawルート

Law勢力に属するのは主に天使や女神、そして一神教の神々に属する悪魔とそれに同調する人間。

このルートで重視されるのは「秩序」
人間界を侵攻する悪魔との戦いの中、人間に助力する天使に理解を示したり、礼儀や法を重んじる選択を多く取るとこのルートに移行する。

彼らの多くは人間に友好的であり、悪魔の攻撃に苦しむ人間たちに救いの手を差し伸べる。
彼らの目指すのは「秩序の行き届いた平和な世界」であり、「共に争いのない世界を築こうではありませんか!」と、共闘関係を積極的に申し出てくる場合も多い。

しかし同時に、彼らは低俗な諍いを繰り返す人間の愚行を嘆いてもおり「神の定めた秩序による統治が必要である」と力説する。
Law勢力に与する者たちによれば、そこは神に従いさえすれば全ての存在に庇護が与えられ、悪魔ですら慈悲を受ける事ができる、素晴らしい世界であるという。


果たして彼らの目指す世界の実態は「唯一神による絶対支配」
「神とその秩序に従いさえすれば全ての存在を赦す」という事は、裏を返せば「従わない者は全て粛清する」という話でもあり、ぶっちゃけた話が「秩序こそが全て」を地で行くディストピア

そこではあらゆる感情が抑圧され、どんな欲望を持つ事も許されず、心も体も全てを神のために捧げ、大した自由もなく、精神は画一化され、ただただ神の教えを有難がり、平穏に沈みながら生きる事を強要される。

ひとかけらの争いもなく、誰もが死人のように存在し続けるだけの世界。
ある種「天国」のような世界が、Law勢力の目指す世界である。

そして彼らの目指す「天国」を築く為には手段を選ばない。
核攻撃から立ち直り始めた人の営みを神の洪水で壊すことも、仲間のために殉死した青年の魂を囚える事も、
その魂を空っぽの器に入れて脳を改造し文字通り洗脳する事も、子供に親殺しをさせることも、
人や地球そのものを悪魔ごと浄化の炎で焼きつくす事も、処女懐胎を模して人造メシアを作る事も、
彼らにとって文字通り「瑣末」なのである。

また、Law勢力は秩序を重んじる性質上「上下関係」を乱される事を極端に嫌う。
当然それは上層部の腐敗を招き、結果「末端の者ほどLawの理想像に近く、上位の者ほど独善的で権威を振りかざす」という皮肉な形になっている。
肝心の神が何も言ってこないことが多いのも理由の一つ。
おかげさまで、IVではマンセマットが一見ロウらしからぬ主張をしている。

そもそも最上位の唯一神そのものが「嫉む者」の異名を持つ、ある意味邪悪の権化だから仕方ないとも言えるが……*4

一応、神に従ってさえいればどんなか弱い生き物でも生きる事を許される安全な世界とは言えるが、神の教えを完璧に遵守するのは大変にシビア。
少しでも「秩序」を乱した者に対しては、洗脳による精神の抹殺が。
そして真っ向から反抗する者に対しては、「浄化」という名の処刑が待っている。

それが彼らの考える「絶対的な平和」であり、「平等な幸福」であり、「善」なのである。
もっとも、元々そう存在している者たちなのでそれらは苦ではなく、彼らにしてみれば「ノーコストで絶対的な安全を得られる」と認識していると考えられる。

種族がマシンの敵がLaw属性に分類される他、メタトロンを始め高位の大天使は機械をモチーフにしたデザインのものが多い。
これは創造主によって創られ、与えられた機能を使って、下された命令をただ実行するという機械の性質がそのままLaw属性に合致しているためであり、言い換えれば人間性の否定、自我と個性の否定に他ならない。

簡潔に言うと、人間から見てアリの区別がつかないように、天使から見た人間は須らく有象無象以外何者でもないのだと思っておけばいい。

LawルートのEDは旧来までの世界観やこれまで進んできた道のりを(Chaosと比べて)容赦なくアレしてしまうこともあってか、全体的に後味が悪いものが多い。
またメタなゲーム視点では初期作品に於いてゲーム内のクエストの大半は達成すると属性はLawに傾くため、クエスト達成好きのユーザーからは批判されていた。
ただ、頼まれればその内容問わず達成を目指すという姿勢はまぎれもなくLawであるので、間違ってはいない。


