―第501統合戦闘航空団ブリタニア基地 ハルトマン自室―
「…で、何だっけ? どうやったら俺とイチャラブになれるか、だっけ?」
「全然違いますわっ!!」
夜。魔窟と形容する他無い惨状のハルトマンの部屋で、ペリーヌの絶叫が炸裂した。
「じょーだんだって。うるさいなぁ、ペリーヌは」
耳を塞ぎながら文句を言うハルトマン。
「貴女が言うと冗談に聞こえませんの…」
がっくりと頭を垂れるペリーヌ。
「それにしても、珍しく私の部屋に来たかと思えば、まさかペリーヌが色恋の相談とはねー」
どこからか取り出した板チョコをポリポリと齧りながらハルトマンが言う。そう、確かに稀有な光景だ。あのペリーヌが、誰かの自室に押しかけてまで相談事など。
い、色恋ではありません!! とまたもペリーヌが吼えるが、ハルトマンは華麗にスルー。
「というか、別に私じゃなくてもいいんじゃない? 宮藤とかー。リーネとかー」
チョコを齧り、ペリーヌとなんだかんだで接点の深い二人を挙げる。が、ペリーヌは首を振る。
「…あの二人に、こんなことは聞けませんわ…」
そりゃそうか、とチョコの甘みを舌一杯に転がすハルトマンは思う。ペリーヌの性格上、あの二人に相談するなど論外だろう。
それにしても。寝ようと思った矢先にペリーヌが突然部屋を尋ねてきて、顔を真っ赤にして、
「あの…俺さんについて、もっとよく知りたいのですが…」
と来たものだ。これには、流石のハルトマンも面食らった。俺の影響で、少しは角が取れたのだろうか?
「ふぁあぁ…とにかく、俺のことは俺に聞くのがいいんじゃないかなー?」
「貴女、眠くなって話聞くのがめんどくさくなってきたわね…」
欠伸をし、ついには丸投げの姿勢に入ったハルトマンを見て、ペリーヌは溜息を吐く。
「にゃはは。じゃあ、一ついいこと教えてあげるよ」
すっと指を一本立てて言うハルトマン。何だろうか、と首を傾げるペリーヌに向けてにやりと口元を歪め、
「最近、このくらいの時間は俺は屋上にいるはずだよ。二人っきりになれるチャンスじゃないかなー?」
ぽかん、とするペリーヌを、ほら行った行った、と追い出しにかかるハルトマン。
「え、ちょ、いや、待って、それって今から話に行けってことですの!?」
「とーぜんとーぜん。じゃ頑張ってー。おやすみー」
ペリーヌの体を扉から完全に追い出し、即座に扉を閉めるハルトマン。
一人取り残されたペリーヌは再びハルトマンの部屋に入ることを諦め、自室へと足を向ける。
が、その足が不意に止まる。
(…俺さんは屋上にいると言ってましたわね…)
踵を返し、屋上へ足を向けるペリーヌ。
(…最近の私は、どうかしてますわ…)
彼女は気付いているのだろうか。その『おかしさ』の正体が、それこそリーネや宮藤が顔を真っ赤にしてはしゃぐような類のものであることに。
屋上へ向かう道すがら、ペリーヌは一つ溜息を吐いた。
―同隊同基地 屋上―
今日は風が強い。海を見下ろして
物思いに耽る俺の意識に、風の音が混ざる。
眼前に広がる光景は、いつもと変わらない。だが、俺の心は沈みきっていた。理由は、一年前のあの日。大切なモノを亡くした、あの日のこと。
ふと、俺の耳が風の中にエンジン音を捉えた。滑走路の方を見ると、二つの魔法陣が並んでいるのが見える。
(夜間哨戒…サーニャと、エイラか?)
