登録日:2021/08/25 Wed 18:46:23
更新日:2025/03/27 Thu 08:04:08
所要時間:約 9 分で読めます
【概要】
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』とは、
ゲーム『
ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を原作とした3DCGアニメ映画である。
2019年8月2日に国内各地の映画館で公開された。
総監督・脚本は
山崎貴。監督は八木竜一、花房真、配給は東宝。
原作の「親子三代の物語」「結婚相手の選択」という基本部分は継承しているが、ストーリーは大幅に簡略化+アレンジが施されたものとなっている。
BGMはほぼ全て原作である11までのDQシリーズのものの
オーケストラ版が使用されている。
2020年3月4日にはブルーレイ・DVDが発売された。
2020年2月13日よりNetflixで海外版が配信され、日本国内版は2021年2月2日より配信されている。
【ストーリー】
少年リュカは父
パパスと旅を続けていた。その目的は、ゲマ率いる魔物たちに連れ去られた母を取り戻すこと。旅の途中、遂にゲマと遭遇し、魔物たちと激しい戦いを繰り広げるパパス。しかし一瞬のスキを突かれ、リュカが人質にとられてしまい、手出しができなくなったパパスはリュカの目の前で無念の死を遂げる━━━━
それから10年。故郷に戻ったリュカは「天空のつるぎと勇者を探し出せば、母を救うことができる」というパパスの日記を発見する。父の意思を受け継ぎ、リュカは再び冒険の旅に出ることに。立ちはだかるいくつもの試練、そしてビアンカとフローラ、2人の女性を巡る究極の選択。果たして冒険の先に待ち受けるものとは!?
(公式サイトより)
【登場人物】
キャラクターデザインは本作向けに原作のものをアレンジされたものが使用されている。
CV.大西利空(幼少期)、佐藤健(青年期)
主人公。本名は「リュカ・エル・ケル・グランバニア」。
原作では杖を武器にしていたが、本作では父親の形見であるパパスのつるぎを武器に戦う。
天空人という原作にはない設定がつけられているのも特徴。
「行けばいいんだろー!」と投げ遣りな言葉とともに旅に出たり、ブオーンに対して尻込んだり、フローラへのプロポーズする際も緊張して結局ビアンカに助けてもらうというヘタレだが、旅をするにつれて成長していく。
最初はフローラと結婚しようとしていたが、占いババ(正体はフローラ)からもらった本当の自分の心に会える聖水を飲んだところ、「フローラを選べ」という謎の自己暗示がかかっており、本心はビアンカが好きということに気付き、ビアンカと結婚した。
CV.
山田孝之
主人公の父親。
お馴染みの断末魔と共に死亡するというほぼ原作通りの展開を迎える。
中の人は息子みたいな格好をしていたこともある。
CV.高月雪乃介(幼少期)、坂口健太郎(青年期)
ラインハットの王子であり、主人公の親友。
リュカと共に大神殿建設の奴隷となり、共に脱走するところは原作通り。
周りに尊大な態度を取る。
CV.
山寺宏一
リュカの仲間になる
スライム。
小柄な体を生かした攻撃を得意とする。
何やら重大な目的を背負っているようだが...?
CV.波瑠
サラボナの大富豪であるルドマンの娘。
主人公の花嫁候補でもある。
リュカにプロポーズされるが…?
CV.有村架純
主人公の幼馴染み。本名はビアンカ・サント・アルカパ。
大酒呑みでやや荒っぽく、勝気な姉御肌というワイルドな独自の設定が盛り込まれている。
CV.吉田鋼太郎
主人公の母を拐い、父を殺した最大の宿敵。
原作よりも禍々しいデザインになっている。
魔界の王、
ミルドラースを復活させるため、魔界の門を開く力を持つ
マーサを狙っている。
CV.井浦新
その昔、天空人が魔界の門に封印した魔王。
先述の通りゲマはそれの復活を目論んでいる。
ネタバレ防止のためか、公式サイトでは姿が明かされていない。
マーサ曰く、「今回のミルドラースは今までと全く違う世界を消し去る力を持つ」という。
原作との相違点
- リュカ誕生からオーブを手に入れる一連の流れがSFCの画面を流用したダイジェストで語られる。
- 天空城が登場しない。
- サンタローズが滅んでいない。
- 光の教団が存在しておらず、教祖のイブールもいない。
- 天空の勇者はアルスのみの一人っ子。
- 魔界に行くための鍵となる3つのリングは登場せず、天空のつるぎが魔界の門を封じる鍵になっている。
「追記・修正すればいいんだろー!」
ここからはネタバレが含まれます。先に進みますか?