■Chaosルート

Chaos勢力に属するのは主に堕天使や魔王、そして多神教の神々に属する悪魔とそれに同調する人間。

このルートで重視されるのは「自由」
プレイヤーが人間である以上、人間界を侵攻する悪魔との関係は敵対で始まるものだが、物語が進む中で悪魔に理解を示したり、悪ぶったり、アウトローっぽい選択を多く取るとこのルートに移行する。

そもそも悪魔が人間界を侵攻しているのは、凝り固まった人間社会の枠組みを一旦壊すため。
彼らの目指すのは「全てのものに自由があり、全ての存在が何者にも縛られない世界」であり、皆が皆「人間が嫌いだから皆殺しにしよう」などと考えているわけではないのだ。

Law勢力のように「主に従え、従わないなら死ね」といった支配を押し付けるつもりもなく、むしろ好き勝手に生きる主人公に好意的に接してくる悪魔なんかも割と多い。


……と、これだけ言うとなかなか素晴らしい世界のようにも思えるが、全くそんな事はない。こっちはこっちで問題がある。
「全てのものに自由があり、全ての存在が何者にも縛られない」……つまるところ、秩序も法もないのである。

どんな蹂躙を行おうが、それを咎める倫理は存在しない。
どこで誰を殺そうが、それを鎮圧する組織もない。
いつ何を略奪しようが、介入してくる法もない。
...「完全な自由」とは、そういう事である。

そして「一切の差別も区別もない」という事は、つまり「他人の事情の一切を考慮しない」という事でもある。
どんな境遇でも社会がその者を蹴落としたりはしないが、手を差し伸べてもくれない。

誰にも心を許せず、頼れるのは己のみ。
そんな「弱肉強食」の縮図が、Chaos勢力の目指す世界である。

ただし、よく勘違いされがちだが「善行を行ってはいけない」「弱い者を救ってはいけない」というわけでもない。
善行も悪行も略奪も救済もそれ自体はオールオッケーだが、そのどれもが当事者の気紛れ、かつ強者にしか行えないという事なのだ。
そして、その結果として後ろから刺されたとしても、自己責任で終わるのである。

そこは全ての命が自身の欲望を満たすため、己の知恵と力を研ぎ澄まし、全力で輝こうとする、美しい血と魂の満ちる大地。
老若男女、生物としての種、健やかなる者病める者、強き者弱き者、一切の隔たりなく、ただ勝者が全てを手に入れ、敗者が平等に奪われるのみ。
弱き者は淘汰され、強き者でさえ一度の敗北であっさりと消えていく。
穏やかな世界を望もうと、弱い体に生まれようと、全てが平等に、自由のための争いに巻き込まれる。
「自由」を謳ってはいるが、結局は誰しも自分の命さえ自由にできない。
「支配からの解放」を謳ってはいるが「支配者を倒した者は救世主として崇められる」「支配者を倒した者が新たな支配者に成るだけではないか」という指摘もLAW陣営からされている。
結局、自由であるためには強くあり続けることを強いられ、それ以外の自由が奪われてしまうという意味ではLawのそれと実は大差がない。

真Ⅱ「平和は失われたが、平和を求める自由はある」という言葉がchaosルートをシンプルに表した言葉かもしれない。

ただし、前述の通り強い者でも気を抜けばすぐその権勢を失う「下克上」が肯定されているので、完全に上下の秩序が決まっているLawの世界観よりは幾分マトモと見る事もできなくはない……?

悪魔よりもよほどか弱く、戦い慣れもしていない地球上の大半の人間にとっては文字通り「地獄」と言い換えてもよいだろう。
人間でも強ければシリーズ主人公のように悪魔から一目置かれるようにもなるだろうが、そんな人間は恐らくごく少数と思われる。