見る間に、飛び立っていく二人。何の気無しに手を振ってみると、向こうから俺が見えたらしい。光が何度か瞬く。
(発光信号…『イッテキマス』か。気をつけてな)
もう一度、今度ははっきりと二人に向けて手を振る俺。二人は徐々に高度を上げ、やがて雲に隠れて見えなくなる。
その時、俺は背後に気配を感じた。
「…誰だ」
ゆらりと振り返った俺が見たのは、扉の影から俺の様子を覗くネグリジェ姿のペリーヌだった。
「ペリーヌか…どうした?」
「あ、いえ、その…か、風に当たりたい気分だったので…」
そう言って、俺の隣に並ぶペリーヌ。
「…いつもここに?」
「ああ。最近は寝る前にここに来てる」
目の前の景色に視線を戻す俺。気付かれないように、ペリーヌは俺の横顔を覗き見る。
メガネに遮られてよく見えないが、俺の目は景色を見ているというより、
(…この人は、一体何を見てるの?)
俺が何を見ているかは、ペリーヌには伺い知れない。
聞いてみようか。ペリーヌが口を開く前に、俺が口を開いた。
「…ペリーヌは、雪を見たことはあるか?」
ぽつりとした、独り言にも似た言葉。ペリーヌは一瞬首を傾げたが、質問に答える。
そう言ったペリーヌは、視線を巡らせて海の向こうを見る。その先には、侵略された彼女の故郷がある。
「…そうか」
再び、俺の顔を見るペリーヌ。やはり、俺の目はここではないどこか遠くを見ている、と思う。
「扶桑には、雪はよく降るのかしら?」
少しでも意識を自分に向けたくて、思いついたことを聞いてみるペリーヌ。俺が何を考えてるのか知りたかったが、そこまで踏み込む勇気はペリーヌには無かった。
だが、返事は無い。
「…俺さん?」
「…ああ、悪い」
ペリーヌに向き直り苦笑を浮かべる俺。先程までの表情は、なりを潜めている。
「全く、人に質問しときながら呆けないでください」
むすっとしながら言うペリーヌに、悪かったよと言いながら俺はペリーヌの頭に手を置いた。
そのまましばらく撫でているとペリーヌの機嫌も直ったらしく、俺にされるがままとなっている。
「…くしゅっ」
暫くそうしていると、不意にペリーヌがくしゃみをする。
無理も無い。ペリーヌはネグリジェ姿で風に当たっていたのだ。俺はペリーヌを撫でていた手を下ろすと、着ていた黒いコートを脱いでペリーヌにかけた。
「ほら、風邪ひくからこれ着とけ」
「あ、ありがとうございます…」
俺のコートは、暖かかった。ぎゅっと前を握り締め、その温もりに埋まるペリーヌ。
「そのコート。割と特殊な魔法糸で織られてるから、暑くても寒くても着ていれば適温になるんだ」
暖かいだろ? と笑う俺。
(…もう少し、ムードのある言い方は出来ないのでしょうか…)
ペリーヌとしては、俺の温もりだと思っていたかったのだが。ふぅ、と溜息を吐くペリーヌ。そんなペリーヌに対し、俺は苦笑気味に首を傾げるのみ。再び溜息を吐くペリーヌ。
「…そろそろ戻るか?」
再び景色に視線を戻した俺が言う。
「ええ、そうですわね…あ」
俺の言葉に、少し残念そうに賛成しようとしたペリーヌだが、そこで何かを思い出した。ん?と視線をペリーヌに戻す俺。
「俺さん、明日非番ですか?」
「あ? ああ…確か非番だったな」
良かった、とペリーヌは心の中で安堵しつつ、続ける。
「私、基地の外れでハーブを栽培しておりますの。明日、良かったら作業を手伝っていただきたいのですが…」
言いながら、耳が赤くなるのを実感するペリーヌ。
「ああ。構わない。俺でよければ手伝うよ」
笑顔で言う俺の顔を、ペリーヌは何故か直視出来なかった。これを機に俺のことをもっとよく知ろうと、沸騰しそうな頭でペリーヌは考えていた。
―同隊同基地 基地外れ―
「ここですわ。あまり広くはありませんが…」
昼食の後、俺とペリーヌは基地外れに足を向けた。ペリーヌがハーブを栽培している場所は、こじんまりとしながらも丁寧に整えられていた。
