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スーパーなマリ男の冒険 |
woo(ウー)は1999年1月1日に秋田県潟上市とどろく町3丁目の加藤氏が開発、
販売した据え置き型家庭用テレビゲーム機である。
概要
日本史上初めてといえる、完全個人開発・生産によるテレビゲームとして注目を集め、
コントローラーのアナログスティックに明治製菓の製品「キノコの山」を使用した
手作り感や、自宅に兵器を保有する加藤氏ならではの核攻撃にも耐えられる設計、
水に溶けることで簡単に廃棄することができるといった点が話題となり、
何と言っても最大で64人対戦が可能であることに、当時のゲームユーザーが
大きな期待を寄せていた。
ちなみに、これは加藤氏が当時「ニンテンドー64」が多人数(4人)でプレイ可能と
耳にしたことで、対抗措置として考案した仕様である。
なお、このハードを使用した者は3週間後に何故かプロレスをしたくなってしまうという
原因不明の現象が多発するなど、別の意味でも話題となった。
沿革
1683年 加藤氏の先祖が飛騨山中でモノリスを発掘。
1999年 1月1日発売。
7月29日、加藤氏が恐怖の大王を倒すために地球を飛び立つ。
2004年 プロレスをしたくなってしまう現象に対応してコブラツイスト型コントローラー発売。
ニンテンドーゲームキューブとの互換性を追加した「GC」モデル発売。
他ハードとの競争と撤退
wooの発売から3年前にはニンテンドー64(任天堂)が、1年前にはドリームキャスト(セガ)が
それぞれ発売されており、さらに2000年代に入るとソニーのプレイステーション2、
ニンテンドーゲームキューブ、X box(マイクロソフト)が立て続けにリリースされ
ハード競争が激化した。
この中でwooは当時全世界的に人気を博していた『新世紀エヴァンゲリオン』に着目し、
限定の
綾波レイ人形を付属することで生き残る。
その後さらに次世代の段階に入ると、任天堂はwiiをリリース。
加藤氏は
wiiのネーミングがwooに酷似しているとして提訴したが、敗訴。
これに激怒して「日本のためにネオエクスデスは使わない」と発言して
加藤氏はゲーム業界から身を引いた。
その後、アフリカで大規模な抗争が発生すると、加藤氏はその片側に
ネオエクスデスを提供。
その戦争に巻き込まれ多くの若者がその命を散らしていったアフリカに平穏を取り戻したとして
海外、特にアフリカ諸国では高い評価を得ている。
その後日本に戻った加藤氏は食肉業界に進出し、
ハムにより飛躍して現在に至る。
最終更新:2009年01月22日 21:46