作中においては「弱者は救済されない」*5という点からLaw陣営と比較して信者及び賛同する者は少ないとされている。

人間で例えるなら、家畜やペット、美術品といったものはその価値を理解するものから見れば区別がつき存在意義もあるが、価値がなければだれも見向きもしないのに近い。

力の果てにある可能性と破滅性、それぞれの予感…それを感じさせるのがChaosルートのEDといえる。

■Neutralルート

極端な秩序を強要する天使、自由ばかり追い求める悪魔……そのどちらにも属せず、中庸の柔軟な道を行くルート。

よく言えば人間自身が未来を決める本当の自由を手にする、悪く言えばどっちつかずで問題の先送りをするルート。
形はどうあれ、人間にとっては一番希望の残る分岐と言える。
やっぱ極端は良くないよね!仲魔はLawChaos関係なく呼べるし!
ちなみにNeutral属性の悪魔は妖精等で、強力な悪魔は居ないかシナリオに絡まない隠しキャラ、オマケキャラが多い。

……ただこのルート、問題は「ただどちらの味方もしない」のではなく、「どちらとも敵対する」ルートである事。

「どっちも嫌だから帰ってよ」もしくは「双方と話し合いで解決する」で事が片付けばそれが一番平和なのだが、Law勢力もChaos勢力も自分たちの理想の世界を作る気マンマンであり、人間の卑小な要望など聞く耳持たない。

結局このルートでも止むを得ず戦う事になる。
しかも、上記2ルートではどちらか一方と戦うだけで済んだのが、今度は両方敵に回すことになる。

やむにやまれぬ事情によりChaos勢力に身を寄せたかつての友や、一世一代の決意を胸に秘めLaw勢力に忠誠を誓ったかつての同僚……そんな間柄であっても容赦はできない。
人間が人間らしい未来を歩むために、人間と相容れぬ勢力に与する者は、たとえ親兄弟であろうと皆殺しにするのみである。

中庸や中立、調和という言葉を使えば聞こえはいいが、傍から見れば「自身では明確な主義主張をしないくせに、事が起こってから動き出して他の思想を排除しにかかる自分勝手で中途半端な日和見主義者」と指摘されても言い返せないというのもシリーズに共通する点。

作中のボスからも「迷ったあげくに日和見決めこむ本性をあらわしたか人の子よ?」とchaosルートを選択した場合よりも強く非難されている。
まあ、法の守護者たる上位天使や唯一神がぶっ潰される秩序や望み通り弱肉強食を達成して見せた混沌に文句を言われる筋合いは皆無だが。
どちらにせよ、要は弱い奴が悪い

希望はあるっちゃあるのだが、やってる事自体は一番凄惨と言うか、冷徹と言うか……。
ファンからは身も蓋もなく「皆殺しルート」などとも呼ばれたりする。
作品によって割と内容の違うLawChaosルートと違い、Neutralは毎回逃げずに立ち向かう安定の皆殺しルートなのもそう呼ばれる原因だろう。
まあ間違ってないからしょうがないね。

そして、『IV FINAL』ではまさに文字通りの「皆殺し」なNeutralルート実装されてしまった。
多くを殺して新たな神にまで至るか、それとも人間のひとりとして望み大なるも道険しな道を歩むか…そんな選択である。

敵対勢力を全て倒すことで一時的な平和を作ることには成功しても、結果的にはただ動乱を鎮めただけで場当たり的な対処療法にしかなってないという作品もある。
真2は「結局は問題を先送りにしただけで時間稼ぎにしかならなかった」という展開となっている。
また『SJ』もNエンドは元通りの世界を取り戻した形ではあるが、リメイク版の『DSJ』において旧Nエンドの未来では同じ問題が再発した事が判明している。
そしてそれを受けて『DSJ』の新Nエンドでは、どうやっても人類は変わらず同じ問題が起き続けるので超人となった主人公が問題が起きる度にそれを潰す人柱となればいいという方法で解決した。解決した…?

▼その他の作品での属性

真・女神転生Ⅲ-NOCTURNE-

LawChaosNeutralという従来の3属性に代わって、「コトワリ」という「世界をどのように創造するかの理念」が3つ+α登場している。
ちなみに、どれも最終的には複数の「国」などの群れに分割・集結する可能性が高い。