「俺はハーブのことはよく分からないが…大切に育てられてるんだな」
その風景を見て、俺が言う。ペリーヌはほんのりと頬を赤くしながら、
「と、とりあえず、水遣りをしましょう。あと、肥料を持ってきたいので、後でお願いしますわ」
言葉の途中で、傍に置いてあった如雨露を俺に手渡す。
「水は、そちらの桶に汲んであるものを。やりすぎに注意してくださいまし」
「ああ、分かった。…と、服は脱いでおくか」
一旦如雨露を地面に置き、コートを脱いで傍にあった木の枝に引っ掛ける俺。ついでに、ホルスターも外してその根元に置く。
その間に、ペリーヌは作業を先に始めていた。俺も遅れて如雨露を手にして作業を始めた。
そう広くない場所だ。二人で作業しているうちに、あっという間に水遣りが終わる。
「こんなもんかな? 後は…肥料だっけか?」
如雨露を置いて一息ついた俺がペリーヌに聞いた。
「ええ。あっちの倉庫にありますの。私だけでは大変でして」
「ペリーヌは持たなくても、俺が必要な分持って行くよ。とりあえず、場所を教えてくれないか?」
(…優しいんですのね)
流石に一人で持たせる訳にはいかないと言い張るペリーヌと共に、その場を離れる俺。そんな二人を、茂みの中から見る視線が、二人分。
俺とペリーヌが完全に離れたのを確認して、その視線の主は茂みから姿を現した。
「ほう…まさか俺とペリーヌがねぇ…」
「意外ー…面白くなりそう!」
茂みから姿を現したのは、
シャーリーとルッキーニだ。
「しかし、俺とペリーヌって仲悪いんじゃなかったっけか? どうやって俺はペリーヌを落としたんだ?」
シャーリーが首を捻る。
「んー、俺が扶桑の魔法でも使ったんじゃない? …あ!」
適当なことを言うルッキーニが、面白いものを見つけたと言わんばかりに目を輝かせる。
「見て見てシャーリー!」
ルッキーニが指差した先には、枝に引っかかった俺のコートがあった。
「ああ、俺のコートだな。しかし、あいついつもこんなの着てて暑くないのか? …よっと」
シャーリーが軽く背伸びして俺のコートを枝から下ろし、そのまま羽織る。
「お、こりゃいいな! 暑すぎず寒すぎず、って感じだ。こんないいのを着てたのか俺は」
コートの着心地に思わず驚くシャーリー。
「私も私もー!」
着てみたいとねだるルッキーニに、シャーリーはコートを渡す。それに袖を通して、胸を張るルッキーニ。
「どうシャーリー! 似合う?」
「あっはっは! 見事にコートに着られてるなルッキーニ!」
爆笑する二人の間に、不意に声が割り込んだ。
「…そこで何をしておいでですの?」
肥料の袋を抱えた俺とペリーヌが、ちょうど戻ってきていた。固まるシャーリーとルッキーニ。
「あ、俺のコート」
俺が肥料の袋を置き、ルッキーニを指差す。
「ちょ…ルッキーニさん! 今すぐそれを脱ぎなさい!」
それを見て声を上げたのはペリーヌだ。その剣幕に、俺を含めた三人が驚く。が、ルッキーニはすぐに悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「へっへーんだ! ここまでおいでー!!」
突如身を翻し、その場から逃げ出した。
「お、おいルッキーニ!」
シャーリーもその場から駆け出す。俺の気のせいか、彼女も面白がるような笑みを浮かべていた気がする。
それを目で追いかけていたペリーヌが、獲物を取られた猫のように低く唸り始める。
「…追いますわよ!」
ペリーヌの雰囲気に若干引き気味な俺が、
「いや、そんなに怒ることじゃ…」
といさめようとするが、ペリーヌは乱暴に持っていた肥料の袋を投げ出し、駆け出してしまった。ふぅ、と溜息を吐く俺。
(全く…何がそんなに気に障ったんだろう?)
とりあえず俺は肥料の袋を一箇所にまとめ、置きっぱなしだったホルスターを拾ってから走り出した。
―同隊同基地 廊下―
(…いた!)
