D1形蒸気機関車
実車について
桐生線の前身である太田軽便鉄道を買収した1913年(大正2年)に、機関車不足を補うべく輸入されたテンダー式蒸気機関車。
製造はアメリカ合衆国・ペンシルベニア州エディストーンのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(Baldwin Locomotive Works)で、車軸配置は4-4-0(2B)。
東武の蒸機といえば輸入機がそのほとんどを占めたが、その大半は英国ベイヤー・ピーコック製で、国鉄からの購入機を含めてもニールソン、シャープ・スチュアートなどといった
英国製蒸機ばかりであり、その中にあって米国製の蒸機はひときわ珍しく、優雅な英国製蒸機とは対照的に力強いアメリカンスタイルはさぞ異彩を放っていたことと思われる。
同じボールドウィン製の国鉄5900形とは近似の形態であるが、流石に製造が1910年代ということもあってか、テンダー後部に取り付けられた台車は
菱形枠を用いたアーチバー式となっているなど細部で相違が見られる。
これら米国製のD1形は高速走行時の振動が激しく、また石炭消費量が多いわりに本来の性能をなかなか発揮できず、燃費の悪い機関車であった。
また、数少ない米国製という事もあって修理の際に必要な部品が不足するといったこともザラにあったようで、運転・保守の両方から嫌われた。
結局1949年より順次廃車が始まり、最後に残った22号、25号も1957年に廃車となった。残念ながら全車両が解体されてしまったため、保存されている車両はない。
イラスト作成に当たって
1910年代といいますと、国鉄がようやく国産蒸気機関車を本格的に投入し始めた時期です。
しかしながらまだまだ生まれたばかりの国産機を大量にそろえるにはまだ工場が足りず、「本当に使えるかどうかわからない国産機よりは」と輸入機を選ぶ鉄道会社も多かったようです。
恐らく東武もそのクチだったのでしょうが、ここで米国製の機関車を選ぶとは一体どういう風の吹き回しだったンでしょうか。
結局導入してみると石炭は食うわそのくせパワーは上手く出せないわガタガタ揺れるわ修理したくても部品がないわ…。
現場では本当に嫌われ者だったらしいD1形ですが、6両しかないという事もあって、東武蒸機を追いかけたファンにとってはレアな車両だったこともまた事実でしょう。
イラストでは輸入当初および連結器改造後の姿を再現しています。おそらく1910年代にはまだ螺旋式連結器だったのではないでしょうか。
最終更新:2013年01月05日 21:42