登録日:2021/08/25 Wed 18:46:23
更新日:2025/03/27 Thu 08:04:08
所要時間:約 10 分で読めます
【真・概要】
ドラゴンクエスト ユア・ストーリーとは、ゲーム『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を原作とした3DCG映画であるが……
本作には原作にはない、ある大きな要素がある。
それは「舞台が偽りの世界」という点。
ならば『
DQVI』や『DQB2』みたいなものかと思うかもしれないが、正体は
『ドラゴンクエスト エクスペリエンス』という『DQV』をリメイクしたVRゲームである。
つまり、これやこれに近い(結末を考えればある意味これに近いとも言えなくもない)。
また、ゲームを上げれば
これ
に近いといえる。
この結末をやりたかったならこれの映画化にすればよかったんじゃなかろうか…
ドラゴンクエスト エクスペリエンス
本作の舞台でもあるDQVをリメイクしたVRゲーム。
ノベライズ版によると発表と同時に予約しても平日なら半年、土日なら2年も待たされるほどの人気アトラクションだという。
プレイ前にシナリオスキップや追加キャラなどの各種設定を行う。
プレイ中には現実の記憶を思い出せなくなるという仕様であるため、「フローラを選べ」といった自己暗示はプログラムとしてセットされる。
冒頭のダイジェストやリュカにかかっていた自己暗示は今回のプレイの仕様であった。
また、プサンやマーサの「今回は」という発言や「クエスト」という表現など、わずかだが舞台がゲーム世界であるという伏線が所々に散りばめられている。
以上の前提を頭に入れた上で、以下の登場人物紹介を読んでいただきたい。
【真・登場人物】
CV.大西利空(幼少期)、佐藤健(青年期)
主人公。本名は「リュカ・エル・ケル・グランバニア」。
彼の正体はDQVをプレイした経験を持つ中年くらいのサラリーマン。
かつての思い出がこのDQエクスペリエンスをプレイするきっかけとなった。
昔ゲームをプレイした時は結婚相手にビアンカを選んだため、今回は気分を変えてフローラを選ぶようプレイ前にセッティングしていた。
また、既プレイのゲームという事でダイジェスト版での進行を設定している。
冒険の終盤でミルドラースの姿を騙ったウイルスに遭遇し、この世界がゲームであることを思い出す。
しかし、ウイルスの思想を否定して打ち破り、仲間たちに祝福されながら故郷のサンタローズに帰還。
冒険の終わり、つまりゲームのEDが近づいていることを感じながらも、「この世界を救った」という思いを噛み締め満ち足りた表情を浮かべていた。
- パパスを始めとする「ドラゴンクエストV」のキャラクター達
まるで実在の人物であるかのように活き活きと動き、情緒たっぷりのやりとりを見せてくれるが、その全員がゲームのNPCである。
これに含まれないのは、主人公と後述するスラりん、ミルドラースのみである。
NPCの一人だが、ネタバレ部分の設定に絡んでくるため記述。
プログラムによる暗示によってフローラに求婚したリュカの前に現れ、「これを飲めば本当の自分の心に会える」と言いながら怪しい聖水を渡す。
効果を訝しみながらもその聖水を飲んだリュカは、実は心の底ではビアンカに惹かれていたという事に気付く。
自分の本心を知ったリュカはビアンカに告白し、めでたく結婚する。
幸せそうな二人を見届けた占いババは、路地裏でこっそりと変身魔法を解除する。その正体は……。
占いババの正体。
占いババに変身してリュカとビアンカを結婚に導いた。
リュカが心の内にビアンカへの想いを抱えている事を察し、敢えて彼の本心を後押しすべく一芝居打ったのだろう……。
と、言いたいところだが、先述の通りここはゲームの中であり、主人公はゲーム開始時に自己暗示プログラムとして「フローラを選ぶ」と設定しているので、話がややこしい事になっている。
暗示が掛かっていようと何らかの理由でプレイヤーに生じた強い想いがそれを覆し、プログラムとは逆の選択を取る、という事は十分ありうるだろう。
しかし、ゲーム側からわざわざ暗示を無効化するような働きかけをし、プログラムを無意味にしてしまうようなイベントが設定されているというのはどうも不可解である。
「ゲーム全体のプログラムとしては」フローラと結婚するようお膳立てをするが、「物語世界内のフローラというキャラクターとしては」リュカの決断が本心からのものか確かめるため行動を起こした…という事だろうか。