基地内部に入った二人を追ってきたペリーヌは、廊下の向こうの曲がり角でルッキーニが着たままの俺のコートの裾が翻ったのをはっきり見た。
それを追って全力で廊下を駆けるペリーヌ。
あのコートは、昨夜俺がペリーヌを気遣ってかけたものだ。
それに他の女が袖を通しているということが、どうしようもなく彼女の心に爪を立てる。
(なんなの、この気分…とにかく不愉快ですわ!)
それが何なのかはペリーヌにはまだ分からなかったが、とにかくルッキーニを捕まえない限りはこの不快感は消えないという事実だけは確かだった。
「おいペリーヌ!」
その声にペリーヌが首だけを後ろに向けると、俺が追いついてきていた。
「そんな、些細な悪戯にそんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないか?」
「よくありません!!」
俺の言葉をぴしゃりと撃墜するペリーヌ。
「なんだか分かりませんが、不愉快なんですの! さっさと捕まえますわよ!」
そう言い捨ててさらに加速するペリーヌに、俺は聞こえないように溜息を吐いて追随する。
「そこの曲がり角を曲がったのが見えましたわ!」
ペリーヌが息巻いて角を曲がる。が、そこでお約束とばかりに誰かと派手にぶつかり、ペリーヌは相手共々派手に尻餅をついた。
「痛たた…だ、大丈夫ですか?」
ぶつかった相手はリーネだった。ペリーヌが睨みつけると、リーネは小動物のように萎縮してしまう。
「こらこらペリーヌ。リネット、大丈夫か?」
ペリーヌをいさめて起こすのを手伝いつつ、リーネにも声をかける俺。
「ええ、大丈夫です…あ、ありがとうございます」
言葉の途中で手を差し伸べた俺の手を掴み、リーネも立ち上がる。
「あ、あの…私のことはリーネで構いません…皆さんもそう呼ぶので」
「ん、そうか。じゃあこれからはリーネって呼ぶよ」
そう俺が言うと、リーネは恥らいながらも微笑む。その様子を見て、ペリーヌがあからさまに不機嫌な表情になる。
「…ペリーヌ?」
「何でもありませんわ」
ぷい、と視線をそらし再び走り出すペリーヌ。その様子に首を傾げる俺。
「…俺、今何かしたか?」
「したんじゃないですか? とりあえず、ペリーヌさんを追いかけたほうがいいと思いますよ?」
頭の上に疑問符を三つほど浮かべながら、俺も再び走り出す。
その後姿を見て、リーネがくすくすと笑っていたことには、俺は気付かなかった。
一方、もやもやした不愉快な気分のまま走っていたペリーヌは、二人の姿をついに見失ってしまった。
立ち止まり、荒い息のまま考えを巡らす。
(一体…何処に…?)
