概要
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発車サイン音は、営団地下鉄が21世紀の地下鉄空間デザインを目指し、その中で地下鉄にふさわしい音環境を追求したことに端を発する。1991年の営団南北線部分開業時に営団南北線が都市高速鉄道7号線だったことにちなみ、「7号ビジョン」として、理想的な地下鉄環境を徹底して追及した。その中で、環境音楽の世界的旗手であった吉村弘に、「近接」「発車」「改札」などの音楽作曲を依頼した。「発車サイン音」そのものが吉村弘による作品名である。 吉村弘が自身のサウンドウォークから着想を得た、営団9000系の機器が発する周波数を基調とし、発車サイン音と電車の共鳴を制作コンセプトとしている。 直通先の東急電鉄や埼玉高速鉄道、そして都営交通の楽曲選定者もこの「発車サイン音」に魅了され、吉村弘は本来は南北線をイメージした作品であるが、他路線での使用を容認し、あたかも東京メトロ南北線や都営三田線系統を代表するメロディーに昇華した。
「改札サイン音」は王子駅にのみ導入されたが、その後、広まることはなかった。また、「近接サイン音」は「発車サイン音」との混同を避けるべく、営団南北線の目黒延伸と同時に使用を停止した。
誤解された作品コンセプト
後に「音無川の流れ」と目されることの多い本作品であるが、吉村弘自身が、元来、海や川など水の流れに強い関心を持っており、インタビューの際に誤解した新聞記者による記事が一人歩きしたものである。
なお、吉村弘は五線譜に海や入道雲の落書きを残すほど思い入れが強かった。そのため、他作品にもそのモチーフを反映しており、「発車サイン音」も同じテーゼで作られていた可能性は否めない。 なお、流体のモチーフは、その後、遺作となった神戸市営地下鉄海岸線の「サウンド・ピクトグラム」に強く反映されることとなる。 幻となった13号線導入
東京メトロ13号線(副都心線)は新線池袋駅(当時)↔︎渋谷駅間の建設当時、同区間の建設が「東京最後の地下鉄新線」になると目されていた。
東京メトロも同じ認識であり、東京地下鉄道以来の東京の地下鉄の最後を飾るにふさわしい地下鉄環境をめざし、営団地下鉄南北線の「7号ビジョン」の思想を底本にした設計を進めていた。ハード面だけではなく、ソフト面も「最後の新線」に相応しいものとするべく、発車合図もその一環として「東京の地下鉄の締めくくり」に相応しい楽曲を追求していたのである。 当時の東京メトロ幹部は営団地下鉄でキャリアを築いてきた社員が多く、営団地下鉄内でも評価の高かった「発車サイン音」の東京メトロ13号線での再起用が提案、社内で支持されることとなる。 そこで、2003年に逝去した吉村弘の遺族に13号線での使用許諾を求めたものの、遺族は「南北線のための曲であり、13号線の曲ではない。」として、東京メトロの申し出を謝絶した。 JR東日本に出向していた社員の提案で株式会社スイッチのクリエイターによるサイン音楽が導入されたが、開業当初の東京メトロ副都心線のホームドアに「発車ブザー」と書かれていたのは、ホームドア納入直前まで発車合図の見通しが不透明だったためである。 遺族の意向による縮小
東京メトロ南北線の第4期運行管理システム更新に伴い、「発車サイン音」の続投を求め、遺族に継続使用の許諾を得ようとしたものの、吉村弘の希求した営団地下鉄南北線のイメージと現状が大きく異なるとして、新システムにおける使用は謝絶された。
しかし、吉村弘や営団地下鉄の「7号ビジョン」の意志を継承するべく、同路線から「発車サイン音のイメージ化」が楽曲選定にあたって重要なコンセプトとなった。これは以降の、半蔵門線、千代田線、日比谷線にも継承された。 その後、東急電鉄、埼玉高速鉄道、都営三田線で「発車サイン音」の使用は終了したが、これも各社の継続使用を遺族が謝絶したためである。 |
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