メタ的な解釈をするならば、ビアンカを立てつつもフローラの立場を悪くしないために「フローラの後押しあってのビアンカとの結婚」という帰結へ導く為ともとれる。
CV.山寺宏一
リュカの仲間になるスライム。
その正体はこのゲームを管理するアンチウイルスプログラム。最終決戦でリュカに
ワクチンソフトを託す。
CV.井浦新
その昔、天空人が魔界の門に封印した魔王。
しかし本作で登場するのは本来のミルドラースではなく、『今までと全く違う』このゲームを嫌う天才ハッカーが作ったコンピューターウイルスである。
そのため、厳密には「ミルドラース」とは呼べないが、このウイルスにも特定の名称が無いため便宜上ミルドラースと呼ぶ。
容姿も本来のミルドラースとは似ても似つかぬ姿をしており、複数の黒と赤の立方体で構成された体に白い仮面のような顔をしている。
ミルドラースのコードに擬態し、リュカを待ち構えていた。
ゲマが倒されて魔界の門を封じようとした直後、佐藤直紀による本作のために作られたBGM「Virus」と共にリュカ周辺の時間を止めて謎の言葉を発しながら『世界を消し去っていく』。
そしてリュカに世界の真実を語り、冷たく嘲笑う。
そうそう、彼(産みの親である天才ハッカー)からの伝言があります。「大人になれ」だそうです。
しかし先述の通り、ワクチンソフトを託された今までの経験を肯定するリュカに打ち滅ぼされた。
彼の消滅により、破壊された世界はまるで何事もなかったかのように元の姿を取り戻す。
【まとめ】
結論から先に述べると、映画の評価は芳しくない。
批判的な意見の多くは、本作における「ドラゴンクエストV」がVRゲーム、即ち劇中劇である事実とそれらが明らかになる一連の流れに集中している。
主人公であるリュカ、いやサラリーマンは世界を破壊しようとするウイルスに対し、ゲーム世界での経験は現実の経験と同じように価値あるものと主張し、ウイルスを打ち倒す。
つまり、この作品は最終的にはゲームを肯定しているという点は見逃せないだろう。
にも拘らずこの作品が大きな批判を招いてしまった理由は、作品から読み取れる主張と観客の認識に大きなズレがあったからだと思われる。
事前情報無く映画を見に来た多くの観客は、「『DQV』という作品の映像化」のつもりで映画を楽しんでいた事であろう。それらの前提が突如として覆されれば、少なからず衝撃を受け、あるいは困惑する事は当然である。
更に、『DQV』とは全く関係ないキャラクターであるハッカーに「大人になれ」と言われる展開自体、その困惑をより深めたであろう事は容易に想像できる。
映画の予告編もさも「愛」をテーマにしているような作りになっており、プレイ経験ある観客も当然そのようなシナリオを求めていただろうに、実際には「ゲームの世界」をテーマにした話になっているとなれば、裏切られたと思うのも当然のことである。
親子3代の物語が根底にあって、少年が青年になり子を持ち大人になっていくDQVの話の流れをなぞった人が他人に「大人になれ」と言われたところで、何も感じるものがない。
「天才ハッカー」の所業も自分が嫌いという理由だけで、他人の趣味に首を突っ込み、ぶち壊して悦に浸るという子供じみた行為でしかなく、「大人になれ」というメッセージは
完全にブーメランとなる。
また、「ゲームを愛する大人」と「ゲームをやめて大人になれと促す偏見」という対立構造自体、現に多くの大人がゲームを楽しむ今日においては今更過ぎると言わざるを得ない。
そして何より、「真のラスボス」として顕現したウイルスは、唐突に正体を明かしたワクチンソフトによって、何の積み重ねもなくあっさりと倒されてしまう。
つまるところ、映画に対する認識をひっくり返された所に、畳みかけるようにして共感しきれないメッセージをぶつけられ、腑に落ちないままあっさりと結末を迎えた事が大きな反発を生み出す要因となってしまった。
特に、本作の主要な観客層であろう「『ドラゴンクエストV』を愛する大人」は、原作を出汁に時代錯誤的な問題提起をされたような煩わしさを感じた事だろう。
断っておくならば、最終盤の展開を除いた部分については好意的に評価する声もある。
『
STAND BY ME ドラえもん』のような、外連味に溢れつつもポップなキャラクターはドラゴンクエストの世界観によくマッチしている。
ゲマの禍々しいデザインや声優の演技も良い。