そこへ、バルクホルンとミーナが通りかかる。
「あら、ペリーヌさん? どうしたの? なんだか疲れているみたいだけど…」
ミーナがペリーヌを気遣う。大丈夫です、と答えて顔を上げるペリーヌ。
「あの…シャーリーさんとルッキーニさんを見かけませんでしたか?」
その言葉に、バルクホルンがああ、と口を開く。
「その二人ならさっき庭の方に走っていくのを見たぞ。そういえばルッキーニ少尉は見慣れない服装をしていたな」
廊下を走るなど規則違反だ、と愚痴るバルクホルンにペリーヌは勢いよく頭を下げると、庭に向かう廊下を全力で走っていった。
「こら、クロステルマン中尉! 廊下を走るのは規則違反だと…」
バルクホルンが小言を最後まで言い終える前に、ペリーヌは既に曲がり角を曲がっていた。思わず額を押さえるバルクホルン。
「あらあら。またルッキーニさんが何か悪戯でもしたかしら?」
頬に手を当て、おっとりと笑うミーナ。そのような振る舞いが板についていることが、年上に見られる最大の要因であろう。
―同隊同基地 中庭―
「はぁっ…はぁっ…」
「まさか…あそこまでムキになって追いかけてくるとはな…」
ルッキーニとシャーリーは、疲労困憊といった様子で基地の壁に寄りかかっていた。
「うー…このコートだけその辺に置いとこうかな…」
「やめとけ。多分無駄だ…」
その時、基地からペリーヌが飛び出してきた。
「はぁ、はぁっ…見つけましたわ、泥棒猫!」
「やばっ、見つかった!」
「に、にげろー!」
駆け出す二人と、追いかける一人。すでに疲れ切っている三人だが、それでもここまで来たら双方止まれない。
そんな三人を、俺は四階の窓から見下ろしていた。
(あー…下に出てたのか。上に来たのは失敗だったな…)
どうしたものか、と思案する俺。そこへ、洗濯物を抱えた宮藤が現れた。
「あ、俺さん。何してるんですか?」
「ああ、宮藤。いや、大したことじゃないんだが…」
宮藤に答えながらも、俺は窓の下を窺う。数秒もしない内に、三人は俺がいる場所の窓の下を通り過ぎるだろう。
(…やれやれ)
俺は苦笑すると、そのまま宮藤に向き直る。
「…宮藤」
「はい! 何ですか?」
「窓、閉めといてくれ」
え? と宮藤が口に出そうとした瞬間には、俺の体はもう開け放たれた窓の向こう側にあった。
「え、えええええ!? 俺さーん!?」
宮藤の絶叫が俺の頭上から追ってくるが、当然ながら返事をする余裕は無い。
頭が下にならないように、足を軽く振って姿勢を調整する俺。数秒もしない内に着地。当然、衝撃は固有魔法で全て打ち消す。
シャーリーとルッキーニは、俺の数歩手前で思いっきり尻餅をついていた。ペリーヌも唖然としている。
まあ、いきなり頭上から人間が降ってきたら当然の反応か、と思いながら、俺は笑って告げる。
「チェックメイトだ、ルッキーニ。シャーリー」
ルッキーニとシャーリーは、何がなんだか分からないまま、とりあえず乾いた笑みを顔に貼り付けていた。
因みに、驚きのあまり宮藤は洗濯物を全て落としてしまっていたが、そんな瑣末事は四人の知るところでは無かった。
―同隊同基地 屋上―
「全く、あの二人は本当にっ…!」
「まあまあ。些細な悪戯だったんだし、もういいだろ?」
その日の夜、俺とペリーヌは二人で屋上に来ていた。
昼間の鬼ごっこの後、二人は疲れきったまま本来の作業に戻り、何とか予定していた作業を全て片付けた二人。だが、
(結局、俺さんのこと何も聞けませんでしたわ…)
ルッキーニとシャーリーのせいで、肝心のペリーヌの最大の目的が果たせず仕舞いのままだったのだ。
(どうしましょう…あら? もしかして、今聞けばよろしいのでは…?)
ふと、そんなことを思いつくペリーヌ。
(そ、そうですわ! 今だって二人きりなのですから、聞いたって大丈夫…!)