■静(シジマ)のコトワリ

全ての人間が社会というシステムのために殉じる「ただの歯車」と化し、欲動や感情の何もかもを廃し、静寂の中ただ淡々と生きていく。
Lawの「秩序の完全遵守」を更に酷くしたようにも見えるが、このコトワリによる世界では別に自由が認められていない訳ではない。
「他人を押し退けてでも自分が良い目を見たい、我を通したい」という発想が出て来ないだけである。
歓喜や充実感を不要として廃棄される代わりに、絶望や不平不満からも解放された植物の心のような人生、もしくは愛別離苦から解脱した仏の境地と言えない事もない。
もっとも、逆に言えば弱者への救済もまた有り得ない。それは「適者生存」という自然の理に反しても目の前の人を救いたいという「欲望」に他ならないからである。
そのような欲望が去勢された世界では、システムの運行を妨げる弱者、傷病者はシステムにとっての採算が見合わない限り、淡々と弾かれ捨て置かれるのみとなる。
昆虫のコロニーのようにただ生きるためだけに生きるという観点では、生物としてのある種の始原回帰とも言える。
しかし、よく思い出してほしい。あらゆる生物が共通して持つ衝動を。それは、例え環境が崩壊しようとも可能な限り繁殖するということ。
これを人間が文明を維持したまま行ったら、瞬く間に地球は食いつくされるだろう。
そして、これを抑制することなどできない。生物としての本能すら否定しては、生物として存在させる意味がないのだから。
これを抑止する方法はただ一つ、人類の群れを分割し、お互いに殺し合わせること。かつての世界がそうであったように。
自然の一部に回帰するという点で賛同を得たものか、前述のようにLawの極みにも見えるこのコトワリに賛同しているのは、主に自然崇拝と縁が深い多神教系の悪魔たちである。
カグツチからは「乱れなく息づくコトワリ」と評されている。

■縁(ヨスガ)のコトワリ

「力こそが正義」ではなく「力が全て」
優れた者は無上の地位を得るが、劣る者は存在さえ許されない
Chaosの「弱肉強食」を更に極端にしたようなコトワリに見えるが、実態としてはむしろLawのように整然と整備された階級社会である。
このコトワリに賛同しているのが、大天使や天使など一神教系の悪魔たちなのもそれを裏付ける。
それと言うのも、このコトワリが求める「優秀さ」「力」とは、社会がより洗練された高みに上るために有意義な能力や技術による全体への貢献である。
つまり、例え暴力や戦闘力に乏しい存在であっても文化や芸術、施政、経済その他何らかの分野において有意義な「優秀さ」「力」を示せれば、社会がその者の地位を保障する。
同時に、優れた者だからと言って決して好き勝手に振舞うことが許されていないのが、このコトワリがChaosと決定的に異なる部分でもある。
確かに優れたる者は無上の自由を得るが、それはあくまでも自らが成した業績に対する対価、更なる上を目指すためのリソースとしての自由であり、その分を超えたワガママや主張で世界に貢献度以上の害をもたらす存在と判断されれば、例えどれだけ優れていようが容赦のない断罪が待っている。
シジマとは逆に、苛烈極まりない切磋琢磨を強いられ続ける超・超・競争社会。
それがヨスガのコトワリであり、ゆえにこそ、この体制を滞りなく管理し執行する守護には絶対の「最優」「最強」であることが求められる。
ただ、この強さというものは「徒党を組むこと」も含まれる。千晶も人修羅も、複数人で戦うことを許容している。それが己を高め合い、強者に至るのであれば、だが。
かつて人類がそうしたように、圧倒的強者も集団で引きずりおろせば脆弱でも勝利できてしまう可能性が残されてしまっている。
Chaosの権化のごときコトワリを支持するのは天使系。彼らにしてみれば、絶対的トップたる唯一神にかしずく自分らと同等ということだろう。
カグツチからは「炎の如きコトワリ」と評されている。