また、端折りや独自要素の追加自体はあるものの、上記のミルドラースにいたるまでのストーリーの流れはよくまとまっている。
原作ゲームに比べてあからさまなコメディシーンが増えている事、原作BGMの使い方が少々節操に欠けるという部分は
賛否両論だが、大きな問題点とは見做されていない。
特に、ゲマとの決戦にヘンリーがラインハット軍を率いて、軍艦を担がせたブオーンと共に駆け付けるなど、原作ゲームにはない熱い展開もある。
演出面においても、
バギ系魔法を床に叩きつけて跳躍するなど『ドラゴンクエスト』らしさを出しつつ、映像作品である強みを存分に発揮している部分もある。
しかし、それらを掻き消さんばかりの勢いでこの映画を酷評する声が多い事も事実である。
IGNでこの映画について「もはやどれだけひどい作品か語る大喜利のようになっている」と指摘されているが、公開当初はまさしくその言葉通りの状況だった。
加えて山崎監督のインタビューが曲解され、「
ゲーマーを嫌っており、思いついたオチで嫌がらせをするために監督を引き受けた」などのデマが出回る事態になってしまった。
公開から時間の流れた現在では沈静化しているものの、主人公の「リュカ」という名前についてDQV小説版の作者である久美沙織氏が無断使用を不服として訴えを起こすなど、舞台裏でも重度ないざこざを抱えている。
総じて、「世紀の駄作」と言い切ってしまうには惜しい点もあるものの、『ドラゴンクエストV』という作品を愛し、その映像化を待ち望んでいた人々にはとんだ冷や水を浴びせかける作品となってしまった。
【余談】
- 服部昇大の邦画紹介漫画『邦キチ! 映子さん』でも本作が取り上げられており、オチに対して「コレやるなら『III』で良くないか!?」と評されている。
この漫画の掲載元はドラクエシリーズと関わりの深い集英社であり、集英社側としても思うところがあったのだろうか。
確かに主人公などを設定できる『Ⅲ』や『Ⅸ』など、他のシリーズならまだ辛うじてマッチしうる可能性はあったかもしれないが、よりによってこのオチとの相性が一番悪い『V』を題材にしたのが、本作の評価を大きく下げる原因の1つになったといえよう。
- パパス役の山田孝之氏は勇者ヨシヒコシリーズでヨシヒコを演じている。
キャスト発表時のインタビューでもちょっと触れられている。
- スラりん役の山寺宏一氏は『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』で魔王ジェイムを演じている。
- 『DQ10』のVer.4ラスボスである時元神キュロノスが本作のミルドラースに似ていると言われる。
- 同時期に公開された映画「天気の子」」の終盤において、とあるキャラクターが主人公に「大人になれよ」と本作同様の言葉をかけるシーンが存在する。だが、そちらは主人公の事情や想いを汲んだ上で、年長者として主人公を諭すというシーンであり、独善的思考を押し付けるだけの本作とは真逆の意味になっている。
- 2023年公開の映画『ゴジラ-1.0』では本作の監督を務めた山崎貴が携わる事もあり、情報開示された途端に「ユアストーリーしないだろうな?」という疑問の声が早々に上がっており、公開直後の感想では「ユアストーリーしなかった」というある意味で秀逸なネタバレが出回り、その結果ゴジラじゃなく本作の方がX(旧Twitter)のトレンドに載るという珍事が発生した。
- 一方で「(ユアストーリーの)山崎貴というだけで見る気がしない」という声も多数上がっており、本作がもたらした被害が如何に大きかったかを物語ってもいる。とはいえ「アルキメデスの大戦」といった評判の良い作品も多数手懸けている事もあり、それらをも知る視聴者からは「ユアストーリー引き合いに出すのいい加減ウザイ」と否定的に見る意見も見られている。
「そもそもゴジラはとっくの昔にユアストってるわ」というコアなファンからの指摘もあったり
そうそう、この項目の執筆者からの伝言があります。「追記・修正してWiki篭りになれ」だそうです。
キャラや作品などへの愚痴、誹謗中傷等が認められる場合、IPの規制等の措置をとらせて頂く場合がありますのでご了承下さい。続くようであればコメント欄の撤去を行います。
- 特に反対がなかったのでリセットしました -- 名無しさん (2021-09-04 17:03:38)
最終更新:2025年03月27日 08:04