「あ、あの、俺さん!」
言ってから、ペリーヌは気付いた。
(う…いざ聞こうとしたら何も出てきませんわ…)
そこで、思考の泥沼にはまりかけるペリーヌ。頭をかかえかけた時、俺からの返事が無いことに気付く。
「…俺さん?」
「…ん?」
まただ、とペリーヌは思う。俺はまた、昨日と同じ目をしている。
「…いえ」
「そうか」
二人の会話が途切れ、波の音だけが静かに夜空に響く。
「…なあ、ペリーヌ」
不意に、俺が口を開く。
「なんですか?」
「少し、昔話をしていいかな」
俺の過去。気になっていたことを俺から話してもらえるとは思わなかったペリーヌは、思わず俺を見る。
だが、俺の視線は海を見つめたまま。ペリーヌの返事を待っている。
「ええ…構いませんわ」
そうか、と俺は置いて、何から話そうかと思案する。
「ええ…少佐から、大まかなことぐらいは」
ペリーヌは記憶から俺の原隊について引っ張り出す。確か、扶桑の独立部隊だったと聞いた。
「そう。大まかなことは中佐と少佐、バルクホルン大尉にも話した。…今から話すことは、三人にも話してないことだ」
他の誰にも話していないこと。自分だけにそれを話すことの意味をペリーヌは考えそうになり、慌てて首を振る。
ペリーヌのそんな様子にも俺は気付かないようで、続ける。
「…川島美雪。俺の昔の僚機だった奴のことだ」
淡々と、俺は話す。
「明るい奴でな。ずっと笑ってる奴だった。あの頃はいつもあいつの笑顔に助けられてた気がする」
ふと、俺の口元が綻ぶ。それを見たペリーヌは、また昼間の不愉快な感覚が胸に渦巻くのを感じる。だが、俺の口は再び真一文字に結ばれる。
「…寒い雪の日だった。俺と美雪は何時も通り出撃して、何時も通りネウロイを撃墜して、何時も通り帰還するはずだった…」
月明かりの下、俺の言葉と波の音だけが響く。
「…油断したんだ。俺がしとめ損ねた奴が、落ちる間際に俺を撃った。…死んだ、と思ったよ」
でも、と。意識してか知らずか、俺の手に力が籠る。
「俺の前に、美雪が飛び出した。十分なシールドを張る暇も無かった。…撃たれる前、美雪は一瞬だけ、こっちを振り返ったんだ」
俺の目がすっと閉じられる。何度忘れようとしても、瞼の裏にこびりついて離れない、その瞬間。
降りしきる雪の中、振り返った美雪は…
「あいつさ…笑ってたんだ。自分が撃たれる直前だったのに。あいつが、死ななくても良かったはずなのに…っ!」
美雪の笑顔の真意が、未だに俺には分からない。もう、聞く術も無い。
「…その後、レイヴンウィッチーズは瓦解。俺も空を飛ぶ機会は減った。転属して飛ぶことはあったが、全て単独行動だった」
ここに来るまではな、と付け足す俺。
「今でも、誰かと空を飛ぶのが時々怖いと感じる。…目の前で誰かが落ちるのが怖いんだ」
俺はさらに自嘲気味に呟く。
「…もう、飛ぶ理由さえも分からないんだ。あの時から…一人のワタリガラスになった瞬間から」
一頻り話し終えた俺とペリーヌの間を、夜風が吹き抜けていく。
ペリーヌは黙って聞いていた。その内に心の奥の、自分でも分からなかった俺に対する気持ちが、一つの形を成した。
(…ああ、そうか。やっぱり、私は、この人のことが…)
「…つまらない話だったな。悪いな、わざわざ聞かせて…っ!?」
俺がペリーヌの方に向き直り、苦笑を浮かべた瞬間、俺の胸にペリーヌが飛び込んだ。
「っ…ペリーヌ…?」
この人を支えたい。ペリーヌの胸の奥から、想いが一気にあふれ出す。感情の奔流の中、ペリーヌは必死に声を絞り出す。
「…貴方は…一人で抱え込み過ぎなんですわ…」
そのまま、ペリーヌは続ける。
「どうして…そうやって辛い顔を隠すの…っ」
言いたいことも纏まらない内に、ペリーヌの目に涙が浮かぶ。言葉が詰まる。そんなペリーヌを、俺は左手で抱き、右手を頭の上に乗せる。
「…ごめんな。泣かせるつもりじゃなかったんだ。ごめん…」
自分が泣いているのは、そんな理由じゃない。泣きたいのは俺の筈なのに、今泣いてる自分が俺に慰められている。そんな状況に、ペリーヌの涙は止まらない。
「…ごめんな」
再び謝罪の言葉を口にする俺。何か伝えなければ、とペリーヌは必死に感情の波に抗い、そして、
「…貴方が…好きです…」
気付けば、それは口から出ていた。それは、ずっとペリーヌの心の奥にあったモノ。
初めは、訳の分からない感情だった。ペリーヌはそれを、単に気に食わないだけだと解釈していた。
その上坂本に近づいたとなればペリーヌの心中は穏やかではなかった。
さらに決定的だったのは、
模擬戦での敗北。気に食わない相手に、エースと呼ばれた自分が敗北した。それは、ペリーヌにとって相当な衝撃だった。坂本の隣で戦えるという自負が、砕かれた気がしたから。
しかし、ペリーヌは俺に一度助けられた。そして浴場で交わした会話。その頃から、心に重く渦巻いていた暗い何かはなりを潜めていた。
なんてことはない。ペリーヌの心に渦巻き、曇らせていたモノは、プライドという名の虚栄心だ。
それらが完全に取り払われ、俺に対する純粋な興味のさらに先にあったのは、たった一つの想い。
「貴方が、好きなんです…」
泣きながら必死に告げるペリーヌ。一度気付けば、それはもう止まらなかった。
「…ごめん、ペリーヌ」
思わず俺を見上げるペリーヌ。涙で霞んだ視界の中、俺の悲痛な顔が映る。
「…俺は、怖いんだ。大切な人を、もう失いたくないんだ」
言ってから、俺は気付いた。
(今、俺はなんて言った?)
