鍋島 鍋夫(なべしま なべお)は戦国時代生まれの人物。
天文5(1534)年、尾張国の剣士・小田切無道の子として生まれる。幼名は鍋麻呂。
13歳の時、首吊りオナニーに恋をした結果鍋奉行となる。鍋オナニーで有名。
宿敵・蓋麻呂との因縁
えばら渋子を奪い合った過去以来、オナニー回数で競い合っている。
ある日、彼がオナニーを見せたら蓋麻呂は渋子の陰核を口に含んだ。
箸正宗との出会い
厠において鍋夫が鍋オナニーしていたとき、その真性包茎を見た正宗は「ウホッ!」と言葉をかけた。
平成20(2008)年11月17日、「もっと鍋を!」と言い残して死去した。享年566歳(数え567歳)の大往生であった。
一説には鍋食いが彼の長寿の秘密と言われている。
戦国・安土桃山時代の鍋夫
鍋道の始祖として、織田信長に仕え、ゼリー鍋を開発した功績で信長の側用人となるも、
自ら鍋を割ったために城下で乱交騒ぎを起こしたとして追放され、鍋一揆をおこした。
江戸時代の鍋夫
新撰組で鍋奉行に就任するも、3回ほど手を抜いたため
「作る鍋が下手になった」と非難され、鍋を投げた末に脱走した。一時期佐渡島で小説を書く。
明治期の鍋夫
戊辰戦争をハブとマングースを尻目に鍋で凌いだ鍋夫は、この頃すき焼きに浮気する。
その後鍋に変わるものとしてジンギスカンに目をつけ、これを流行させた。
さらに明治末期に鍋風呂を考案すると、次第に鍋島の知名度は上がってゆき、
それに伴い鍋の作品の評価も上がっていった。特に堀鍋という作品は高く評価され、その価値は500万を下らない。
戦前の鍋夫
鍋を切り刻んで驚くべき軽量化に成功、それによって得た資金で鍋財閥を設立した。
財閥の頭首でありながら、下々の者にまで親しく交流を深め、「ナベさん」と呼ばれていた。
また、この時期の評論書『夫れ鍋道と云ふものは、斯くある可きなり』において、
鍋道の美的理念の一として、「賑わい」を挙げた。この業績は上梓の後まもなく
小林秀雄らの評論家から絶賛されることとなった。この頃はチーズ鍋の開発に取り組んだ。
近年の鍋夫
戦後、日本の復興のために各地で鍋を振舞い、その功績から世界の鍋島と呼ばれるようになった。
鍋の第一人者として注目を浴びるようになった鍋夫は日本鍋選手権に出場するも予選落ちの憂き目にあう。
その後も鍋フレンズを募集するなど、年齢を感じさせない活躍を見せた。
そもそもは首吊りオナニーに恋をした結果、このような人生を送るようになった彼を指して、
一見何も関係の無いことから大成することを「鍋島の恋」と言うようになった。
鍋夫の家族
妹とともに暮らしていたらしい。ペットとして犬、猫、イタチ、ハブ、マングースを飼っていた。
鍋島鍋夫ギャラリー
鍋島鍋夫は設定上、スレの進行中に亡くなったことになるので、
その死を悼んだ誰かが墓石を築いた。
これではあんまりだろうと、誰かがさらに建て替えた。
どちらにせよ、故人を悼む気持ちなどさらさら無いなどというのはきっと貴方の気のせいである・・・。
最終更新:2008年12月02日 20:00