フニヒョは1776年にアメリカのサンフランシスコ・ザビエルによって考案されたスポーツである。
概要
攻撃側
攻め:受けに対して「言葉責め」をするポジション。また、敵に対する壁役も務める。
ライト:Japanese chessを鍋に投げ入れるポジション。Japanese chessは最大3枚まで保持できる。
守備側
受け:鍋を持つポジション。
ライト:Japanese chessが鍋に入るのを阻止するポジション。
以上、1チーム2人(予備2人)×2チーム=フィールドに4人での競技。
攻撃側のJapanese chessが尽き、審判を睨んだら攻守交替。
攻撃側のライトが鍋に投じたJapanese chessの数だけ、攻守交替時に肉を獲得できる。
競技中はその肉以外の食物を口にしてはならない。
攻撃側、あるいは鍋を手にしていない状態の全てのプレイヤーが
空腹に耐えかねて降参の意を示した時点で試合終了。
その時点での守備側もしくは鍋を保有しているプレイヤーの所属チームの勝利となる。
また、基本的に制限時間やイニング制のようなゲームの終了制限が設けられていないため、
公式な大会等ではしばしば数日にわたる熱戦が繰り広げられる。
Japanese chess
Japanese chessとはすなわち将棋の駒のことである。
もともとは西洋のチェスの駒を用いていたが、チェスの駒は形状的に破損しやすいため
日本に持ち込まれた際に代用品として用いた将棋の駒に目をつけたアメリカ人が
自国へと逆輸入したというエピソードがある。
Japanese chessは歩3枚、香・桂・銀・金いずれか2枚、王・飛車・角いずれか1枚のように
保持でき、それぞれ得点時に駒1枚につき肉1枚、2枚、5枚に換算される。
したがって、「1枚あたりの獲得できる肉枚数は少ないが3度の攻撃チャンスを持つ歩」
「攻撃回数は1回しかないが、5枚もの肉を獲得できる大駒」といったように
攻撃側に一種の選択権が与えられているのも特徴である。
近年、「将棋は日本で生まれたわけではなく、その原型となるものは大陸起源であるので
Japanese chessの名称は適当ではない。」という意見が起こっている。
中国では漢字で将棋駒、韓国ではEast chessと呼称するべきなどと主張している。
一方で、インドなど「どこの駒であるかといった議論をするより、もうchessでよいのではないか?」と提案する国もある。
競技に必要なもの
- 「Japanese chess」=将棋の駒。とくに規定はされていない。
- 鍋には鍋島財閥製の競技用公式鍋「キャパシティ」を使用する。
- 競技の場所は「地球上であればどこでも」と定義されている。
したがって自由ではあるが、性質上広い場所の方が適当であるといえる。
- 選手の食料となる肉も必要である。しかしながら、実際には肉以外の食物で代用されることも多い。
主な反則行為
- 走ることの禁止。
- ジャンプする、飛び跳ねる事の禁止。
- 納豆巻を食した時点で即退場。
- 間食の禁止。
- 互いの体に触れる事の禁止。
- 鍋の事を考える事の禁止。
- 私語の禁止。
- 水を飲む事の禁止。
- 標高1001m以上に移動する事の禁止。
- 受けのプレイヤーが鍋から手を離すことの禁止。
獲得した肉以外を口に出来ないルールのため、間食行為は禁止されているが、
「納豆巻」に限って即退場が明文化されている。
これはかつて、「米は主食であるからこの納豆巻は間食にあたらない」と主張した選手がおり、
その試合の審判が彼に退場を宣告したことに基づくものである。
また、「鍋の事を考える」の鍋とは料理としての鍋(水炊き、ちゃんこ等)のことである。
こちらは早草期、試合後に試合で用いた鍋で鍋料理を食べることが一種の慣習化していた時代があり、
そのために鍋の変形や破損を避けるため、本来の競技の在り様を崩す単調なゲーム展開が
続出したことに起因するルールであるとされる。
これらの一見奇怪なルールは明示されてはいるものの、日本への輸入から150年以上経過した現在では
まず抵触するケースが起こりうることは無く、ほとんど死文化していると言ってよい。
また、日本国内に限定されたルールであり、海外のほとんどの国では
「獲得した食料以外のものを口にすることの禁止」としているところが多い。
日本への伝来と定着
日本には1853年にペリーの黒船来航とともに輸入された。
初めは異国の競技、しかも性質上餓死者等を出しかねない危険なものとして幕府から禁止令が出たものの、
倒幕運動の勢いが高まり、明治維新前後の時期になると昨日の友は今日の敵、として
鍋島鍋夫が中心となって日本全国に普及した。
現在では中学・高校入学時に部活で始める人が多い。
麻生太郎もこの競技のプレイヤーであったことで知られる。
近年の日本はフニヒョの強国として知られており、世界最高峰の舞台である
サンフランシスコ・カップ出場者を続々と輩出している。
フニヒョギャラリー
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かつては日本を代表するフニヒョプレイヤーだったと言われる麻生太郎氏。
これは首相就任後初めてプレーした際のもので、審判を睨んで
攻守交代及び獲得した肉の要求を行っている写真。空腹のためか表情が怖い。
賀来うのの『ハブマン』で味を占めた安価主が調子こいて描いた、
「井上何某が『週刊少年ホニャララ』で連載した高校フニヒョを描いた漫画」の一部。
井上雄彦の『SLAM DUNK』とはまったくもって何の関連性も無い。断じて無い。
最終更新:2008年12月02日 20:07