8000系通勤型電車

実車について

沿線人口の急増による乗客増への対応と旧形車両の置き換えを目的として、1963年(昭和38年)より製造が開始された通勤型電車。
その後もいくつかのマイナーチェンジを繰り返しながら1983年(昭和58年)まで製造が続けられ、実に712両もの製造両数を数えるまでに到った。
これは同一系列(単一形式ではない)の私鉄電車においては異例で、その製造両数の多さから「私鉄の103系」という異名を与えられている。
20年という長期にわたって製造されたため、製造時期によって細かな違いがある。

当初は4両固定編成が登場し、2両の電動車を一括制御する1C8M方式、すなわちMM'ユニット方式がとられたが、
2両固定編成登場時には1両の電動車のみ制御する1C4M方式、つまり1M方式がとられ、以後、6両、8両固定編成が登場するにあたっても、
MT比を1:1として両者が混在している。組み合わせによってローカル線区の2両から伊勢崎線北千住口の区間準急や区間急行、および東上線の10両まで、柔軟な運用が可能である。

最初は非冷房だったが、1970年代半ばから冷房車が登場、1976年からは台車形状が変更されるといったマイナーチェンジが行われたが、
あまりに製造両数が多いため4桁の番号では収まらず、急遽5桁番号としている編成も存在する。
また一見するとわからないが、よく見ると本線系統所属車と東上線系統所属車で仕様に細かな違いが見られるのも特徴である。

1986年(昭和61年)より修繕(注)が開始され、その後も修繕時期によって様々なバリエーションが発生している。
特に1987年(昭和62年)からの修繕車については前面スタイルも大きく変わり、まるで別形式のようなスタイルとなった。
その後の修繕車はこのスタイルを基本的には踏襲しつつもバリアフリー対応化や前部標識灯のHID化など、その修繕時期にあわせて細かな差異がある。
編成もそれまで2両・4両・6両・8両編成を基本としていたが2005年(平成17年)からは3両編成の800系・850系が登場している。

しかしながら50000系列の相次ぐ増備や30000系の配置換えによって次々に廃車が進行し、その数を減らす8000系であるが、
最初の修繕車の生き残りである8111Fは保存されることが決定、東武博物館の所有となり、登場当時のツートンカラーに復元の上イベント用として使用されている。

注)東武鉄道では、大規模な車体改修のことを「修繕」と称する


イラスト作成に当たって

「東武の通勤電車」と聞かれて多くの方がこの電車を挙げることと思います。
東武鉄道の沿線に行けば必ずと言っていいほどこの電車が見られる、ということがちょっと前まではあったようです。
なにしろ700両を超える大所帯で、しかも20年間ひたすら製造され続けてきたワケで、その辺りは東武の保守的なイメージの象徴といえましょう。
それだけ8000系は性能的にも安定していて、使いやすかったし、コスト面でもそこそこ安かったということなのでしょうな。
1800系や6000系のベースになっている、というのもその辺りが要因なんでしょうね。
嗚呼、しかし時代の流れというのはじつに残酷なものでして、次世代通勤電車50000系列が登場すると、とたんに8000系は追いやられるようになりました。
野田線にも新車・60000系が入ることになるので、どんどん数が減っていくことになります…。ファンは急げ!!

さてイラストですが、上段から登場当時(8101F)、冷房車・セイジクリーム塗装(8167F)、初期修繕車(1986年修繕分、8104F)、前面形状変更タイプ(1987年~1994年修繕分、8107F)、
ベンチレーター撤去タイプ(1995年~1996年修繕分、8144F)、HID前灯タイプ(1997年~2000年修繕分、8169F)、最終修繕車(2003~2007年修繕分、81120F)、
そして晴れて東武博物館所有となり永久保存が決定した8111Fを描いてみました。

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最終更新:2013年01月13日 13:37
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