大切な人。俺は確かに言った。何を意味するか、考えるまでもない。
(…俺も、ペリーヌのことが…)
いつから。そんなの、考えるまでも無い。
(…ああ、そうか。この基地に来たその日から、俺はこの子を意識してたんじゃないか…)
転属初日、やけに噛み付いてきたこの少女と、俺は出来るならば仲良くしたいと思っていた。
それは、たった一人。今俺の腕の中で泣いている少女だけに向けられていた気持ちではなかったか。
でも、だからこそ。俺は意を決して、告げた。
「俺は君を、護りきれる自信が無いんだ…ごめん」
遠回しな、拒絶の言葉。それが否応無しにペリーヌに突き刺さる。
「…私は、落ちません」
だが、ペリーヌは引かなかった。はっきりと、未だ涙を溜めた目で俺を見据え、告げる。
「私は落ちない。生きて、ずっと貴方の隣にいます。…そして、貴方を支えます」
ゆっくりと、ペリーヌは俺の背中に手を回す。やっと見つけた大事なモノを、手放すまいとするように。
「だからお願い…貴方を好きな私でいさせて…」
ペリーヌの体温が、涙が、想いが、俺の体と心に染みていく。
(…俺は…もう一度、誰かを…この子を、護れるか…?)
気付けば、俺の両手はペリーヌの背中に回されていた。静かに、二人の影が一つになる。
「…ペリーヌ」
「…はい」
「俺は、美雪を護れなかった。その事実は変わらない」
俺はそこで一息吐くと、想いを決める。
「こんな俺でいいなら…傍にいてくれ。俺の…二番機になってくれ」
「…っ!」
ペリーヌの目に、再び涙が溢れる。二番機。そこに込められた俺の想いを、後悔を、汲み取ったから。
「言った…筈、ですわ。私が、貴方を支えると…」
涙と共に溢れるペリーヌの言葉に、俺の表情が不意に歪む。
「ペリーヌ…俺は、護れなかったよ…」
俺の目から、涙がこぼれた。ずっと、堪えてきた涙。一年間の間を経て、それが俺に追いついた。ようやく、俺が目を開くことを決めたのだ。
「美雪を…二番機を…っ、護れなかったっ…」
俺の嗚咽を聞いたペリーヌは、涙を流したまま俺を強く抱きしめる。
「…大丈夫ですわ。これからは、一人で背負わないで…私が、一緒にいますから…」
過去は過去だ。割り切るしかない。そして、未来に繋げていくしかない。それは、ある意味都合のいい美化だ。
だが、それでも俺は良かった。それを、ペリーヌが赦してくれる気がして。
ペリーヌを抱きしめる俺の腕に力が籠る。この温もりを、失くさないように。
互いに強く抱き合ったまま、二人は涙を流し続けた。
ようやく重なった二人の軌跡を、月だけが困ったように照らしていた。まるで、不器用な奴らだと苦笑しているようだった。
最終更新:2013年02月02日 13:38