■結(ムスビ)のコトワリ

全ての存在が何にも属さず、他者との関わりの一切を断ち、文明や社会といった概念さえ捨て去り、やがて全てが自己完結へ向かう。
Neutralの「中庸」を極めて内向的にして、極端な事なかれ主義になったようなコトワリ。
あるいは、無数のLawまたはChaosが個人単位で乱立し、その完全なる棲み分けを実現した世界。
あらゆる主義主張が「私こそが正しい」「いや俺こそが正しくてお前は間違っている」と果てなきエゴの正当化と押し付け合いを続ける現在の「人が人の意志で動かす自由な世界」への回答の一つとは言える。
シジマヨスガがその原因となる人の欲望や感情を去勢したり統制しようとしたのに対して、「一人一人が隔絶した自分の世界を持てば、みんなが自分の主義主張こそ絶対な世界の王様でいられるじゃん?」とエゴの肯定に舵を切ったのが、ムスビの主張である。
とは言ったところで、そこはあくまでも理想論であり、現実的に生じる主張は「自分は悪くない」。好きに生きながら都合が悪くなければ逃げるのである。
如何せん自ら強くなろうともせず秩序も放棄するという非常にネガティブな特性からか、いかなる悪魔も協力してくれない。
人間の思念体が賛同しているようだが、彼らの助力はあてにならず、コトワリを司る神が失われても自己完結を続けるだけであった。
「誰にも頼らない」という主張をかざしながら、その世界の到来のために自分では何もせずに主人公や勇に丸投げをしている様は矛盾の塊であり、ある意味一番人間臭い。
一方で、自分が無価値と判断したものには一切執着しない。他人が自分のおこぼれを無償で授かろうとも気に留めない。
自分が苦痛とすることを苦もなく、あるいは喜んで実行してくれるものに出会う、それが延々と拡大していけばあるいは世界として機能しうるかもしれない。
恐ろしく低確率な話であるが、仮に文明として軌道に乗った場合、全ての人間が幸福に生きることが可能な数少ない可能性である。
カグツチからは「珠の堅さのコトワリ」と評されている。

■その他

マネカタのリーダーであるフトミミは「マネカタだけの世界」を作ろうとしている。
フトミミ自身は「マネカタだけの世界」と発言しているのみでそれ以外に明確な主義主張をしていないが、ヨスガ陣営からは「優秀なものを引き降ろして横並びの小さな幸福を分け合う世界など到底許せるものではない」「悪しき平等主義」と評されている。
ヨスガ陣営がミフナシロを襲撃したのは大量のマガツヒを奪う為だが、思想が真っ向から対立しているという理由も含まれていた。
サカハギを除いたほぼ全てのマネカタが賛同しているが、実際にはマネカタ達に信仰や理念は無く「まとめ役についていこう」という付和雷同の考えに基づいたものである。
マニアクスで明かされたフトミミの正体は周りから期待されないが故に心身共に荒れ、殺人者となった少年が死んだ際に「やり直せるのなら人から好かれる人間として生きたい」という願いだった。フトミミも一緒に行動するマネカタ達も個人的な願望を持つだけで世界がどうあるべきかという明確な思想などなかったという解釈も出来る。

これらのコトワリに従わぬ先の道も二つ(マニアクス以降で三つ)に分岐する。強いて言えば確固たる意志を持たぬものに、道は現れないのだ。

デビルサマナー 葛葉ライドウ対アバドン王



「…この世のすべてが、君の生き様を左右する『きっかけ』になる」                              
「君が日常で何気なく交わす言葉のひとつひとつも……多様な『将来』の扉のうち、いずれかを開く鍵となるんだ」

前述の通り、デビルサマナーシリーズでは今までは一本道だったのだが、この作品のみ属性が導入されている。
  • ■日和見:誰にでも合わせられるが、信頼感を築きにくい / 今までのLawに近い
  • ■切れ者:時々に合わせた要領の良さがあるが、維持が難しい / 今までのNeutralに近い
  • ■正直者:自分の気持ちに正直でいられるが、敵を作りやすい / 今までのChaosに近い

属性が変動する選択肢イベントではコントローラーが振動するため、左右する機会がわかりやすくなっている。シナリオ中の選択肢の他に別件依頼でも変動イベントが発生するので、属性を左右させる回数は多い。
ラストダンジョンにて属性が確定するイベントが発生するが、今作のルートは2種類。ロウENDの他には、カオスとニュートラルが同一のEDとなっている。
ライドウ以上に槻賀多の兄妹…正直者の弾と日和見者の茜の運命を左右するものになっている。
正直無くても良かった要素ではという感想も多い。悪魔召喚皇や永世無極召喚士という仰々しい称号を名乗れるのに日和見とか正直者とか言われるのは不自然だし。
悪魔の力で女性に変装して女湯に入ろうとすることで「正直者」に傾くなどネタ性が高いイベントも結構ある。


DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー

『1』ではほとんど扱われないが、『2』中盤のイベントで登場人物の思惑と勢力図が明確となる。

+ かなり重大なネタバレなので隠します。
5年前に行われた太陽との交信実験において発生した事故によって太陽が黒化し、陽光に当たると石化するという病が蔓延した世界。
その中でまともに機能している社会集団は、「カルマ協会」によって運営されるカルマシティのみであった。
カルマ協会によって選別された一部の人間が有害な陽光を防ぐドームの中で豪奢な暮らしをする一方、選ばれなかった人間は昼間は地下に潜むことを強いられ、貧しい暮らしを送っている。
協会は人間を悪魔化させるウィルスを手に入れており、悪魔化ウイルスによって発現するアートマを持つ人間は悪魔化することで圧倒的な戦闘能力と陽光を浴びても石化することがない耐性を得るが、その副作用として精神が悪魔化して理性を失うリスクと生体マグネタイトの補給、すなわち人肉の摂取というコストを抱えるようになった。

そして、運用するために必要な人肉はカルマシティに選ばれなかった人間を狩って缶詰肉に加工することによって確保していた。

主人公サーフとその仲間は協会に囚われている仲間のセラを助け出すため、地下街で結成された反協会ゲリラ「ローカパーラ」と手を組み、協会本部ビルへの潜入を試みる。
そこで協会の指導者であるマルゴ・キュビエ(マダム)と、組織のナンバー2であり、かつてジャンクヤードで交戦したジェナエンジェルと接触することになり、カルマ協会内で二つの派閥に分かれ対立していることを知る。


■ロウ陣営=マダム派


「生物には、生きる価値あるものとそうでないものが存在するの」
「それをお前が決める訳か…」
「秩序が決めるのです」

ドームにも限界があり、外で活動するためにはアートマの力が必要不可欠だった。
セラの力によって精神の悪魔化は防ぐことができる。後は安定した食糧供給を維持さえすればいい。
生きる価値のない人間が餌となることによって成り立つ管理された世界こそがニルヴァーナであり、人類存続の道として唱えていた。

ちなみに選民として選ばれる条件は支配者への信仰や崇拝ではなく、容姿や頭脳といった「優れた人間であること」であり、より優れた遺伝子を未来に残すというマダムの考えによるもの。

カルマシティの住人の台詞に「子供のころから必死に勉強していたおかげでカルマシティに選ばれた」というものがあるため、ロウと言っても一応個人の努力が認められる面もある。
だが、多くの市民は目の前の享楽に耽っており、
  • 「外にいる人間はとっとと死に絶えるべき」
  • 「地球上の資源は少ない。価値のない人間のために消費されることは無駄である」
と自分たちのことにしか頭になく、ローカパーラがカルマシティを襲撃した際にもカルマ協会への不満を漏らすばかりで、協会が内乱によって活動停止した際にはパニックになるなど、「本当に優れた人間なのか」という疑問も浮かぶ。

選民思想と犠牲を前提に成り立つ社会であるが、少なくとも地獄と化した世界で曲がりなりにも「人がまともに生きられる世界」を維持しているマダム派は、ロウ系の組織にしては少しは良い面が目立っているといえるかもしれない。
彼女自身も5年前の事故が発生する以前は環境破壊に警鐘を鳴らす優れた科学者兼指導者であり、あくまでも人類の存続こそが彼女の目的だった。カルマ協会による管理は、そのための手段でしかない。
原案小説「クォンタム・デビル・サーガ」で明かされる彼女の真の目的はゲーム版とは少し異なり、ある意味本家メガテンのルシファーの思想やヨスガのコトワリをも超える究極のカオス思想とも言えるものである。


■カオス陣営=ジェナ・エンジェル派

「人は業(カルマ)を抑圧し道を誤った奇形だ」                              
「進化は自然淘汰の中でしかなしえない 強い者は生き弱い者は死に絶える」
「必要なのは仮初の秩序ではなくカオスだよ」

彼女の目的は、セラを利用して生き残った人間すべてを悪魔化させて喰らい合わせ、その中で解脱を得ることであった。
マダム派によるロウ思想による支配では同じ過ちを繰り返すとも語っており、上述の発言の意図は「他者を屠り喰らわなければ生きられないのは全ての生物が背負うカルマ。それを抑圧したがために人類は増えすぎ、停滞し、現状がこうなった。再び管理を始めたところで救済は出来ない」というエンジェルの判断ともとれる。

「皆に等しくチャンスを与えたい」とも語っており、部下を使ってローカパーラに悪魔化ウィルスをはじめとした様々な情報を流出させていた。
彼女自身がカリスマとして人を部下を引き付ける魅力があるのは事実であり、ハリ・ハラという極めて強力なアートマを持っていることもあってか彼女の造反に多くのカルマ協会構成員が賛同している。
直属の部下にはカーリーやチェルノボグ、カルティケーヤなど強力なアートマを持つ者も多いが、結局強者しか彼女の思想にはついていけないという見方もできる。
作中内では「彼女の思想の果てにあるのは滅びでしかない」と指摘されており、ルシファーによる「古き神々の生命力による再生」「自由と自立による未知の未来の開拓」といったカオス思想と彼女の考えは別物のようだ。
今までの作品ではロウに比べればマシという印象が強いカオスだったが、自由や再生といった言葉の持つネガティブな面が強調されている。

今作では「人が悪魔に変身する」設定なので、勢力ごとに悪魔の属性はキッチリ分かれていない。
区別するのであれば、上述のカルティケーヤをはじめとした強力なアートマを持つ人間がエンジェル派についている。
原案小説「クォンタム・デビル・サーガ」では、彼女は明確な思想を持っておらず、マダムの思想に従っているが、その影で彼女も独自の願いを持っていた。作品終盤にてその願いを実現させるべく「ハリ・ハラ」とは異なるアートマを覚醒させるのだが……その悪魔はカオス属性の堕天使である。

この作品は選択肢はあるもののシナリオは完全に一本道なので、属性に依るシナリオへの影響度が皆無といっていい。
仲間の一人の「度が過ぎた秩序も混沌も御免被る、道は真ん中を歩くことだってできるんだ」という台詞の通り、どちらにも与せずに自身で決めた道を歩むことになる。
ロウ、カオスに関連するプレイヤーが操作できる選択肢は一つだけで、ロウ陣営を否定するか肯定するかというもの。
否定する選択肢を選ぶと後にあるスキルを習得することができる。
肯定する選択肢を選ぶと特にメリットはない。だがスキル習得の代わりに特別なセリフを受けるイベントが発生するため、見てみるのも一興かもしれない。


真・女神転生Ⅳ FINAL

多神連合

インド神話の魔神クリシュナを首領とした、「Law」とも「Chaos」とも異なる完全なる第三勢力
オーディン、ミロク菩薩らが、唯一神に虐げられ、その神格を貶められた古今東西の悪魔たちを率いてメルカバーとルシファーの戦争に介入した。
ちなみに、あまり唯一神が関与していないと思われる国津神も降っているらしい。

目的は「唯一神に虐げられた神々の復興と人々の救済」
やっと人類に優しい悪魔勢力が誕生したかと思いきや、「救済」の前提として唯一神が与えた肉の器を否定するため、人間を殺害して「救済」とする
やっていることは傍から見れば東京住民の大量虐殺であり、結局人間には非常に厳しい

地味にメガテンシリーズでは初のロウ✕カオス✕ニュートラルの対立に風穴を開けた存在
その立ち位置は非常に珍しく、ロウとカオスの対立を「唯一神の掌で踊る喜劇」と断じる異端な集団である。
ただし唯一神への復讐や魂をもらうだけなどその目的は個々により様々であり、「唯一神への復讐と報復」という目的の下に集まった烏合の衆という感じが強い。






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最終更新:2022年04月15日 15:49

*1 するとしても隠しダンジョンクラスでのみ。ただし真IVFINALに関しては例外。

*2 話しかけても聞こうとしない、最初からこちらを騙す気満々、そもそも会話できる程の知能がないなど。専用アプリなど、特定の手段を用いれば会話が可能になることもある。

*3 悪魔合体によって作り出すことは可能だが、「呼び出せないがそれでも良いか」と確認が入る。なお、魔法「サバトマ」やアイテム「リアクトシート」による召喚は可能。

*4 グノーシス主義的にはメガテン唯一神はヤルダバオトで確定なのかもしれない

*5 厳密にはトップに立った奴が軒並み「弱者救済はしない」と宣言する奴ばかりの為、逆を言えば「弱者救済をする」と公言してるChaos悪魔はトップに成れたためしがないという事